第287話「私の異性観はもうグチャグチャ」
甘ったるい香りが屋敷の厨房に漂う中、俺は興奮を抑えきれずにいた。
「赤いエプロンに三角巾、そして常と異なるマスターのポニーテール姿……くっ、犯罪的な可愛さだ」
「今にも犯罪を犯しそうな人が目の前にいて怖いんだけど」
半眼でつれないことを言いつつも、胸に抱くボウルを掻き回す手は止まらない。
ヘラで切るように撹拌するその中身は、固形と液体の中間の粘度でチャプチャプと揺れている。甘い香りの原因はまさにこれだ。
季節は二月上旬半ば。そして普段は厨房になど立たないリゼットが菓子作りの練習とくれば、近日に何が待ち受けているかなど自明の理。
即ち──バレンタインデーがすぐそこなのである!
「というか、チョコ作りってこ……恋人とするようなものだったかしら?」
恋人、という単語に恥じらいながらも、リゼットがそんな疑問を放つ。こういった準備は個人でするものだと思っていたようだが、俺も世間一般のことは分からない。
「少なくとも我が酒上家では、催し事で調理を共にするなどザラであったぞ?」
リゼットの貴重で可憐なエプロン姿をスマホのカメラに収めつつ「そうであろう?」と隣を見る。
そこにはもちろん、同じく恋する乙女である我が妹がチョコ作りに励んでいた。ちょうどハートの形をした金属製の型へチョコレートを流し込むところであり、こちらと目が合うと笑みを深めてパチリとウィンクをくれた。可愛い。
「むふー、このゴーレムさんで鍛造した型でチョコを作れば、きっと良い感じに霊力も込められて兄さんのお口に合うこと請け合いですよ!」
「ゴーレムもこんなことに使われるため生まれてきたわけじゃないでしょうにね……」
「俺の妹に使われるなど光栄の至りであろうが? 感謝されこそすれ、恨まれる筋合いなど無い」
「暴君過ぎない?」
おぉ羨ましい! 俺も妹に使い潰されたいものだ!
道具の本懐とは、使用者に限界まで使われることにこそあるのだからな!
「むしろ俺は今、そのチョコの型に激しく嫉妬している」
「そんな男の人初めて見たわ」
「ふふ、大丈夫ですよ兄さん。私と兄さんはぁ、ずっとずぅっと限界の限界まで、ラブラブエブリデイなんですからねっ♡」
「なんとデキた妹なのだ……!」
「ラブラブエブリデイってなに?」
俺は刀花の兄であることが誇らしい!
そう二人の横で感涙していれば、刀花が手元を見てハッと目を見開く。先程から起きている不可思議な現象に、改めて気が付いたのだ。
「兄さん緊急事態です! さっきからチョコが勝手に無くなっちゃうんです!」
「口許拭いてから言いなさいなトーカ」
「すまない、我が妹よ。妹の愛が込められたチョコを前にすると、兄という生き物は勝手に動いてしまうのだ。パクパクなのだ」
「全国のお兄ちゃんの中でもあなただけでしょ」
「もう、兄さんったらぁ♡ でもでも、我慢できないんでしたらぁ……妹の、こ・こ♪ チョコが余ってますよ? きゃっ♪」
「同じ女としてキレそう」
「兄を誘うとは、罪な妹だ……」
「兄さん……!」
「刀花……!」
ひしっ!
「ねぇ、私今、妹と抱き合ってるこの男の人宛てに一生懸命チョコ作ってるのよね……頭おかしくなりそう。なんで私ってこうなっちゃったのかしら……」
ゲンナリした様子でリゼットはバターを加え、ひたすらボウルを掻き混ぜている。まったく素直ではないお嬢様よ。
「口ではそう言いつつも、身体は正直ではないか?」
「チョコ作ってる時に言われるとは思わなかったわその台詞」
「まるで悪い男にでも引っ掛かったかのような言い草だ」
「引っ掛かってんのよまさに今、世間知らずのお嬢様が。もう異性観グチャグチャに壊れちゃってる自覚あるわ、あなた達兄妹のせいでね」
「むむっ、リゼットさんは兄さんが嫌いなんですかっ」
「……うっさいわねぇ。はいはい好きよ。実妹に手を出すだけじゃ飽き足らず、喫茶店の看板娘にも色目を使って、最近では魔法使いで元トップアイドルっていうまーた属性過多な女の子にまで手を出し始めたこの悪ぅ~い鬼さんのことがね」
「恐縮である」
「は?」
ガチトーンの「は?」に苛立ちが隠しきれていない。
だがそんな棘のある声を余所に、刀花が懸念するように顎に手をやった。
「いけません。最近、兄さんがカッコいいことが世間にバレてきちゃいましたね……複雑な心境ではありますが、妹も鼻が高いです」
「後方腕組み古参彼女ヅラやめなさい」
「最古参ですもーん、ねー?」
「ね゛ー゛」
「きも……」
刀花の可愛い「ねー?」に裏声で返してみたのだが、リゼットの好感度が下がった。俺は傷付いた。
「俺はこんなにもマスターを愛しているというのに……」
「どれくらいよ? 単位で言ってみなさい」
「東京ドーム十五万個分だな」
「世界人口入っちゃうじゃないのよ。あとやっぱりちょっとアイドルについて勉強してるの腹立つわね……」
俺はどう答えればよかったのだ。
だがプリプリと嫉妬するご主人様も大変可愛らしい。嫉妬の大きさは、恋情の大きさであるがゆえに。
愛らしい恋人に惚れ直していれば、リゼットは「いーい?」と頬を膨らませてこちらを嗜める。ピンと指を立てて。その下から覗き込むような姿勢も可愛い。どうでも良くないことだが、己より小さな女の子に叱られることでしか摂取できない栄養素は実在する!!
「アヤメはもう色々と手遅れだから諦めてるけれど──」
我が友が若干不憫な扱いを受けていた。
「あの魔法使いアイドルもちょっと最近怪しいじゃない。確かに助けろと命令したのは私達だけど、惚れさせろとは言ってないんだからね。ねぇ覚えてる? ご主人様、前にも言ったわよね? これ以上女の子を増やしたら殺すって」
「覚悟はできている」
「増やすなっつってんでしょうが」
「リゼットさん、優雅、優雅」
「こほん……で、実際どうなのよあのアイドルは?」
刀花の指摘に意識を切り替えるリゼットが、眉をつり上げて聞いてくる。本日もご機嫌麗しゅう。
だがあの魔法使いアイドルに関しては、いまだ発展途上だ。
「少なくとも、あの少女はまだまだ“見所”止まりといったところだ」
「ふーん……"オーダー"『本当のことを言いなさ──いえ、今後の目論見を話しなさい』」
「このまま順当に王として育てば、なかなかに跪き甲斐のある王になるやもしれんなぁ……クックック」
「はい死刑~」
「マスター、知らなかったかもしれんが、人体というのは目からチョコレートを接種できるようにはなっておらんのだ」
「リゼットさん、目にチョコレートなんてしたら兄さんが美味しくなっちゃいますよう」
「離しなさいトーカ。この男、いけしゃあしゃあと……」
リゼットが静かなる怒りを滲ませ、我が眼に湯煎して溶けた熱々のチョコを流し込んでくださる。慎んで拝領しよう。
隣で刀花が「まあまあ」とやんわり宥めるが、リゼットは笑顔で青筋を立てている。
「ねぇ舐めてるでしょ? 結局『俺のこと大好きだから』って思って私のこと舐めてるんでしょ? "正直に言ってみなさいよ"」
おっと、まだ体内で燻っていたオーダーで身体が勝手に。
「我流・酒上流描画術──
「おぉ~、リゼットさんほら窓から見てください。『酒上刃はリゼット=ブルームフィールドを心の底から愛している』ってお空におっきく書いてありますよ。いいなぁ、羨ましいですこのこのぉ~♪」
「消してぇえぇぇぇぇぇえ!!??」
空間を斬ってできた裂け目で、でかでかとマスターへの愛を綴ってしまった。これはこの地域に住む者全員に見られてしまったなハッハッハ。
「引っ越さなきゃ……」
「涙目のマスターも愛おしい」
「……責任、取ってもらうから」
「喜んで」
俺は妖刀だぞ? 取引には少々うるさい。
畢竟、責任にはそれ相応の“報い”があるものだ。どのような場合でも、俺は喜んでそれを取るとも。
誓いと共に彼女を抱き締めてゆっくりと背中を擦っていれば、「も、もう分かったから……」と胸を押された。
内心では熱したチョコのように甘く蕩けながらも、リゼットは気丈に振る舞い、主人としての務めを果たす。
「それで? 私の眷属はこれからどう動くつもりなのかしら?」
「うむ」
色々と考えてはみたが、
「やはり、奴に足りぬのは“自覚”よ」
己が求められている存在であるという事を。
長らく主戦場を離れた結果、自信を無くすと共にその自覚も薄れていったのだろう。
だからこそ──、
「奴には……そうだな、近々踊ってもらうとしよう」
「踊り、ですか?」
「ああ……」
キョトンと小首を傾げる刀花に頷く。
アイドルをアイドルたらしめる場所でな。己が最も輝き得る場所など、最初から決まっていよう。
もし、そこで目を見張るほどの輝きを放ったのならば……この無双の戦鬼、その場で傅くのもやぶさかではないぞ?
「せいぜい上手く踊ってみせるがいい……」
自分が何者なのかを肌で感じるために。
文字通り、なァ……?
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