第331話「もう”む”って字面だけでイラつく」



「おはようございます、兄さ──うっ」

「どうした刀花!?」

「か、身体がなんだか重いです……と思ったら、Gカップのお胸が重いだけでした!」

「それはよかった、これで解決だな!」

「「きゃっきゃっ」」


 ……。


「兄さん、いつもお買い物袋を持ってくれてありがとうございます」

「この程度、軽いものだ」

「妹のGカップも支えてくださると嬉しいのですが」

「これも兄の役目……どれ」

「あ~ん♡ これじゃ刀花、お外でエッチな気分になっちゃいますぅ~、Gの次がHなだけに。むふー」

「ははは、こやつめ」

「「きゃっきゃっ」」


 …………。


「お休みなさい兄さん、リゼットさん。私、最近ちょっぴり疲れやすいので、早めにお休みさせてもらいますね。これもGカップの弊害なのでしょうか、ゴージャスでグレートなお胸を持つ女の子は辛いです……それではっ」

「いい夢を、我が妹よ。その身体と精神に安らぎを。そして健やかな成長を」

「はいっ、もっともっとおっきくなりますから、楽しみにしていてくださいね!」

「妹の成長は留まることを知らんな」

「兄さんへの愛情の分だけ、妹のおっぱいは成長するんです。常識ですね」

「つまり無限大ということか?」

「やぁ~ん、もう兄さんったらお上手さんっ♡」

「「きゃっきゃっ」」


 ………………。


「ふー……」


 私、リゼット=ブルームフィールドは同居人である兄妹達と別れ、無言で自室に入る。

 そうして真顔のまま、姿見の前に立った。


「……」


 ああ、いけないわ。

 ──今にもキレ散らかしそうな顔って、あまり優雅じゃないわね。


「頭が、痛い……」


 いえ、頭が悪いと言った方がいいかしらね……なに、兄妹のあの会話。口を開けば胸胸胸、GGGと。いくら胸の成長が嬉しいからって、そのネタを擦りすぎなのよ。毎日毎日毎日毎日、それを間近で聞かせられるご主人様の身にもなって欲しいわね。

 まったく。そもそも! 女性の魅力は胸だけじゃないでしょう!

 あえて性格の方には言及しないけれど、身体だけでももっとこう……あるでしょう! ウエストが細いとか、お尻が小さいとか、手とか足の細さとか金髪が綺麗だとか紅いツリ目が小悪魔的でキュートだとか!


「メンタルが限界に達しつつある……」


 もう"む"という平仮名を見ただけでイラッとする身体になってしまったわ。だいたい"む"のあのカタツムリみたいな形はなんなのよ。もう字じゃなくて一つの生き物でしょ。カタツムリの行進でしょうむむむむむむむむむ~~~……。


「そんなにいいものなのかしらねぇ……」


 ぶすっとした顔で、姿見に映った自分の胸に視線をやる。黒のネグリジェに覆われたそれは、己の小柄な体型に合わせたかのように、貞淑な膨らみを保っている。掌に収まるか収まらないかくらいの、大変気品のあるお嬢様バストサイズである。


「日本人の平均バストサイズはBからC……」


 つまり、自分のCカップの胸は日本人の平均の範疇、もしくは上回っているはずなのだ。だったらどうして、劣等感など抱こうものか。

 むしろ、あの妹がおかしいだけで私は正常な範疇なのでは? いや絶対そう。日本に留学したからこそ、私の身体も郷に入って郷に従っているだけなのでは? 最近トーカってハンバーガーよく食べてるし、あの子のバストは既にアメリカ人で、私のバストは日本人になりつつあるのでは? 私、和菓子の甘さって結構好きよ?


「はっ……! これが、ワビサビ……!」


 唐突に理解したわ日本の心を。

 そう、これは聡明な私の頭脳が無意識の中で見出だした一つの美の在り方なの。静けさや孤独の中に、それでもなお満たされるものを見付けようとするジャパニーズ・ビューティーメンタル。貧困の中にあってなお、精神の充足感を得るためのは?誰の胸が貧困ですって? ごめんなさい理性が保てなかったわ。


「あるのに……ご主人様、胸あるのに……」


 周囲の人間にご立派なバストを持つ人が多いから、相対的にそう見えるだけだもん……トーカとか、アヤメとか。これが、相対性理論──!?


「……ジンの、ばか」


 トーカの胸へ熱心に視線を送っていたジンの顔が思い浮かび、思わず彼への罵倒が漏れる。

 だいたい、あの眷属が一緒になってはしゃいでいるのが一番気にくわない。

 女の子の胸をジロジロと……これだから男は! いやまぁ、トーカの領域にもなると女の子すら二度見するけどっ! でも最近見すぎなのっ! 何がそんなにいいのかしら、理解できないわ!


「……ふむ」


 理解できない。

 ──なら、これはちょっと検証する必要があるのではなくって?

 ほら、眷属の気持ちを理解するのもご主人様の務めっていうか? 眷属の好みを把握するのも吝かではないっていうか?


「……」


 具体的に言えば……ちょっと、盛ってみるっていうか?

 私の視線の先には、身体のサイズにジャストフィットしている胸。これにちょぉっとだけ……ね、手を加えてみるというか?

 彼……"無双の戦鬼"から流れ来る力は絶大である。世界の有り様を変えるほどに。そして彼の力には、日本妖怪である鬼としての"変化"の力も備わっている。彼はそれを使ってよく女性にも化けていることからして……。


「……た、試して、みようかしら……?」


 彼の力は契約者も使える。

 それはつまり、自分の体型も思うがまま変えられる……そういうことになる。いえ、その結論には結構最初から至ってはいた。ただ女の子としてのプライドが、その実行に『待った』をかけていただけで。だって……!


「チートに頼るのは、敗北を認めるも同じ──!」


 今、彼のことを全否定した気がするわ。

 そもそも、一朝一夕で得られる美貌なんて真の美貌とは言えないと思うの私。美しさとは、日々の生活の中で磨き上げられるもの……食生活やケアなどの日課は言わずもがな、気品やオーラは日々の立ち居振る舞いで練り上げられるものでしょう!


「……うぅ」


 で、でもでも……誰にも迷惑なんてかけないし……それこそ、胸を盛るなんて哀れな姿、誰にも見せることなんてないし? 今、全国で日々工夫を凝らしていらっしゃる一部の女性も敵に回した気がするわ。ごめんなさい。


「なにか、なにか理由を……!」


 私が体型をいじっても許されるような理由を! もしくは言い訳をっ!


「はっ」


 そういえば、彼が前に言っていたわ……!


『マスターの胸の成長も楽しみだ』


 って! うん、言ってた! え? どこで言ってたって? さぁ……でもどこかで言ってるでしょどうせジンなんだし。言ってる言ってる。


「というわけで……」


 言質も取れたし、私は仕方なく……そう、仕方なぁく変化を試してみる。おバカな眷属のためにね!

 これはあくまで先行投資。彼のお楽しみがどんなものになるのか、先に確認するのもご主人様の務めなだけ。オーケー? あー、つら。健気なご主人様ライフつらいわねー。


「えっと……」


 服装の変化は前に成功したし、その要領でいいのかしらね。

 ということは、身体の表面だけではなく、内側にも霊力を巡らせて……いや難しいわねこれ。体型の変化って気軽に言うけれど、無いものの感覚なんて知りようがないし。

 人間に翼の感覚が掴めないのと同じで、巨乳の感覚が……くっ、難しい! そして"巨乳の感覚"っていう頭の悪いワードを生み出してしまったことへの自己嫌悪が己を苛む……! 正気に戻ってはダメよ、リゼット=ブルームフィールド!


「イメージするのは、常に巨乳の自分──」


 身近にあって想像しやすい胸……トーカに着目し、イメージを整えていく。

 全体のバランス、質感、重さ、姿勢、強度、歩方から見て取れるものに至るまで、頭の中でトレースしていく。中でも一番イメージしやすいのは、その呼吸の仕方だ。

 彼女の胸の大きさ、それはイコールで肺活量にも影響を及ぼしている。あの子、声大きいし。

 つまり生活や生命活動に密接に関係した彼女の呼吸の仕方を投影すれば、自ずとその感覚が理解できてくるはず!


「すー……はー……」


 彼女のするように大きく胸を張り、私のするそれより多く酸素を取り入れる。


「……!」


 ……分かるわ。この感覚ね!?

 肺が常より大きく膨らみ、ネグリジェを押し上げるこの圧迫感……限界より少し多い酸素を吸い、逆に少なく二酸化炭素を排出するこの呼吸方法!

 

 名付けて──“巨乳の呼吸”!



「いや言いづら……」


 あと私、怒られないかしら。よく分からないけれど、今日は色々なところに喧嘩を売っている気がするわ私。ほら、ストレス溜まってたから……。

 しかし、その甲斐あってか──!


「こ、これは……!」


 視線を下げ、目を見開く。

 いつの間にか……いつの間にか、胸が大きくなっている……! あれだけ日々優雅な成長曲線を見せつけていた私の胸が、大きく! こんな一瞬で……!


「な、なんて、恐ろしい……!」


 その所業を垣間見て、まず抱いたのは恐怖だった。


「あ、悪魔の力だわ、これは……!」


 これはいけない!

 だって、だってあまりに簡単すぎる……! これじゃ、美に対して日々切磋琢磨している乙女達が報われないじゃないの……!


「トーカがなぜこの力を使ってダイエットしないのか疑問だったけれど……」


 やっぱり、便利っていうのはそれだけでヒトを怠惰にするものなのね。一瞬で悟ったわ。この力は、封印するべきものだって。


「ま、まぁでも? お試しだから……」


 こほん、と一つ咳払いをして、私はいよいよと視線を上げる。

 この若干サイズの合わなくなったナイトブラを圧迫する胸、果たして姿見にはどれほど蠱惑的に映っているか──!


「……ん?」


 うん? なんだか……。


「……」


 なんだか……微妙じゃない、これ?


「おかしいわね……」


 思わず眉を寄せる。なぜこうも違和感ばかりを覚えるのだろうか。


「私より背の小さいアヤメは、私より大きいものを持っているのに……」


 あれもアンバランスとは思いつつも、彼女に似合っているというか、マニアックな色気として昇華しているというか。

 だから私も胸が大きくなれば、それなりの色気が出てくるはずだと……そう思ったのだけど。


「……バランス?」


 言って、ピンと来た。それだわ。というか、普段から自分で言っていたわ。

 そう、私の身体は過不足無き黄金律によって構成された淑女ボディ。芸術作品に素人が手を加えた時のように、一部でも狂ってしまえばそれは駄作に堕ちる……!


「くっ、私の美しさが仇になる時が来るなんてね……」


 私の美しさって、罪だわ……。

 でも、そうなると逆説的に……?


「他の部分も成長させれば……」


 バランスが崩れたということは、それに合わせてまた伸ばせばいい。そうすれば、より完璧な自分に近付くのでは……!?


「えっと、背を伸ばして……お尻も少し大きくして。あと鼻ももう少し高く……あ、目も──」


 そうして自分の特徴を残しつつ、順当に成長した姿を思い浮かべて姿を変えていく。

 髪はよりしなやかに伸び、ネグリジェはもはやミニスカートくらいの丈となり……スラリとした脚を見せつけて、姿見の前に堂々と立つ自分とは……!


「こ、これは……!」


 お、おっ──!


「お母様──!?」


 姿見に映る私の姿は、今は亡きお母様……シャルロット=ブルームフィールドに瓜二つだった。


「あ、あれ……こんなはずでは」


 ああ、でも。

 私の理想は、いつだってお母様だった。優しく、時に厳しく、私がどこでも強く生きていけるよう導いてくれた、大好きなお母様。

 理想に描いたパーツを自分に当てはめていったら、それは自分の母の姿になるというものだった。だって私のお母様は、世界一美しかったもの。


「うぅ、お母様……このリゼットが浅はかでした……」


 鏡の中のお母様の視線が、おバカな私を責める……!

 私の理想は、いつだって目の前にあったのに。お母様、あなたのおバカリゼットはまだまだ未熟者です……。


「ああ、お母様、哀れな私を見ないでください……!」


 道化のように踊ってしまった自分が恥ずかしい!

 でも、でも! やっぱり好きな男性の好みとかはやっぱり気になるっていうかぁ! それに近付きたいと思うのは乙女の複雑な恋心と言いますかぁ!


 ──ガチャリ。


「この部屋から人妻の香りがするのだが」

「ひゃうぅ!!??」


 いきなり入ってこないでよ! そしてどんな香りなのよそれは! あとお母様を生々しいカテゴリに分類するのはやめて!


「む、気のせいだったか……?」


 唐突に私室のドアを開けたジンが、不思議そうに首を傾げている。

 危なかった……ビックリした拍子で集中力が切れ、変化が解けたのはラッキーとしか言いようがない……また恥ずか死するところだった。もしくは彼の自爆死。


「どうしたマスター、身だしなみでも整えていたのか」

「え、ええ」


 姿見の前で佇む私を見て、彼がそう聞く。


「……」


 少しだけ沈黙し、私は上目遣いで彼に問い掛けた。

 ……ちょっぴり、不安になったから。


「ねぇ……私って、可愛い?」

「ん……?」


 怪訝そうな顔をする彼。


「む」


 しかし、私から漂う真面目な空気を察したのか、彼は顎に手を当てて熟考する。

 どんな言葉が出てくるのだろう。彼の口から出てくる言葉を期待して待ち……、


「ひゃっ」


 しかし、無言で抱き締められれば驚きもする。


「な、なぁに……?」

「ああ、いや」


 彼の胸に頬を当てながら聞けば、彼は自分でも意外そうな雰囲気で、唇を動かした。


「なにか言おうと思ったのだが……存外、言葉が出てこぬものでな。ゆえに、行動で示したまで」

「ふ、ふーん……?」


 そ、それってつまり……、


「こ、言葉にできないくらい、可愛いって思ってるってこと……?」

「当然」


 と、当然なんだ。

 そんな「当たり前のことを」と言わんばかりに即答するほど。身体全体が密着してしまうほど、思わず強く強く抱き締めちゃうほど、私のことを可愛いって想ってくれてるんだ……。


「……どうした。なにか、悩みでも?」


 私の背中を優しく撫でながら、彼は労るように私に問う。


「……うぅん」


 さっきまであたふたと頭を抱えていたものだけど……ふふっ♪


「──なんでもないわ」


 彼の身体に体重を預けながら、私は笑顔でそう告げていた。


 うん。


 ……なんでもない♡

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