第297話「もてあそばれたぁ……」



「……もう少しこちらへ寄ったらどうなのだ?」

「は? 寄ってるんだが? これ以上ないくらいそっちに寄ってるんだが?」


 火照った手の感触と、その小生意気な口調とは裏腹に。

 休日で人の行き交う街を歩くには、少々ガーネットの身体がこちらから離れ過ぎている。

 腕をグッと伸ばしきり、こちらの身体へ出来うる限りの接触をすまいとしているが、これでは悪目立ちが過ぎる。最悪、彼女の正体に気付く者が出てこよう。

 そう懸念して一歩隣へ近付けば、ガーネットはビクッと肩を跳ね上げた。


「ひゃっ、な、なに寄ってんでい! マグネットパワー・マイナス!」

「目立ちすぎだ。自然にするがいい」

「そ、そんなこと言って、あわよくば腕組んであたしのDカップに限りなく近いCカップのパイパイの感触を楽しむ気だな!? 幾多のファン達によって不可侵条約の締結されたこのアイドルおっぱいをよぉ!」

「我が妹の台詞をマネするな」

「あ、バレた? いいよねこの『〇カップに近い〇カップ』って表現。こう、今の大きさを再認識しつつ、まだ大きくなる余白を想像させるっていうか。夢が膨らむっていうか? まぁ膨らむのはおっぱいなんですけどね!」

「いいから近う寄らんか」

「はぅっ!」


 勢いで誤魔化そうとしてもそうはいかん。

 グイッと手をこちらへ引けば、彼女はたたらを踏んで……ポスッと、軽い体重を思わせる音と共にこちらの右腕に寄り添う形となった。

 背は刀花と同じく平均より少し高いくらいだが、こうして寄り添えば頭頂部がよく見える。砂糖菓子のような甘い香りも立ち上り、まるで綿菓子と手を繋いでいるかのようにフワフワだ。


「うぅ……もうどこでもいいから早く行こうぜ……」


 サッと頬に朱が差し、体温を上げたことで香る体臭も強くなる。が、これは教えない方が良いだろう。

 ようやく俯いて大人しくなるガーネットに頷きながら、さてどこで昼食を摂るべきかと今一度思案する。彼女自身は「どこでもいい」とのことだが……。

 寄り添って歩きながら、候補を挙げていくことにする。


「“いたりあん”か?“ふれんち”か?」

「昼から重くね」

「この近くで良いランチを出すホテルがあってな」

「……まさか、ラブホ?」


 ら……なに?


「なんだそれは?」

「知らねぇのかよやべぇー……こほん。つか、童子切からそんなお洒落な提案されるとは。ホテルのレストランて」

「ああ、リゼットがたまに利用していてな。お嬢様もたまにはそういった味が恋しいらしい」

「……ふーん」


 あまり興味がなさそうに、ガーネットは息を吐く。どうもハズレらしい。


「では“けーきばいきんぐ”などはどうだ」


 次なる提案をすれば、ガーネットはサングラス越しに瞳を輝かせる。やはり甘味は偉大だ。


「あらやだ可愛い。減量中だけど、品数抑えれば──」

「これはよく刀花と行くものだ。案内ならできるぞ」

「……やっぱやめた」

「む? そうか」


 ブスッと、どこか拗ねたように唇を尖らせて「やめた」と言う。これもダメなようだ。ならば……、


「では穏当に喫茶店などでどうか」

「お、いいねぇ。やっぱデートっつったら喫茶店──」

「綾女とよく調査に出向くからな、いくつか候補は絞れ──」


 ブチッ。


「おんどりゃあー! 他の女の名前出さんと死ぬ病にでもかかっとるんかー!」


 最近の若者は唐突にキレる。

 繋いだ手を不満げにブンブン振り回し、彼女は耳許で大きく喚いた。


「テメー! 行く先々で女の影をチラつかせるとか地雷男かオォン!?」

「そちらがどこでもいいと言ったのではないか」

「限度! 限度があっから! 『どこでもいい』っつっといて文句言う女ってクソだなってさっきまで思ってたけど、これはさすがに言わせてもらうわ! 他の女を匂わせんな誰とデートしとんじゃい!」

「……なるほど」

「ったく、クソハーレム野郎がよ……」


 ブチブチと文句を垂れる少女だが、随分と可愛らしい願いを持つものだ。

 今この少女は『今はあたしだけを見ろ』と言ったのだ。普段の素行に誤魔化されがちだが、やはりこういったところは初心な乙女よ。

 とはいえ俺も無神経だった。今日の目的を考えれば、なるべく彼女の機嫌は損ねたくはない。必要以上には少女達の名を出さぬようにせねば。となると……、

 俺は足を止め、一つの店舗を見上げた。


「ここか?」

「いやデートで初手牛丼屋ってどうよすげーストロングスタイルだぜ?」


 す〇家である。肉の焼ける香りが大変よろしい、


「牛丼が好きと先程言っていただろう?」

「言ったけどさー……いやお前よぉ、トップアイドルぞ? トップアイドルとデートで牛丼屋ってそれおめぇよって感じでさぁ……」

「嫌なのか?」

「──だがそれがいい」


 いいらしい。相変わらずこの女は読めん。だからこそ面白いのだが。

 軽い足取りでガーネットが「行こうぜ~」と手を引く。まったく、面白い女だ。

 店舗に入り座席へと向かう中、ガーネットはご機嫌そうにケタケタと笑っていた。


「あー、おもろ。デートで牛丼屋提案する男とかないわー、面白いからいいんだけど」


 同じ事を思っているらしい。その表情はとても楽しげだ。


「マジ、あたしくらいのもんだぜ? デートで牛丼屋オーケーする女の子なんて。光栄に思いたまえよ」

「ああ、特別に思うとも。面白い女だとな」

「おもしれー男におもしれー認定されちまったよ……おもしれーの大安売りだな暴落しちまうぜ。あ、あといつまで手ぇ握ってんでい! もー……」


 対面同士で席に着くと同時、恥ずかしげに振り払われてしまった。手に残る柔らかな感触が名残惜しい。


「まぁよい。また繋げばいいのだからな」

「このあたしが素直に繋がせると思うなよ? そんじょそこらのツンデレなら簡単にいけるかもしれねぇがぁ、このあたしは……むん? ちょっと待ってあたしの属性ってなに?」

「天邪鬼、恥じらいを誤魔化すためのな。つまり“自分で思っているより遥かに乙女”だ」

「は、はぁ~? あたしそんな萌えキャラじゃありませんしぃ~おすしぃ~」


 おどけた雰囲気でそんな口を利くが、どうだかな。

 恋という感情は、男女問わず人の心を丸裸にするものだ。純な感情であるからこそ誤魔化しにくく、同時に影も入り込みやすい。

 だが己の奥底に秘めた感情であるからこそ、その感情に相対した時“自分”という個性が色濃く行動へと反映されるもの。それこそが人間の言う“恋”という感情だと俺は認識している。


「そら見たことか、顔が赤いぞ。やはり天邪鬼ではないか」

「マスクで分からんやろがい! はい論破!」

「──脈拍百十、といったところか。早いな」

「ちょちょチョレーイ! 机の下で腕を掴むんじゃね──」

「ご注文はお決まりでしょうかー?」

「はひぃっ! とろ~り三種のチーズ牛丼温玉付きでお願いしまぁす!」


 彼女の手首を掴んで脈拍を測っていれば、店員がお冷やと共に現れた。早口で注文するガーネットだが、脈拍はより早くなっていく。


「ハハハ……」


 無論、測り終えてもその手を離しはしない。なぜなら俺は悪鬼なのでな。


「そちらのお客様はー?」

「ああ、少々待ってくれ」

「ぉ、ぉぃ……ゃ、ぁっ」


 メニューの確認をするフリをしつつ、ガーネットの細っこい手首を愛でる。

 指の腹でその肌をなぞれば、一切の抵抗なく指が滑る。きめ細かで、白く、手入れの行き届いている素晴らしい手首だ。少し力を入れれば折れてしまいそうで、その脆弱さには芸術性すら覚える。


「ほう、味噌汁もついてくるのか」

「はい、セットでご注文承りますが」

「ではそれで。種類は、そうだな……」

「んっ、ゃ……ふぁっ……」


 玉の肌の感触を味わうたび、眼前に座るガーネットはピクピクと震える。予想より敏感な肌をしているらしい。


「んんっ……♡」


 メニューを覗き込む動作のフリをして、手首から手のひらへと対象を変更する。

 指を絡ませ、爪の先でカリカリと肌を刺激し、時に大胆に握り込む。様々な刺激を与えられる少女の吐息が、徐々に甘くなっていく。


「……お客様? どうかされましたか?」

「やっ、な、なんでもなぁん! なぃ、です……!」

「息が荒いようですが……」

「はぁ、ん……だ、大丈夫、なんで……ん、ふぅ……!」

「そ、そうですか……?」


 怪訝そうな店員の視線から逃れるため、上気した頬を野球帽のツバで隠すよう俯く。マスク越しの呼気は……熱い。そのサングラスの向こうの瞳はさて、どうなっているだろうか。

 涙目か、それとも怒りか。どちらにしても愛らしいことには変わりな──、


「うぅ、ゃ、やめ……じ、刃、こらぁ……」

「っ!」


 そのか細い呟きを聞いた瞬間、目を見開きパッと手を離す。その隙に、荒く息を吐きながら彼女は自分の手を胸にギュッとしまい込んでしまった。


「お、お客様……ご注文は……」

「ああ、彼女と同じもので頼む」


 困惑しつつも注文を聞き終わった店員が離れていき、二人きりとなった場に沈黙が満ちる。

 さっきまで俺が触れていた手を、守るように胸に抱くガーネット。ズレたサングラスから覗く柘榴色の瞳は……涙目でこちらを睨んでいた。


「……握手会開催しても、お前とはもう握手してやんないっ」

「嫌われてしまったか」

「ったりめーだろ……乙女の柔肌を好き勝手いじくりまわしやがってよ……バカ、ヘンタイ、エロエロ魔人」

「それらより“刃”の方が、俺は嬉しい」

「っ……お、オメーなんて“童子切”で充分だっつの。おらっ、“柘榴色の閃光ガーネット・インパクト”……!」


 そうして注文が来るまで。

 照れ隠しによく分からない足技を、俺は罰として甘んじて弁慶の泣き所に受け入れるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る