第492話「ティアは死んだ」



「んぐんぐ……んん~♪ 青空の下、のどかな中庭、友人と分け合うお昼ご飯! とっても青春の味がしますね!」

「あなた誰……」


 落ちそうな頬っぺたを押さえて好き勝手言うティアに、我がご主人様が至極真っ当なツッコミを入れている。そんな相手でも焼きそばパンを三等分してあげているのだから、俺のマスターは大変に優しい女の子である。

 リゼット、刀花、綾女、そしてティア。中庭の芝生に敷いたシートの上で各々円になるようにして弁当を広げ、現在昼食の時間と相成っている。

 刀花の恩情により分け与えられた焼きそばパンを夢中で貪っていた聖女は、そんな吸血鬼お嬢様の声にハッとし、咀嚼中のパンを急いで飲み込んだ。


「んぐんぐ……こくん。失礼しました、憧れの味につい……私、バチカンよりお仕事でこちらに参りました。ユースティア=ペルフェクティオと申します。ふふ、姓名よりも"バチカンの剣姫"と名乗った方が、こちらでは通りがよいでしょうか」

「明確な敵サイドじゃないの。ジン?」


 どこかドヤ顔で自己紹介するティアから、こちらにじっとりと紅い瞳を向けるリゼット。その瞳はこう言っている。「邪魔じゃない?」と。

 こ奴ら悪魔祓いの仕事の一つは、その名の通り悪魔を狩ることである。"悪魔"と一言に言ってもその定義は広く、悪魔という種そのものを指すことは当然として、俺やリゼットのような人外を含む場合もある。

 無論、悪魔祓いも過激派以外は無闇矢鱈に人外を襲うわけではない。奴らが問答無用で滅ぼしにかかるのは、俺のような殺人鬼くらいだ。

 しかし過去にはこの日本同様、異種族間でのドンパチなど異国であれ当然のようにあった。英国やバチカンでの人と吸血鬼の関係性は知らんが、リゼットの態度からして割りきれぬものは過去にあったのだろう。刻まれた歴史というものは教訓となることもあるが、今を生きる者の足枷となることもまたある。

 そんなご主人様が、暗に聖女の退去を促している。しかし同じくシートに胡座をかく俺は、首を横に振らせてもらった。


「案ずるなマスター。悪魔祓いという括りではそうだが、この者に限って言えばそう警戒はしなくていい」

「えっ♡ そんな先生ったら……そんなに私のことを信頼して──」

「いつでもくびり殺せるゆえ、マスターは変わらず優雅に時間を過ごすといい」

「ふふっ。んも~、先生ってば冗談キツイですって~」

「馴れ馴れしいわねこの子……子……?」


 リゼットがその外観から、ティアの素性をいぶかしんでいる。髪型は多少マシになったがさもありなん。

 綾女は既にティアのことを知り、刀花は姉上の作ってくれた弁当に今は夢中なため、自然とリゼットがティアのことを聞く相手となっている。

 そんな環境の中で、リゼットが「それで?」とツリ目がちな瞳を更にキュッと細めた。


「お仕事って?」

「薄野様のエクソシスト勧誘と、神刀の調査あわよくば回収です!」

「随分と望みの薄いお仕事するのねバチカンの剣姫って。どう、アヤメ? エクソシストになるの?」

「あはは、ならないならない」

「そんなぁ! 薄野様……あの、じゃあ、これでなんとか……」

「食べかけの焼きそばパン出されましても……」


 プルプルと涙目で震えながら、綾女にパンを差し出そうとするティア。対価が安いぞ!

 パンを控え目に押し返す綾女を横目に、リゼットは何でもないように隣の刀花へ問う。


「トーカ? あなたのお兄ちゃんを回収しに来たんですってこの人。何か言って──」

「う、うぅ……ぐすん……」

「なんで泣いてるのあなた……」


 お口いっぱいにご飯やおかずを溜め込んだ刀花がポロポロと泣いている……俺との別れを想像して、涙ぐんでくれているのだろうか。

 だとすれば、杞憂である。そのような涙を実際に流すことなど永遠に来ないとも。俺はいつでも、酒上刀花の兄であるゆえ!

 そう伝えようと居ずまいを正していれば、刀花はその涙の理由を語る。


「姉さんの作ってくれたお弁当が……お、美味しくてぇぇぇぇ……」

「すごいどうでもいい涙だったわ」

「二度と食べられないと思ってた、お姉ちゃんのお弁当ぉ……ぐすん、ふぇぇぇぇ……」

「すごい切実な涙だったわごめんなさい。でもちょっと絵面があれだから、せめて飲み込んでから泣きなさいな……」

「くすん、くすん……ありがとうございますリゼットさん……あと兄さんのことは心配してないです。兄さんが妹から離れるわけありませんので……」

「はいはい」


 刀花の口許をやれやれと拭ってやっているリゼットが微笑ましい。そして刀花の心情を察して俺も泣いた。


「ぬ、うぅ……! よかった……よかったなぁ刀花……!」

「あなたまで泣いたらもう収拾つかないからやめて?」

「あ、じゃあ刃君は私が慰めてあげるね。よしよーし、よかったねぇ……」

「あ、ちょっとアヤメっ」


 なんだかんだ言いつつ俺も慰めようと思っていたご主人様に先んじて、綾女がこちらを気遣って頭を撫でてくれた。


「すまない、綾女……みっともない姿を……」

「……泣いてる刃君かわい♡」


 大丈夫かクラス委員長薄野綾女。ご馳走を前にした我が妹と同じ瞳をしているぞ。

 こうして各々が好き勝手に混沌を生み出すいつも通りの風景に対し、秩序側のティアは「お、おぉ……」と少し引いた様子で冷や汗を浮かべていた。


「な、仲良しなのですね。ところでお姉さんというのは……? 十年前の記憶にもとんと……」

「最近、黄泉路より帰ってな。自慢の姉だ」

「え、死から……? そ、それって、うちの教義的にはだいぶヤバめの……救世主としてお迎えしなきゃいけないレベルの偉業なのですが……」


 姉上が人類の救世主か。確かに視座に関してのみ言えば、その程度の格はあろう。

 様々な要因が重なったとはいえ、死から蘇った人間など姉上以外に存在などしない。ティアが勧誘の手を広げようとするのも納得ではある。


「……」


 だが……きっとそうはならない。

 俺は本気の殺意を眼に宿らせ、バチカンの剣姫に警句を放った。


「もし……俺の姉にちょっかいをかけるようなことがあれば」

「か、かければ?」

「──誰であろうと、生まれてきたことを必ず後悔させる。その者と、その者の大事な人間全てに……何度も、何度も。よくよくこの言葉を覚え、そして持ち帰るがいい」

「は、はひ……」


 昨夜にやり合った時など及びもつかぬほど、ティアの顔が青くなる。

 悪く思うな。酒上鞘花という少女は俺にとっても、酒上刀花にとっても、なにより大切な家族なのだ。一度失ったゆえ、こうして過剰になるほどに大切で大好きな姉なのだからな。


「も、もし、向こうからちょっかいかけてきた場合もですか……?」

「ん……まぁ、その時は大目に見よう」


 そのようなことになど決してなりはしないだろうがな。あの姉上は基本的に、森深くの屋敷から用事以外で出ることはない。俺の姉上は静かに暮らしたいのだ。

 そう言い含めた俺は満足して、綾女お手製の弁当に口をつけ始めた。今朝焼いたばかりのステーキから染み出す肉汁が、少し固めに炊かれた白米と絡まり大変に美味である。


「美味い。綾女は良い俺の嫁になるな」

「えへ、ありがと。ちゃんとそう言って褒めてくれる刃君は、きっと私の良い旦那様になるね♡ な、なんちゃって……」


 俺はガツガツと箸を動かし、そして綾女は幸せそうにしてお茶も淹れてくれる。なんといじらしい少女か。抱き締めたいくらいだ。

 そうしてそんな様子を、青い顔から気を取り直したティアが少しパチクリとして見る。


「おや……そういえば、先生はやはり薄野様と? 薄野様は担い手ですし、深い関係であるとは察していましたが」

「そうだな。男女の関係である」

「あ、改めて言われると恥ずかしいなぁ……」


 迷いなく頷けば、綾女がテレテレと頬をかく。

 その姿をティアは微笑ましげに見て、その視線をリゼットと刀花にも向けた。


「そうなのですねぇ。こんなに可愛らしい女の子が周囲にいますのに、既にお選びに──」

「ああ、全員俺の可愛い嫁だ」

「なんと!」

「ここ以外にも、現在外国の川で川下りをしているアイドルや、それこそ己の姉にも"あぷろーち"している」

「なんとなんと!」


 さすがに驚いた様子のティア。だがその表情は忌避というより、感心に染められている。


「じゃあ勧誘が成功したら、可愛い女の子がうちの職場にいっぱいってことで!?」

「その折れぬ精神性、まっことたくましいことだ」

「ねぇねぇ、先生? よろしければ私もその輪に入れて──」

「ちょっと」


 要望を口にしようとした時、リゼットが目敏くティアに待ったをかけた。


「どういう魂胆? あなた、まさかジンのこと好きなの? そういえばさっきから先生ってなに──」

「先生のことですか? 好きですよ?」

「なっ」

「わ」

「もぐもぐ……?」


 自然体で言うティアに、リゼットと綾女は目を丸くし、刀花はキョトンとして弁当を咀嚼する……。

 そんな女性陣を前に、ティアは説法でもするかの如く胸に手を当てた。


「殺されるところ慈悲をかけられ、その背で生き様を語ってくれたお方。私はそれにより、道を改められたのです。そうして現在、それは決して間違っていなかったと確信していますので」


 滔々と語るティアは、静かにそう言ってこちらを見た。


「前しか見えていなかった青二才を背中で先導する様は、まさしく我が師として慕うべき存在。そんなお方に、幼心とはいえ徐々に徐々に恋心を育てていたとして、おかしなことはありませんよね?」

「むぅ~、私より先に会ってる女がまだいたなんて……」


 ご主人様が少し変な方向で対抗心を燃やしている。そんなところも可愛いのだが。

 そんなお嬢様の嫉妬に胸を打たれている間にも、リゼットはどうにか諦めさせたいのか、ティアに俺の悪評を吹聴しようとしていた。


「や、やめときなさいよ……彼、デリカシーとかないし……」

「修道院暮らしなので、共同生活には慣れてます」

「物もよく壊すし……」

「しかし本当に壊してはならないものは、命に代えても守ってくれる。素敵ですよね」

「実質五股してるし殺人鬼だし露出狂だし人妻好きのロリコンだし……」


 酷い言われようだが事実である。しかしティアは本気にしていないのか笑って手をヒラヒラと振った。


「またまた~。それに、それを言うなら私だってエリィ……聖剣とそういう関係ですし?」

「あなた本当に聖女なの……?」


 俺と似た猛者の雰囲気を感じ取り、リゼットが眉をヒクヒクさせている。超越者は愛が多いのだ。

 頬を膨らませ、唸るリゼット。なんとか言いくるめたい彼女に対し、しかしティアは慈悲深く微笑みかける。


「まぁまぁ、とりあえずは仲良くしませんか? ちょっと胸をお借りする程度で、敵対するつもりも最初からありませんし。それに私、仲良くなるために日本のことだって勉強してきたんですから! 漫画とか!」

「聖女が漫画など読むのか」

「ふふ、存外そういう知識って役に立つのですよ? シスターをしていると相談も多く、雑談がてらにそういった話題でお近づきになったりとか。この国のコミックやアニメは外でも有名なので、共通の話題にしやすいんです。重宝してますよ」

「ふぅん……?」


 職業柄というやつか。

 感心していれば、しかしリゼットは見定めるような瞳でティアを見る。リゼットは留学してからそういった娯楽に触れた身ではあるが、なかなかにどっぷりとその趣味に浸かっているのは周知のこと。ゆえ、その分野には多少の矜持があるのかもしれん。

 そんな自信を覗かせるリゼットは、試すような口調でティアに問うた。


「じゃあ……好きな漫画はある?」

「ふふ、もちろん……ワンピ○スです!」

「むむっ──」


 これは……どっちだ?

 リゼットのみならず、話を聞いていた刀花と綾女もまた驚いた様子である。

 それは感心によるものか。それとも的外れなことを言ったがゆえの不審なのか。ちなみに俺でも聞いたことのある作品名であるが……こういった話題の際、挙げるべき名なのかそうでないのかは俺には分からない。

 そうしてしばらくの沈黙の後……リゼットが重く、呟いたのだった。


「……やるじゃない」


 どうやら驚嘆に値することだったらしい。リゼットが素直に賛辞を述べた。刀花と綾女もうんうんと頷いている。

 その反応に満足を得たのか、ティアもまた少し得意気だ。


「ふふ、鉄板ですよね! なにせ──」

「えぇ、そうね──」


 そうして互いの健闘を称えるかのような笑みを浮かべるリゼットとティアは、同時に言葉を紡いだ。


「──今からあの巻数を追いかけるなんて、なかなかの猛者だもの」

「──世代ですので!」

「「えっ?」」


 同時に言い終わり、同時に首を傾げる二人。若干ティアの顔色は悪いが。


「えっ、だ、だって……ほら、世代で……」


 しどろもどろに言うティアだが、リゼットと刀花は目を合わせ、一様に首を更に傾げた。ちなみに綾女は冷や汗をかいている。


「え? でも私達が生まれる前からやってるし……」

「ですねぇ。国民的作品ではありますけど、あれを全巻追う方はなかなかいませんよね。実は私、序盤の話は知っていますが読んだことないです」

「私はお店の棚に全巻置いてあるから一応読んではいるけど……あ、あはは……」

「…………」


 その気の毒そうな綾女の苦笑がトドメになったのか、


「これが……本当の……わか、さ……」


 白目を剥き、ティアは死んだ。

 きっと目の前で困惑する少女達に、決して埋められぬ何かを垣間見たのだ……。


「……」


 そして俺は、姉上にワ○ピースの話題は出すまいと密かに誓ったのだった。

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