第11話「ここから始まる冒険譚 2」
「--------んんっ! うまうまですな!」
太陽が地面と垂直になった頃、宿場町の一角でマリーが大きな声を上げる。
上機嫌なマリーの手の中には朝昼兼用の食事が握られている。
焼き立ての目玉焼きを、焼き立てのベーコンとバンズで挟んだサンドは湯気をもくもくと立てている。味付けのペッパーはピリ辛と感じるほどにまぶされているが、目覚めの食事としては丁度いい。
マリーは熱々のバーガーをホクホクと頬張る。その頬はリスのように膨らんでおり、飲み込む前に次の一口へ噛り付く。
「いかがですか、「ムートン商会」特製のパンチバーガーは? 美味しいでしょう?」
「これまた上手い。ペッパーを使い分けているのか。かなりの腕前だな」
「いいえ、これはペッパーの取り揃え故ですよ。ムートン商会には門外不出のペッパーマニュアルなるものがあるそうで」
「商会規模で使いこなしているのか。これは異世界グルメに期待できるな」
道周はまだ見ぬ美味に心踊らせる。いかに2度目の異世界転生とはいえ、未知なる美味に期待せずにはいられない。
道周はソフィが指で示した「ムートン商会」のエンブレム、羊毛を蓄える牡羊の紋様を完璧に記憶した。
「ところで、俺たちはこれからどこへ向かうんだ?」
「たひかに。
(確かに。)
きのうは「あさがははい」っふぇいっふぇなかっぐがぐが。
(昨日は 「朝が早い」 って言ってかなかっぐがぐが。)」
「食べてから喋れよ」
「昨日は「朝が早い」って言ってなかった?」
口の中のバーガーを飲み込んだマリーがソフィへ訪ねる。そしてすかさず2つ目のバーガーの包みを開ける。
次のバーガーはふわりとした香料が鼻孔をくすぐりながら、油気のないベーコンとレタスの挟まれた爽やかな一品だ。
「誰かが寝坊したから早朝の出発はできなかったんだけどな」
「うぅっ……」
道周の思いがけない口擊に、マリーは思わずバーガーを詰まらせる。咳き込んで詰まったバーガーを飲み込み、マリーは膨れっ面で道周を睨み付ける。
「うぅ……、うぅっ!」
「悪かったよ。別に嫌味で言ったわけじゃない」
「ミッチーの意地悪」
「ははは。本当にお2人は仲がいいんですね」
ソフィは仲睦まじい2人を微笑ましく見守る。
「まぁな」
「そんなことないし!」
ふざけて回答する道周と、照れてそっぽを向くマリー。
これはこれで、この2人の関係が見えてくる。
恋人など甘ったるいものではなく、先輩や後輩といった堅苦しいものではない。まるで兄妹のようで友人のよう、2人は気の置けない仲なのだとソフィは解釈した。
「お食事はこのくらいにして、そろそろ約束の時間ですね」
ソフィは日の高さと影を見て時間を計った。日時計に近い計測がフロンティア大陸における時間の概念なのだと道周は記憶しつつ、周囲を見回した。
「約束ってことは、誰かと合流するのか? "白夜王"の仲間?」
「いえ、約束している相手は"白夜王"共々懇意にしてくださっている商人の方です」
「商人?」
道周とマリーは何が何やら見当もつかずに呆けた。
すると高らかな音が宿場町の石畳を駆けてくる。
現れた荷車は馬のような、牛のような奇怪な4足の動物が牽引している。木製の荷台に布の天幕が張られ、中は全く見えない。
「よいしょー。お待たせしたなソフィちゃんや」
「とんでもないです。お時間を変更していただいた手前、お礼を言うのはこちらですよ」
「なーに気にしなさんな。どのみち出立はこの時間なんだ。大差ない大差ない」
ガッハッハ! と豪快に笑い飛ばす老夫が、手綱を放して荷車から降りてきた。
大きな顔に見合わない小さな丸眼鏡を鼻にかけ、のっしのっしと巨体を揺らして歩く。その老夫がハットを脱ぐと、その頭頂からロバ耳がピョコンと跳ねた。
ずんぐりむっくりの老夫の頭の上のロバ耳は不格好に可愛らしく、不意を突かれたマリーが堪らず噴き出した。
「ぷっ! あ」
「おぉ!?」
何と間が悪いことか、老夫のロバ耳に届いてしまう。
「おい馬鹿ソフィ! お前なんてことを……、を……ぷ」
「ミッチーだって!」
この異邦人2人はダメダメであった。
いくら異世界で文化が違えど、初見の相手の様相で笑うなど言語道断。
ロバ耳の老夫は震え上がり毛は逆立ち、ロバ耳を激しく戦慄かせた。
ロバ耳「ぶるぶる」
さすがにまずいと理解した道周とマリーは、唇を噛み締めて笑いを我慢する。
ロバ耳「ぷるぷるぷるぷるぷるぷる」
「っ……!」
「くっ……!」
2人は汲み上げる笑動を必死に堪える。血が滲むほど唇を噛み締め、笑いを押し殺す。
ロバ耳「ぷるぷるぷるぷるぷるぷる……、ぴくっ!」
「だっめだ! もう、我慢できない!!」
「くそ! 俺ももう限界だ!」
遂に噴き出した。2人は我慢していた分も思い切り噴き出し、大声で笑い声を上げた。
身を捩らせて大爆笑する2人を見下ろす老夫は、丸眼鏡を光らせると哄笑を上げる。
「ガッハッハ! そうとも異邦人、ワシの耳を見て笑いを堪えるなどしなくてよい! 豪快に笑えるのは美徳よ!」
道周とマリー、ロバ耳の老夫は周波数が重なったように爆笑している。
爆笑が爆笑を呼び大爆笑となる。もうわけが分からない。
このカオスな状況も、ロバ耳の老夫と顔見知りであるソフィにとってはおかしなことではない。ソフィは温かい眼差しで見守っている。
「アムウさん、そろそろ」
「おぉそうだな。では簡単に自己紹介といこうか」
ロバ耳の老夫は一頻り笑い終えると眼を擦った。呼吸を整えると、相変わらず豪快で大きな声音で自己紹介を行う。
「俺ぁアムウ・ムートンてもんだ。しがねぇ商人の獣人だ。よろしくな異世界の者共よ」
「よろしくお願いします。改めて笑ったりしてごめんなはい」
「なさい」
素直に謝罪したマリーに続き道周も頭を下げる。
ロバ耳の獣人、アムウは気に留める素振りもなく非礼を流した。
「この人が「ムートン商会」の……?」
「はい。アムウさんはムートン商会の会長さんです」
「もしかしてこの人大物?」
「ですです」
ソフィに耳打ちで確認した道周は真実を知り青ざめた。
道周は少し耳にしただけの情報だが、「ムートン商会」なるものが大規模な組織であることは察していた。
その会長を出会い頭に笑い飛ばしたとなれば、ソフィの顔を汚すことになる。それ以上にまだ見ぬ"白夜王"の顔に泥を塗っていただろう。
道周は不用意だったと自戒し、アムウの豪気な性格に救われたと胸を撫で下ろす。
ソフィは道周とマリー、アムウの3人に振り向くと、手を叩いて注目を集める。
「今回はムートン商会の荷車に潜んで領域の境界線を越えます」
「密航ってやつだね。商会としてはそんなことしていいんですか?」
「構わんさ。ヒトもモノも、表も裏も精通してこその一流商人ってやつさ。
それに運ぶのは境界線ギリギリまでだ。領域を跨ぐわけじゃぁねぇサ」
「なるほど。俺たちは「いつの間にか荷物に紛れていた」ってわけか」
「ま、そう言うことだな。
察しがいいじゃねぇかボウズ。名前は?」
「俺はミチチカ。こっちの金髪がマリーです。道中よろしくお願いします、ムートンさん」
「どうも」
タイミングを見計らったマリーが、道周の影からヒョコっと顔を出す。
アムウは道周とマリーの顔を交互に何度も見直すと、臼歯を剥き出しにして笑った。
「気に入った。ミチチカにマリーちゃんだな。俺のこたぁ「アムウ」と呼びな。うっかり姓を商会の名にしたもんだからややこしくってなぁ!
ソフィちゃんも俺の荷車に乗って行きな!」
「い、いいんですかアムウさん!」
「構ゃしねぇ! 町の外に仲間も待たしてあるんだ。急いで乗り込みな!」
アムウは太い腕で道周たちを荷車へ案内する。
道周たちは木製の荷台に腰を下ろし、会長であるアムウ本人が手綱を握った。
「それじゃあ快適とはいかないが、しばしの旅よ。くつろぎな!」
バシィ!
豪快なアムウが豪快に鞭を打つ。
荷車を牽引する2頭の牛と馬の中間生物はけたたましく戦慄き、パワフルに荷台を引率する。
「凄い馬力だ。見たことない生き物だな」
「あれは「ギュウシ」という生き物ですね」
ソフィが道周の疑問に答える。
「ギュウシ」という異世界生物は牛のような巨体に発達した四肢の筋肉が特徴的な四足歩行の動物だ。顔は牛に似通った印象を受けるが鳴き声は「ヒヒーン」。道周が牛と馬の中間と感じたのはそういう点からだろう。
「ミチチカたちの世界にはいませんでしたか?」
ソフィが道周とマリーに疑問をぶつける。
その問いは何気ない差異だが、世界が変われば住まう生物が異なるのは当然だ。ソフィはそういう違いすら解消しないと具合が悪いのだろう。
「ギュウシを割ったような動物がいるよ。「ウシ」と「ウマ」っていうんだけど」
「あ、「牛」と「馬」はそちらの世界にもいるんですね」
「……フロンティア大陸にもいるんだな」
鼻高々に知識を披露しようとしたマリーが肩を落とした。
すると宿場町の中を行く荷車の揺れが変わる。
石畳特有の小気味いい車輪の音はなくなり、不規則な上下の揺れに変わった。
それと同時にギュウシを操るアムウの声が荷台にかけられる。
「町の外に出たぞ。道は悪くなるだろうが、我慢してくれや!」
三者三様の返事を返し荷車の旅が始まった。
ソフィは舗装されていない道も慣れているのか、瞼を重くしてうとうとしている。
マリーは荷台の隙間から外の景色を眺め、異世界の風景に心を踊らせながら歌を口ずさむ。
ソフィという案内人に恵まれ、宿もあり目的地も明確と出だしは順調。
道周は2度目の異世界転生に辟易としながらも、自分の領分をしっかりと理解していた。1度目の異世界転生が最悪のスタートだったが故に、今の道周には異世界を楽しむ余裕さえある。
マリーは幾ばくかの不安を片隅に残しながらも、やはり異世界という未知なるファンタジーに沸かずにはいられない。今は一つ一つの出会いを大切にし、自分にできることだけを必死に模索している。
道周とマリーの異世界冒険がここから始まった。
「どなどなどーなーどーなーー」
「マリー、その歌は止めようか」
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