第240話「ドクターフィッシュに嫉妬する男の人初めて見た」
「いやぁすごかったですねぇ~」
ぴょん、ぴょん、と。
軽やかなステップを踏んで、刀花が狭い電車の通路から外に出つつ感心したような声を漏らす。
「──兄さんが腕の一振りで雪崩を吹き飛ばした後『家族団欒の邪魔はさせん』と激怒した彼方ちゃんが強盗さん達を一瞬で制圧してしかし陣痛の始まった妊婦さんを前に万事休すかと思われたその時強盗さん達の中に元お医者さんがいて無事に新しい命の誕生に立ち合ったことで強盗さん達も改心して自首していった姿は涙無しに語れないものがありましたねぇ~」
「いや涙無しで語ってるじゃないのまさに今……え、嘘。まさかこれで本当に一連のトラブル終わらせるつもり?」
「終わらせるも何も、既に終わったことだろう? マスターは不思議なことを言うな」
「まるで一大スペクタクル映画を見終わったかのような余韻ですよねぇ……」
「私はCM明けくらいの気分なんだけど……」
家族でゾロゾロと連れ立ち、一息つきながら電車を降りる。
そんな中、なにやらマスターが消化不良気味な顔でこちらを見つめてくるが、そんな顔で見つめられても口付けしたくなるだけだ。
「あのような"些事"、特段語るべきこともなかろう」
「あれらが些事ならジャ○ク・バ○ワーも二十四時間戦ってないのよ。ねぇリンゼ?」
「妹を守護るカナタお姉しゃま……かっこよかったぁ……」
「私の娘が使い物にならなくなってる……」
リゼットの言う通り、彼方の迅雷が如き働きを見てからというもの、リンゼは瞳をハートマークにして彼方にピッタリと寄り添っている。久しぶりに"らしい"姉の姿が見られたことで随分と参ってしまったらしい。
「……ふん」
そんな寄り添う金髪ツインテールを煩わしそうに払う彼方だが、黒髪に隠れた耳がほんのりと赤い。
そんな可愛い我が娘の小さな頭に、俺は手をポムと置いた。
「よくやったぞ、彼方。年長者は妹を守護らねばならぬ。酒上家家訓を体現するその在り方、俺はお前が誇らしい」
「……むふー」
わしゃわしゃと撫でれば、彼方は切れ長の瞳を細め、満足そうな息を漏らす。
家族に害を為そうとする者に一切の容赦をせぬその姿勢、まさに天晴れである。それが妹の為であるならば尚更だ。いやはや、姉妹愛であるなぁ。先の事件はこの姉妹をより高みへと導いたのだ──完。
「ま、まとめに入ってる……本当に終わらせる気なのね……」
「そんなことより行くぞ、マスター。事前の調べではなかなかに風情のある温泉街らしいからな。期待するがいい」
「そんなこと……そんなことって言った……」
下らんことにかかずらっている暇など俺達には無いぞ? リンゼのモノマネが中断されたのは無念だったがな。
「おぉ~! 兄さん兄さん、来てください。建物からいっぱい煙が!」
先行していた刀花の楽しそうな声につられ、俺達も満を持して駅構内から外に出る。そうすれば……、
「まあ……!」
「ほほう……」
「「おぉ~」」
リゼット、俺、娘達がそれぞれ吐息を漏らす。
眼前に映るは、古き良き日本の文化が深く根付いた情緒ある景色であった。
美しく切り取られた石畳が整然と並ぶ大通りに、所狭しと身を寄せ合う木造の日本家屋はまさしく和の心の具現。よく育った木材と、家屋から立ち上る湯気の独特の香りを胸いっぱいに吸えば、先程の出来事で少々ささくれ立っていた心も静かに凪いでいく。
あらゆるところに立つ看板もこちらの目を楽しませ、この街の賑わいというものが肌で感じ取れる。今は昼間のため各所に立つ街灯は灯っていないが、これもまた夜の風景に期待できるというもの。
そしてやはりなんといっても……、
「すごい……みんな浴衣で歩いてるわ……」
感じ入るようなリゼットの言葉に頷く。
長期休暇中のため人通りが多く、そんな道行く人々の身なりのほとんどが浴衣と来れば、異国出身のご主人様も目を真ん丸にするというものだ。雅な出で立ちで行き交うその雑踏に、彼女はまるで異世界にでも迷い込んだのかと思っているに違いない。
そんなリゼットの隣で、刀花もワクワクした様子で瞳を輝かせている。
「ふわぁ、どこから手を着けたらいいんでしょう! くんくん……硫黄に混じって美味しそうな香りも漂ってきますし、宝箱のような街ですねっ!」
「宝箱か、言い得て妙だな」
温泉はもちろんのこと、土産屋、屋台、リラクゼーションやレジャー施設と見渡す限りが人間を楽しませるものに溢れている。まさしく、宝の山と言えよう。
「宿の受け付けまでまだ時間がある。手荷物は預け、時間まで見て回るとするか」
『賛成~!』
提案すれば、満場一致の声が返ってくる。既に、この常とは違う空気に酔いしれているようだ。楽しそうでなによりである。
そう決めた我々は大きな荷物をロッカーに預け、早速散策に取りかかった。少女達は目に映るもの全てが好奇心をくすぐるのか忙しなく瞳を動かし、時折立ち止まっては物珍しげに店頭にある商品を眺めた。
「お土産を買うのは後の方がいいのかしら?」
「買うのならばそれがよかろう。だが、今の内に内容を把握しておくのもありだろうな。その地域の土産屋に寄れば、その街が何を特産としているのか、何を売りにしているのか一目で分かる。楽しむべきモノを見定めるという点では、土産屋には最初に目を通しておくのも一興と言える」
「じゃあじゃあ、お土産屋さんにレッツゴーです!」
というわけで、俺達はまず目についた土産屋に入っていく。俺も綾女や橘に買って帰る土産の目星をつけておかねばな。
「へぇ……! ジン、見て見て。コケシが売ってるわコケシ! 初めて見たわ……!」
「兄さん大変です。美味しそうなものがいっぱいで候補が絞れません!」
それぞれが店内を物色する中で。
リゼットはなにやら伝統の技で作られたという木製の小物に熱を上げ、刀花は土産物の鉄板である和菓子や漬け物のコーナーで悩ましげに唸っていた。この辺りは個性が出る。
娘達はというと……、
「カナタ、この金色のドラゴンが巻き付いた剣……超クールじゃありませんこと?」
「……まさか買う気か?」
「お父様からお年玉もいただきましたし、お揃いで買いませんこと? あ、チヨメお姉様のぶんも! きっとお喜びになりますわ! これで受験もバッチリですわね! なにせドラゴンですわよドラゴン! ご利益もきっとありますわ!」
「い、いや……それは……どうなんだ……?」
キーホルダーが大量に下げられたコーナーにて、リンゼはゴテゴテとした金属製のものを手に興奮している。彼方の美的感覚には刺さらないのか、隣の次女は首を傾げているが。
「彼方は、何か欲しいものはないのか?」
「あ、おとーさん……」
リンゼが喜び勇んで会計に走る背中を見送りつつ、俺と同種の昏い色の和服の袖を揺らす彼方に話しかける。
「電車内のこともある。この父がご褒美をやろう」
「ご褒美……ごくり。それは、なんでも?」
「無論だ」
「じゃあ、熱烈な口付けを」
「いやそういうのではなくてだな」
「むぅ……」
不満そうだ……一皮剥けたと言っても、"お父様ガチ勢"であることに変わりはないらしい。さすがは刀花の血を継ぐ者だ。キス待ち顔もよく似ておる。
「欲しいもの……」
呟き、改めて彼方は店内を見渡す。
菓子や小物だけでなく、小さめの家具すらある店内で、彼方の眼鏡にかなうものというのはどういったものか。
「……」
一瞬、立て掛けられた木刀に目が行っていたが……まぁ気持ちは分からんでもない。日本人という種はどの時代であろうとも刀に焦がれるものだ。西洋剣などというチャラチャラしたものよりもな!
「……じゃあ、これらを帰りに」
「これは……地酒か?」
「はい」
壁際の棚にそっと近づき、二本の瓶を手に取った彼方がこくりと頷く。
「一本をこちらのおとーさんに。もう一本を、向こうで待っているおとーさんに」
「ほう? それは嬉しいが……彼方の欲しいものなのかそれは?」
「うん」
小さく頷き、彼方はふと柔らかく唇を綻ばせた。
「私達が帰っても、私達を思ってこのお酒を飲んで笑顔になってくれたら……それはすごく、すごく嬉しいことだから」
「……そうか」
「……むふー」
もう一度頭に手を乗せ、その濡れ羽色の髪をゆっくりと撫でる。
ああ、俺は本当に良い娘をもった。ならば……、
「熱烈にはできんが……」
「え……? あ──」
あくまで家族の笑顔のために動こうとする彼方に、更なる褒美として。
そのサラサラと流れる前髪をかき上げ、おでこに親愛の口付けを落とした。
この俺もまた、家族の笑顔が欲しいのでな。
「~~~!!」
「おっと」
かぁっと頬を染め、年相応の幼げな表情を浮かべた彼方がこちらの腰に強く抱き付き、その顔を隠すようにしてグリグリと腹に押し付けてきた。恥じらっているのだろうか。
「……おとーさん」
「ん?」
「……だいすき」
「俺もだ。俺の可愛い愛娘よ」
「あー! カナタずるい! お、お父様? どうしてもと言うのでしたら、ワタクシにもしてくださってよろしいんですのよ?」
「ダメ。今は私だけのおとーさん」
「むむむ~!」
途中で会計を終えたリンゼが割り込んできたが、彼方は知らぬ存ぜぬを決め込んで更にこちらに密着する。
とはいえ、俺はリンゼの父でもある。
「そう言ってやるな彼方。俺にとってはどちらも大事な娘なのだ」
「む……じゃあ半分だけ。リンゼが上半身で、私は下半身を攻める」
「上下で分けるのはおかしくない!?」
そうして小さな日だまりを二つ分、我が胸にかき抱く。大事な、宝物だ。
……もうすぐ離れてしまうこの温もりを、互いに刻み付けるようにしながら。
「まぐまぐ……温泉まんじゅううまうま~♪」
「よく食べるわねぇ……」
「リゼットさんもどうですか? 蒸したてですよ~? お口の中に入れたらホロホロと崩れてたまりませんよぉ~?」
「うーん……遠慮しておくわ」
さて、土産のあたりもつけたが、まだ時間はある。
先程と変わらず皆で街を散策しながら、頭の中でスケジュールを確認しておく。
「どうする。この時間ならば、旅館の外で一つくらいならば温泉に入る余裕があるぞ?」
「あ、いいですねいいですね! 入っちゃいますか?」
こちらの提案に、刀花はまんじゅう片手に笑みを浮かべるが……、
「トーカ……いいの?」
「へ?」
我が主がなんとも微妙そうな顔をして、刀花に聞く。何か不安でもあるのだろうか。
「いいもなにも、せっかく温泉街に来たんですから色んな温泉に入りませんと! 混浴! 混浴できるとこ探しましょう!」
「あなたならそう言うと思っていたけれど……でも……」
今更混浴で……とも思ったが、リゼットが言いたいのはそういうことではないらしい。その表情には混浴に対する若干の諦観も見えるが。
キョロキョロと楽しげに看板を見渡す刀花に、リゼットがその懸念をボソッと言った。
「あなた今温泉に入ろうとしたら、その……お腹が……」
「………………………………」
「ああ……」
二人の成り行きを見守っていたリンゼが遠い目をして悟ったような声を漏らす。その声一つに、全ての真実が集約されていた。
俺も思わず彫像のように動きを止めた妹のお腹に視線をやるが……確かに、年末年始以前の頃よりもポッコリと……?
「……せめて、車内でモリモリ食べてた幕の内弁当を消化してからの方がいいんじゃないかしら?」
「……………………そ、そう、ですね」
これは一つの慈悲だ。
一人の、気持ちを同じくする恋する乙女として、リゼットは刀花に言っているのだ。『それを好きな男性に見せていいのか?』と。
俺としては幸せいっぱいにお腹を膨らませた妹もコロコロとしており可愛らしく大好きなのだが、やはり女の子としては恥じらいが勝るらしい。
刀花はだらだらと汗を流した後、片手に持っていた温泉まんじゅうを無念そうにそっとしまいこむ。
そして兄の顔(あとお腹)をちらちらと気にしつつ、刀花はコホンと咳払いして指を一つ立てた。
「今は……そう、あ、足湯……足湯程度に、しておきません? け、健康志向も大事だと、妹は思う次第なのですよ……」
「構わんぞ」
「それがいいでしょうね」
「お労しやトーカお母様……」
「お正月シーズンは仕方ない」
同意を示す俺とリゼット、そして同情を示す愛娘に頷かれ、刀花は泣きそうになりつつも気丈に振る舞う。輝いているぞ、我が妹よ!
「あ、見てください! ちょうど足湯のある湯屋さんですよ! 入ってみましょう!」
「ええ、そうねトーカ……」
「生温い視線やめてください……!」
「お父様も入られます?」
「ああ、ここならば特に手続きもせず共に入れよう」
そうして俺達は、足湯専門の湯屋へと入る。看板を見れば、靴と靴下を脱ぐだけでよさそうである。俺は足袋と下駄であるが。
「じ……」
「……どこ見てんのよ変態」
早々に用意を済ませた俺は、コートと靴を脱いだリゼットに視線を向ける。そんな彼女は、素足になるべく黒タイツを脱ごうとしているのだが……、
「俺のことは気にせず続けていいぞ」
「や、やりにくいって言ってるのよおバカ」
その赤い頬は怒りによるものか恥じらいによるものか。
そんなご主人様の今の姿勢。長いスカートを少したくしあげ、前屈みになりつつ内側に手を入れるその様がなんとも……いい。
「まるで着衣のまま下着のみを取り払おうとしているかのようだ」
「想像力逞しすぎるでしょ……」
「手伝おうか」
「させるわけないでしょ。あなたに任せたら下着まで取られそうだわ……も、もう……」
そんなことをぶつくさ言いつつリゼットはプイッと顔を背け、こちらからは背を向けて手を動かし始めた。
「……」
その手がゆっくりと焦らすように下へと行くごとに、その白く美しい足が外気に晒されていく。
細くありつつも柔らかそうな肉のついた太ももから、真ん丸と可愛らしい膝へ。染み一つ無いスベスベとしたふくらはぎは光を反射し、もはや滑らかですらある。
「ん……」
こちらをチラチラと気にするせいで、突き出された小ぶりなお尻がフリフリと揺れる様も艶かしい。
そうして最後には艶のあるピンク色の爪と、ちっちゃな足先がちょこんと露になった。
「……」
「……な、なによ」
脱ぎたてのタイツを駕籠に入れるリゼットが、唇を尖らせつつそう聞いてくる。
スカートをパパっと直し、その瑞々しい白魚のような生足は踝から上を隠してしまったが……。
「……ワガママを一つ、言っていいか?」
「聞くだけなら……」
「その足に口付けしていいか」
「だ、ダメに決まってるでしょ……今は……」
「ほう、"今は"」
「あっ、ちがっ! もう、ばかっ!」
真っ赤になったリゼットは焦ったように言って、誤魔化すようにさっさと暖簾を潜っていってしまった。ああ、その時が待ち遠しい……!
そうして俺が未来に焦がれていると、今度はちょいちょいと袖を引かれる。その主は無論、気を持ち直しニッコリとした我が妹だ。
「むふー」
寒い冬であろうとミニスカニーソのスタイルを崩さない我が妹は、自らの短いスカートを摘まんでイタズラっぽく揺らす。
チラチラとその肉付きのいい絶対領域を兄に見せつけながら、刀花は頬に指を当てこちらにパチリとウインクを投げた。
「兄さん兄さん。妹のニーソでしたらぁ……いつでも脱がしてい・い・で・す・よ?」
「それい!」
「きゃあーん♪」
刹那の間に、俺は妹の左足のニーソを脱がしていた。今の俺の動きは神でさえ捉えきれるまい!
「兄さんに脱がされちゃいました、いやん。でも次はもう少しゆっくりがいいです。あ、手は使わずに」
きゃっきゃと楽しそうに歓声を上げる刀花だが、随分と難しい注文が来た。どうしろというのだ?
抜き取ったニーソを丁寧に畳みつつ視線で問いかけると、刀花は笑みを深めてちょんちょんと自分の唇をつついてみせた。
な、なんと"まにあっく"な!
「ほらほら兄さん? 人が来ない内に♪」
「その意気や良し」
妹のその気概を讃えつつ、俺はさすがにドキドキした様子の彼女の足元に跪く。
そうしてミニスカートから健康的に伸びる右足に向けて、己の顔を近付けていき……、
「がぶり」
「ぁっ、兄さんの鼻息が太ももに当たって……んっ、くすぐったい、です……」
むっちりとした太ももと、黒の境界線に顔を埋める。ニーソの発端を探るべく鼻先で妹の太ももをなぞれば、刀花は鼻にかかった甘い声を漏らした。
そして俺がニーソの裾を噛む姿を、刀花はミニスカートの裾を押さえながらも陶然とした顔で見つめる。
「ふぅ、ん……じゃあ兄さん? ゆっくりと脱がしてくださいね……んっ」
その言葉に頷く動作も、敏感に彼女の肌へと刺激を与える。
ピクピクと肩を震わせ吐息を漏らす妹の姿にたまらないものを感じながらも、俺は己の職務を全うすべく噛んだニーソを下ろしていく。
そうすれば自然と鼻先と唇が彼女の肌を擦ることになり、その生々しい肉感を直に感じることができた。
「ん、あっ……」
サッと白い肌が赤く染まり、少し汗ばんできたようにも感じる。刀花の足から香るバニラのような甘い香りも、この温泉街の熱気を含んだのかいつもより濃く鼻腔をくすぐった。
彼女の馥郁たる香りを嗜むことで、奇跡の物質“トウカニウム”が我が肺に満ち、血液へと溶け合い我が血肉となるのだ。溶け合いすぎてもはや俺が刀花であると言っても過言ではないかもしれん。俺も頭が茹だってきた。
「はぁ……ん……」
じっくりと肉付きのいい妹の足の感触を堪能しつつ、最後にプツリとニーソを足先から抜けば任務完了である。頬を染めて熱い吐息を漏らす刀花は少し名残惜しそうだが、これ以上はさすがに外では憚られる。逐一周囲の気配を探っているとはいえな。
「……どうでしたか、兄さん?」
「官能的かつ肉感的でありながらも情欲的で扇情的であった」
「つまりえっちだったということですね! やりました!」
そういうことである。俺もすっかり熱くなってしまった。
「さあさあ、いい汗もかけましたし少しは痩せましたかね? 次は足湯でサッパリしましょう!」
「ああ。そこで真っ赤になっている娘達も早く行くぞ」
「はぅ……ワタクシ達、いったい何を見せつけられていたのでしょう……プレイがマニアックすぎて……」
「羨ましいことこの上ない……」
目を見開き、真っ赤になってプルプル震えながら我ら兄妹の睦み合いを見ていた娘達の文句(?)を聞き流しながら暖簾を潜る。着替えは屋内だったが、足湯は外に設置してあるらしい。火照った身体に外気が心地よい。
さて、色々と種類があるようだが、先に入ったリゼットはどこに行ったのか……。
「遅かったじゃないの……ふっふふふ……」
「マスター、そこにいたか……む?」
少し奥側の足湯に既に足を浸している我がご主人様だが、なにやらくすぐったそうに笑っている。これは……?
疑問に思いつつ近付き、その浅い湯船を覗けば刀花が「おお!」と声を上げた。
「ドクターフィッシュです!」
「どく……?」
見ればリゼットの足に群がるように、小さな黒い魚の群れが湯の中を元気に泳いでいた。
なんだこれは。なぜ湯船で魚が泳いでいる?
疑問符を浮かべていると、リゼットがこちらの様子を見ておかしそうに笑う。
「もうジンったら、知らないの? ほら、看板に効能が書いてあるわよ」
「効能があるのか……?」
別に魚と戯れるためのものではないらしい。なに……?
「……魚が足の古い角質を食べ美容に良く、その刺激で神経も刺激され健康になる、だと?」
なんとも面妖な……この魚が美容と健康をもたらすというのか。にわかには信じがたい。魚は食うものだろう?
俺がそう訝しんでいる間にも、美容と聞いた少女達は好奇の光を瞳に宿し、次々とその細い足を湯に浸らせていく。
「お、お、おお? ふふっ、なんだかこそばゆーいです」
「どう、カナタ? ワタクシ、美しくなってる?」
「顔は関係ないだろう顔は。それともこの湯に沈めて欲しいのか?」
口々に言いながら、少女達は黄色い声を上げて物珍しい足湯の感触を楽しむ。
だが……俺は少し不満だ。
「どうしたのよ、ジンも入れば?」
「む、この魚は皮膚を食べるということであろう?」
「そうね」
頷くリゼットに目を見開く。
それはつまり──!
「この雑魚どもは俺より先にマスターの足に口付けを……?」
「ドクターフィッシュに嫉妬する男の人初めて見たわ」
口付けされたのか、俺以外の魚に……?
「ご主人様の足に先に口付けするのは、俺だと思っていた……」
「医療行為に嫉妬するタイプの人って私どうかと思うわけよ」
「むふー、しかしその点、この妹は抜かりなく。先に兄さんにチュッとしてもらいましたけどね!」
「トーカお母様、さっきの計算ずくだったんですのね……」
「さすが、こういうところで抜け目がない」
「は? 何したって?」
ドヤ顔する妹に戦きと拍手を贈る娘の傍ら、先ほどの場面を見ていなかったリゼットが剣呑な声を上げる。だが刀花はそんな声を聞いてもどこ吹く風だ。
「お魚さんの匂いがついちゃった足とか、兄さんに向けるわけにはいきませんからね!」
「いやそもそも向けないし改めてボディソープとかで洗うでしょ……」
「でも兄さんはまさに今、リゼットさんの足に熱い視線を注いでますよ?」
「俺は、魚になりたい……」
「そんな貝になりたいとかじゃないんだから……」
「マスターは、俺が例えば雌猫に唇を奪われたとしたらどう思う!?」
「別に良かったわねとしか……泥棒猫って意味なら殺すけど、あなたを」
ご主人様は眷属の気持ちが分からない……!
「俺はとても悲しい……」
「泣いたし……来月から"けんぞくのきもち"を定期購読した方がいいかしら……」
ペット──!
「もう、バカなこと言ってないで座りなさいな。一緒に楽しみましょうよ……は、初めての温泉なんだし、ね?」
「む……」
ボソッと最後に付け足すご主人様の言葉に我を取り戻す。
確かに、足湯とはいえ温泉は温泉か。共の入浴は屋敷でもしたことはあるが、共に温泉に浸かるというのは経験がない。
「ほら……」
袖を引くリゼットの優しい力に引き寄せられ、俺がそのまま隣に座れば……、
──コテン、と。
右肩に柔らかく愛おしい熱。
静かに距離を縮めたリゼットが、頬を染めつつもこちらに体重を預けたのだ。
足を湯に浸けたことにより心地よい熱を感じつつも、俺はそれよりも隣に寄り添う金色の温もりしか強く認識することができない。
この情熱的で可憐な熱に比べれば、このような足湯など湯たんぽ代わりにもなるまい。
「じゃあ妹は左側~♪」
「ではワタクシはリゼットお母様の隣に」
「刀花おかーさん、ポカポカする」
そうして左右から愛しい熱に挟まれれば、ごちゃごちゃとした下らない考えも遙か彼方へとふっ飛んでしまった。
「~♪」
外を行き交う雑踏の音もどこか遠くに。
流れる水のせせらぎと、少女の爪先が水面を撫でる音。そして誰かが口ずさむ鼻歌のみが支配する空間にて。
「……時間が、特にゆっくりと進んでいくようだ」
「そうね……もう少し、このままでいましょ?」
そうやって俺達家族は寄り添い合いながら、時間いっぱいまで心地よい微熱に浸るのだった。
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