第293話「これが退路を断つってことよ」




 昼休みを迎えた学園のグラウンドは今、熱狂の坩堝と化している。いや、その熱狂はグラウンドに立ってひしめく人間のみでは飽き足らず、校舎の窓から顔を出す生徒達にも伝播していた。

 一年生から二年生。果ては自由登校期間であるはずの三年生の姿までもが見え、その一人ひとりが一様に瞳を期待に輝かせていた。

 確かに、学園生を集めてこの舞台を盛り上げることは俺の計画の内ではあった。


「……やるではないか」


 だが、明らかに当初計画していたものとは様相が異なる。グラウンドの隅に陣取った俺は改めてその違いをつぶさに観察した。

 音響の為の器具が大幅に増設されており、照明の数も配置もこちらが提出したものとは異なっている。どこに発信するのか大仰なカメラとクルーも増員されており、そして舞台上にはいつの間にかドラムやギターといった楽器を構えた人間……いや、気配からして式神が数体待機しているのだ。つまりそれで下手人は自ずと知れる。


「ふん、だがいいのか……?」

「どうしたの、ジン?」

「兄さん、もう始まるんですよね?」

「先輩、大丈夫かな……」


 こちらの呟きに呼応するように、傍らで寄り添うリゼット、刀花、綾女がそれぞれ期待と不安の入り交じった声を漏らす。だが俺は、もはやそれに頷くことも首を振ることもできない。この計画は、既に俺の手を離れ過ぎている。

 そろそろ舞台が始まろうというこの時間。俺はもう一度、いまだ空座のマイクを見た。


「……」


 ……これでは、最悪失敗したとしても"俺のせい"にすることができんぞ?

 この唐突な舞台は確かにあの少女を追い詰めるためのものである。だが決してあの子を壊すためではないのだ。磨いている最中の宝が壊れるなどあってはならない。だからこそ、その最悪の逃走経路も確保してあった。


「クク、不退転ということか」


 だが最初から把握していたのなら。己で全てを計画したのなら。もう誰にも言い訳などできはしない。成功も、失敗も、全ての責をその小さな肩に背負うということ。

 それは、あの魔法使いが我が庇護から離れ、退路を断ったことを意味していた。

 ──これは己の戦である、と。


「……甘く見ていたようだな」

「何を訳知り顔で腕を組んで立ってるのこの眷属……」


 リゼットが不気味そうなものでも見るかのような瞳で見上げてくる中、「さて」と完全に次第を見守る姿勢に入る。

 これは奴による果たし状の側面もある。"あんたの計画よりも、あたしはもっと上手くやれる"とな。その堂々とした啖呵、なかなかに心地がよい。

 ならば見せてみるがいい。貴様の覚悟──、


「あっ、兄さん見てください! 上です!」

「む……?」


 その妹のハッとした声に、思考を中断し上を見る。周囲もまた、ざわざわと蠢きながらその異変に気付いた。

 大きな駆動音を響かせ羽ばたくその機械の名は、ヘリコプターである。どこからともなく現れたそれは特筆すべきものもなく、こういったヘリが街の上空を過ぎ去るなど珍しいことではないはず……だが。


「なんか……ヘリ、ここで止まってない?」

「……ま、まさか」


 上昇を続けるヘリを疑問視するリゼットの声に、綾女が何か勘づいたのか顔を青くする。

 その理由を聞く──暇を待たず、事態は加速する!


「あれはっ!」


 "それ"を目視した生徒達が、一層ざわめく。

 俺も確かに、この目で捉えた。グラウンド上空に待機するヘリ。そこから……飛び立つ人影がある!!


『いやっほおぉおぉぉぉぉお!!』


 通信機器か何かに接続したのか、舞台に設置されたスピーカーから雄叫びが響く。聞き馴染みのあるご機嫌なその声の主に、生徒らが興奮したように声を上げた!


「あれは何だ!」

「鳥か!?」

「飛行機か!?」


 いいや、いずれも異なる。


 あれは──!


『待たせたなァ! テメーらのアイドル"煌坂ガーネット"! 辛抱たまらずお空から失礼しちゃうぜぇー!!』

「う、嘘でしょ……!?」


 常識人代表のリゼットが呻く中、上空のガーネットは大笑いしながら、『きらっ☆』という文字が大きく印刷されたパラシュートを豪快に開く。

 そうして空気を掴み取り、生徒達が沸き立つ会場へゆっくりと──、


『お? お、お? やっべ、結構流されぎゃあぁぁぁぁああ!!??』

「せ、先輩ーーー!?」


 綾女の悲鳴も虚しく、ガーネットはステージから大きく外れた地面に何度ももんどり打って着地した……着地なのか、あれは? モゾモゾと虫のように動いているから無事なのではあろうが。


「…………」


 何とも言えぬ空気感で会場が静まり返る中、ガーネットは無言でベルトや厚い作業着を脱ぎ散らかしている。

 そうして白とピンクを基調とした煌びやかなアイドル衣装を晒し、彼女は澄ました顔で舞台へと上がってそのままの勢いでマイクを引っ掴み──、


『ふ、なるほど……バレンタインデーじゃねーの!』

「………………」


 ………………。

 …………。

 ……。


 う──、


 ──うおぉぉぉおぉぉぉおおぉぉ!!!!!!!


 その宣言により、会場が……更に熱を上げた。


「……俺はアイドルに詳しくないが、このノリは合っているのか」

「私に聞かないでよ……」

「むふー、アイドル! すごい、です!!」

「いやぁどうかなぁ、刀花ちゃん……」


 半ば呆然としながら、益体もないやり取りをする。

 まさか初手から、こちらの予想を大きく上回ってこようとは……。

 その奔放さに少なくない感心を抱く間にも、ステージに立ったアイドルの動きは止まらない。マイクによって拡大された声が、沸き立つ生徒達を射抜いていく。


『みんなー! 今日はあたしのライブに来てくれてありがとー!』

「会長ー!」

『きゃー☆ 声援ありがとー!』

「ガーネットちゃーん!」

『おう名前で呼ぶなー☆』

「先輩ー! かっこいいー!」

『そこは可愛いだろあ゛ぁ゛ん゛!?』


 フリルたっぷり甘い雰囲気いっぱいのステージ衣装を翻し、一人ひとりへしっかりと手を振る姿はまるでバルコニーに立つ王族のそれだ。

 ……髪の毛はまだ、黒のカツラを被ったままのようだが。


『コホン、いけねキレてる場合じゃねぇわ。いやあたしがみんなの頼れる超絶可愛い生徒会長だってことは周知の事実なんだけどさー……実は、あたしにはもう一つほど隠された正体があるのさ! それは──』


 生徒達への反応も程々に切り上げ、ガリガリと言いにくそうにしながら頭をかく。

 一瞬、躊躇いが見えたのは気のせいではあるまい。


「──っ!」


 そうして一呼吸の後、彼女は長い黒髪に手を掛け……ズルリと、アイドルの証たるピンク色の地毛を晒した。


「……」


 その姿を、目を鋭くして俺は見る。

 ここが最初の関門となる。成長期真っ盛りに休止をし、大きく風貌を変えた己が”みんな”に受け入れられるかどうか、だ。


『実はあたし吉良坂柘榴は……元トップアイドルの、"煌坂ガーネット"ちゃんだったのだー! 衝撃の事実! あたしの歌聞いて育った子も多いんじゃないかなー!』

「……」

『ふ……驚きで声も出ないか。そりゃ憧れの先輩やクラスメイトが実はスーパーアイドルだったなんてそれちょっとどこのラノベとかギャルゲよって感じ──』

「い……今更?」

『あン?』


 ……だが、あっさりと。

 照れ隠しのように早口なガーネットだったが、ボソッと聞こえたその一声に固まった。

 だがその間にも、生徒達は微妙そうな顔で口々に言う。


「え、バレてないと思ってたの……」

「漢字は変えてるけど音おんなじだもんね」

「なんなら昔テレビで見てた通りで隠しきれない芸人魂……」

『ちょっ、は? はぁ!?』


 ほう、どうもガーネットの正体は筒抜け……普段から触れ合っていた者達にとって暗黙の了解だったらしい。主な声は最前列、雰囲気からして生徒会や三年生の者等か。

 むしろ知っていて当然という空気を出され、ガーネットの声が裏返る。


『な、じゃあなんでみんな指摘してこなかったのさ!?』

「トップ取ったアイドルが活動休止とか、絶対簡単に踏み込んじゃいけない理由あるだろうし……」

「まともな感性あったら普通に遠慮するって」

「先輩、たまに辛そうな顔してたし……ねぇ?」

『え──』


 その声は疎らだが、確かに己を気遣う声達に、ガーネットは思わずといったように呆けた声を漏らす。かすかに目を見開いて。


「それに私、小学生の頃に先輩の歌よく聞いてましたし!」

「あたしも。受験の時とか辛い時に聞いてた」

『っ』


 ざわついていた声が、一つの方向性に収束していこうとするのを感じる。この多数の中で、一つへ。


「……」


 ……人間とは群れる生き物であり、極論独りでは生きていけぬ哀れな生物だ。


「だから、今度は私達が先輩を元気にする番だって!」

「俺! 入学式で道に迷ってた時、先輩に助けてもらったの覚えてます!」

「私も! 文化祭もボランティアも、いっぱいいっぱい手伝ってもらって……!」

『……う』


 民は群れて国を成す。それは長期的に見た人間共の生存戦略であり、時には外敵を迎え撃ち排除するためのものである。

 そして、なにより──、


「だから先輩!」

「ガーネットちゃん!」


「「「……おかえりなさい!!!」」」


 ──互いに手を取り合い、支え合うためなのだ。


「……良い臣下を、抱えているようだな」


 人間は同族で争い合う、どうしようもない生き物だ。

 だがそれ以上に助け合ってきたのだ。たとえアイドルではない身でも彼女が多くを助けてきたのならば、彼女自身が助けられないことなどあってはならない。

 その温もりを覚えている。その励ましを覚えている。優しさを分け与えられたのならば、少しでも返さなければと。それこそが人の情……“人情”である。

 その想いこそが。優しさこそが。人間がしぶとくこの世界の覇権を握る理由であり、


「あ、先輩泣いてるー!」

「ツイ○ターにあげていいー?」

『ばっ、ばっかちげーよ! 事務所の許可なく撮んじゃねぇ! これはその……あれだ、ションベンだよションベン!』

「サイテー過ぎ」

「予想のドン底を突き抜けてビビる」

『あー! あー! うるせぇうるせぇ!』

「「「あはははははは!!」」」


 ……この無双の戦鬼が、人間を滅ぼさぬに足る理由となるのだ。

 きっと不安でいっぱいだっただろう。もしも受け入れられなかったら、と。

 彼女はアイドルであること、魔法使いであることに執着している。だが、なに……そんな肩書きなどがなくとも、慕う者達がこんなにもいる。いてくれる。

 生まれもったものではなく、与えられたものでもなく。


「ククク……」


 彼女自身が勝ち取っていた、これこそが力なのだ──!

 ああ、いいぞ。とてもいい。だが、まだだ。まだ足りぬ。いくら飾ろうと、その刃がナマクラのままでは格好がつくまい。


『ったく、調子狂うわ。でもまぁ待たせたからには、そのご期待には添わないとな?』


 さぁもっと見せてくれ。


『つーわけで、そろそろ始めるぜぇ。曲は──』


 貴様の研ぎ上げた、


『休止してた間に考えてた新曲十曲! これをもってあたしの復活の狼煙とする! 息継ぎもさせねぇから、ついてこいテメーらァ!』


 ──その刃を!


『……あ、ちなみにこれ、ちょっと早いけど"卒業ライブ"だから。そこんとこよろ☆』

「「「えっ」」」


 ……な、に?

 会場が騒然とする中、ガーネットは「よいしょー!」といつの間にか舞台に設置されていた“くす玉”の紐を引く。


 ──パカッと、色取り取りのテープと紙片と共に落ちる垂れ幕。そこには大きく『薫風学園、卒業おめでとう! 教員一同』という文字が踊っていた。


『ふぅ~、先生方特例ありがとー! んじゃ、一足お先に卒業しちゃうからさ。なんせあたし、来週からもう全国ツアー組んでるから☆ きゃあ言っちゃった♪ もう失敗できなーい☆』

「「「…………」」」


 えぇーーーーーーーー!!??


 傍らの少女達を含めた全生徒が驚愕に染まっているにもかかわらず、曲が鳴り出しステージの幕がいよいよ上がる。


『っしゃあ! 見納めの生ガーネットちゃんだぞ。一瞬たりとも、目を離すなよな!』

「……っ」


 その時、一瞬だけ壇上の彼女と視線が交錯する。

 彼女の透明度の高い柘榴色の瞳は、そのピンクの唇は……、


 ──イタズラが成功した時のような、悪童のような笑みで彩られていた。


「ク、ククク……!」


 そんな中で、俺は一人で呵呵大笑する。そのあまりの、猪突猛進っぷりに。

 その見事な──身を切るような生き様に!

 あれだけ手こずり現在も頭を悩ませているはずの魔法を、よもやこの一度きりのステージで取り戻すことを大前提として、全ての予定を組んでいるだと!


「ハハハ……ハハハハハハハハハハハ!!」


 死地に活路を開かんとするか、魔法使い──!

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