第72話「イクシラ解放前線」

 夜王が敷く常夜の結界は、依然としてエルドレイクの都市を憮然と覆っていた。200年もの間の支配を暗喩するかのような、不動の夜空だった。

 しかし夜空の下の街並みは見違えるほどに凄惨で、荒廃の様へ変わっている。

 目線を上げると、一面に瞬く星がある。

 絶滅を彷彿させる都市と、泰然と輝く夜空は、皮肉すぎるほどに対称的である。

 そんな夜空において、一際輝く星があった。それも2つ。

 一方は夜空に溶けるような黒い翼を広げ、血走った眼で怒りを叫ぶ。

 もう一方は、夜空を切り裂く純白の彗星である。白む頬に熱を帯び、高速に靡く黒髪の下から鬼神の如き瞳を覗かせた。

 黒い翼を繰る夜王こと、アドバン・ドラキュリアは怪腕を振るう。尋常ならざる怪力と、鋼鉄すら貫く凶爪を奔らせる。

 白い翼膜で羽撃く白夜王こと、セーネ・ドラキュリアは愛用の銀スピアで夜王を迎撃する。強かなスピア捌きで穿ち、「空間転移テレポート」の権能で強襲を仕掛けていた。

 互いに撃ち込む攻撃は真っ赤な火花を散らし、星屑よりも派手に輝いている。


「もらった!」

「甘いっ」

「ここ!」

「ふんっ」

「はっ!」

「喰らわんわっ!」


 セーネと夜王の攻防は熾烈を極める。高速で繰り広げられる空中戦に、道周とライムンは傍観するしかなかった。


「凄いな、さすが白夜王……、見くびっていた」

「冗談を言っている場合ではないぞミチチカ殿。オレたちも加勢しないと、状況は好転しない」

「それもそうだな。追いつけないなら、回り込むだけだ!」

「了解した!」


 息を合わせた2人は、セーネと別行動に出る。

 道周を抱えて飛行するライムンは大きく旋回し、セーネと夜王の戦闘の先を読む。

 セーネと夜王は、不夜城を周回するように熱戦を繰り広げる。互いに崩れた城の外壁と環境を利用し、一歩も譲らない攻防を繰り広げるている。


「ていや!」

「正面から撃ち破れるほど、軟ではないぞ。舐めるなよ愚妹が!」


 セーネの正面特攻を、夜王は毅然と受け止める。鋭利な穂先を頑強な腕で防ぎ、同時に峻烈な回し蹴りを繰り出す。

 道周たちがその瞬間を狙った。


「ここだ、頼むぞミチチカ殿!」

「おう!」


 不夜城の瓦礫に身を潜めていた2人が飛び出した。助走もなしに発破をかけたライムンの初速は、夜王の不意を突くには十分すぎた。

 城の残骸を踏み抜き、飛翔の衝撃が不夜城を更に蹴散らした。

 道周の魔剣は、的確に夜王の懐に向いている。剣先が腹部を捉え、薙ぎ払おうとした、正にその瞬間だった。


「三下がっ」


 夜王は音速を超えた。

 不動の状態から、広大な黒翼の羽撃きだけで加速したのだ。力のみに任せた暴力的な飛翔は暴風を巻き起こし、セーネ諸共全員を吹き飛ばした。


「くっ……!」

「まさかここまでか!?」

「無茶苦茶しやがる!」


 暴風に攫われた3人は空中で堪える。強く歯噛みをしながら、夜空に舞い上がる夜王を睨み付ける。

 悔しさを滲ませる道周は、魔剣を握り締めてセーネに語り掛ける。


「地上戦だと「百鬼夜行」の邪魔が入り、空中戦だと夜王のフィールドだ。逃げ場なんて360度じゃないか。何か作戦を立てないとじり貧だぞ……」

「なに、心配ないさ。僕が本気になったのだから、勝算があるに決まっているだろう」

「何を根拠に……」


 セーネは根拠のない自信に慎ましやかな胸を張る。

 暴挙を続けるセーネの言動に、道周は呆れかえって頭を抱えた。だが、セーネの言葉に引っかりを覚えた道周は顔を上げる。


「勝算はあるんだな……?」

「……」


 道周の問い掛けに、セーネは沈黙を貫いた。

 道周にはセーネの思惑が分からない。

 だが、掛け金なしに信じるしか道はないのだ。

 そのときだった、道周の背中を押すように、後方から巨大な瓦礫が飛び込んできた。


「――――って危な!」


 その瓦礫は、(物理的に)道周の背中を押し、かけた。

 急速な反射を見せつけたライムンが瓦礫を避け、道周を守って見せる。

 道周は、急襲してきた瓦礫の行方を目で追った。その瓦礫は真っ直ぐに、そして衰えることなく夜王へ向かう。

 無論、夜王は容易く瓦礫を粉砕した。何事もなかったかのように鼻を鳴らすが、その眼は笑っていない。鋭い殺意を込めた眼光は、投石の行方を凝視している。

 道周も目線を映し、瓦礫の出どころを探った。

 粉塵を巻き上げ、山積みになった瓦礫の中、投石手は1人だけ見るに浮いている。

 白と黒のロリータドレスを纏い、フリルを揺らす鬼は次の瓦礫を持ち上げていた。その隣には、華奢な体躯の少女が銀髪を掻き上げている。


「次、行きますよ! 加速を任せました!」

「了解しました!」


 遥かに身の丈に勝る巨石を持ち上げ、鬼族のシャーロットは場力の違いを見せつける。そして投石の瞬間、ソフィが疾風の魔法で巨石を押し上げた。

 シャーロットの怪力と、ソフィの魔法を組み合わせた投石が、再び夜王に立ち向かう。


「小癪だぞ蛆虫風情が! 天のオレを落とそうなど、甚だしいわっ」


 夜王は怒りを露わに雄叫びを上げる。

 向かい来る瓦礫を悉く粉砕し、振り上げた右腕を振り下ろした。その所作が意味するところはもちろん、「突撃」の命令である。


「「「WuuooOOO!」」」


 命令を受けた「百鬼夜行」が咆哮を上げた。地響きを上げ、狂戦士の大波が、地上にいるソフィたちに押し寄せる。


「ソフィ! シャーロット!」


 道周は思わず叫んでいた。すでに長い交戦の後、満身創痍のソフィたちに80近い「百鬼夜行」を相手取る体力はない。

 しかし、ソフィとシャーロットが道周の心配を聞き入れる様子はない。


「ソフィ、まだ走れますか?」

「もちろんです。何なら、どっちが多く敵を倒せるか競いましょうか?」


 意気揚々と軽口を叩く2人は、「百鬼夜行」に背を向けて駆け出した。

 逃げる2人を追うように、「百鬼夜行」の軍勢は猛進を続ける。


「まさか、あの2人は「百鬼夜行」を引き付けるために!?」

「それしか考えられない。無理しやがって……!」


 閃いたようなライムンに道周が噛み付く。その声音は荒々しく、道周が焦っていることを表している。

 そんな抵抗を見下ろす夜王は、ソフィたちに向け嘲笑を溢した。


「ゴミ共が。オレに勝てるなどと思い上がりおって……」


 仲間に対する夜王の不貞の行為を目溢すはずがない。無論、のはらわたも怒りで煮え繰り返っていた。

 夜王は依然として余裕を見せ付ける。有り余る体力を誇示するように黒翼で空を撃ち、苛烈な暴風を叩き付ける。


「さて、次のゴミを片付けてやるとすーーーー」


 刹那、夜王は急転回をした。

 道周たちは、夜王の奇行に「何事か」と奇異な眼差しを向ける。その解は、直後明らかになった。


「くっ……、これは、魔法か!?」


 星が落ちているような光景だった。

 夜王を目掛けて降り注ぐ熱源は閃光を放ち、止めどなく放たれる。箒星の如し弾丸は、マリーが繰り出す奇跡の結晶であった。


「まだまだ行くよ!」


 マリーは光球の総射に味を占め、景気よくステッキで空を切る。その動きに合わせ、夜空のど真ん中に次々と魔法が展開される。


「いいぞ! もっとだ。夜王にぶち当ててやれ!」


 光球が照らす影の中で、リュージーンは囃し立てる。吊り目を歪ませ、快活に喜色に満ち満ちた顔はまるで、夜王に対して優勢を取ったかのように誇らしげだ。

 そんなリザードマンリュージーン人間の雌マリーを、夜王が赦しておく訳がない。


「どこまでオレを侮辱するつもりだ……。

 オレは、オレは夜王だっ! この常夜都市の、支配者だっっ!」


 今までに見せたことのない怒気が、明確な気迫としてマリーたちに向けられる。

 怒髪天を衝くとはよく言ったもので、夜王の乱れた長髪は逆立っている。何よりも、道周が目にした夜王の背中からは、殺意を越えた「絶滅」の圧が溢れ出ている。


(マリーのやつ、何をやっているんだ!)


 久方ぶりに肌で味わう気迫に、道周は焦燥しきっていた。こうならないために、道周は自ら夜王に立ち向かったというのに、これでは本末転倒ではないか。


 ーーーーマリーを守るためには、夜王を倒すためには今しかない。


 道周は魔剣を構える。その構えは、これまでの計7回の中で最も洗礼されていた。

 かつての異世界で放った3度のどれよりも、フロンティア大陸で連峰を崩した一撃よりも、革命で構えたどれよりも、「気持ち」が乗っていた。


(間に合え間に合え間に合え間に合え……!)


 道周は、ライムンに抱えられた空中で身体を反らす。自身の肉体を一対の「弩」に例えるならば、魔剣は必滅の「矢」である。


「ミチチカ殿、何を……?」


 ライムンは堪らず尋ねるが、回答はない。

 道周は、ただ一心に魔剣と向き合っていた。


 しかし、


「死ねぇぇぇっ!」


 夜王の突貫は、これまででの最速を優に越えた。

 最早、「魔性解放」の詠唱すら、言の葉すら追い付けない速度である。

 空気の歪みを生み出す夜王の飛翔には、誰も追い付けない。

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