第317話「どなたか早く民法を改正してください」



 三月三日のひな祭り。

 その起源は平安貴族子女の"人形遊び"と、厄除けとして形代を川に流す"流し雛"にある。

 平安の出生率の低さは現代とは比べ物にならず、まさに藁にも縋る想いで、当時の親は人形に想いを託したものだ──子が、いついつまでも健やかでありますように……と。

 ひな祭りにおける"女の子の健康を祈る"という伝統はここから来ており、それは令和となった現代でも変わらぬ。連綿と受け継がれた、日本の心というやつだ。


「迷信と言われればそれまでだが、当時からして陰陽師が官職として表舞台に台頭した時代だ。日本人はとみにそういったものを重要視する。とはいえ、今となっては形代を身代わりにし、穢れとして川に流すことなどは家庭ではそうそうしなくなったが……なに、飾る程度ならば、我が家でもしてよかろう」

「へー……」


 そんなひな祭りを前にした、休日の午後。

 リゼットの感心したような吐息に一つ笑い、俺はブルームフィールド邸の玄関広間に雛壇を設置すべく、真新しい段ボールを開ける。

 女の子の健康を祈願することがひな祭りの本領であるならば、少女達を守護する使命を帯びたこの無双の戦鬼が、その一行事に倣うのもまた一興であろうよ。

 ……昔、貴族共に配る大量の形代作りにひぃひぃ言っていた安倍に、


『阿保らしい。そんなもので生死が左右されるのか、人間という生き物は?』


 と小馬鹿にして言ってやったものだが、あの狐にも似た当代最強の陰陽師(蘆屋はこう言うと怒るだろうが)は飄々として笑い……、


『おや。病は気からですよ、血吸ちすい殿。厄介なことに、悪い気ほど人間の中で大きく幅を取るもの。それが心中にて溢れた時、人は病を患うのです。人間という生き物は、器としてあまりに小さく作られている。ゆえに代わりをこうして外に用意して、穢れを宿らせることで和を成そうとするのです。たとい、それがまやかしであろうとそうでなかろうと、ね。これは人が安寧を守るための、一つの術なのですな。我々陰陽師はその大事な一区切りを、こうして用意して差し上げるのもまた仕事なのです……とはいえ、そう疑いめさるな。生きる人間の気が物に宿ること、それは血吸殿が"とてもよくご存じ"のはずでしょうや?』

『む……』


 などと、やり込められたものだ。あの性悪陰陽師め。だが人間にとって区切りが大事というのは、人の身を得た今ならば理解できる。

 そしてなにより……なにより……!


「俺の甲斐性が無いせいで、刀花に雛人形の一つも満足に買ってやれなかった。兄の稼ぎの悪さを許せ、許せ……」


 決してあの胡散臭い陰陽師に感化されたわけでは断じてない。大事な妹に人形一つも与えてやれぬ、兄としての慙愧ざんきゆえである!

 そしてそんな哀れな兄を、妹は感激の涙を流して赦してくれるのだ……。


「うぅ、いいんですよ兄さん! その気持ちだけで、妹は胸がいっぱいですとも!」

「くっ、なんとデキた妹なのだ……! 刀花!」

「兄さん!」


 ひしっ!


「ねぇ早く設置してよ」


 睦まじく抱き合う我等兄妹を、日本の伝統文化に興味を示すご主人様が冷ややかに見つめている。嫉妬か?

 俺が妹の柔らかい頬にすりすりと頬擦りする中、リゼットは呆れながらも放置を決め込み、段ボールに手を突っ込んだ。


「えーっと? 主役が最上段の人形なのよね。男と女の……これかしら?」


 ガサガサと梱包を解き、リゼットが一組の人形を取り出してみせる。

 共に黒髪の男と女……呼称としては男雛おびな女雛めびなであり、これらを総じてお内裏様という。かの有名な歌には『お内裏様とお雛様~』と分けられて歌われているが、あれは厳密に言えば誤りである。有名な話だ。

 そんな一組の人形を両手に持つリゼットが、それらを見て唇を綻ばせた。


「あら、可愛らしい。お着物も上等そうだし、お顔もどこか愛嬌があるように見えるわね」

「奮発したからな。七段だぞ、七段」

「そんなお重みたいな」


 おかげで設置も一苦労になりそうである。主と妹の健康を祈願する、新品の雛壇だ。傷はあまり付けたくない。

 刀花の頭をひとしきり撫でた後、俺はまず土台の設置へと慎重に取り掛かった。


「内裏雛は一番上に置いてくれ、マスター」

「ええ。ところで、この二人はなに? 夫婦? 兄妹?」

「雛壇は天皇家や貴族の婚姻を象ったものとされている。ゆえに、その二人は新郎新婦というわけだ」

「むふー、つまり私と兄さんですねっ」

「飾りたくなくなったわ」


 数十万したのだから粗雑には扱わないでくれ。


「ねぇ、この女雛、金髪にしない?」

「雛人形さんにブリーチかけようとしないでくださいよぅ!」


 吸血鬼の魔の手から人形を救いだした刀花が、にこにこ笑顔で大事そうにそれらを最上段に置く。


「ああ、刀花。女雛は左に置いてくれ」

「ありゃ、左って男雛さんじゃありませんでしたっけ?」

「古来では"左"が上座とされ、男雛をそこに置くのは昔ながらのやり方ではある。地域差はあれどな」


 だが、俺が左……妹より上というのがそもそも気に入らん。


「むしろ男雛は下の段に置くべきでは?」

「誰と結婚するのよこの女雛は」


 む、確かに。

 俺が男雛を一つ下の段に置けば、最上段にいる女雛がポツンと寂しそうだ。ならば……、


「マスター用の櫛から密かに集めていた金髪、これで編んだマスター人形に小さな着物を着せて隣に置けば……」

「待って待って待ってなになになになに」


 和服の袖から取り出したる、リゼットの抜け毛で作っておいた"ふぇると"人形に霊力で編んだ十二単を着せる。


「うむ、完璧だな」

「最近はキャラものの雛人形も流行ってますし、こういうデフォルメなのもありですねぇ」

「え、え、おか、しい……おかしい、わよね? え、私ここドン引きするところよね? え? なんで平然としてるの? え?」


 目の前の光景に感情が追い付いていないリゼットだが、その隙を突き最上段に二人の女雛を乗せる。うむ!


「とても華やかになった」

「これじゃ私とトーカが結婚するみたいじゃないの」

「酒上家の雛人形は多様性を尊重します」

「意に沿わないって言ってるのよ私は。いやそもそもなんで私の髪の毛っ」


 赤くなって怒り、リゼットが人形について言及するが、なに知れたこと。

 俺は敬愛するご主人様に歩み寄り、その美しい黄金の髪を一房掬い取った後に跪き、そこに口付けを落とした。


「マスターの肌から離れても、それは我が主の一部であることに変わりはない。髪というのは女の命であり、日本においてまじないにもよく使われるそれは、まさしく主の分身であると言っても過言ではない。それをこの眷属が、無造作にゴミ箱へなど捨てられるものか。これも偏に愛なのだマスター……愛だ」

「え、あ……そ、そう……? あ、愛なら……じゃあ、いい、かも?」


 いいのか? 本当にいいのか?

 まったくこのお嬢様は本当に可愛いな。


「でも配置が気に入らないわね……うん、これでよし」

「ちょっとリゼットさん、私を下ろさないでください! 男雛兄さんの隣を飾るのは、古式ゆかしい大和撫子スタイルである妹女雛が相応しいんですっ」

「あなたさっき『酒上家の雛人形は多様性を尊重します』って言ってたでしょうが」


 金髪女雛と黒髪女雛が、男雛の左を奪い合わんとする。

 ちなみに平安以前のことは知らんが、女雛が黒の長髪姿であるのはもちろん、その髪型がもっとも美しい髪型であるという日本人の美意識からだ。昔から日本人は、黒髪ロングが大好きな業の深い種族なのである。無論、俺も好きだ。

 つまり我が妹の美貌には千年の歴史が詰まっているということであるな。どれだけの時を隔てようと、妹の美は損なわれないという証明である。やはり妹は永遠……妹は神話……。


「む、そういえば、雛人形の片付け時を見誤ると婚期が遅れるという話もあったな」

「私の人形は片しといて」


 リゼットが自身の人形をこちらにポイっとぞんざいに投げる。俺のマスターがっ。


「だが特段、心配するような話でもなかろうに?」

「なんかいや」

「えー? 文化祭のミスコンで一緒にウェディングドレス着ましたし、そういう迷信的な話は今さらじゃないです? まぁ私は兄さんのお嫁さんというポジションを小学生の頃に内定もらってますので、なんの心配もないんですけど♡ 私達、幸せになりますねリゼットさん!」

「はいはい、その時になったら祝福してあげるわ。オメデトー」

「ありがとうございます! では来月、お願いしますね?」

「は?」


 いやに具体的な日時指定に、真剣に取り合っていなかったリゼットの眉がピクリと跳ねる。

 だがそんなリゼットの様子もなんのその。幸せいっぱいな表情を浮かべた刀花は、兄の腕にぎゅうっと抱き付いた。


「あぁ、来月が待ちきれません……幼い頃からずっとずっと夢にまで見た、私と兄さんが結ばれる日っ」

「来月……あっ、誕生日!」


 リゼットがハッとしてそこに行き当たる。

 その通り。来月のきたる四月十日こそ、我等兄妹の誕生日。

 そして──酒上刀花という少女が、結婚可能となる日なのである。めでたいことだ。正確には俺が十八になることで、であるがな。

 陶然とする我が妹の身体を抱き締める横で、リゼットはしかしじっとりと瞳を細めた。


「えぇ? 初詣に同じこと言ってたけど、本気だったの……?」

「もちろんですっ。お先に失礼しまぁす♡」

「私が許すと思って?」

「リゼットさんの許可なんていりませんも~ん。民法第七三一条が許してくださいますも~ん」


 民法第七三一条。『男は、18歳に、女は、16歳にならなければ、婚姻をすることができない』である。

 未成年である場合、通常は保護者の同意書が必要となるが、我等兄妹にそんなものはいないため、全ての決定権は妹にある。


 つまり、妹が結婚すると言えば──するのだ。


 刀花の決断が本物であることを雰囲気から悟ったのか、リゼットがにわかに慌て始める。


「なんっ、そ、それなら別に私だって……ジンと、け、結婚……」

「リゼットさんは保護者いるじゃないですか」

「ぐ、ぬ……!」


 保護者がいる場合、それらどちらかの同意がなければ日本という国は結婚を許可しない。

 ゆえにリゼットと今すぐ結婚、というのは難しいかもしれんな。いや主が望むのならば、俺はブルームフィールド一族を一夜にして根切りにし、それを勝ち取ってみせるが……誇り高き我が主は、それを良しとはしないだろう。誰かの不幸の上に成り立つ幸福など、得てして儚く崩れ去ることの方が多いものだ。


「むふー、兄さん? 当日の夜にはスッポンやマムシ、ラッコやニンニクをたぁっぷり食べていただきますからね? “覚悟”の準備を、しておいてください♪」


 妹に孕まさせられる──!


「う、うぅ~……! じ、ジン~……!」

「ぬっ」


 だが、可愛いご主人様の上目遣いな涙を見れば、下僕として揺れ動かざるを得ない。

 俺は二人を幸せにすると誓ったのだ。片手落ちなど無能の所業。

 ゆえに──!


「ここは間を取って、綾女かガーネットと結婚するというのはどうか」

「何と何の間なのよそれは、このおバカ眷属」

「兄さん? そんなことしたら妹は初めて兄さんを嫌いになっちゃいますよ?」


 むにぃ、と。二人の可憐な少女から幸せな痛みを両頬に与えられ、結局その日の結論は有耶無耶になったのであった。


 ……ちなみに、後日。


『いえ、刀花様? 受理できませんよ……そもそも刀花様たってのご希望で、お二方の戸籍を血縁関係にしたのではないですか。傍系血族の、それも二親等ですよ? 未成年同士の婚姻は認められても、実兄妹の婚姻は日本では認められておりませぬゆえ』

「そんなー!?」


 どうしたものかと苦肉の策で連絡した幼い支部長の言葉に、妹の淡い期待は切って捨てられてしまったのだった。


「ふ、ふふふ……ざ、残念だったわね、トーカ……性癖が仇になっちゃって、ふふふふふふ……♪」

「わ、私の綿密な計画の上に成り立つ背徳お嫁さんライフがー!?」


 二人との結婚生活はまだまだ遠い日になりそうであると、俺は雛壇のぼんぼりに灯りを入れながらその日を楽しみにするのだった。

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