第220話「美しきかな姉妹愛」



「いや変わりましたねぇ彼方ちゃん」

「リンゼの言葉通りならば、むしろ"戻った"と言うべきなのだろうがな」


 隣に寄り添う刀花にそう返しながら、俺達からは少し離れた場所で佇む愛娘の姿を見る。

 冬の凍てついた空気と一体化するように、彼方はピシッとした雰囲気を纏って冬の日差しを静かに浴びていた。

 ……結局、あれから相談者は一人も訪れることなくボランティアは終了。そうして今は、偶然教会の敷地内で開催されていたフリーマーケットを、冷やかし気分で見て回っている。


「わ、リゼットちゃん見て見て。このカップ素敵じゃない?」

「へぇ、爽やかな印象……水出しの紅茶とかに合わせればよさそうね」

「ね! うーんどうしよう、自分用に一個買っちゃおうかなぁ……?」

「……」


 リゼットと綾女はズラリと並ぶカップや小物類に瞳を輝かせており、彼方はその少し後方で品物を物色しているようだ。

 そこから更に少し離れた、アクセサリー類が煌めく露店が並ぶあたりで、俺達兄妹は肩を寄せ合ってその様子を眺めていた。


「あの雰囲気、なんだか兄さんっぽいですね」

「そうだな。だが、“あれ”では確かに女の子としては気になるのかもしれん」


 彼方の姿を見て、改めてそう評する。

 サイドテールを解いたことで、腰まで優雅に流れる濡れ羽色の黒髪。華奢なその身をピッタリと覆いながらも遊ぶように揺らめく袖が、見る者の目を惹き付ける黒い和服に赤い帯。楚々とした一挙手一投足。

 見た目だけならば古きよき大和撫子。まさに和服美少女と表現して相違ないが……、


「俗に言う"話しかけるなオーラ"が完全に兄さんのそれです」


 妹の端的な表現に頷くしかない。

 その黒みがかった琥珀色の瞳は、まるで火入れした後の刀身のように煌々とし、鋭く周囲を睥睨している。

 歪みなく背筋を伸ばし、その瞳に携えるは相対する者を射竦める眼光。そこに"在る"だけで鋭利に空気を切り刻むその様は、まさに一本の抜き身の刀を幻視させた。

 そんな、先程までとはガラリと雰囲気を変えた彼方を視界に収め、しかし刀花はうっとりと頬に手を当てため息を漏らした。


「はぁん♪ 兄さんと私の娘って感じですね」

「嬉しそうだな」

「だってだって、実はちょっぴり不安だったんですもん」

「……まぁ、分からないでもない」


 唇を尖らせる刀花に苦笑を返す。

 俺とて『俺と刀花の娘にしては……?』と彼方のぼんやりとした雰囲気に首を傾げていたものだ。リゼットにそっくりなリンゼが隣にいたということも加え、刀花も不安を抱いていたのであろう。


「今の方がずっと素敵ですのに。これまで抑えていただなんて、もったいないですよねっ」

「千代女やリンゼのような正統派美少女が周囲にいたのも悪かったのであろうな」


 要は彼方の中で『姉や妹のように、女の子らしくなりたかった』という願いが大きかったのだろう。

 家事のできる千代女や、愛嬌のあるリンゼの存在。それらに憧れた結果、無理に自分を着飾ったのが先程までの彼方の姿だったのだ。


「むー、彼方ちゃんも充分美少女ですのに。まぁ確かに可愛いというよりは、綺麗の方向でですけど」

「子どもにはまだそのあたりの機微は分からなかったのだろう」


 子どもは背伸びをするものだが、背伸びの仕方も性別と年齢によって移り変わるものだ。

 小さい頃ならば分かりやすく"より可愛く"。そしてそれなりに成長していけば"より大人っぽい"ものに憧れ、子どもという存在は背伸びをしていく。

 彼方がそうなり始めたのは中学に入る前と聞いていたから、まだ"より可愛く"という段階だったのだろう。自分の武器というものを、その頃ではまだ把握できはすまい。


「そういうものですかぁ……彼方ちゃんの武器……むむむ。なんだかこう、女の子にモテそうな感じですよね」

「──その通りですわっ!」

「いたのか、リンゼ」


 我等兄妹の間に、ニョキっと可愛い金色の光が生えてきた。

 唐突に現れたリンゼは金髪ツインテールをピョコピョコと揺らし、口惜しげに何度も頷いていた。


「ほんっっっとーに勿体なかったのですわ! ワタクシやチヨメお姉様には無いタイプの美貌を持っているのに、これまでうだうだとして。ワタクシ達がどれほどその才を惜しんでいたことか!」

「……まぁそう言ってやるな。その齢にしては纏う貫禄が頭一つ抜けているのだからな。年頃の少女としてはそれを気にしても仕方あるまい?」


 父である手前両方の肩を持とうとするが、リンゼは「いーえっ」と強く首を横に振った。


「確かに容姿のこともそうですが、一番は性格ですのよ性格!」

「性格、ですか……?」


 キョトンとして首を傾げる刀花に、リンゼはうんうんと頷く。


「昔のカナタは、あんなぼんやりとはしておりませんでしたのよ。いいですこと?」


 リンゼは指をピンと立て、まるで自慢をするような雰囲気で語りだした。


「立てば雷鳴座れば雷光、歩く姿は稲光。気に食わない人間には音より早い手刀が飛ぶ、誰をも寄せ付けない孤高の稲妻! 薫風初等部の"黒い雷"とはカナタお姉様のことですわ!」

「よく今まで隠れていたな」

「本当ですねぇ」


 これで個性に悩むというのだから、やはり子どもというのは難しい生き物なのだなぁ。

 そしてさりげなく呼び方が"お姉様"となっているあたり、周囲の少女から彼方に向けられていた視線の種類も察しがつくというものだ。


「武勇伝も数知れず! おバカな男子にからかわれている女の子を助けることなど日常茶飯事! お礼をしようとしても『いらない。その分、家族にでも感謝しておくといい』とクールに去る後ろ姿にトキメク女子多数!」

「小学生の貫禄じゃありませんね……さすが私達の娘です!」

「将来有望だな」


 きっと親の教育が良かったのだろうな、うむうむ。

 だが、ここでリンゼはくわっとその鮮血の瞳を見開いた。


「しかし! 急にメイド服を着始めたかと思えば、なんだかパッとしない喋り方になるわ、あの黒雲を切り裂く迅雷のような眼光も鳴りを潜めるわで、いったいどれだけの女の子が絶望に落ちたことか!」

「イメチェンに失敗したんですねぇ」


 刀花が簡潔に纏めてくれる。なに、子ども時代の失敗もまた大事な経験よ。

 地団駄を踏むリンゼに、俺も少なからず彼方のフォローは入れておく。


「とはいえ、彼方の悩みも考慮に入れてやるといい。憧れゆえの挑戦だったのだからな」

「そ、それは、そうですけれど……」


 そのあたりは考慮してやらねば、彼方も浮かばれまい。

 他人から求められる姿より、己がどう在りたいかを選ぶのは、あの年頃ではきっと勇気のいる行為だったに違いあるまい。

 人間とは変化を厭う生き物だからな。それが己でも、周囲のことでも。

 こちらの言葉を聞き少ししゅんとしたリンゼは、その視線を下へ向ける。そこには、多数のアクセサリー類が並べられていた。


「……でも、やっぱりカッコよかったんですもの」


 そう言いながら、リンゼは一つのアクセサリーを手に取る。琥珀色の石が誇らしげに輝く、小さなブローチを。


「煌めく宝がくすんでいくのを眺めることしかできないだなんて、鬼の血を継ぐ者として忸怩たる思いでしたわ。それにワタクシだって、昔は何度もそんなカナタお姉様に助けられて。そんなカナタお姉様のことが、ワタクシは……」


 ……変化を受け入れるのは、人間には難しいことだ。それが子どもならば、なおのこと。


「……大好きだったんですね、そんなお姉ちゃんのことが」

「……うん」


 刀花の言葉に、飾ることなくリンゼは小さく頷く。

 戸惑っただろう。大いに疑問に思っただろう。自慢の姉が急激に変わってしまう様を見るのは、子供心に大きな衝撃を与えたことは想像に難くない。

 きっと「前のカッコいいお姉ちゃんに戻って」とは言えなかったに違いあるまい。変なところで素直ではないからな、誰かさんに似て。


「でも、もう平気ですわ!」


 その手つきは少し迷っていたが結局はブローチを置き、リンゼは立ち上がる。

 その瞳には既に、悲しみの色はない。


「あの寄らば斬るを体現したカナタお姉様が帰ってきたんですもの、これからの生活も張り合いがあるというものですわ。知ってまして? カナタってば小さい頃にも隣町の暴走族を三輪車でかっ飛ばしたり、バレンタインにはロッカーから溢れ出るほどのチョコを貰ったり──」


 そうしてリンゼは忙しなく足を動かしながら、在りし日の彼方をこちらに語って聞かせる。

 その頬には、嬉しくて仕方ないというような笑みを浮かべて。


「それでそれで、大江山で熊と相撲を取って勝ったとか、京都の陰陽局本部に一人でカチコミをかけたとか──」

「──こらリンゼ、あることないことを吹き込むな」

「あいたー!?」


 だが、それもリンゼの頭に鋭い手刀が落とされるまでのこと。

 涙目で頭を押さえるリンゼを、いつの間にかこちらに近付いて来ていた彼方が鋭い瞳で見下ろしていた。

 そしてその唇からは、感情の薄いぼんやりとしたこれまでのものではなく、どこかぶっきらぼうにも聞こえる響きで言葉が紡がれた。


「おとーさんとおかーさんに何を話した」

「べ、別に……やんちゃだった頃のカナタのお話を少ししていただけですわ」

「……いつまでそんなことを覚えている」


 彼方の眼光が更に鋭くなるが、若干その頬が赤く見えるのは気のせいだろうか。

 そんな彼方は何かを誤魔化すようにリンゼから顔を背け、つまらなさそうに鼻息を鳴らした。


「ふん、まあリンゼの気持ちは分かる。お前は昔から甘えん坊でお姉ちゃんっ子だった。頼れる姉が戻ってきて、嬉しいのだろう?」

「んなっ、調子に乗らないでくださいまし! 誰が甘えん坊なものですか! 別にまたあのメイドに戻ってもいいんですのよ!?」

「どうだか」


 そうして彼方は、気勢を上げるリンゼに見向きもせずに踵を返す。だが、


 ──ピン、と。


 後ろを向いたままの彼方の指から、リンゼに向けて輝く何かが弾き出される。金属を打った甲高い音と共に。


「わ、とと。何を──あ……」


 あたふたとリンゼは慌ててそれを受け取り、手の中で検める。それは……、


「物欲しそうに見ていたからな」


 ──先程リンゼが眺めていた、琥珀色の石を嵌め込んだブローチだった。


「口止め料と……まぁ、相談料だ」


 後ろを向いたままの彼方の表情は分からない。

 ……だが、その下ろした長い黒髪から覗く耳の先端は赤く染まっていた。


「意味は、勝手に都合よく受け取っておけ」


 そう簡素に言い残して、彼方はそそくさと綾女とリゼットの方へと歩いていく。

 ……己の瞳と同じ色の装飾品を渡す意味、か。

 ふむと顎に手を当て、隣を見る。


「どう思う、我が妹よ」

「えぇ~? 言うのは野暮ってものですよ兄さん」


 ニッコリと笑う刀花と共に、ブローチを胸にキュッと抱くリンゼを見る。


「カナタおねぇしゃまぁ……そういうところぉ……♡」


 鮮血の瞳にハートマークを浮かべ、キュンキュンする三女の姿を見れば、二人の間で何が交わされたのかは知れるというもの。

 メイドとして世話をされるより、ああしてぶっきらぼうに甘やかされるのが性癖なのだろう。我がマスターも、ちょっぴりそういうところがあるためなんとなく分かる。


「うむ」


 ──美しきかな、姉妹愛。


 リンゴンリンゴンと鳴る鐘の音を聞きながら、俺は重く頷いてこの事態をそう締めくくるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る