第309話『啓蒙って便利な言葉ですよね』



 無双の戦鬼は、図書委員である。


「それじゃ酒上、橘? 二人で展示の作製頼むわ」

「教諭、題材に制限などは?」

「んにゃ、テーマとかは好きに設定してくれて構わないよ、俺が責任持つし。ああ、あと司書は教諭じゃなくて正確には事務……ま、いっか。んじゃよろしく~」


 隣で橘が手を振って見送る中、図書室に常駐する司書の男は欠伸を漏らしながら「教育委員会からの調査めんどくせ~……」などと呟き司書室に戻っていった。

 一見の言動はアレだが、本棚の陳列などは分類別にしっかりと並べられておるし、先の言葉も正確性に言及しようとするものだった。もはやなるべくしてなった……職業病なのだろう。だが職務に忠実な人間は嫌いではない。


「仕方ない、委員会活動に精を出すとしよう。でなければ、綾女にも怒られてしまうからな」

「っ!」


 暮れなずむ、放課後の図書室。

 カウンター席に座り業務を共にする橘が、俺の言葉に『むんっ』と力こぶを作る。常ならば波の立たぬ湖畔のような瞳にも、今はどこか闘志が宿っているようにも感じられる。気合いは充分らしい。

 しかし、図書の展示か……。


「ふむん……」


 顎に手をやり、思索すべく図書室内を見渡してみる。

 生徒の姿もまばらな、古い紙の香り漂う図書の宝庫。だがここの司書の方針なのか、所々に色紙で作った“ぽっぷ”や飾りが壁や天井から垂れており、決して殺風景というわけではない。カビ臭くなりがちなこの部屋を彩りよく見せようとする、涙ぐましい努力がそこかしこに散見される。

 だがこの雰囲気ならば、多少趣の異なる物事を題材にしても、そう周囲から浮きはすまい。良い環境だ。


「どうする。二人で一つを作るか、それとも各々で作るか」

「……」


 軽音部の奏でる音色が、閉め切った窓をほのかに揺らす中、橘に話を振れば彼女もまた顎に手をやり思索に耽る。

 彼女は失声症で言葉を喋れない分、こういったポーズで周囲に己の現状を伝えることも多い。その姿勢がまた少々子どもっぽく、可愛らしい。

 光の加減によっては青みがかっても見えるセミロングの黒髪と、後頭部で結んだスカイブルーの紐リボンを揺らした橘は、肩から提げたスケッチブックを手に取り、スラスラと彼女流の言葉を綴る。物静かで儚い印象の彼女と、静謐な空間である図書室はなかなかに親和性が高く、彼女が言葉を放つのにかかる独特な時間を待つのも苦ではない。

 そうしてしばらくキュッキュッとサインペンの音が静かな図書室に心地よく木霊し、書き終えた少女は満足げにクルリとスケッチブックを回して、こちらに紙面を見せてくれる。


『まずは、各自で案を練ってみましょうか。どちらかが良ければそれでいいですし、どちらも良ければ二つ作ってしまえば司書さんの覚えもめでたいかと』

「なるほど、ではそうするか」

「♪」


 こちらの頷きに、仄かに微笑を湛える橘。

 年相応の少女らしい可憐さと、落ち着いた雰囲気による女性らしさが見事に調和を果たした、見る者を魅了する微笑みだ。さすがは“薫風学園で遠くから眺めていたい女の子なんばーわん”。これで三十路に突入したらしい恋人がいるというのだから、世の中は鬼が思うより摩訶不思議である……。


「事実は小説より奇なり、か」

「?」

「いや、なんでもないとも」


 それは俺が言うことでもなかった。

 さて、と橘からスケッチブックの中の一枚を受け取り、頭の中であれこれ展示について考えながら書面に起こす。

 ふ、レジ打ちバイト時代に、特設コーナーを作らされたことを思い出すな。残念ながら時代が俺に追いついてこられなかったのか、“俺の妹が大好きなお菓子全千種コーナー”は日の目を見ることなく却下されてしまったが。まったく胸が悪くなる。


「……こんなところだろう」


 時が経つにつれ出入りする生徒も更に少なくなり、我々もかなり集中していたようだ。

 走らせていたペンを止め、仮案を精査する。橘もできたのか、吐息と共にキュッとペンの蓋を閉じた。


「では一番槍は俺から」

「……」


 先鋒を申し出ると、橘は『どうぞ』と笑ってこちらに手を向ける。それではこの無双の戦鬼、初手にて全霊をもって一撃を奉る。

 俺は不敵に笑い、力作を橘へ披露した。


「題材は“主従や肉親などの立場を超えた禁断の関係”。並べる図書などは『僕〇妹〇恋をする』や『メイち〇んのしつ──」

「×」


 なに?

 言葉の途中で、なぜか橘が胸の前でペケ印を作った。


「どういうことだ」

『性癖に忠実すぎるのではないでしょうか』

「普遍的な題材であろう?」

「???」


 首を傾げている。妙だな、『恋愛においては主と妹を優先すべし』と日本国憲法にも記されているはずだが……もう少し勉強に身を入れた方がよいのではないか橘?


「では橘はどうなのだ」

「!」


 眉を上げて聞けば、彼女はちょっぴり得意気な顔をし、スケッチブックを裏返してみせる。そこに記されていたのは……、


「ふむ、見たところ恋愛モノが多いようだな。扱っている舞台や設定も幅広く見える」

「♪」


 このあたりは利用者のことを考え、大衆受けする“恋愛”に寄るのは道理だろう。俺のように偏り無く、舞台は学校や職場、配役も学生から社会人とよりどりみどり……いや、待て。


「こちらは教師と教え子の恋……む、こちらは社会人と“いんたーんしっぷ”の学生の……むむむ?」

「……」

「橘?」

「…………~♪」


 問い詰めれば目を逸らし、わざとらしく達者な口笛などを披露している。

 この娘……こうしてさりげなくコーナーを作ることで、“年の差恋愛”という概念を影響されやすい若者の深層心理にすり込むつもりか、策士め……!


「これで俺の案を『性癖に忠実』などとよく言えたものだな?」

『何を仰るうさぎさん』

「漏れ出ておるぞ」

『ありふれた恋愛書籍ばかりではありませんか。穿った見方をするものではありませんよ』


 スケッチブックで顔を隠さず言うがいい、そういうことは。このお茶目さんめ。

 湿っぽい目で見つめ続けていれば、橘は気を取り直すように咳払いをする。


『しかし、こうなると──』


 一旦そこまで書き、橘はまたスラスラとペンを動かした。


『酒上さんと私、互いに譲れないものがあると見ます。ここは相互、尊重をするべき場面では?』

「一理ある。ならば、ここはどちらか一つを選ぶのではなく、二つを織り交ぜてより題材を広く取ったかのように見せかけるという策はどうだろうか」

「──!」


 橘が天を仰ぎ、厳かに拍手をする。まるで天啓を得たかのように。


「ククク、では……」

「 b 」


 やることは決まったな。

 視線を交錯させ、橘は企画書を。俺は室内を巡り、題材に該当する図書を選別する。

 そして色紙や折り紙を組み合わせ、展示用の机上を華やかにし、コーナー名は……そうだな。


「“波乱多き恋の道”というのはどうだ?」

『いいですね』


 これならば、このコーナーを見た者も「そういうものか」程度に思うことだろう。知らずうちに己の嗜好をねじ曲げんとするこちらの思惑も知らずになァ……?


「ククク、ハハハハハ……」

「♪」


 昏い笑みを交換し合い、ほくそ笑む。

 そうとも、これは啓蒙である。恋愛とは自由であるべきであり、何者にも批難される謂われなど無いのだと深層に訴えるこれは、道半ばにある少年少女達にとっての救いであり導きなのだ。

 今なお道ならぬ恋に惑う者共がこのコーナーを見れば、きっとその胸の内に勇気の光を灯すに違いない。自分は、間違ってなどいないのだと──!

 その熱意を自覚すれば自然と作業に熱が入り、委員会業務終了の時間が過ぎる頃にはコーナーは完成してしまっていた。その出来映えに、俺達二人も額の汗を拭うと共に惚れ惚れする。


「いやはや、思わぬ善行を積んでしまったな……?」

『そうですね。私達ももう少しで三年生。後輩を正しき道に導いてあげるべき時が来たのでしょう……』

「そうかもしれん。して、橘。ちなみにこの後の予定はどうなっている?」

『彼の部屋に行って夕食を一緒に摂ったのち、あわよくば同衾を狙って、良識ある大人として葛藤する彼の様子を観察していきたいと思います。酒上さんは?』

「うむ。今夜は妹だけでなく、主とも入浴を迫ってみようと画策している。二人の美しい背中やおみ足を、俺は下僕として流したい……」

『……お互いに、苦労しますね』

「ああ。だが、やりがいがある。そうだろう?」

「っ!!」


 グッと、健闘を讃え合うかのように拳を突き合わせる。まるで長年、戦いを共にした戦友の心地だ。さすがは俺のもう一人の友である。やはり存在としての格が違うわ、格が。


「では、本日の業務は終了だな。司書に報告し、下校するとしよう」

「~♪」


 ビシッと敬礼を返す橘に笑い、閉館作業に入る。やはり志の似通った者同士ならば、仕事も捗るというものよ。


 ──そうして後日。

 我等の作ったコーナーは、一部の女生徒に大変に人気を博したという。中には、その瞳に決意を漲らせる少女もいたとかなんとか。


「なんか……よく見たら内容とか偏ってないかしら、これ?」

「兄妹モノがあるので私はオーケーです!」

「た、橘さーん……?」


 主と妹にはそれとなく思惑がバレ、綾女は冷や汗を浮かべて友人を心配していたものであったが……なに、我々は若者の恋を応援しておるだけよ。


「なぁ、橘?」

「♪」


 そうしてしれっと、俺達はカウンター席に座りながらホクホク顔で今日も業務をこなすのであった。

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