第221話「……追いかけるわよっ!」



 ──師走。


 俺がこの世に顕現してから、恐らく最も多彩な出来事があった二千二十年もあと数日で終わりを迎えようとしている。

 師すら東奔西走すると言われるこの年末。例年通りであればバイト先の年末商戦に加わり、今が稼ぎ時と精を出しているところだが……、


「……なんとも、暇なものだな」

「だからってご主人様の頭に鼻を埋めないのこら」


 俺は暇を持て余していた。なので可愛いご主人様の金髪に鼻を埋めて甘い香りを堪能する。こうなることはもはや自然の摂理であるな。

 ……現在、弛緩した空気の流れるリゼットの自室にて。

 いつも通りゲームをする彼女の座椅子になるよう命じられた俺は絨毯に胡座をかき、彼女を後ろから抱くようにして膝に乗せていた。


「マスターはやわらかいなぁ……そしてすべすべで」

「ちょっ、こ、こら! どさくさに紛れてどこ触ってるの!」


 ふにふにのお腹だ。

 小柄でお人形のようなリゼットの抱き心地はまさしく抜群であり、天にも昇る心地よさである。

 こちらの胸にちょうどすっぽりと収まるサイズの華奢なボディ。指に引っ掛かることもなくサラサラと流れる黄金の髪。そしてそれは日によってその香りを変え、今日はほんの少し甘めな設定となっておりとても美味そうだ。

 どれ……、


「ガジガジ」

「ふぎゃー!? た、食べたっ! この眷属っ、ご主人様の髪の毛食べたぁー!」

「健康状態に異常無し」

「いや起こってるのよ異常が私の目の前で」


 細っこい腰を抱く腕をペチペチと叩かれるがなに、主の健康状態を把握するのも眷属の務めよ。病魔に冒されでもしたら事だからな。

 最終的に病など斬り殺せばよいが、俺は基本的に少女達にあまり刃を向けたくはない。予防するに越したことはないのだ。


「熱も計っておくか」

「なにを──ひゃん!」


 可愛い声が出たな。


「やっ、わっ、脇に直接手入れないでよばかばかっ! もぉ~、娘が見てるのにぃ……!」

「あ、お気になさらず。幼少の頃より慣れておりますわ」

「平熱だったか」


 真っ赤になって猫のようにジタバタ暴れだすリゼットだが、近くにペタンと座る娘達の反応は慣れたもの。おそらく物心ついた時から父一人と母三人の睦み合いを見てきた者の目だ、面構えが違う。

 そんな一体化する勢いのリゼットと俺を真似るように、隣にはゲームのコントローラーを持つリンゼと、背中合わせにしてリンゼの背もたれとなって腕を組む彼方の姿があった。


「カナタぁ、もう少し背筋伸ばして~」

「……我が儘な妹だ」


 教会での一件以来、彼方は過剰な奉仕をやめ、リンゼに寄り添う形で生活をするようになった。召し使いの真似事は止めたらしい。


「ふふっ♪」


 ぶつくさ言いながらも位置を調整する彼方の背に、甘えるようにして体重を預けるリンゼはご機嫌な様子で鼻歌を口ずさんでいる。


「たまにはこういったレトロゲームで遊ぶのも一興というものですわね、カナタ?」

「何世代も前のものだからな、物珍しさが勝る」

「え、レトロ……? これ最新機種……」


 リンゼと彼方の発言に、リゼットの動きが止まった。


「これがレトロって、じゃあ未来ではどれくらいの……」

「時代はフルダイブですわ」

「フルダイブ……!?」

「こう頭にギアを付けまして、脳波コントロールを」

「脳波コントロール……!? その話詳しく! ハードは!?」


 リンゼの解説にリゼットが食い付き、二人で未来のゲーム談義に盛り上がる。

 そんな様子を横目に見ながら、俺は彼方の方へと水を向けた。


「落ち着いた様子だな、彼方」

「あ……はい」


 彼方はリンゼにするようなぶっきらぼうな口調ではなく、親に対しては敬語を使うらしい。少々たどたどしいが、敬語が苦手なのも俺に似たのだろう……俺の影響全部悪くないか?

 己の教育の在り方に「むむむ」唸っていると、彼方はふとその鋭い瞳を伏せた。


「確かに、私は自分を見直しました。だけど……明確な目標までは、まだ……」


 目標。

 リンゼであれば『母をも越える淑女になること』だったか。


「これでは、まだおとーさんは喜ばない。確かな自分の役割を、見つけないと……」

「は──」


 眉を悩ましげに歪めてそんなことを言う彼方に鼻で笑って返す。

 深刻そうに何を言うかと思えば。"自分の役割"だと?


「彼方、その言い方はよくないな。役割とは"こなすべき事"であり、それは他者から押し付けられるもののことだ」


 それはもはや道具の資質であるゆえ。

 だがお前は、立派な一人の人間として生を受けたのであろう?

 戸惑う彼方に、諭すようにして口を動かす。


「俺の自慢の娘よ。お前がこれから迷うべき道は"こなすべき事"ではなく、"己が何をこなしたいか"なのだ」

「……自分、で?」

「そうだとも」


 こちらの言葉を継ぐ彼方に頷く。

 お前は俺のような道具ではなく、自由を許された人間なのだからな。

 "役割"などといった言葉に縛られず、在るがままに己の道を定める権利がある。同じく義務もな。


「……私は、他人の感謝は要らない」

「うむ」

「だけど……」


 考え込みながらぽつぽつと漏らす彼方は、そのままゆっくりと顔を上げて、


「だけど──家族の感謝は、嬉しい」

「……そうか」


 ふわり、と。花の咲くような笑みを浮かべた。

 ならば、道はほぼ定まっている。


「ククク、この父と同じ道を行くか。この親孝行者め」


 足を動かしてにじり寄り、その濡れ羽色の髪を撫で付ける。

 俺とて余人の感謝など歯牙にもかけず、家族の幸福のみを求め続けている。彼方がどのような手段でそれを求めるかは分からぬが、楽な道ではないぞ?


「だがまあ、あまり気負うなよ。お前は役に立てぬことを恥じるきらいがあるが……」


 彼方が奉仕をこなすのも、この父に構われたいという欲求が多くを占めていたことを覚えている。

 だがな……、


「──たとえどれだけ道に迷おうとも、たとえどれほど役に立てなくとも。俺は彼方を全霊でもって構い、甘やかすぞ」

「っ!」


 目を見開く娘の髪を更にクシャクシャにする。

 この俺が、その程度で愛想など尽かすものかよ。


「俺は娘の"主人"などではなく……"家族"なのだからな。家族は、同じ家族を見捨てぬものだ」

「はい……"おとーさん"」


 一歩引いた"旦那様"という呼称ではなく、彼方は俺を父と呼んでくれた。

 その足は、迷いながらも"家族を幸せにする"という道を確かに進んでいる。

 ならば、今はそれでよいのだ。


「……ねぇ、ご主人様抱きながら真面目な雰囲気出すのやめてくれる?」

「なんだ、嫉妬か?」

「構えって言ってんじゃないのよ」


 憮然とするマスターもいじらしい。

 リゼットを強く抱き締め「きゃあきゃあ」と喚く彼女から反撃を受けていると、クイクイと袖を引かれる。彼方だ。


「おとーさん、好き。チューしていい?」

「いいぞ」

「でもなんだか今は恥ずかしいから、代わりにリンゼがする」

「なんで!? ちょっ待っ、持ち上げて近づけないでー!?」


 彼方にひょいっと背後から持ち上げられたリンゼが、ユーフォーキャッチャーの景品と同じ動きで近付いてくる。よし来い。


「えい」

「やっ、ちょっと!? あ──ちゅ……」

「拝領した」

「何やってるのこの親子……」


 頬にやわっこく愛おしい感触を得て、満足を覚える。「なんで……」と暗く呟くリンゼの姿に隠れてその実、恥じらうように頬を染めた彼方の年相応な姿にも。


「ぐじゅ……親子愛ですねぇ!」


 娘達の可愛らしい姿に微笑ましい心地になっていれば、背後のソファなら鼻水を啜る音が聞こえる。


「トーカ、よく今まで黙ってたわね……」

「動画録ってました。酒上家の歴史に、また一ページ……」


 家族の成長の記録を残すべく撮影役に徹していた妹に敬礼。そして俺はカメラに向かって蔑んだ視線を寄越してやった。


「どうだ別の枝葉の俺よ、見ているか? お前の出来ぬことを俺は成し遂げたぞ。彼方を我が覇道に染めてやったわ。悔しいか? 悔しければより彼方を愛し導け。この映像はダビングして持ち帰らせるからな。臍を噛みながら見るがいい、ハーハハハハハ!!」


 まあ俺はほぼ何もしておらんが、俺がやられて恐らく一番苛つく言動を残しておく。貴様がだらしないせいで、愛娘が大きく道に惑ったではないかこのたわけがァ!

 そうやって煽り散らす俺に、腕の中のリゼットは疲れたようにため息をついた。


「もう、自分を煽らないのおバカ。向こうのジンがブチギレてこっち来ちゃったらどうするのよ」

「親権をかけた殺し合いだな、いい暇潰しになろう」

「暇潰しの余波で世界壊されたらたまったもんじゃないのよ」

「はっはっは」

「笑うとこあった?」


 よし、今年中にやるべき事は済んだな!


「あなたそんなに暇なら自分の趣味でも見つけたら?」

「俺の趣味は少女達に仕え、甘やかすことだ。趣味と実益を兼ねた我が"らいふわーく"なのだ」


 どれだけ甘やかしても甘やかし足りぬわ。

 まぁこれは俺がやりたいことであって、今のところやるべき事はもう無いのだが。

 俺は頭の中のメモ帳を開きつつ、やり残しが無いか再確認する。


「正月用のおせちは商店街の料亭で注文済みであるしな」

「むふー、ちょっぴり豪勢なのを頼んじゃいました。楽しみですねっ!」


 今から待ちきれないといった様子で刀花がはしゃぐ。うむうむ、抜かりはない。

 

「綾女や橘に送る年賀状も買った。あとは娘達に送るお年玉のポチ袋も用意したな」

「「わーい」」


 リンゼと彼方が無邪気に喜ぶ。このくらいの齢ではどれほどの額を包めばよいのだろうな? 軽く十万円でいいか。

 指折り数えている俺に、リゼットも可愛らしくコテンと小首を傾げて確認に加わる。


「年末の大掃除は?」

「既にして、大部分の"時を止めてある"。当分はピカピカだ」

「年末番組の録画予約は?」

「した」

「除夜の鐘と初詣に行く予定の寺社のリサーチは?」

「済ませた」

「確定申告は?」

「あ?」

「え?」


 なんだそれは?


「……」

「……」


 ………………。


「さて、やるべき事も無いようだな」

「え、え、あなた仮にも世帯主じゃ……?」


 知らんな。人間の馴れ合いは人間同士でやれ。


「よし」


 ではこのまま穏やかに少女達と年末を──、


 ヴー、ヴー──……


 とそう思っていた時、俺のスマホがバイブと共に揺れる。

 ディスプレイに表示される名は……六条このはだ。

 このタイミング、前々から準備していた"アレ"だな。待ちわびたぞ!


「俺だ」

『安綱様? 例の品が完成致しましたので取り急ぎご連絡を……』

「分かっている、すぐに取りに行こう」

『お待ちしています、きっとお気に召すかと思われますよ。あ、それと綾女様の分もだなんて急に無茶な──』


 何か聞こえた気がするが通話を切る。文句は聞きたくない。


「……誰?」

「む?」


 リゼットが訝しげな視線を向けてくるが、これは"さぷらいず"だ。以前から初詣用の振袖を用意していた、などとは明かせない。


「……ああ、携帯会社からだった。少しプランを変更するゆえ、今から少し出てくる」

「え? あ、ちょっと!」


 膝の上からリゼットをちょこんと絨毯に下ろし、更なる追求を避けるべく足早に部屋を去る。


「……ジンがスマホのプラン変更ですってぇ?」

「……怪しいですねぇ?」


 後ろから追いかけてくる、主と妹の絡み付くような声を振り切りながら。


 さて、逃げ切れるか。

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