第2話「異世界転生した男 2」

『滅びよ人間んん……!?』


 邪神が吼えた。その咆哮は雷鳴よりも苛烈に地鳴りよりも獰猛だ。

 白亜の宮殿を自らの手で粉々に蹴散らし、5人の勇士を蟻のように凪ぎ払う。


「くっ……!」

「なにぃっ!」

「うぅ……っ!」

「うそっ!」

「きゃあ!」


 5人は邪神の暴力に成す術なく宙を舞った。崩れた宮殿の瓦礫に落下した5人は、すぐに身を反転し臨戦態勢をとる。

 視力を奪われた邪神だが、5人の位置は的確に把握していた。戦闘慣れのしていない魔法使いのセピアとフォリスを庇うように、ユーロとミチチカ、ジノが前面に立ちはだかる。


(すぐに反撃はせずに様子見か……。ならば……!)


 邪神は背負う蝙蝠の翼を羽撃かせた。旋風が瓦礫を巻き上げ、礫を尾の一振りで流星とした。同時に紫炎を放出し、流星の一つ一つが紫炎を帯びる。

 流星に触れれば人体など積み木より脆く、紫炎の風が溶解へと誘う。防御など無意味な攻撃を、5人に耐え忍ぶ手段はなかった。

 眼前から迫り来る絶望に、フォリスが涙を滲ませた。


「ここで、終わりなの?」

「まだだ!」

「諦めるな!」


 膝を折るフォリスに、ユーロとミチチカが檄を飛ばした。見上げたフォリスが目にしたのは、邪神の攻撃に立ち向かわんとする2人の背中だ。


「やられてもいないのに「終わり」なんてダサいわよ。顔を上げなさいよ」

「セピア……。

 そうだね。まだ、私はやれる!」


 セピアに肩を叩かれフォリスは奮起する。

 ジノは立ち上りる仲間の意思を感じ、正真正銘最後の一撃に集中する。


「俺たちの最後の攻撃だ! 力を会わせるぞ!」

「あぁ! 留めは任せたぞジノ!」

「任された! ぶった斬ってやる!」

「私も一撃入れないと収まらないわ!」

「サポートは任せて!」


 5人の心が共鳴した。言葉はなくとも通じ合い、己の使命を果たすために邪神に立ち向かう。

 決死の反撃の火蓋は切って落とされた。


「うぉぉぉりゃぁぁぁ!」


 ユーロが正拳突きを連打し流星を叩き落とす。高速で迫り来る数多の流星を同速の突き出しで確実に迎撃する。紫炎を纏う流星に手甲は焼け落ち、半ばから素手での殴打に変わる。爛れた素手をそれでも振るうユーロは、万物を融解させる紫炎よりも熱く燃えていた。

 ユーロが焼ける拳を連打できたのは、フォリスが間断なく治癒をし続けたからだ。

 フォリスの魔法は治癒と強化の掛け合わせという何度の高いものであり、「再生魔法」と呼ばれている。再生魔法を扱える者ははこの世界においてフォリスを置いて他にはいない。

 一切の傷痕を残さず、再生前よりもより健常に。

 フォリスの再生魔法を受けたユーロは、背後に庇う2人の魔法使いを守るべく拳を連打する。


「さぁ、反撃よ!」


 そしてセピアがアカシアの杖を振るう。杖の先から魔法が満ち、そよ風が漂う。徐々に勢いを増す疾風は渦を巻き砂塵を上げ竜巻を起こす。暗雲を捩り紫炎の風を掻き分ける竜巻は意思を持つように蛇行する。

 セピアは竜巻を器用に操り、邪神へ向かう一本の道筋が出来上がる。暴風は暴風を呼び流星の猛攻など寄せ付けない。

 セピアが精一杯の魔法を繰りジノに声をかける。


「乗りなさいジノ。この大竜巻ビッグウェーブに!」

「よしきた。邪神のとこまで頼むぜ!」


 駆け出したジノが大竜巻の流れに乗る。両手で聖剣を携えたジノは、一気呵成に邪神へ迫る。

 しかし反撃を易々と許す邪神ではない。


『正面からこの邪神を打ち破れるなどと、付け上がるな聖剣使い!』


 咆哮と共に邪神は8つの脚を体面に構える。どの腕からも尋常ならざる力が収束し魔法として顕現する。


「何だ、は……」


 邪神が構えた腕の真ん中には漆黒の球が浮かぶ。光の一切を逃がさずに呑み込む球体は、宇宙の暴君「ブラックホール」そのものだった。

 邪神の渾身の魔法を目にしたジノは、初めて見るブラックホールに眉を潜める。

 それは降り注ぐ流星を砕くユーロも、ユーロの肢体を支援するフォリスも同じだった。

 竜巻を操作するセピアは黒い球体の違和に気が付きながら疑惑の混ざったな驚きを見せる。


「あれは……、重力魔法……!? うそ、でもあんな質の重力魔法聞いたことが……。第一使い手に掛かる負荷が――――」


 セピアが狼狽えたことにより竜巻の隆盛が衰え、ジノを運ぶ速度は瞬間的に落ちる。

 セピアの心的な異変がモチベーションにもたらす影響は大きい。ここで少しでも勢いを落とせば、邪神を討ち取ることは不可能になる。

 ここでドゴウヲ上げ檄を飛ばしたのは、唯一ブラックホールを知るミチチカだった。


「今さら驚くことかよ! セピア、そのままジノをぶっ飛ばせ!

 道は俺が作る!」

「っ! うるさいわね、言われなくともぶち込んでやるわぁ!」

「おっ!? うぉおおおわぁぁぁ!!」


 セピアに勢いが戻る。大竜巻は怒濤の勢いを取り戻し、押し飛ばすジノに螺旋を加える。

 邪神はジノの特攻を迎え撃つべく、球状に圧縮したブラックホールを怪腕で放った。

 圧縮されたブラックホールは光も暴風も、砂塵の一粒までもを貪欲に呑み込み聖剣へ迫る。

 ジノを送り出したミチチカは白銀の魔剣を構え、その“禁”を解く。


「魔性解放。この剣、神秘を断つ神秘。この我、矛盾を突き付け仇を成す者。世界よ、挑んで見せよう――――!」


 ミチチカは魔剣の真の力を解き放つ。それは魔法とは異なる系統の“神秘”の結晶である。

 ミチチカは魔剣を頭上から一振り、魔剣はその一閃で途方もない衝撃を生み出した。

 たったの一振りで壮大な破滅を招く魔剣の魔性だが、もちろんはある。連打は不可能、放出の度に柄の碧玉が粉々に散壊する。

 これは正しく全身全霊の一撃である。

 ジノが往く道を切り開くべく放った形の見えぬ衝撃は、地上に現れたブラックホールと衝突する。

 視覚はなくとも鋭敏な感覚を持つ邪神は、“視る”以上に“見えている”。ミチチカ魔剣の一撃の招待を看破した邪神は、再び驚きを見せている。


(神秘を断つ神秘の魔剣……。なるほど、か……!?)


 どこまでも面妖なやつよ。

 邪神は怪しく微笑んだ。

 ぶつかる“修正力”の衝撃と凝縮された黒球。

 星の爆発により発生する超引力の塊を抑え込み、衝撃は球体を下し貫通する。


『うっ……、ぐぅぅうううぁぁぁあああ!!』


 魔剣が放つ“修正力”の衝撃が邪神の巨躯の芯を捉えた。邪神は耐え兼ねけたたましい絶叫を上げた。撃ち込まれた衝撃はこれでもかと邪神の身体を穿つ。

 しかし邪神は屈しない。邪神は敗せず滅びない。いかに超常の魔剣とて、邪神は不滅だ。


 魔剣、であれば。


「これで……、終わりだぁぁぁ!!」


 暴風に乗ったジノが回転により貫通力の増した聖剣を突き立

た。聖剣には眩い光が収束し、刀身を遥かに越える存在感を蓄えている。

 いくら邪神とてその光には、聖剣の輝きには勝てない。


『この……、人間が……。我が肉体は、魂は……、三千世界は……、滅びぬっ―――!!』


 邪神は最後の力を内側から放出する。星の爆発を体現した球体の一撃を、己の肉体で再体現しようと言うのだ。

 邪神が巻き上げた瓦礫の流星、渦巻く紫炎の渦の中心で邪神は黒い華を咲かせる。

 神秘を断つ魔剣は届かない。

 しかし、


聖剣使いがいる!」


 ジノが聖剣を振るった。躊躇いはなく淀みもない剣捌きが邪神を切り裂く。

 聖剣に再び光柱が立ち上る。乱れた暗雲を切り裂き邪神の脳天を真っ二つに両断する。


『ぐっ……、ぅううあぁぁぁあああ――――!!』


 かつて曇天を敷き詰め世界を無惨に平定した神は、人の子の剣によって終焉を迎えた。


「……終わった、のね」

「あぁ……。やっと、俺たちの旅が終わる」

「ほんと長かった。くそしぶとくて、くそ強いわ腹立つ」


 邪神の滅亡を見届けたフォリスとユーロ、セピアの3人は喜色を露にする。それぞれが思い思いの感激を漏らしてハイタッチを交わす。

 ジノとミチチカも剣を酌み交わし喜びを共有する。

 5人の人間の旅が終わる。これからは神のいない世界で、人間の生き様が繰り広げられる。その様を生きていくために、彼らは戦いの場を変える。

 これはそれまでの幕間であり、旅の戦友とのを意味していた。

 ミチチカはジノと交わした魔剣を鞘に納める。そして青白く発光するブレスレットが魔剣を粒子化させて呑み込んだ。

 発光するのはブレスレットだけではない。ミチチカの身体も光を放ち、天から降り注ぐ光に包まれる。

 この時をジノたちは理解していた。それはユーロもフォリスもセピアも同じ。

 ミチチカはのだ。

 ミチチカは元の世界へ帰ることを目的として戦い抜いてきた。この帰還は、言わば「契約」なのだ。


「……ま、別れってやつだ。分かってたけど、中々寂しいな」


 ミチチカは光の中で恥ずかしそうに笑った。傷だらけの身体はみるみる内に光に変換されていく。

 照れ笑いをするミチチカとは対照的に、ユーロとフォリスは涙を浮かべ嗚咽を溢す。


「それなら残りなさいの。あんたは私の知らないこと一杯知ってるんだから、教えていきなさい」


 セピアは相変わらず無愛想で高圧的な物言いである。がミチチカを引き留めようとする気持ちに偽りはない。

 ただ1人、ジノは悔やみ寂しがり強がる3人と異なる反応だった。


「帰っても剣の腕は落とすなよ。次に仕合をするまで、誰にも負けるんじゃねえぞ」

「真剣を振り回すとまずいからな。木刀くらいは素振りしておく」


 ジノとミチチカの会話はそれだけで終わる。

 ジノは別れを惜しむことは決してしない。

 ミチチカが元の世界に戻ることを悲願としていることは一番理解していた。ミチチカにはミチチカの世界があり、奪われる形でミチチカは5年もの間邪神を打倒するために戦ってきた。

 それを引き留めるることを、ジノは決してしないと心に誓っていた。

 ジノの気持ちをミチチカは理解している。同時にユーロの気持ちも、フォリスの気持ちも、セピアの気持ちも痛いほど分かる。


「だが、俺は帰るぞ」

「あぁ」

「おう!」

「えぇ」

「ふんっ」


 5人の少年少女は出会いと別れを繰り返し、大人へとなる。




 これが魔剣使い“ミチチカ”の、1異世界転生。

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