第291話「貴様が、決めろ」



「バリバリモグモグ……」


 うむ。

 王道を極めた妹の巨大ハート型チョコレートも、小洒落たご主人様のトリュフチョコレートも大変美味である。まだ先程痛めた頬が少々ヒリヒリとするが、これもまた役得というものだろう。

 リゼットからの躾は日常茶飯事であるが、刀花からの打撃などそうあるものではない。彼女の兄として生きるからにはそれをきちんと受け止め、時には妹の成長を肌で感じねば“兄”というものは務まらん。この俺を誰と心得る? 俺はお兄ちゃんだぞ。

 そうやって彼女達から熱烈に贈られたチョコを貪りつつ、始業までまだ時間のある俺は己の教室へと向かう。学園の廊下でたむろする生徒達から奇異の視線を向けられるが、そんなものはチョコの味と比べれば全くの些事。むしろ男共から放たれる嫉妬の感情がよいスパイスとなるくらいだ。

 常より甘い熱気に包まれた学園も、また異なる彩りを見せている。どこぞの教室からは男の歓声が木霊し、女同士クスクスとおかしそうに笑う声も今日は多く聞こえ、『あ゛ー! お供え物が多すぎて手が回りませんー!』とカップル成立のため飛び回るどこぞの悪霊の声もどこか遠く。

 そして、そんな雑音の中に──


「ねぇ知ってる? お昼休みの。先輩らしいよね」

「うんうん、楽しみ~! でも先輩って本当に──」


 そんな、どこか期待するような声がちらほらとある。


「……ククク」


 事前準備がしっかりと働いていることを確認し、ついほくそ笑んでしまう。

 仕込みは上々、といったところ。あとは全て奴の出方次第。せめて、上手く踊るがいい。


「ん、いかんいかん」


 周囲のものとは趣の異なる笑いを浮かべつつも、今はまだ目の前のことに集中するべきだと気を新たにする。

 目前には、俺の在籍する教室のドア。その向こうにいる存在を思うと気が逸る。

 リゼット、刀花からチョコを貰った俺だが、そういった流れならば、我が隣に座る少女のことなど無視できぬが道理。


「さて」


 きっとこのドアの向こうでソワソワして待ってくれているであろう、カフェオレ色の少女の姿を脳裏に浮かべつつ、期待と共にガラガラとドアを開け放ち──、


「はいっ、佐藤君これクッキー。この前、一緒に落とし物探してくれてありがと!」

「あ、ありがとう委員長……!」


 ……あ。

 …………綾女が。

 綾女が……他の男に菓子を渡している……!?


「──」


 ドアを開け放った姿勢のまま、ピシリと彫像のように固まってしまう。そのあまりに"しょっきんぐ"な光景に。

 なん、だと……そんな馬鹿な……バレンタインとは、大切に想う者に菓子を渡す日ではないのか。まさか、この俺の求愛に綾女がいつも乗らなかったのは、まままままさか他に意中の異性がいたからなのでは……!?


「くっ──!」


 おのれ佐藤何某ィ……綾女から渡された包みを感激と共に受け取りおってェ……この俺から綾女を奪うとはいい度胸だそこに直れぃ貴様の素っ首叩き落としてくれ──、


「あ、平野さん、クッキーどうぞっ。いつも提出物の回収手伝ってくれてありがとう!」

「きゃあん、ありがとう薄野さぁん! 大好きぃ!」


 まさか二股……!?

 そしていつの間にそのように多様性を取り入れた関係性を築ける人間となっていたのだ……!?

 あんなに規律を重んじる女の子が、性差を越えた二股だと……!? ふ、二股は、い、イケナイことなのだぞ!? 俺のマスターもそう言っている!!

 俺は……俺はもう綾女が分からない──!


「う、目眩が……」


 フラフラと覚束ない足取りで、倒れ込むようにして自分の席に座る。地面が無くなったかのような喪失感すら覚える。俺はいったい、何を信じればいい……。


「えーっと、あと配ってないのは──」


 まだ配るのか……もう配られた者全て斬り殺してしまえば、綾女の心は俺のもの──いや、それではきっと綾女が悲しむだけだろう。


「ぐぬっ」


 潰された蛙のような声が漏れる。

 暴力で、解決できない……!? この俺が……!?


「はっ!?」


 いや待て。そこでピンと来る。

 きっとこれは綾女の慈悲だ。最初から分かっていたぞ。少々混乱したが、彼女はクラスメイト全員に菓子を配る気なのだ。バレンタインを切っ掛けにした、世話になった者への少しばかりの心尽くしなのだ。平等にな。

 ならば俺は待とう。他の者と一緒という扱いはあまりに不当にして不遜であるが、よい。許す。俺は綾女の全てを許そう。だからこそさぁ、早く、この俺にも心を込めた菓子を与えるのだ──、


「よしっ、全員に配り終わったね! これからもよろしくね皆!」

『ありがと~!』


 まだ戦鬼が貰ってないであろうが!!!!


「──……」


 力が抜け、真っ白になって机に突っ伏す。

 俺は……俺はどうすればいい……冷たい机と涙だけが俺の唇を潤していく。

 そうか、これが失恋の味というやつなのか。俺は今、失恋したのだ。心から愛する少女の一人に見限られたのだ。くるしい。とてもくるしい。おぉまだ回復し切っていなかった残機がみるみると減っていくのを感じる……。


 96、95、94、93、92、91、90、89、88──……。


「じ、刃君~?」

「……う」


 その呼び声に、のっそりと視線のみを上げる。

 先程まで満足そうにクラスメイトに語りかけていたが、今は困惑しながらも「お、おーい……?」と苦笑いでこちらの肩をつつく少女……綾女。


 26、25、24、23、22、22、21、20、19──……。


「えーっと……」


 死ぬ。

 俺はもう生きてはおられぬ。必要とされなくなった道具など、毛ほどの価値もないのだ……。


 8、7、6、5、4、3──……。


「んと……」


 そうしてこのまま命尽きる時まで。せめて大好きな少女の顔を眺めて死に絶えたかったのだが、彼女はなにやらモジモジと身体を揺らしてスッと視界から消えてしまった。

 どうやらその程度の願いすら叶わぬらしい。なるほどこれがこれまで積み重ねた悪行の報いか。野晒しとは、悪鬼に相応しい末路だ。


 2……1……、


 さらばリゼット、刀花。不甲斐ない俺をどうか許してくれ。

 志半ばで倒れる、この無念と共に果てようとした、


 ──その時。


 耳元でコソッと。

 多分の恥じらいを含んだ甘い囁きが、柔らかな吐息と共に鼓膜を優しく揺らしたのだ。


「──私が先に教室を出るから、その一分後くらいに……奥の空き教室に来て……?」

「ッッッ」


 ──499!!!




「待たせたな、愛しの我が友よ!」


 肩で風を切って空き教室へと入室すれば、窓辺でグラウンドを興味深そうに眺めていた綾女が振り返り……照れ臭そうにはにかむ。頬をうっすらと薔薇色に染めながら。


「う、ううん全然っ。ところで、さっきなんで机に突っ伏してたの? 眠い?」

「いや、ちょっとした気の迷いだった。この戦鬼、もうギラギラである」

「うんすごい飢えた狼みたいな目してるね」


 おちおち死んでなどいられるか。

 我が残機も、綾女の蕩ける囁きによって異常な回復を見せた。今は戦鬼にしか効かないが、綾女の囁きはいずれガンにも効くようになる。俺の中の四九九の魂達もそう言っている。


「して、何用か」

「もう、分かってるくせに」


 その後ろ手に持った紙袋を無視して聞けば、恥じらいつつも綾女が笑う。


「みんなの手前、明らかに他のと違うの渡すのも……ちょっと、恥ずかしいなーって……えへへ」


 だから、こうして俺だけを人目につかぬ場に呼び出した。明確な贔屓をする悪い委員長だ。結婚したい。

 俺だけを特別扱いしてくれる可愛い女の子に勝手にときめいていれば、綾女は後ろ手に持った紙袋をフリフリと揺らす。


「ちなみに、刃君もうチョコ貰った?」

「む? ああ」

「リゼットちゃんと刀花ちゃんから?」

「そうだ。ん、だが下駄箱にもいくつか知らぬ者からも入ってはいた」

「……ふぅ~ん?」


 リゼットと刀花のものは貪るようにして食ってしまったが、そういえば鞄にしまい込んだ物もあったのを今思い出す。優先順位は低い。

 だが俺がそう告げると、綾女は真ん丸なアーモンド色の瞳を悪戯な猫のように細め、どこかからかうような雰囲気を纏って言った。


「そっかぁ、他の女の子からも貰えたんだね。よかったじゃん。じゃあ……別に、私からのチョコなんて、刃君はもういらないかなぁ?」

「い゛る゛!!!!!!!」

「えー? どうしよっかなー?」


 つん、と横を向いて。

 しかし、面白そうにこちらの反応を横目で窺うお茶目な綾女は、今日のお祭りな雰囲気に当てられているようだ。非日常は、時折少女を大胆にさせる。

 なんていじらしく可憐なのだ……! この戦鬼を、ただの人間が焦らそうとは!

 くっ、やめてくれ……ダメなのだ綾女、これ以上は……愛してしまう……!


「ふふ、冗談だよ♪ はいっ、じゃあ鬼さん。ハッピーバレンタイン!」


 我が情緒がはち切れる寸前、綾女が屈託の無い笑みで、紙袋を掲げる。この少女は果たして自ら猛獣の檻に入り込んで、はしゃいでいることに気づいているのだろうか。しまいには食べるぞ。

 食欲を抑えつつ、興奮に震えぬようにしながら綾女から紙袋を受け取る。その様子を、綾女は両膝をくの字に曲げ、テレテレとして眺めていた。嫁にしたい。


「中身はカップケーキだよっ」

「婚姻届が入っていないようだが」

「カップケーキだってば」

「なに?」

「難聴を装ってもカップケーキであることに変わりはないと思うよ?」

「これは……婚姻届カップケーキか?」

「日本語って難しいね」


 いかんいかん、あまりの感激に婚期を急いてしまった。ああ、そうだ……。


「では、こちらも返礼を」

「わ、刃君も用意してくれてたんだ」


 一旦和服に着替え、袖からヌッと四角の紙箱を取り出した。


「既製品だが、チョコケーキだ」

「あっ、これ駅前の新しいやつ? 丁度、私気になってたんだよぉ。嬉しいなぁ……ありがと♪」


 満面の笑みと共に受け取ってくれる。喫茶店の看板娘として、味が気になっていたらしい。勉強熱心なことだ。ちなみに……、


「その紙箱、何か気付く点はないか?」

「え、なんだろう……ありゃ、お店のロゴとかそういえば書いてな──いやこれ婚姻届でできてるや! 器用だなぁ!」

「あや……」

「ね、熱烈に見つめられても困ります……」


 ポッと頬を染めた綾女だったが、誤魔化すようにして箱を突き返された。今は朝食直後のため、帰ってからゆっくり食べたいらしい。

 再び紙箱を袖に保存していれば、綾女はパタパタと赤い頬を手で扇いで、じっとりとこちらを見る。


「もう。彼女持ち君が軽々しく、他の女の子に求婚しちゃいけませんっ」

「なぜだ。俺はただ、綾女を朝から晩まで甘やかし、意思を尊重して夢を応援し、そして全身全霊をもってその助けとなりたいだけだ!」

「うーん、至れり尽くせりだぁ……」

「ふ、年頃の少女など、全霊で日夜仕えて甘やかせば経験上イチコロなのだ。綾女もその仲間に入れてやろうというのだ」

「男女観逆じゃないかなぁ。最近だとそうでもないのかな……? でもそれやられて好きにならない子はいないかもねぇ……」

「許す。カップケーキの礼として、俺を使ってもよいぞ?」

「ふふ、遠慮しまーす。私、刃君には仕えてもらうんじゃなくて……一緒に、隣り合って何かをしたい感じの女の子なので……な、なんちゃって」


 そのはにかみが俺を狂わせるのだとなぜ気付かない! そういうのだぞ!


「じ、刃君~? じりじりと窓際に追い詰められるのは怖いんだけど~……?」

「綾女は壁ドンというものに興味はあるか?」

「窓割れちゃうよ。あ、そうだ! ほら外見てみて!」


 綾女が、無理矢理こちらの視線を外へと誘導する。

 窓辺へ更に寄ったことにより、ここからはグラウンドがよく見える。固い砂の敷かれた、常であれば複数の運動部員達が汗を流す広い土地だ。

 ……常であれば、な。


「刃君も聞いた? すごいよねぇ、あれ」


 綾女が感心と共に指差す先。そこには──、


「いつの間に、ライブステージなんて設置してたんだろ」


 グラウンドの面積ほぼ全域を占める、アイドルが輝くための場が設えられていた。

 数十メートルに渡り走り回っても余裕のある舞台。巨大なスピーカー。各所に設置された照明。そして……ステージ中央には一つのマイクがぽつねんと、主の帰還を待ち侘びている。

 急拵えにしてはいい出来だ、と内心で思っていれば、綾女がじいっとこちらを見ていることに気付く。


「……刃君でしょ、これしたの。やっぱり吉良坂先輩のため?」

「あやつのためではあるが、準備は陰陽局にやらせた」

「えぇ……」


 一晩でしてくれたぞ。全人類の命と引き換えで徹夜作業など、安いものであろう? 正義の味方は苦労をするな。

 くつくつと笑っていれば、綾女は「でも」と肩の力を抜いて笑う。


「先輩らしいや。いきなりバレンタインにライブなんて、派手好きなんだから。いよいよアイドルとして復帰するんだね」

「いや奴は知らんぞ。俺の独断だ」

「え?」

「奴は知らんぞ」

「……えっ?」


 呆ける綾女に、いよいよ笑いを抑え切れんわ。今頃これを知ったあの魔法使いも、同じような顔をしているに違いない。


「クハハハ……逃げ道など与えるものかよ。あやつの力量は事前に見た通り問題ない。ならば手をこまねくなど時間の無駄よ」

「ぶ、ぶっつけ本番ってこと!?」

「人間という種はなぁ、綾女。追い詰めれば追い詰めるほど足掻くのだ。その瞬間にこそ、人間の輝きの価値は定まる」


 足掻き、最期まで汚らしく泥に塗れたままなのか。

 それとも藻掻き抜き、殻を破って飛翔するのか。


「ククク──最後の、研ぎの時間だ……」

「せ、先輩……」


 さぁ踊るがいい。お膳立ては全てしてやった。

 道化のように惨めに踊るのか。王として華々しく踊るのか。


 ──貴様が、決めろ。

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