第308話「嘘つけ五分以上してたぞ」



「ふぅ~、食べた食べたぁ。いや美味しかったねここのイカスミパスタ。これでカノンちゃんの髪もお肌もツヤツヤに……デュフフ、後日触りに行くからねぇ……あとやっぱ可愛い女の子との食事はこういう洒落たレストランにすべきで間違ってもチェーン店の牛丼屋じゃねぇよなぁ!?」

「あ、あはは……そう、ですね……?」


 レストランを出れば、地元のそれより賑やかな人波と街明かり、そして二月の寒風があたしを出迎えた。まだまだ暖かい春は遠いらしい。

 淡いピンクのマフラーを口許まで上げたあたし……吉良坂柘榴ガーネットは、ちょっぴり膨れたお腹をさすりつつ振り返る。そこにはあたしと同年代くらいの、しかし一般の人とは雰囲気を一つ二つほど画す女の子が苦笑を浮かべていた。

 綺麗な長い茶髪と、少しオドオドしてる雰囲気が庇護欲をそそる愛らしい子。帽子を被って変装はしてるけど、やはりアイドルというものはそのオーラを隠しきれないもんよね。


「スタッフの方にでも連れていかれたんですか先輩? 牛丼屋さん……」

「ん? まぁ、ね。カノンちゃんも気を付けなよ~? スタッフから食事に誘われても、基本二人きりは避けること! マネージャーや事務所にキチンと報告! 断れなかったらあたしみたいに頼れる先輩を誘う! アイドルってのは、自分で自分を守らなくちゃダメなんだかんね!」

「は、はい……!」


 素直に頷く後輩アイドルちゃんに、あたしも苦笑する。真面目だなぁ。ま、嘘は言ってないけどね。


「……」


 芸能界ってのは、ぶっちゃけ怖いところだ。

 なにせあたしらアイドルは、"華"ってやつを商売道具にしてる。それゆえに、その蜜に誘われる人間は多い。

 中にはその華を散らせようとしたり、食っちまおうとする輩も当然いる。自分の立場を利用してね。まぁそういうことしてる人は自然と噂が立つもんだから、遠くから見てりゃだいたい分かるんだけども。


「き、気を付けます……」

「よろしい、素直な子は好きだぞっ。きらっ☆」


 まーでも、業界に入りたての子にはこうやって先輩が教えたげないと。守ってあげないと。この子みたいな、なんでも正面から受け止めちゃう子は経験上壊れやすいし。

 あと! 美少女は国の宝なんだから! だからこそあたしが守護らねばならぬ……んで仲良くなってぇ、こうしてたまにデートをぉ、んほぉ~アイドル業たまんねぇ~! じゃ、ホテル行こっか。大丈夫あたしも初めてだから! キスは初めてじゃないけどなっ! ふぅ~、アイドルにあるまじき経験者ジョーク!


「さーて、シータクのバーノリはどっちだったかな?」

「あの、先輩……」

「んー?」


 マンションに送る用のタクシー乗り場を背伸びして探していれば、どこか迷うような素振りを見せる後輩ちゃん。


「……折り入って、ご相談が……」

「おう、言うてみ言うてみ」


 軽い調子であたしは促すが、内心では安堵していた。


「実は最近……誰かに、尾けられてて……」

「なぁにぃ?」


 目を丸くして大仰にリアクションして見せるが、うん……知ってた。

 だって最近の君は、どこか張りつめてたからね。収録中ずっと見てたけど、別に他の先輩から苛められてるわけでも、スタッフからセクハラ受けてるわけでもなかった。

 地下上がりだから実力はあるし、事務所から推されてるから仕事に飢えてるわけでもない。じゃあまぁ、そんなとこかな~と、あたりはついていた。だから今夜、食事に誘ったのだ。


「あ、でもごめんなさい……先輩にこんなこと言っても──」

「うーん、偉い!!」

「へっ?」


 余計なことを言い出す前に、誉める。こういう子はなんでか、他人に相談することを迷惑だって思う節があるからなぁ。んなこたぁない!


「さっきも言ったべ? 身内に相談すべしって。早速実践してくれて、ガーネットちゃん嬉しいぞ☆」

「う、うぅ……先輩……!」

「ふ、泣くなよ。これからベッドの上でいっぱい泣かせるんだからよ……」

「先輩キモいです……」


 は? 昨晩から考えてた決めゼリフなんだが? おっかしいなぁ……肩を抱き寄せて『お前の処女、予約したから』の方がよかった? 選択肢ミスったか~。


「ま、冗談はこんくらいにして……で、どう? 実際に被害とかは」

「それがまだ……だから警察も動いてくれなくて……でも私……!」

「怖いよな、分かるぜ」


 うんうん、と頷いて理解を示す。

 いやあたしも何度かあったからなぁ、そういうの。あたしは魔術で返り討ちにしてやったもんだけど、無力な女の子なんてそんなの怖いに決まってる。ぶっちゃけ魔法使いのあたしでも最初は怖かったしね。


「そんで、それは今も?」

「……実は。他の人といたら離れるかなと思ったんですけど……」


 あ、マジ? まさに“今も”ってこと? こえー。どこどこ?


「ストーカーか、それともパパラッチかなぁ」

「えっと、あそこの黒マスクしてる……」

「見えねぇ~。ちょっとカノンちゃんこっち寄って」


 いぇーい、ツーショット自撮りぃ~☆ そんで写真を保存してっと。


「あー、これね。いたいた」

「はい、その人です……え、あれ? なんで写真保存したまま……」


 売れっ子アイドルとプライベート写真撮るのたまんねぇ~。あたしのアルバムにまた一つ、美少女コレクションが増えちまったぜ……。


「ふむふむ……」


 ついでに後ろの人物についてプロファイリング。でもマスクと帽子で人相は分かんないなぁ。冬場は不審者ファッションしても周囲から浮かないからいけねぇや。

 ん、でも黒コートの内側から何か光るものが……レンズかな? つまりストーカーじゃなくてパパラッチ? 売れ始めのアイドルのスキャンダルをスッパ抜こうって輩かっ。許せねぇよなぁ!?


「ちっ、憧れを叶えようとしてる女の子を邪魔するクソ野郎め。あーキレそう」


 おうもうやっちまおうぜおい! 義侠の魔法使いたるあたしが天誅をくれてやるぜぇ!


「カノンちゃん、こっち」

「え、え?」


 彼女の手を引いて、表通りから横道に逸れる。くっ、お互いに手袋してることが悔やまれる。そしたらスベスベのおててを合法的に握れたのにっ!

 唇を噛みつつ、表通りの華やかさから一転して暗いビルの裏路地を行く。


「こっち行って、んでこっち行ってぇ」

「せ、先輩、道詳しいんですか?」

「実はここって、知る人ぞ知る不審者撃退スポットなのよね」


 まぁあたしがよく使う小道なんだけども。ビルの窓から漏れる光と影がほどよく人を隠し、いざとなった時にあたしが魔術を使っても、だーれも咎めないからね……。


「先輩、ここ行き止まりじゃ……」

「出待ちして致命の一撃入れようや」


 パパラッチなんてのは出会い頭に一発写真撮って、問答無用で各所に問い合わせるのが一番よ。説得は逆効果ね、あいつらすっとぼけっから。

 そうして息を潜め、いい感じの曲がり角で待機していれば、足音がかすかに聞こえてくる。


 ──スタスタスタ……。


「お、来たな」


 じゃ、撮りまーす。笑って~☆

 タイミングを合わせ、あたしは曲がり角から姿を現して一撃! ひゃあ! 出待ちブッパ気持ちいい!


「シャッターチャンスだ!」

「うっ!?」


 パシャっ☆


「対戦ありがとうございました☆ おいテメー、誰の許可得てアイドル追っかけてんじゃい。そういうのはチケット買ってからにしてくんな!」

「くっ……!」


 おーおー、動揺してやがる。そうしたいのは女の子だっつの。女の子泣かせた時点で、テメーにそんな権利はもうねぇよ。


「で? あんた誰。今の内に所属ゲロってくれた方が手間はかかんないんだけど」


 カメラのフラッシュで狼狽えている……声からして男。ったく、大の大人が未成年の尻追いかけて飯食うとか、恥ずかしくないのかね? ま、どーせ無名の出版社だろうけど。


「か、カノンちゃん! 俺だよ!」

「えっ?」

「あァ?」


 いや誰だよ、あーン?

 マスクと帽子を取り払ってそんなこと言うけども、カノンちゃん困惑してるじゃん。反応からしてスタッフとか、ましてや元カレでもねぇな。つかパパラッチでもなくない? ん?

 沈黙が路地裏を満たせば、特に何の変哲もない顔立ちをした……二十代後半ってくらいの男はショックを受けたようにしてよろめく。


「そんな……あんなに応援したのに……ファンクラブの会員証も一桁なのに……」

「ご、ごめんなさい……」


 おーっとカノンちゃんそこは肯定しちゃいけないとこぉー! こういう時はダメ元でも慰めてあげようね!


(つか、やべ)


 すっかりパパラッチかと思ってたからさぁ……ストーカーの方だったら、しかも拗らせファンなら対応も変わってくるんだよなぁ。


「もういい、これからいっぱい教えてあげるよ……痛みと一緒なら覚えられるよね?」


 痛みを伴わない教訓には意義がねぇとか錬金術師かテメーはよ。あ、てかほらやっぱ、コートの中で光ってたのカメラのレンズじゃなくてナイフだったわ。カノンちゃんごめーん!

 その鈍い輝きを見て、カノンちゃんもひきつった悲鳴を上げる。


「ひっ……!」

「泣きたいのはこっちだよ……テレビに出るようになった途端、僕達のこと忘れて……」


 おいちょっと待てェ。


「一人で盛り上がってんなよ。実際泣いてんのはこっちだろ、目ぇ見えてねぇのか?」

「さっきから誰? おばさんに興味ないんだけど」

「はあぁぁあぁぁあぁぁぁあ???????」


 確かにカノンちゃんは現役JKアイドルだけども! あ、あたしだってつい先日までは高校生だったんだが!? 未成年でピチピチギャルなんだがぁ~!?

 あーはいはいはい、お前、死刑けってーい。


「お前、殺すわ……」

「は、はは……刃物を持った男に勝てるわけないだろ?」

「そ、そうですよ先輩、危険です! ここは彼の言うことを聞いて! じゃないと先輩まで……!」


 言うことだぁ?


「ちなみに何を要求すんだよ、メーン?」

「ふ、服を脱いで壁に手をつけ……!」


 男の人っていつもそうじゃん!


「わ、分かりました……!」

「いやそこ素直じゃなくていいから!」


 コートをはだけようとするカノンちゃんを止める。アイドルの初めては鬼すら欲しがる宝ぞ!? 自分をもっと大事にして! もしくはあたしにくれ!

 つか童貞だろこいつ。バカみてぇな要求、エロ同人の見すぎなー? 声震えてんぞ。ププー、きっもーい。童貞が許されるのはぁ……う、うーん、何言ってもあの鬼に刺さるから迂闊なこと言えねぇな……。


「ほ、ほら早くし──」

「うるっせぇな……」

「なっ……?」


 刃物持ったくれぇでのぼせ上がってんじゃねぇよ、中学生がよ。

 人類の戦闘の進化はその射程にある。刀から槍。槍から弓。弓から銃。銃からミサイル。戦闘とはつまり威力と射程が大正義なわけ。

 妖刀でもねぇナイフ風情が……遠距離特化の魔術師に勝てるわけねぇんだよ最初から。


「『シュガー・メイプル・シナモンロール』」

「え?」


 魔術詠唱開始。

 さて、カノンちゃんの目を誤魔化しつつ、どんな魔術でブッ飛ばそうか考えながら、あたしは胸に下げる宝石から魔力を引き上げ……ん?


「あれ?」


 ……宝石、なくね?


「……」

「……」

「……」


 ……ちょっと待ってね?


「あれ? っかしーなー」


 頭をかきながら鞄を漁る。

 あれ無しで魔術使うと、組合から怒られるんだよね。あれって魔術の制御装置も兼ねてっから。最悪、加減しない魔術の種類によってはマジで死ぬ。

 あっるぇー? 検定一級受かったからって最近気が抜けてるかもなー……鞄の中にも無いし、あるとしたらホテルの洗面所かなー。


「な、何してる! さっさと言う通りにしろ!」

「ぬーん……」


 魔術じゃなくて魔法使う? 使ったら笑顔であたしの言うことを聞いてくれるだろうけど、でもそれカノンちゃんにあたしまでグルだって思われないかなぁ……。


「せ、先輩……」

「……」


 ま、そんなことも言ってられないか。あたしの浅い考えで怖がらせちゃってるし、後の事は後で考えよう。


「コホン……」


 そうしてあたしは、自分の声に魔力を乗せて──、


 カラン、コロン……。


「あ、やべ……」

「え、下駄の音……?」


 暗がりから響くその音に冷や汗が浮かぶ。あたしがこんなモタモタしてるから……、


 ──あたし専用の、セ○ムが来ちゃったよ。


 でも……まずいね、これは。


「──」


 そうして男の後ろにいつの間にか現れていた影が、手に持った白刃をその首めがけて無表情で振り下ろそうとし……って、ちょいちょーい!


「す、すとぉーっぷ!!」

「む?」

「え? なっ、ひいぃぃぃいぃ!?」


 咄嗟にあたしが叫べば、薄皮一枚のところで刃が止まる。

 あ、あっぶねー……カノンちゃんに今以上のトラウマ植え付けちゃうところだったぜ……ギロチン刑で喜んでいいのは十九世紀まで!


「ふん、情けない悲鳴を上げて気絶したか……汚物めが」

「そらするわ」


 鈴にも似た音色を響かせ刀を仕舞うセコ〇……もとい、酒上刃。どうやってあたしの危険を察知したのか知らねぇが、躊躇いなく殺そうとしやがって……ストーカーよりこえー。もしくはこいつがあたしのストーカーなのでは?


「ああ、カノンちゃんにどう説明すれば……」

「そちらも気絶しておるぞ」


 えっ? と隣を見れば、目を回して気を失っているカノンちゃん。いやまぁそりゃ刀振り上げた鬼が唐突に現れたら、まず自分の正気を疑うからね。これは防衛本能の勝利だわ。


「くっ、カノンちゃんしっかりしろぉ!」

「どさくさ紛れにどこを触っておるのだ」


 いや倒れた時に頭打ってないか心配だからね! 腰に手を回すのは不可抗力さ!


「怪我なし! ヨシ!」

「して、どうするのだこの男は。消すか?」

「んもー、あたしのダーリンは物騒ですこと」

「だーりん……ほほう、悪くない響きだ」


 殺気立つ鬼をリップサービスでポヤポヤさせつつ、スマホで110番。実際襲われたし、これでいいでしょ。


「でも事情聴取どうしよっかな……」


 犯人が無傷で気絶……うーん……なんでさ?


「ま、いっか☆」

「ではな、俺は先に行く」


 バサリと黒い和服をはためかせ、刃が跳び去る。いや"先に"って……もー。


「こりゃ取り立てられるね……」


 遠くから響くサイレンの音を聴きながら、さて「ナイフ持ってたけど勝手に気絶した」の一点張りで警察は果たして納得するのかどうか……そんな益体もないことを考えながら、あたしは途方に暮れるのだった。





「たわけ」

「あたっ」


 ピシッと綺麗なおでこにデコピンを加えれば、ホテルに備え付けられたムールチェアに座るガーネットが、不満そうに唇を尖らせる。彼女の傍らに腕を組んで立つ俺を睨むが、なんだその顔は。

 長時間の事情聴取から解放され、拠点であるホテルの一室に戻って来た彼女に、俺はもう一度鼻息を鳴らした。


「もう一度言うぞ、たわけ。己から危機に飛び込むな。貴様は先走りすぎる」

「……はぁーい」

「……」

「わ、分かったって! あたしも軽率だとは思ったし……カノンちゃんにも悪いことしたと思ったし……」


 おでこを押さえながら反省する彼女に頷く。そこが分かっておればそれでよい。


「力ある者にとって、守護とはほぼ責務と言っていい」


 ヒトというものは、何かを守護るために力を求めるもの。己の矜持然り、大切なモノ然り、我儘や悪とてそうだ。

 そうして力があるからこそ何かを守護る、もしくは押し通す権利を得、そして同時に義務を負うのだ。絶対に傷付けさせてはならぬという、義務を。

 力とは、誇りを守護するための道具である。そして誇りとは、穢れなき宝玉でなければならん。


「だからこそ、守護に失敗など許されぬと知れ。己すら満足に守護できぬ者に、他の大切なモノが守護れるものか。鼠を狩るにも、全力を尽くせ。慢心などもってのほかよ」

「……ごめんなさい」


 しゅん、と項垂れた。

 ……いかんな、少々説教臭かったか。湿っぽくなったホテルの一室の空気を変えるべく、咳払いする。


「……だが、勇み足だろうが蛮勇だろうが、同じ“勇”だ。それすら持たぬ者共がひしめく世において、それは遥かに上等である。軽率だっただけでな」

「う……あ、あんがと……」


 グリグリとそのピンクの髪を撫でまわせば、わざとらしく慰められていることは理解していても、若干照れくさそうに彼女ははにかむ。反省を次回に活かせれば、それでよい。

 さて……、


「では、そろそろ報酬をもらうとしようか?」

「……エロエロ魔人め」


 頬を染めながらもこちらを睨む彼女だが、人聞きの悪い。


「自分から鬼をホテルに招き入れておいてからに」

「はぁ~? ドアが勝手に開いたんですぅ~。そしたら勝手に鬼が入って来て“襲われてる”だけなんですぅ~──んっ」


 少し赤くなっていたおでこに軽く口付けをすれば、彼女は途端に大人しくなる。

 体温を上げた彼女が、その頬の赤みを隠すべく俯いたままボソボソと文句を言う。


「じ、事務所の許可無くデコちゅーすんなよなー……」

「本人の許可を得たつもりだったが」

「い、いいなんて言ってねぇし……つか、報酬に“こういうこと”を一方的に求めるとか、さっきの不審者と一緒じゃねー……?」

「ふん、異な事を」


 一方的に求めるならば、確かにそうだろう。

 だが一方的に求めるだけの果実など、鬼にとっては中身の無いスカスカな果実を囓るも同じ。


「きゃっ……お、おい……ベッドにアイドルを放り投げていい法律なんてねぇんだかんな……」


 それに憎まれ口を叩きながら一切の抵抗をせぬ者が、「一方的」とは笑わせる。こうして上等な皿の上に乗せれば、それは甘い汁をたっぷりと蓄えた果実にすら見えるぞ。この俺が身体だけを求めるものか。

 その乙女の羞恥と恋心こそが、最高のご馳走なのだ。

 彼女の小さな身体に覆い被さり、形の良い耳に唇を寄せる。


「明日の予定は」

「……そ、外で、取材が一件だけ……」

「そうか、ならば構うまいな」

「なにが──ひゃんっ」


 その美しい首筋に、吸血鬼のように噛み付く。

 しばらく吸い付き、ピクピクと震える彼女の甘い香りを存分に味わった後に唇を離せば、そこには虫刺されにも似た跡が残っていた。


「お、おいぃ……アイドルにキスマークを残すなってぇ……」

「なに、最近はとみにファンが増えているようだからな。少々嫉妬した」

「お、男の嫉妬なんてかわいくねー……ちょっまた──やぁんっ…うわ『やぁんっ』なんて言っちゃった……!」


 そこから何度か、目立たぬ部分に唇を落としていく。その度に彼女は可愛い悲鳴を上げ、ピクンピクンと身体を跳ねさせる。肌もしっとりと汗ばみ始め、甘酸っぱい汗の香りが鼻腔をくすぐった。


「ま、待って待って! せめてシャワー浴びさせて!」

「俺は一向に構わん」

「あたしが構うんだよバカタレっ。つか、そもそも許してねぇっての!」


 ペチリと頭を叩かれたので、仕方なく身を離す。

 そうすれば、彼女はムスッとした顔で着崩れた衣服を直していた。


「ったく……あたしアイドルぞ? ホテルに男入れてる時点でギリギリだっつーのに……もぉ~……」


 アイドルという職は、しがらみが多いものだ。信用であったりブランドであったり。もちろん、彼女自身のプライドもある。

 だからこそ……言い訳や理由などは、こちらが用意してやらねばな。


「そら、シャワーを浴びてくるといい。お前はただ、一人のファンに襲われているに過ぎん。戻ったら、また襲ってくれる」

「わ、分かればいいんだよ分かれば……あたし、無力な女の子だもーん。ホテルに押し入られちゃった可哀想なアイドルなんだもんねー。だからあたしは悪くねぇ!」


 そういう脚本にしておく。アイドルとは難儀だ。

 早足でバスルームへ消えようとする背中。しかし、その足がふと止まった。


「さ、三分だけな……」

「……なにがだ?」


 その立ち止まる背に問い掛ける。耳が真っ赤だ。


「三分だけなら……好きに襲って、いい……」

「──ほう」


 こちらの返事を待たず、彼女はスタコラとバスルームへ逃げる。次第に聞こえてくる水滴の音に、俺は興奮を抑えるのに必死だった。


 ──そうして。


「お、お待たせ……きゃ♡」


 シャンプーの華やかな香りを、そのしっとりと濡れた髪に纏わせ。薄手のパジャマ姿で現れたアイドルのその唇を、一匹の鬼である俺は三分もの間、存分に襲うのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る