第26話「ストーリーズ」

「大変失礼しました」


 マリーは開幕謝罪とともに差し出された布で鼻を拭った。鼻血の跡は綺麗サッパリ拭き取り、丸めた切れ端を鼻に詰める。

 場所はマリーに与えられた部屋から打って変わり、シャンデリア輝く大広間に移動している。

 大広間の中央に鎮座する長机を囲み、上手の席に"白夜王"セーネが座った。


「済まないマリー。起き抜けには少々刺激の強いジョークだったか?」

「ううん、そこは問題じゃないの。別の大問題が少々発生しましてゴニョゴニョ」

「ん? 最後の方がよく聞こえなかった。もう一度頼めるかい」


 セーネは他意なく机に身を乗り出す。

 向かって右側の椅子に座るマリーに上半身を乗り出し、純朴な瞳で下から覗き込む。

 すなわち「上目遣い」である。


「長い睫毛から覗かせる紅い瞳は汚れなき純真無垢! それでいて純白の素肌は透き通りほんのりと上気した頬はリンゴみたいに愛らしい! ……て、何で頬を赤らめてるの? めっちゃいい匂いするんですけど。

 あぁもう無理ありがとうございます!!」


 この間僅かに1秒の出来事である。

 マリーは開いた鼻の血管から再び血を噴き出してしまった。鼻に詰めた布が豆鉄砲のように発射される。

 そこはかとなく幸せそうな弛み顔で背もたれにもたれ掛かり沈黙。

 セーネはマリーの狂乱に驚き、「故障したのではないか」と騒ぎ立てる。

 無論、マリーは故障したのではない。


 すでに故障しているのだから。


 そんな馬鹿騒ぎを横に、身軽なソフィはシャンデリアの蝋燭全てに火を灯した。

 ほんのりと揺れる火の光が優雅な大広間をより上品に演出すると、ソフィがシャンデリアから飛び降りる。


「大丈夫ですかマリー。そんなことでは今後が心配です」

「もうらいひょーぶ」


 マリーは鼻に詰め物を詰めながら復活した。

 ソフィが訳の分からぬまま呆然とするセーネを嗜め、そのままマリーの隣の椅子を引く。

 ソフィの着席が終わるや否や、まるで合図されたかのように大広間に通ずる通路から人影が現れた。

 白と黒のコントラストが見目麗しいドレスに身を包み、フリルを揺らしてカップを運ぶのはメイドである。柔和な立ち振舞いと所作とはたいしょうてきに、メイドの切れ味鋭い眼光がマリーを見下ろす。

 切れ長な目元と鼻筋も去ることながら、マリーは目の前のメイドに息を飲んだ。


「大きい……」


 そう、そのメイドは見上げるほどに大きかった。

 マリーが座っていることもあるが、起立したとしても見上げるだろう。

 見積もって2メートルほどの高身長のメイドは、ぶきっちょな面構えでカップをサーブする。

 陶器のぶつかる音すら立てずに差し出されたカップにはコーヒーが注がれている。傍らに砂糖の入ったビンを差し出され、マリーは「本物のメイド」に感心していた。

 メイドはセーネたちにもコーヒーカップを差し出し、優雅にロングスカートの裾を摘まんで一礼した。


「粗茶ですが……」

「ってコーヒーやないかーい!」


 マリーの軽快な突っ込みが大広間に木霊した。

 セーネとソフィは我関せずにコーヒーを啜る。

 クールを装うメイドの顔がみるみる赤くなった。


「紹介するよマリー。こちら僕らの頼れるメイド、シャーロット・ハンナだ。こう見えても天然なんだよ」

「それマ?」

「……うん。今回は砂糖と塩を間違えずに持ってきたようだね」


 セーネは感心しながらコーヒーへ砂糖をブチ込む。匙にして5杯の砂糖をもりもりかき混ぜると、マリーが首を傾げた。


「シャーロット・ってことは、ソフィの家族なの?」

「いいえ、シャーロットは私の育ての親ではありますが実母ではありません。

 私はヒューマンとエルフのハーフですが、シャーロットは純度100パーセントの鬼族ですよ」

「へー、そうなんだ」


 話を振られたシャーロットが寡黙に会釈をした。


「わたくしはソフィにメイドとして立派になって欲しく全てを教授しましたが、血筋がそうさせるのか血気盛んな娘に育ってしまい。ほろろ」


 シャーロットは淡白な声音で寂しさを口にする。瞳にはほのかに涙が輝く。


「冗談は止めてくださいよシャーロット。私が貴方から教えて貰ったのは格闘術とサバイバル術だけですよ。コーヒーの淹れ方なんて教えてもらってな」


 シャーロットの手元から銀のトレーが飛んだ。素振りも見せずに放たれたトレーはソフィの顔の横を掠めて石床に突き刺さる。


「教えました。ね?」

「……はい。シャーロットだいすきー」

「鬼族凄い。あ、コーヒーおいし」


 マリーは愕然としながらコーヒーを啜る。


「ソフィの育ての親がシャーロットってことは、ソフィのお父さんお母さんはどうしたの?」


 マリーはコーヒーに砂糖を加えながら素朴な疑問を口にした。

 セーネがマリー質問に一瞬だけ表情を曇らせた。

 答えたのはソフィ本人だった。


「私の生まれたエルフの里は魔王に焼き払われてしまいまして。行く宛のない私をセーネに拾われたのです」

「そうなんだ……。言いづらいこと言わせちゃったね、ごめんソフィ」


 マリーはしゅんとしてコーヒーの水面に顔を落とす。

 ソフィはブンブンと手を振り、気にしていないとマリーを励ました。


「私の昔の話より、今の話をしましょう。セーネもそのために時間を作ったのでしょう」

「うむ、そうだね。

 境界の関所でのあらましは商会とソフィから聞いているが、マリー本人の口からも聞いておきたい」


 コーヒーを飲み干したセーネは凛として背筋を伸ばした。空になったカップにシャーロットが手早くおかわりを注いだ。


「商会……、ムートン商会の人たちは無事だったの?」

「うむ。

 ミチチカが起こした騒ぎに乗じて下山してきたところ、待機していた僕たちと遭遇した。それまでの経緯はそのときに聞いたよ」

「そっか……。セーネたちと知り合いだったね」

「うむ。このコーヒー豆なんかもムートン商会から仕入れているんだ。彼らとて修羅場を潜ってきた商会、図太さはピカ一だとも」

「よかった……」


 マリーは胸を撫で下ろしカップを置いた。陶器がぶつかる甲高い音で、マリーはカップが空になっていることに気が付く。

 コーヒーの入ったポットを抱えたシャーロットが手を差し伸べる。


「おかわりは?」

「お水をもらっていい?」

「かしこまりました」


 シャーロットは一礼して厨房へ繋がる通路へ入る。

 シャーロットからグラスに入った水を受け取ったマリーは一口含む。

 口を湿らせたマリーはミノタウロスとの恐怖の邂逅から、関所の死闘まで、体験したことの全てを包み隠さずに話した。

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