第332話「冬の最後の思い出は?」
「春休みっ」
これから起きることへの期待を込めた妹の声と、左腕に伝わる温もりを感じれば、俺もその単語に一握りの興奮を抱かざるを得ない。
三学期終業式を終え、まだ太陽も高い中での帰路。
人通りまばらな通学路の中にあって、我が左腕を胸にかき抱く刀花が、その琥珀色の瞳をキラキラとさせてこちらを見上げた。
「おはようからお休みまで、またずぅっと一緒にいられますね、兄さん♪」
「ああ、そうだな」
「あなたが追試って聞いた時はどうしようかと思ったけれど、これで一安心ね」
「少々悪ノリが過ぎた。その節は心労をかけたな、マスター」
「本当よ」
べったりと妹が絡みつく左腕に対し、我が右手を控え目に握るお嬢様は、これ見よがしにため息などをついておられる。
「私の眷属として、普段から恥ずかしくない行動を心懸けなさいよね。私、嫌よ? 留年したあなたをクラスメイトに紹介するのなんて」
我が主は優雅さを尊ぶ。
下僕というモノは、その主の格を測る上でも重要な役割を担うものだ。あまり情けない姿を晒してはその沽券に関わる。ある程度は、心得ておこう。
内心で頷いていれば、後方から疑問の声が上がる。綾女だ。彼女は店の手伝いがない時などは、こうして下校を共にしてくれる。好きだ。
「ところで、リゼットちゃんや刀花ちゃんの成績はどうだったのかな?」
「私はほとんど十ね」
「理系がちょっぴり苦手ですのでー……でも体育は十でした!」
英才教育を施され、それに恥じぬ成績を収めたリゼット。そして一般家庭の出ながらも、好成績を収める刀花。くっ、手のかからぬ良い子に育って!
二人の輝きに感涙していれば、刀花が少々からかうようにリゼットへと視線を向けていた。
「でもリゼットさん、体育は四でしたよね」
「……ほとんど十よ」
「あはは、リゼットちゃん、運動苦手なんだね……」
「優雅さに欠けるものには積極的になれないだけよ。あと自分の意思に身体がついてこない感覚も好きになれないってだけ」
「運動苦手なんだね……」
「むむむぅっ」
欠点を指摘されることを嫌うリゼットが、綾女の纏めに頬を膨らませている。
我が無双の力を流用すれば、運動能力など他の追随を許さぬというのに……だがそれを安易に私生活に取り入れない彼女の誇り高さに、俺は惚れているのだ。
「そう言うアヤメはどうなのっ」
「私は特に苦手教科とかはないから、満遍なくって感じかな。だからって全部が高得点取れてるってわけでもないんだけどね」
苦笑しながら、綾女が通知表を見せてくれる。評定平均八といったところか。謙遜しつつも、成績優秀者である。さすがは優等生だ。
感心していれば、綾女が我等に向けてにこりと笑う。
「ふふ、成績優秀者になれたのなんて久しぶり。皆が喫茶店の問題を解決してくれたおかげで、勉強に集中できたんだ。本当にありがとっ」
「そう思うなら俺と結婚してくれないか」
「ちょっと飛躍しすぎかなー……」
だが、喜ばしいことだ。彼女の平穏な日常に寄与できたのならばな。やはり少女という生き物には、笑顔がよく似合う。
「刃君も進級できてよかったよ。これで一緒に修学旅行に行けるね!」
「うっ──!」
「ど、どうしたのトーカ」
しかし、綾女の嬉しそうなその言葉に、苦しそうに胸を押さえる刀花。怪訝そうにその様子を窺うリゼットだが、いやこの俺も気持ちは分かるぞ……!
なにせ修学旅行は四泊五日の大旅行。つまりその間、家を空けるということに他ならない。その空白こそ、妹の心に吹く隙間風。その寒々しい期間を思えば、どれほどその心が凍えることか!
見るがいい! まだ一ヶ月前であるこの時点ですら、妹の涙がちょちょぎれているではないか!
「い、いやですぅー! 兄さんと数日も触れ合えないなんて、私にはとても耐えられませんー!」
「俺もだ、我が愛する妹よ!!」
「いやあなたどうせ夜にひょっこり帰ってくるつもりでしょう」
「まぁそうだが」
「じゃあ別にいいじゃないの」
「いやですぅー! 兄さんと十二時間以内に一度も触れ合えない時間が存在するなんてぇー!」
「俺もだ、我が愛する妹よ!!」
「めんどくさこの兄妹……」
だからこそ、俺は誓うぞ!
「この春休みは、決して妹と離れない──!」
「寝る時もですか?」
「もちろんだ」
「お風呂の時もですか?」
「無論だ」
「健やかなる時も、病める時もですか?」
「当然だ」
「うぅ、兄さん!」
「刀花!」
ひしっ!
リゼットの身体を巻き込みながら、感激と共に抱き合う。もう離さん! リゼットは挟まれて潰れそうだが!
「むぎゅう~……」
「リゼットちゃん、頑張ってね……」
「私、このテンションを毎日見せつけられて心が壊れないのを褒めて欲しいわ」
「なんだマスター、嫉妬か? 無論、マスターのことも離すつもりはないぞ」
「とんだ呪いの装備だわ……もう」
その通りだが?
そうして二人纏めて抱き締めていれば、後方でこちらを微笑ましそうに眺めている綾女が口を開いた。
「刃君は春休みも大忙しだね」
「そうだな。長期間家を空けても寂しくならぬような、思い出作りに勤しまねば」
「思い出作りかぁ……もうすぐ完全に春になっちゃうけど、冬にやり残したこととかはない?」
「やり残したこと、か……」
綾女のその言葉に思考を巡らせる。冬のお約束、か。
「どうだろうな。炬燵でミカンは堪能した」
「美味しかったです!」
「雪合戦も娘達としたな」
「翌日、筋肉痛で死ぬかと思ったわ……」
引きこもりお嬢様には苦い記憶のようだ。
しかし他には……うぅむ、主たる行事も料理もそれとなく楽しんだように思える。クリスマスに正月にバレンタインにと……なにか、彼女達がまだ楽しんでいない冬の醍醐味は……。
皆で唸っていると、綾女が「あ」と何か思いついたのか手を挙げた。
「じゃあウィンタースポーツはどうだった?」
「む?」
うぃんたーすぽーつ?
「なんだそれは」
「ほら、スケートとかホッケーとか。身近なやつで言ったら、スキーとかスノボーとかかな」
「ほほう?」
それは……確かに、今年は未経験だな。
だが、スキーか。
「刀花が小学生の頃、スキー教室なるものがあったはずだが」
「ありましたねぇ。思えばあれが、小学生の修学旅行的な立ち位置だったんだと思います」
「綾女はどうだ?」
「行ったよ。一泊……あれ、二泊だったかも?」
ほほーう?
「マスターはどうだ、スキーは」
「あら、私はイギリスで育ったのよ?」
なにやら自信があるようだが。
首を傾げていれば、綾女がポンと手を叩く。
「あ、聞いたことある。イギリスって一年中スキーができて、個人で経営してるスキー場もいっぱいあるんだって」
「じゃあ、リゼットさんも経験が?」
「経験は無くとも、私の中に流れる血が優雅にストックを操るでしょう」
体育四の運動音痴お嬢様が何か言っておるぞ。
だがこれは……なかなかにいいかもしれんな。
「ふぅむ。今の時期、雪山は解放しているだろうか。もう雪が溶けているのではないか?」
「んっとね~……あ、春スキーって言って、普通にゲレンデを開放してる場所が結構あるみたいだよ」
スマホで検索してくれた綾女が、問うようにして下から覗き込む。
「ふふ、結構、乗り気?」
「そうだな」
どうせ宿題もなく、進級を待つだけの短い休暇。有意義に使ってやりたいところだ。
「マスター、刀花、どう思う」
「別にいいわよ。私も本国にいた頃に、興味はあったし」
「むふー、修学旅行の前哨戦、ですね!」
「クク、そうだな」
一番気に入ったのはそこだ。修学旅行で家を空けるならば、その分、家族と旅行に行った思い出があれば寂しさも紛らわせよう。
「綾女も行くな?」
「え、私も? う、うーん……」
友を誘えば、しかしどこか迷う表情。
そんな綾女に、刀花がにっこりと声を掛ける。
「綾女さんも行きません? お正月の温泉旅行には行けませんでしたしっ」
「ど、どうかなー……ちらっ」
「む?」
なにやら、綾女が煮え切らない態度を取りながらこちらを窺っている。
「ああ……」
確かに、俺という獣と宿泊旅行などは、普通の少女にとっては一抹の不安を覚えることなのかもしれん。
「案ずるな綾女。二人もいることだ、決して綾女に怪しいことはすまい。なにもせん、なにもせんから行こう」
「うっ、なにも……しない……!」
「ど、どうしたのアヤメ」
「ちょ、ちょっと嫌な思い出がフラッシュバックして……」
可哀想に……!
「ま、まぁ分かったよ。年長者は多い方がいいだろうし、お父さんとお母さんがいいって言ってくれたら、私もお邪魔しようかな?」
「邪魔なものか」
控え目に上目遣いでこちらを見る我が友に笑みを返す。決まりだな。
「よし」
ならばこうしてはいられん。
「早速、ダンデライオンに寄り、昼食を摂りながら旅行の計画を立てるとしよう」
「「「はーい」」」
この冬の、最後の思い出作り。
これもまた……楽しいものになりそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます