第487話「その瞳はひどく優しかった……」
「……なんだか、校門前が騒がしそうね?」
「なんだろう?」
始業までまだ余裕のある時刻。
コンビニにて少々睦言を交わした後、我々はいつも通りの歩みで薫風学園付近へと差し掛かろうとしていた。
舗装された歩道の先。ここから目視で数十メートル離れたところには、立派なレンガ造りの門が毎日百人単位の子ども達を招き入れるべく聳え立っている。
しかしリゼットと綾女が怪訝にして言うように……確かになにやら、校門付近の様子がおかしい。常であれば次々と生徒が通り抜けていくはずの門に、なぜだか人だかりができているのだ。いや、あれは言うなれば列か。
アリの行進のようなそれは、まるで通行手形を確認するための関所を思わせる。しかしこの令和の時代にて、このようなところに関所など構えられようはずもない。並ぶ生徒達から不満げな声が漏れ聞こえてくるというのも、疑問に拍車をかける。
俺も眉を寄せていれば、こちらの右腕を抱く刀花が「あっ」と声を上げる。その手にはいつの間にかスマホが握られており、腕にピタリと引っ付きつつも器用にそれを操っていた。
そして続く刀花の言葉に、俺は更に眉を寄せることとなる。
「あー、どうやら生徒指導部主導の“抜き打ち持ち物検査"らしいですね。先に登校してる友達がそう呟いてます」
生徒を過剰に気遣うこの昨今に、随分と前時代的なものを……。この唐突さと無鉄砲さ、まるで何者かの抱く強すぎる正義にでも当てられた群衆かのようだ。
俺がそう眉をピクリと上げていれば、
「えっ、持ち物検査……!?」
左隣からぎょっとしたような声が上がる。そんな声を発したのはもちろん、我等がご主人様である。普段から色白な肌が、その単語を聞いた時点で少々青ざめ始めていた。
「さっき漫画買っちゃった……」
「あちゃー……リゼットさん、これは引っ掛かっちゃいますねぇ」
「よ、よくない! そういうのよくないと思うわ!」
この学園の規則は、どちらかと言えば緩い方だ。授業中にでも読んでいなければ、漫画など誰にも咎められぬ。
しかし、こうして持ち物検査と称してのチェックとあらば……勉学に必要の無い物は没収は当然として、最悪の場合反省文も書かされる可能性があるだろう。内申点も下がる。
二年生に上がり、入ったばかりの下級生からも羨まれる美貌を放つリゼット。そんな彼女がこのような公衆の面前で、先生から指導を受ける。それは彼女にとって、どれほどの屈辱的体験であろうか。
そんな場面をありありと想像したのか、リゼットは冷や汗を流しながら口早に言う。
「こ、こうなったらクレームよ。教育委員会にクレームを入れて即座にやめさせるわ」
「なんて入れるんです?」
「もちろん『今時、生徒のプライバシーを守らないのはいかがなものか?』って」
「それって『学園に漫画持っていったら怒られた』っていうのを体よく言い換えただけです?」
「うぐっ……!」
「リゼットちゃん……」
刀花の指摘に、リゼットが苦しんでいる。綾女の同情的な声もまた哀愁を加速させた。
痛いところを突く。たとえ大義を抱えようと、源泉がそれでは少々格好がつかんかもしれんなぁ。
脂汗すら流すリゼット。その小さな肩に、刀花が優しい笑顔でポンと手を置いた。
「リゼットさん……素直に怒られましょう。大丈夫です、お友達である私も一緒にいてあげますから」
「対岸の火事だと思って、特等席で面白がりたいだけでしょうあなた!」
「えぇ~? そんなことありませんよう。私はただ、お友達の新たな一面を知りたいだけなんです。リゼットさんが他の人に注意されてるところって、今まで見たことありませんし。これはそう、リゼットさんと更に仲良くなりたいという友情の発露なんです」
「私が落ちるところを見たいってだけのことを体よく言い換えるのやめなさい」
「でもリゼットさんってお外では運動以外完璧なお嬢様って感じですから、もう少しくらい周りにも隙を見せた方がお友達増えると思いますよ?」
「何歳になっても先生に怒られるなんて嫌なのよ! かっこ悪い!」
友人同士の気安い距離感できゃあきゃあと騒ぐ二人を微笑ましく思いながら、俺もそんな場面をふと想像してしまった。
ふむ、先生に怒られてしゅんとするご主人様か……確かに、その姿には愛嬌があるように思える。あくまでその姿には、だがな。俺の可愛いご主人様に怒りの矛先を向けるなど、その者はただの自殺志願者である。
我が主に屈辱を与えるなど俺が許さん。とはいえ、校門付近にいる人間を斬殺することをこの少女達は許しはしないだろう。
そうなると、解決法など自ずと導かれる。
俺はカラカラと音の鳴る軽い鞄を振り、リゼットの眼前へ掲げてみせた。
「マスター、俺の鞄に漫画を入れておけ」
「え、でも──」
「ご主人様の威厳も守るのも、眷属の務めだ」
幸い、俺の鞄には大きく空きがある。教科書などの雑多なものは、普段から教室に置き去りにしているからな。
だが俺に罪を肩代わりさせることに抵抗があるのか、リゼットは綺麗な形の眉を八の字にする。そんな優しい彼女に、俺は笑いかけた。
「たまには真っ当に眷属としての仕事をさせてくれ。良き主は、眷属の仕事を奪いなどしない。そうだな?」
「………………ありがとう、ジン」
「あぁ~……だから嫌でしたのに~……」
鞄の中から先程買った少女漫画をこちらに差し出すのを見て、我が妹が悲しげにそう言う。この兄が泥を被る選択を取るであろうことを見越して、先程リゼットに少々意地悪なことを言っていたのだろう。兄想いの、可愛い妹を持った。
そんな刀花は、リゼットに向けもちもちの頬っぺたをプクっと膨らませている。
「兄さんの内申点が下がったら、リゼットさんのせいですからねっ」
「わ、悪いとは思ってるわよ……なんなら、そこのゴミ箱に捨ててくれても──」
「物を粗末にするのは、道具として感心せんな」
同じ"物"同士、所有されたからにはその役割を果たさせてやってほしいものだ。それにこの程度の悪事、無双の戦鬼からすれば箔もつかぬ児戯よ。
「さて、行くか」
「……埋め合わせはするから」
「気にするな」
普段から身の回りの世話をしているというのに、この程度で恩を着られては今頃俺は億万長者だ。
その艶やかな金髪をそっと撫でる。なんならちょっぴり子どもっぽい顔のリゼットが見られたことで、収支を言えばかなり得をしている。可愛いご主人様の相貌は、この俺には価千金よ。
そうして俺が意気揚々と一歩を踏み出し……た、ところで。
今度は綾女が「あっ」と声を上げた。スマホを片手に、その顔は苦笑で彩られている。
「あれ持ち物検査のついでに、身だしなみチェックも兼ねてるみたい……」
「トーカ、素直に怒られましょう……私が見ていてあげるから。反省文も書きましょうね。『固定資産税のかかりそうな太股を普段から放り出しててごめんなさい』って」
「嫌ですぅ~~~~~~~~~~!!??」
楽しそうに言うリゼットに、今度は刀花がサッと顔を青ざめさせる番であった。労しいことだ……。
「い、妹という生き物は! ミニスカートと黒ニーソで絶対領域を展開していないと生きていけない生き物なのですよ!?」
「露出した太股から呼吸でもしてるの? 太股呼吸?」
「ちなみに刀花ちゃん、そのスカートって折ってあるだけとかじゃなく……?」
刀花の身に付ける紺色のプリーツスカートは、太股の半ばあたりを撫でる程度には短い。このまま校門に赴けば、指摘されるは必至。
折ってあるだけならば、戻すだけでこの場は事足りる。しかし刀花はドヤ顔で、大きくたゆんとその胸を張った。
「もちろん、私の手で仕立て直したミニプリーツスカートです! 通気性にも優れ、大好きなお兄ちゃんの視線をも独り占めにできるこれは、まさに酒上ブランドと言って差し支えない逸品でしょう!」
「つまり詰んでるってことね」
「あーん! リゼットさん! リゼットさんもやっぱり漫画返してもらって一緒に怒られましょうよう! 私達、お友達じゃないですかぁ!」
「五分だけ絶交しない?」
我が妹も十七歳とて、大人に怒られるのは嫌なようだ。いや、そんな年頃だからこそ怒られるというのは一層恥ずかしいのかもしれん。刀花に対し怒ったことなど皆無であるため、想像ではあるが。
リゼットの黒ストッキングに覆われた美しい脚にすがり付く妹。既に周囲に恥を晒している感があるが、これ以上俺の可愛い妹にそれを与えるわけにはいかん。
俺はこの事態を解決すべく、再び自分の鞄を掲げた。
「刀花。こんなこともあろうかと、長い丈のスカートを用意してある。それに着替えるといい」
「ほんとですか!? あーん! さすが兄さんですぅ!」
「本当にさすがよね。普段から鞄の中に妹のスカート入れてるって」
「すごい。なにがすごいって、刃君なら持っててもおかしくないって思えちゃうのがすごいよね。これが積み重ねかぁ……」
俺の手から長いスカートを受け取り、一旦それを履いた刀花は短い方を脱ぐ。そうして笑顔で、脱ぎたてのそれを差し出した。
「むふー、はぁい兄さん♪ 妹の脱ぎたてほやほやプリーツスカートですよ♡ お礼にあげちゃいますね!」
「これはありがたい、助かる」
「ねぇアヤメ、私達さっきから持ち物検査どうしようって話をしてるのよね。今、兄の鞄にとんでもない爆弾を忍ばせたって理解してるのかしらこの妹」
「じ、刃く~ん? 刃君はそれでいいのかなぁ~?」
「? いくら綾女とて、やらんぞ?」
「そうじゃなくてですね……」
妹の脱ぎたてスカートなど家宝にも等しい宝ぞ。誰にも渡すものか!!
妹の甘い香りとほのかな温もりを残すそれを、俺は壊れ物を扱うかのようにして大事に鞄へと仕舞う。内に仕舞っておける鞄に嫉妬すらした。
そうして次に……俺は、綾女の方へと目を向けた。リゼット、刀花ときて、綾女も何かしらそういった物品がないのかと思ったからだ。
「綾女も何かあれば預かるぞ」
「あはは……申し出はありがたいけど、多分大丈夫かな。これでも私、クラス委員だからね。普段から気を付けてるし」
苦笑して少し照れ臭そうに頬をかく綾女。苦笑を浮かべてはいるが、その顏はちょっぴり誇らしげだ。
確かに、しっかり者の彼女に対し愚問の類いではあった。念のためというやつだ。
「アヤメ、さっきお菓子買ってたけれど……?」
「お昼ご飯の時に友達と食べるだけだから、ちょっとした物なら大丈夫だと思う……よ?」
リゼットの心配も杞憂なようだ。
だが言われていて少し不安になったのか、綾女は「一応、何もないと思うケド……」と鞄を漁る。
「うんうん。筆箱に教科書、ノート……乾燥用のリップも目立たないやつだし、あとは折りたたみ傘があるく……ら……」
そこで。
綾女はなぜか徐々に声量を落とし──、
「いっっっ!!??」
見たことないほどに目を真ん丸にし、飛び上がった! どうした!? リゼットも刀花も、そんな綾女の様子に瞠目している。
「ど、どうしたのアヤメ……」
「な、何かすごいのでもあったんですか?」
「あっ!? や、これはっ、そのっ……じ、じじじ刃君! 刃君っ!!」
ほぼパニックになった綾女に袖を引かれ、学園の敷地と一般道を分ける壁際へ。リゼットと刀花はかなり興味深そうだが、その焦りように詮索は悪いかと思ったのか追求はしてこなかった。優しい女の子達である。普段から喫茶店で給仕されているというのもあるかもしれない。
そんな焦りを見せる看板娘に、俺は真剣な顔で問うた。
「どうした」
「こ、これが……」
周囲から見えないよう、チラリとだけ鞄の隙間を見せてくれる。
そこには確かにそう言っていたように、筆箱や教科書の類いがある。そして鞄の側面に立てるように、折りたたみ傘が突っ込まれ、て…………これ、は……?
いや、違う。形状は似ているが、これは折りたたみ傘ではないぞ!
片手で握れるほどに小さい柄。緩やかに反りを描く本体。不可思議な柔らかい材質でピンクに輝くそれは……!
「……まぁ、俺にはなんなのかまでは分からんのだが」
ただ、見覚えがある。俺が昨夜、綾女のベッドの下から取り出した物の一つにこれがあったはず。
つまり……卑猥な道具だ、これは! 俺がガサガサと無遠慮に探って散らかしてしまった結果、このようなものが混入する悲劇が起きてしまったのだろうな……いやすまぬ。
羞恥で泣きそうになっている綾女の背を撫でつつ、とりあえずそれの用途を聞いた。
「これは何のための道具なのだ?」
「え……じ、刃君の、お尻に──」
「分かった、それ以上は言わなくていい」
とんでもない兵器だな。
今すぐ手に取って、宇宙の果てまでぶん投げてやりたいが……く、同じ道具として生まれたからには、そのような無体などできない……! お前もまた、誰かの尻に挿入されぬまま死にたくはないだろう!
俺はしばらくうんうんと葛藤し……ゆっくりと、肩を落とした。
「……これも、俺の鞄に入れておけ」
「本当にごめん……」
かつてないほど申し訳なさそうに謝られた。
いや、いや。いいのだ。
我こそは無双の戦鬼。衆生一切を滅ぼす最強の矛であるが、たまには弾除けの盾になってもよかろうよ……。
妹も言っていた。味変は大事であると。たまには趣の異なる守護もしておかねば、勘も鈍るというものだ。
そうして俺は俺を納得させ……そっと、自分の鞄にそれを迎え入れた。今俺の鞄の中にはリゼットの漫画と、刀花の脱ぎたてミニスカートと、綾女が買った俺の尻に挿入れる用の卑猥な器具が入っている。いったいなんなのだこの食い合わせは……。
とぼとぼと歩く綾女の沈鬱な顔に、リゼットと刀花も事態の重さを悟ったのかどこか痛ましげに俺達を出迎えた。
「……行くか」
『はい……』
俺の力無い号令で、後ろに続く少女達。それはまるで列を成して死者を葬る、異国の葬送を周囲には幻視させたかもしれない。
そうして我等は校門に辿り着き、検査を行う者達の前へと身を差し出した。
「む、おはよう酒上、薄野、ブルームフィールド」
『おはようございます……』
こちらの名字を律儀に呼んで挨拶するのは、眼鏡をかけた角刈りの中年……少々ふくよかな腹を持つ、生徒指導部長堀江である。
あのガーネットにも、在学中には容赦なく雷を落としたというこの男は規則というものに大変厳しい。常より素行のよろしくない俺もまた、特に目をつけられている者の一人だ。
そんな厳格な男はまず満足げに、服装の整えられた少女達を見送る。さすがに女性の鞄を漁る趣味は無いらしく、女生徒の持ち物に関してはこれに駆り出された生徒会の同性の面々が行うらしい。
そして同じ男であり、目もつけられている俺を担当するのは当然……、
「よし、酒上ぃ……鞄を開けて見せろ」
「……承知」
一切の隙も見逃さぬという気迫と共に、堀江はこちらの服装もついでに見ながらそう指示を下す。
「……服装は、今日はキチンとしているな。感心だ。では持ち物だが………………む、むむむっ……!?」
果たして少女漫画とミニスカートと卑猥な器具を覗き見た堀江は、それらの組み合わせをどう脳内で解釈するのだろうか。俺なら問答無用で通報する。
「…………」
長い沈黙が続く。堀江の中でどのような化学反応が起きているのかも分からない。ここまで来ると奇異な動物実験の様相すら呈してきた。
離れた場で、少女達も心配そうにこちらを見守る。
そうしてしばらく固まっていた堀江は──、
「…………」
──そっと、優しい手付きで鞄を閉めた。
その柔らかな手付きには、未熟な子どもを教え導かんとする教育者の矜持すら宿っていたように思う。
そして鞄から静かに顔を上げた、堀江の瞳は──、
「……酒上。なにか、辛いことでもあるのか……? 卒業した吉良坂からパワハラを受けているとか……。何かあったら、先生いつでも相談に乗るからな……ほら、俺の連絡先……。夜中でも、かけてくれたらいつでも駆けつけるから……その、なんだ。無理は、絶対にするなよ?」
「…………かたじけない」
その瞳は、ひどく優しかった……。
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