第288話「福は内、鬼も内」



 バレンタインの前に、日本人には馴染み深い行事がもう一つあるよね。


「鬼は~、そ──」


 私、薄野綾女はお決まりの文言と共に、升に入った炒り豆を掴んで……だけど、途中でピタリと動きを止めた。


「……うーん」


 ……“鬼は外”って、しちゃってもいいのかなぁ。

 考えすぎかな? あの鬼さんだったら「そんなモノ知らんわ」とか言って平気な顔してそうだけど……でもなぁ……。


「……お店の外へ、一粒だけにしとこうかな?」


 うん、そうしよう。

 形式通りにすることは良いことだけど、お友達を傷付けるかもしれないことはダメなことだからね。

 中間を取ることを決めた私は一つ頷き、定休日でガランとしているフロアを通り抜け、外へと続くドアを開けて──、


「ずーーーーーーん……」


 待って刃君が段ボールに捨てられてる!


「ずーーーーーーーーーーーーん……」

「じ、刃君……?」


 ドアを開けてすぐの軒先で。

 自分の口で「ずーん」と言って、段ボールの中で和服の裾と膝を抱えている刃君。あ、段ボールの表面に『拾ってください』って書いてあるや……捨て鬼だ……。


「じぃ……」

「う……」


 あ、ロックオンされた。

 これ知ってる。昔、ア〇フルのCMであったよね。そんな感じで刃君が心細げにこっちを見上げてくる。


「!」


 だけど、私が豆の入った升を持っているのを見た刃君は、急に怯えた顔になって髪を逆立てた。

 これはきっとアレだね……今日は節分だから、“鬼は外”されちゃったんだね……。

 したのは多分……消去法でリゼットちゃんかなぁ。刀花ちゃんはそんなこと絶対しないだろうし。いつも通り、刃君が何かリゼットちゃんにちょっかいかけて、その仕返しか何かでやられちゃったんだろうね……。


「えーっと、大丈夫大丈夫」


 私は升をパッと背中に隠して、笑顔で繰り返す。そうすれば、刃君は威嚇をやめて、警戒するようにこちらを窺っている。

 本当に動物みたいだ……ちょ、ちょっと可愛いかも……。


「……」


 でも……そっか。


(珍しく刃君が捨てられちゃってるなら……さ)


 クスリと笑う。

 そうして私は升から一粒だけ豆を取り、開けっぱなしだったドアに向けて、優しく放った。


「福は~内、鬼も~内」

「!」


(私が……少しくらい拾っちゃっても、いいよね? なんて、えへへ……)


 内心で照れながらも、刃君を店内へ誘う。

 先導するように手招きすれば、刃君は感激したように瞳を潤ませて段ボールから出た。その段ボール誰が用意したんだろう……。


「えっと……大丈夫、刃君?」

「ああ、助かった」


 わ、喋った。いやそりゃ喋るよね。

 チリンチリンとベルの鳴る音と共にドアが閉まり、うちには鬼さんが入って来てしまいました。今更だけど良かったのかなこれ……。


「まったく、忌々しい季節よ……」

「やっぱり、節分?」

「ああ」


 店に入った刃君は、少しだけ疲れを滲ませていつものカウンター席に腰を下ろした。


「無論、人間風情の豆撒きなど我が身にとっては豆鉄砲に過ぎん。豆一つ程度で鬼を祓おうなど笑止千万。だが……マスターにやられるとこのザマだ」

「あ、やっぱりリゼットちゃんだった……なにかしたの?」

「胸元に入り込んだ豆を取ろうとしただけだったというのに」

「教えるだけでよかったんじゃないかな……」


 そりゃ“鬼は外”されちゃうよ。

 あとやっぱり彼的に、節分は気に入らないみたいだね。“鬼は外”しなくてよかった……。

 ちょっぴりホッとしていると、彼は腕を組んでなにやら感心した様子でこちらを見る。


「いや、しかしさすがは我が友。よくぞ『鬼も内』をしてくれた。この地域はどうも、鬼を祭神としてはいないようだからな。どいつもこいつも不遜にも『鬼は外』ばかりよ」

「え? 雰囲気で言っただけなんだけど、なにかそういうのあるの?」

「知らずに言っていたのか? 鬼を祀った寺社仏閣や、鬼が名字に入る者の多い地域では、『鬼は外』ではなく『福は内、鬼も内』とする場合もあるのだ」


 へぇ、地域差があるんだ。知らなかった!

 あと刃君からそういう豆知識が出るの珍しいかも。さすが本物の鬼さんだねっ。いい機会だから色々聞いてみようかな?


「……そもそも、なんで豆を投げるんだろうね?」

「確か、どこぞの僧が鬼の目に豆をぶつけて退治した逸話が由来だったはずだ。まったく、情けない。鬼の名が泣くわ」

「弱かったんだねその鬼さん……」

「ふん、きっと作り話に違いない。なにが“豆”で“魔目”、“魔滅”だ。下らん言葉遊びよ。この柊鰯も、なんだというのだ」


 つまらなさそうに鼻を鳴らして、刃君がいつの間にか手に持っていた鰯の頭をムシャムシャと食べる。


「柊の棘が目に入って痛いだの、鰯の臭いが魔除けになるだの……人間風情が、鬼を舐めすぎだというのだ。鬼が魚屋に入れぬと申すか」

「あはは……」


 さっき段ボールに入って落ち込んでた姿を見たら、だいぶ効いてるなぁと思うけどね……。

 若干やさぐれてる刃君。うん、ここは喫茶店の看板娘として、私が癒やしてあげないと! 疲れた心に一時の癒やしを提供するのが喫茶店だからね!


「えと、刃君何か飲む? 軽いものなら何か作ったりもできるよ」


 腕捲りして、そう提案する。

 お腹いっぱいになれば幸せになれるし、良い豆を使ったコーヒーの香りは、心を安らかにしてくれるものだからね。お父さんの受け売りだけど。


「いや、営業日ではないのだろう。休日に仕事が入る煩わしさを知っている身としては、気が引ける」

「えぇ~? 別に遠慮なんかしなくていいのに」

「コーヒーがはねてその部屋着が汚れても困る。その服を着た綾女を、もう一度見たい欲求の方が強いのでな」

「あ、そ、そぉ……?」


 そういえば今の私、制服じゃなくて私服だった。下は暗い色のスカートだけど、上は白いセーターだから確かにコーヒーがはねちゃったら困るかも。


「うむうむ、私服の綾女を見る機会は少ないからな。眼福というものだ」

「あ、あぅ……」


 私の気遣いが嬉しかったのか、話している内に元気になったのか、刃君がそんなことを言いつつこちらを眺める。

 もう、急にそういうの言ってくるの、ダメだよ? 見つめられるのも……ドキドキしちゃう……。


「え、っと……お豆、食べる?」

「俺が食うとなると千粒はいるぞ。綾女こそ、ちゃんと食べたのか?」


 彼の視線から目を逸らしてポソポソと言えば、逆に聞かれてしまった。


「縁起物は食っておけ。伝承や故事に倣い、人間は無意味の中に意味を見出して力を付けてきたものだ」


 だいたいは気分の問題とはいえ、と。彼は人間を嘲笑いつつも、その力は認めているのかそんなことを言って、カウンターに置いておいた升から豆を摘まむ。


「そら、あーんするがいい」

「えっ」


 差し出される指と豆に、かぁっと頬が熱くなる。

 いや、それは恥ずかしいと言いますかっ。面積が小さすぎて当たっちゃうと言いますかっ!


「この幸せ者め。節分に鬼から豆をもらうなど、滅多に無いことだぞ?」

「そりゃそうだろうねっ」

「さぁさぁ、俺を迎え入れてくれたせめてもの礼だ。この俺手ずから食わせてやるとも」

「わ、わ……!」


 ほ、頬に手を添えるのは反則なのではないでしょうか! これじゃまるで、き、キスするみたいで……!


「さぁ、あや……」

「ひーん!」


 神様って良い側面も悪い側面も持ってたりするけど、私が招き入れちゃったのはどっちなのかなぁ! いやどっちもだったね! 福も鬼も入れちゃったから、ダメって気持ちとドキドキする気持ちが混じり合ってもう私の胸は大変なことにぃ!


「あーん」

「あ、あ……!」


 頬に手を添えられたまま、彼は真剣な瞳で私を覗き込み……そのまま私の唇にそっと指を近付け……、


「は、はむ……」

「美味いか?」


 よく分かんないです……。

 うぅ、触れちゃった。私の唇、あーんする時、刃君の指に触れちゃったよ……。

 刃君の指に、キスしちゃった……。


「もぐもぐ……どきどき……」

「さ、綾女は十七なのだから、まだあと十六個あるぞ。それとも一つ多く十七個にするか?」


 これ以上されたら死んじゃう……!


「こ、こくん……ね、ねぇ! そういえばそろそろリゼットちゃんから連絡とか来てないのかな!」

「ん?」


 慌てて豆を飲み込み、矛先を変えようとする。

 リゼットちゃん助けて! これ以上は私の心臓が爆発しちゃいそうです!


「特に着信は……む、電源をオフにしたままだったか」

「えぇ……」


 携帯電話なんだから、いつでも携帯して使えるようにしておこうよ……なんでオフになってるのさ……。

 和服の袖からスマホを取りだした刃君は、ちょっぴり拙い手つきで電源を入れる。


「着信は──」


 そこで、


「──」


 スマホを覗き込む刃君の動きが止まる。そして……その顔が、真っ青になった。

 え、え。今までで一度も見たことない顔……ど、どうしたのかな。リゼットちゃんがすごく怒ってるとか?


「え、っと……」


 刃君がピクリとも動かないので、失礼と思いながらも背伸びしてスマホを覗き込む。

 そこには予想通り、ラ〇ンで送られてきたリゼットちゃんのメッセージがあったんだけど……、


「うっ」


 それらを見た瞬間、呻きながら真実を悟る。

 ……怒ってる方がマシってこともあるんだって。

 こ、これは……。


『ちょっと、いつまで外にいるのよ。早く戻ってらっしゃい』


『ねぇ、冗談だったんだから、早く帰ってきなさいよ』


『まだ?』


『不在着信』


 ここで数十分ほど間が開き……、


『……ねぇ、もしかして怒ってるの?』


『ねぇ』


『不在着信』


『不在着信』


『ごめんなさい』


 これはキツい……!

 私も揃って青ざめる。だけどリゼットちゃんからのメッセージはまだ続いている……!


『お願い、帰ってきて』


『刀花も怒って口を利いてくれないの』


『不在着信』


『お願い』


『メッセージの送信を取り消しました』


『直すから。口悪いの直すから。だからお願い』


『不在着信』


『お願いします。酒上刃さん。私の所に帰ってきてください。謝りたいんです。お願いだから声を』


 ……ここで、メッセージは途切れている。


「……」

「……」


 私ですら何も言えず、店内に沈黙が満ちる中、


「──」


 彼はスッと椅子を降り、その場に正座をする。

 そして手の中にギラリと光るドスを取り出し、私には一振りの刀を手渡した。


「介錯してくれ」

「介錯って、切腹した人がそれ以上苦しまないようにする行為なんだって」

「介錯しないでくれ」


 切腹──!


 すごいスピード切腹だ、一瞬の躊躇いも無かったよ。


「うおぉぉおぉぉぉぉぉ!!!! リゼットおぉぉおぉぉぉぉぉぉおぉぉおぉ!!!!!!!!!」

「ま、またねー……」


 お腹を十字に切る切腹“十文字腹”なんて目じゃないほどお腹をズタズタに斬り刻んだ刃君は、リゼットちゃんへの愛を叫びながら彼女の元へと帰って行った。あ、床に散った血が消えてる……いつの間に掃除まで……。


「ふぅ」


 いやぁ……キツかった。まだ胸が痛い。お互いに許し合えるといいね、二人とも……。


「あと、この刀どうしよ」


 刀の所持って、許可証いるんじゃなかったっけ。刀花ちゃんもきちんと許可とか取ってるのかなぁ? 取ってなさそう……。


「……神棚にでも置いとこ」


 枕元に置けば魔除けになるっていうし、これが節分の豆代わりってことで。

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