第298話「異世界編は打ち切りフラグぞ」
「ったくよー。オメーは知らねんだろうけど、アイドルの手はれっきとした商売道具ぞ? この手と触れ合うためだけに何枚ものCDとかチケットを買ってくれたりする人がいっぱいいるわけ」
牛丼屋を出てからというもの……いや、食っている時もだったが、ガーネットのご機嫌がすこぶる麗しくない。隣を歩きつつも唇を尖らせ、チクチクとこちらへ文句を投げている。
「それなのに、あんな好き勝手……やらしー感じで触りやがってよー……ほんとに、ふんとにぃ……」
柔らかそうな頬まで餅のように膨れてきた。これはいかん。
彼女の言動を顧みるに、アイドルにとって"手"とは特別なものであったらしい。この手と一瞬でも触れ合うため、喜んで金を出す者もいると。
それはつまり、アイドルであることに矜持を抱き、ファンを大事にする彼女にとっても“手”というモノは、殊更大きく重きを置く事柄なのだろうことは想像に難くない。先程の俺の所業は、アイドルにとって謂わば無銭飲食に等しい行為だったのだ。
おかげで今は手も繋げず右手が寒い。さてどうしたものかと思わず唸る。
「うぅむ……」
「反省してんのか? おお? あたしのウィスパーエロエロボイスも聞きやがってよ。今夜あたりにベッドの中で思い出して興奮するっちゃろー、ばりきもー」
好き勝手言っているが、俺としても彼女の機嫌はとっておきたい。契約関係の話ならばなおさらだ。俺は人間から代価を徴収し願いを叶える妖刀ゆえ、ただ飯喰らいと思われるなど甚だ不本意なことである。
「反省はしている」
「後悔は?」
「していない。磨き上げられた至宝に等しいその肌、それに触れたのだから後悔する方が失礼だろう」
「う、ま、まぁ……それな?」
文句をつらつらと並べていた口が、一瞬だけモゴモゴとまごつく。手間暇かけたものを誉められて嬉しくない人間などそうはいない。
とはいえ、謝意を示すのにこれだけでは足りぬだろう。
「そうだな──」
主や妹以外にこの言葉はあまり使いたくなかったが、ここに至れば致し方あるまい。プライドを傷付けられる屈辱は俺とて理解はできる。
俺は立ち止まり、不思議そうにこちらを見上げるガーネットへ今できる最大限の謝意を告げた。
「"なんでも"、一つだけ言うことをきこう」
「ん?」
魔法の言葉を投げ掛ければ、ガーネットはピクリと眉を上げ、なにやら神妙な顔をして繰り返す。
「今、なんでもするって言ったよね?」
「そう言ったが」
「へー? ふーん? ほーん?」
妙ちくりんな声を上げ、しげしげと彼女は俺の顔を眺める。その雰囲気はこちらを値踏みしているようであり、イタズラを考えている悪童のようでもあった。
だが一応、一つ断っておかねばなるまい。
「分かっているとは思うが、主や妹に危害を加えること以外でだぞ?」
「早速"なんでも"じゃないの来たな……いやまぁ分かってるけどね。声が山○さんのランプの青い
よく分からないことを言いつつ、ガーネットはうんうんと唸る。俺に何を命ずるか……自分にとって最も益になる言葉を探しているらしい。
柘榴色の瞳をサングラスの奥で妖しく輝かせつつも、彼女はこちらを探るように見る。
「つっても、童子切のスペックって実はあんまよく分かんないからなー。隕石降らしてたのは見たけど」
「ふ、我が力は無双。本気を出せば、この世界など刹那の内に滅せられる」
「え、それって一生本気出せないってことじゃん?」
「……」
……"のーこめんと"だ。
「あ、じゃあさ」
俺が渋面を作っていれば、何か思い付いたのかガーネットは後ろで手を組み、こちらを上目遣いで見る。
「……童子切を、じっくりと見せてもらいたいな~って」
「ほう」
なるほど、童子切を。
「分かった」
俺は一つ頷き、ズボンのベルトに手を掛け……カチャカチャ。
「ではとくと見るがいい、我が童子切安つ──」
「アホかーーー!!??」
ズボンを下ろそうとしたところで、頭をスパーンと叩かれてしまった。何をする。
「何なのだいったい……」
「こっちのセリフだわボケぇ!」
恨めしげに視線を送れば、ガーネットはそれはもう真っ赤になって声を荒げている。
「なっ、なんでいきなり脱ごうとしてるんじゃい! 街中ぞ!?」
「知れたこと。俺にプライドを傷付けられたからこそ、今度はこちらに羞恥を味わわせようという腹積もりであろう? だからこそ、俺に"童子切安綱"を見せろと──」
「下ネタ言ったんじゃねーんだわ! ガーネットちゃん直接言うの恥ずかしくて比喩を用いたわけじゃねーんだわ! 迷惑防止条例に喧嘩売れとは一言も言ってねーんだわ!」
「なんだ、そうなのか」
「なんでちょっと残念そうなんだよ……」
「我が童子切安綱を見た少女は、悉く可愛らしい反応をするものでついな」
「言動が露出狂のそれぞ。ブタ箱行く?」
「我が肉体に恥ずべき部分など一切無い。そして無双の戦鬼を法で縛ろうなど笑止千万よ」
「無敵かこいつ……」
辛辣な言葉を受け流しつつベルトを締め直していれば、ガーネットの何とも言えなさそうな視線を感じる。チラチラと。主に我が下腹部に。
「……ち、ちなみに……やっぱ、その……でっ……い、いや、やっぱなんでもない……」
「ちなみにリゼットと綾女は漏れなく『おっきい』と言ってくれたぞ」
「なに薄野ちゃんにも汚ねーもん見せとんじゃー! あとそんなっ、そんな報告いらねー!」
スカートの裾をぎゅっと握り、声を上擦らせるガーネット。その瞳にはきっと、羞恥による涙が浮かんでいることだろう。
「でも気になるから聞くけど刀花ちゃんは!」
「言葉はない。ただただこちらを見つめ『はぁ……はぁ……!』と」
「一番やべー」
最近また時折、共に風呂に入るようになった我等兄妹であるが、あの妹は意識的にも無意識的にも兄を誘うので毎度理性との勝負だ。無論、お互いにな。
「ねー、ママー。あの人達何してるのー?」
「しっ、見ちゃいけませんっ」
「はっ!? アレは、漫画とかでよく見る"主人公とヒロインがバカみてぇにイチャついてる場に現れては強制的にオチをつけさせるガキとママ"……!?」
こちらを指差す子どもが、母に手を引かれ去っていく。その様を、ガーネットが目を見開くと共にどこか感動するように見送っていた。
「実在したのか……ってやべ、視線が……」
騒ぎすぎたのか、周囲が怪訝そうにこちらを遠巻きに見ている。場所を移すべきだろう。
「くっ、なんかこの流れに乗るのすげぇ恥ずいけど仕方ねぇ! こ、こっち……!」
「おっと」
繋がれていなかった手に、再びじんわりと熱が灯る。
羞恥に熱くなった手の温度を感じながら、ガーネットに強く手を引かれ連れていかれたのは……人目の無い路地裏であった。
四方をビルに囲まれたここならば、多少は騒ぎ立てても心配はないだろう。
「あーもー、なんでこのあたしがラブコメヒロインみてーなムーブをしなきゃなんねぇんだ……」
熱くなった頬を冷ますように、手でパタパタと扇ぎながらガーネットが文句を垂れる。握っていた手は、ここに着いた途端また離れてしまっていた。
彼女が落ち着くのを待つ間、俺は首を傾げる。
「して、なんだったか」
「バカチン。あたしは国宝で妖刀な"童子切安綱"のカタログスペックを見たいって言ったの。決してあんたのご立派様を見たいって言ったんじゃねぇからな。カメラに収めてネットタトゥーにすっぞテメー」
「そういうことか」
「それしかねぇやろがい! 誰がヤローの裸見て喜ぶんじゃ刀花ちゃん以外で! そういうのはベッドの上か事前のシャワー浴びる時にしてくんな!」
指でトントンと胸を突かれ、念を押される。若干刀花に風評被害……でもないな。お労しいな我が妹よ。
「最初からそう言えばよかっただろうに」
「言ってたんだよなぁ……もう、いいからはよ」
疲れが滲む声で急かされた。ちょうどこの場なら刀に変化しても目立つまい。結果おーらいというやつだ。
「どれ……」
その望みに従い、彼女の目の前でポンッと少々間抜けな音と共に刀へと姿を変えた。黒と紅が鮮やかな鞘に収められた、一振りの刀へと。
『これでいいか』
「んほぉ~、この国宝たまんねぇ~」
諸人に我が柄を握らせるなど言語道断であるが、彼女なら……まぁよいだろう。
サングラスを仕舞い、そのキラキラした瞳を存分に見せつけながら、ガーネットは少し震える手で我が柄と鞘を下から持ち上げるようにして掴む。
そうして彼女は勉強熱心な魔法使いの血が騒ぐのか、頬を紅潮させ我が身をためつすがめつ検分し始めた。
「宙に浮いてたのに、結構ずっしりと来んねぇ。刃長は八十だっけ? 持つとそれ以上に感じちゃうなぁ」
『小柄な女性には少々扱いづらかろうな』
「まーね。つか声帯器官もねぇのにどっから声すんだろこれ。うぅん? でも鍔らへんから聞こえる気がする! そもそもなんで宙に浮いてたのかも分からねぇ! 着てる服も脱げちまうわけでもねぇし!」
こちらにとってはどうでもよさそうなことに思えるが、ガーネットにとっては熱を上げるのに充分なことらしい。「不思議だ不思議だ」と言って、興奮しきりだ。
魔法使いにとって『知は力』と聞く。現代まで生き残ってきた魔法使いに深く刻まれた習性なのだろうな。
「ぬ、抜いてみてもいい……?」
『……よかろう』
本来、担い手でもない者に我が刃を抜かせるなど許さんが、それほどの期待の眼差しをされると甘やかしたくなる。
俺を横に寝かすように持ち直した彼女は、柄を握る手に徐々に力を入れる。
「お、お? 結構スルッと抜けそう。真剣の抜刀って鞘に引っ掛かるって聞いたけど」
『俺の切れ味をなめるな。抜刀すらできぬ刀などお守りにもならん』
「ははぁ、気ぃ遣ってくれてんのね。意思のある刀は便利だぁ……ならキチンと抜かねば、無作法というもの……よいしょ、よいしょ」
そういうことだ。
彼女の力加減に合わせ身動ぎし、鈴にも似た音色を響かせて白刃を露にする。路地裏のような薄暗い場にあってなお、我が刀身の輝きに衰えは無い。
「おぉ……おぉ~……!」
目の前に掲げ、ガーネットは感嘆の息を漏らす。鋼の煌めきに魅入られているようだ。こちらとしても悪くない気分である。
「専門的な知識とかはあんま知らんけど、もう見ただけでとんでもない神威を感じるぜ……」
『ふ、そうだろうそうだろう』
「これ、持ってたらパワーくれるの?」
『担い手であればな。この俺に怨嗟や命を食わせれば刀身は血で穢れ、担い手は鬼の力を手にするだろう』
「ふむふむ、こっから更にもう一段階あんのね。なるほどなるほど……ん? 鬼として付き従うのと、刀として振るわれるのと、握った人に鬼の力を与える機能はまた別ってこと? そもそも君の本質って刀なの? 鬼なの? 君、結構ややこしい機巧してんのね性格とは裏腹に」
『ふん、放っておけ』
設計図生まれの辛いところだ。たこ足配線のようにごちゃごちゃしている。
「えーっと? 童子切安綱を媒介にして、人間の魂を五百ぶちこんで生まれたんよね? だったら鬼ってよりは刀寄りなんかなぁ……あー、じゃあ最終段階が刀として装備されて担い手を鬼化させるのは自然な在り方か」
まるで研究者のようにぶつぶつと独り言を言いながら、彼女は知識欲を満たしていく。アイドルとしてステージに立つ時のように楽しげで、実に生き生きとしている。やはりアイドルであると同時に、魔法使いであるのだな。
「この状態でも刀花ちゃんは力を使ってて……でもそれはリゼットちゃん曰く本気じゃなくって……つまり戦鬼の従属化、刀化、鬼化の順で力が解放されてくのね。ほうほう、三段階変身かぁ、ラスボスかよたまんねぇ~」
妹も言っていた。『兄さんはロマンです』と。
まぁ、刀花は最初から俺の所有者ゆえ、全機能が使いたい放題なのだがな。
「まぁ犠牲になった人には悪いけど、やっぱこういうのは興奮するね」
『その偲ぶ気持ちがあれば充分だ』
「ふむん。童子切のその人格形成も、生け贄にされた五百人に引っ張られてるのかもね」
『……どうだろうな』
平安の頃から俺は俺であったはずだが。
どっち付かずの声を上げれば、ガーネットは「だってそうじゃん?」と眉を上げる。
「平安の頃って、むしろ怪異から人間の身を守るための武器だったはずっしょ? 源頼光に握られてさ。あ、でも酒呑童子の血を吸ったってのも悪影響だったのかもねぇ……それで"妖刀"になったんだろうし」
『……はて、今ではどうかも分からん』
遥か昔の記憶。俺としては既に実感すら遠い感覚に、確かな言葉を返すことはできない。
だが、そんな俺に彼女は瞳を細め、ふわりと笑った。
「へへ、じゃあその名残かもね? なんだかんだで
『……ふん、勘違い──』
「勘違いするな、だろ?」
『む』
こちらに被せるように、俺の言葉を先取りした少女がにかっと笑う。お見通しだと言わんばかりに。
「へっへー、やっぱツンデレじゃん♪」
『……誰がツンデレか、誰が』
「うぉおこのポン刀! 勝手に暴れやがる! くっ鎮まれあたしの右腕……!!」
ズズズと彼女の腕を黒い波動で浸食し、振り回す。
しばらく暴れ馬のようにしていれば、ガーネットは勝手に動き回る右腕を見て「ひえー」と息を漏らした。
「こっわ。妖刀こっわ。下手すれば襲いかかってくるってこと?」
『担い手たる器を示さぬ者の手首など、即座に斬り落としてくれるわ』
「照れ隠しに腕落とすとかツンデレが過ぎますぞ戦鬼氏ぃ」
『なんだその喋り方は』
なぜ楽しそうなのか。我、妖刀ぞ。
むすっとした雰囲気を出しても、ガーネットはどこ吹く風で分析を続けている。
「呪具系は宿った意思との兼ね合いもあってか、担い手を選びに選ぶよねぇ~。ま、その分の見返りは計り知れないけど。童子切の機能はぁ……ま、"斬り殺すこと"特化ってとこね」
『そうだな』
「とはいえ、"斬ること"の次元っつーか、意識する階層が何段階も異なるから、担い手によって色々できちゃうわけだ」
さすがは魔法使い、神秘を知る者よ。理解が早い。
武器である俺の真価とは"敵を斬り殺すこと"のみ。語弊のある言い方を恐れねば、刀花の名付けた"滅相刃"のみが、俺に許された御技なのだ。
色々と我が妹が術技を生み出しているようにも一見見えるが、あれは結局のところ、斬る対象を狙い澄まし、変えているだけだ。その本質は変わらない。
『とはいえ、俺とて人の身を与えられた存在。機能の拡張は可能なはずだ』
「へー、他になんかできんの?」
『鬼、妖怪としての力も当然振るえる』
「戦鬼って言ってるしね。膂力とか耐久性かな? ああ、あと変化か」
あとは……、
『最近では、紅茶を上手く淹れられるようにもなったぞ』
「お洒落さんかよ」
『決まった時間に起床を促すこともできるぞ』
「目覚まし時計っていう道具が既にあってですね」
『三食作って働きに出て日銭を稼ぎ、特定の少女を甘やかすこともできるぞ』
「人をダメにする妖刀じゃん……」
無論、まだまだ自慢の機能はある。
『直近では、そうだな……魔法使いでアイドルな少女をいたく気に入り応援する機能も、備え始めてきた』
「ふ、ふぅん……女の子を口説こうとする悪い機能も、付いてるみたいじゃん……?」
目を逸らして何でもないようにボソッとそんなことを言うが、頬が赤い。喉の鳴る音さえ聞こえてくる。
しばらく路地裏に設置された空気清浄機の音のみが場を支配する中、この甘酸っぱいような雰囲気が耐えられないのか、ガーネットが誤魔化すように俺を振り回した。
「あー背中かゆっ! なんでいなんでい歯の浮くような台詞吐きやがってよぉ!」
『む、おいあまり強く振り回すと──』
言い終わる前に……スパッと、あっさりと何かを切断する音が聞こえる。
だが、その対象が問題であった。ガーネットも異常に気付き、頬をヒクつかせる。
「……なぁ、なんか……え、何斬ったのこれ」
『“空間”だな』
眼前にパックリと、人一人が通れるくらいの空間の裂け目ができてしまっていた。
「なんで……?」
『刃物を振れば斬れるが道理であろう』
「いやだって、何もないところ……」
『あるだろう。虚空が』
台所を預かる者は野菜を斬り、達人は宙に舞う木の葉さえ斬るもの。
では、童子切安綱は?
『俺にとっては、なんでもない空間だろうが“斬れる”対象なのよ』
「うそーん……」
そして、世界は勝手に修復を始める。その際には、なぜか空間は掃除機のように吸引をおこなうのだ。なぜかは知らん。
あっさりと地から足を離したガーネットは、宙を舞いつつどこか諦めたようにこちらに問いを投げた。
「これどこに繋がってんの?」
『さぁ? 地球の裏側かもしれぬし、宇宙の果てかもしれん。なんならこの世とは理を別にした異世界やもしれんぞ?』
「わぁい異世界! ガーネット異世界大好き!」
『それはよかった。竜の肉など、意外と美味だぞ』
「皮肉で言ったんだよバカタレ」
その言葉を最後に、俺達は仲良く空間の裂け目に吸い込まれていったのだった。
まぁ、死にはすまいて。
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