第218話「筆談し年の差恋愛に悩む少女、いったい何者なのだ……」
「アナタハ神ヲ、信ジマスカー?」
「……」
信じていない。
いや、神と称されるものはいるにはいる。だがそれは、このカソックを着る男が言う類いの神ではないだろう。
日曜の朝、高らかに鳴る鐘の音も煩わしい教会で言う神とは、それ即ち“全知全能”の力を携えた神であろう。
──だが、哀れなり。
「神が全能であるならば、この俺を殺すがいい。悪鬼に囚われし少女達を解放してみせろ。その程度も出来ぬのであれば、その存在は神ではない。全知全能が聞いて呆れる……俺の存在こそが、神の不在を証明するのだ。ククク、ハーハハハハハ!!」
「いやこの子、教会に一番連れてきちゃいけないタイプの子でしょ……」
吸血鬼もどうかと思うぞ、隣でじっとりと目を細める我が主よ。
──そう、俺達は現在日を改め、街の片隅にある教会を訪れていた。
日曜の“みさ”とやらも終わり、信者のほとんどが帰ったこの講堂内。ステンドグラス越しの日差しのみがこの静謐な空間を覗く中で、ニコニコ顔で歩み出た綾女が、長椅子に座る俺達ブルームフィールド邸の面々に向かって手を叩いた。
「はーい、じゃあ今日はこの教会でボランティア活動をしてもらいまーす。……急に参加人数増やしてごめんねザビエル君」
綾女は途中で言葉を切り、先程こちらに「神を信じるか」と問うていた禿頭の男に声を掛ける。
「いえいえ、これもきっと主の思し召しでしょう。これを機に、教会の門戸はいつでも……そして誰にでも開かれていると知っていただければ幸いです」
“ざびえる君”……とやらは柔和な笑みを浮かべ「アーメン」と胸の前で十字を切る。その動きに合わせ、首に掛かる銀の十字架がキラリと光った。ついでに頭も。
「神父、というやつか」
「兄さん兄さん、この方もボランティアだって綾女さんが言われてましたよ。というか、兄さんのクラスメイトさんらしいですよ?」
コソッと耳打ちしてくる妹に衝撃を覚える。こんな味付けの濃いクラスメイト我がクラスにいたか?
そんなやり取りをする我らに、神父姿の少年(?)は笑みを向けた。
「今日はよろしくお願いします、酒上さん。ふふ、こう言ってしまっては失礼かもしれませんが、あなたの参加を聞いて驚いたものです。ですがきっと、これも薄野さんの人徳の賜物なのでしょう。神は常に我らを見ておられますが、何かを為すのはその人の尽力あってこそですからね……ハレルヤ」
「……ふむ」
綾女を賛美するのは大変結構なことだな。神の下僕とはいえ、そのあたりの機微は弁えているらしい。
聖職者というものは神ばかり見ていては立ち行かん。上に崇める神だけでなく、その下に縋る人間にも同様に目を配らねば、その者の崇める神の懐も知れたものになるのだ。
「……あなたって、ボランティア活動嫌いって言ってなかったかしら?」
「嫌いだ」
リゼットの呟きに一言で答える。嫌いだ。この無双の戦鬼を有象無象に奉仕させようなど、烏滸がましいにもほどがある。
とはいえ……、
「我が友が、娘のためを思って設置してくれた場だ。無視を決め込むわけにはいくまい」
チラリと横を見れば、教会の装飾がセンスに刺さるのか目を輝かせるリンゼと、ぼうっとした瞳の中にもどこか真剣な雰囲気を宿す彼方の姿が見える。
これも我が愛娘が己の道を探るためだ。ならば父として、近くで見守らねばなるまい?
俺が「うむうむ」と頷きながらそう言えば、しかしご主人様は目を細めて……、
「で、他には?」
「綾女を膝枕する権利を得た」
「やっぱり煩悩塗れじゃないのこのおバカ」
ぐにぃっと頬をつねられるが「はっはっは」と笑っておく。鬼が素直に奉仕などするものか。
いや見物だったぞ。昨夜に綾女とスマホでやり取りしていたのだが、
『大人しくボランティアに参加する代わりに、綾女を膝枕する権利を寄越せ』
このメッセージを送った後、たっぷりと三十分ほど時間を掛けて、
『いいよ』
と、一言だけ返ってきたものだ。
この簡素な一言を返す間に、画面越しの彼女が一体どのような葛藤に晒され、悶えていたのかを想像するだけで酒が進むというものよ。
「クックック、活動の内容も講堂内の清掃のみと聞く。楽な仕事だな」
「兄さん悪い顔です……」
このような雑事などさっさと終わらせ、早々に綾女をドロドロになるまで甘やかしてくれよう──、
「それでは皆様、よろしくお願いしま──う゛っ!?」
「ざ、ザビエル君!?」
「む?」
急に何だ。
朗らかに笑っていたザビエルが腹を押さえて蹲ったぞ。
優しい綾女が心配そうに背を擦る中、その男は青ざめた顔で言葉を漏らす。
「い、いけません……完治していたと思ったのですが……このままでは、私の仕事に穴が……だ、誰か、私の仕事を任せられるような信頼に足るお方は……」
「……」
……神はどうも、俺の邪魔立てをしたいらしい。
「──だからといって、“懺悔室”だと?」
「あー……ザビエル君っていつも教会のお手伝いの時は懺悔室担当らしいの。だけどザビエル君って結構抱え込みやすいタイプらしくって、相談に乗るたびにストレスを抱えて、それで円形脱毛症に……あと胃に穴も……」
仕事に穴を開けずとも、胃に穴を開けていれば世話なかろう。
救急車を見送った俺達は、講堂内の隅にある小さな部屋に案内された。部屋の真ん中に薄い壁が設置され、対面者が何者か分からなくする工夫が為された妙な場所だ。
託された仕事は……迷える子羊を導くこと。この“懺悔室”にて互いに身分を隠し、訪問者の相談に乗ることであった。
俺が鼻を鳴らしていれば、興味深そうに内装を眺めていたリゼットが軽い調子で言う。
「まぁいいんじゃない? 掃除よりは人と接する機会もあるし、カナタにも良い経験になるでしょう」
「……それもそうだが」
「まぁまぁ兄さん。何かあれば私達がフォローに入ればいいんですから。相談者さんも『来る方が珍しい』って言われてましたし」
「……そうだな」
主と妹の言葉で納得する。確かに、彼方の為を思えば良い采配かもしれん。
「……頑張る」
相変わらずその濃い琥珀色の瞳はぼうっとしているが、彼方はむんっと力こぶを作ってみせる。大変に可愛い。
「よかろう、今しばらくはここで待機する。この人数では少々狭いが、リゼットニウムとトウカニウム、そしてアヤメニウムを多分に摂取できるのでな」
「教会内に不信心者がいるわよ……」
「むふー、じゃあ私はジンニウムを摂取しますね!」
「こら、トーカ! ジンにくっつかないの!」
「あはは、あんまり騒いじゃダメだよ?」
少々狭い室内でわちゃわちゃとしながら時を過ごす。綾女は少しハラハラした様子でこちらを見ているがなに、そう都合良く相談者が訪れるとも──、
……コンコン。
「……」
……いや来たな。まるで示し合わせたかのように。
「あっ、ほ、ほら、彼方ちゃん。入室を促して」
「あ……ど、どうぞ」
我に返った綾女の言葉に従い、彼方が促す。
そうすれば、薄い衝立の向こうから、静かにドアを開ける音が聞こえてくる。
「おかけください」
「……」
そうして入室した人間が席に着いた気配を察し、彼方はマニュアルに従い、口上を読み上げた。
「ここではあらゆる人が平等に扱われます。素性も身分も、言う必要はありません。そしてここでお話した内容が口外されることもまたありません。あなたの罪とその意識が、この時間に少しでも軽くなることを願います」
匿名性が優先されるこの場では、互いに身分を明かさない。神の下に皆平等というやつだ。とはいえ、声で性別や歳程度は分かるものだが。
「……」
だが、入室してきたこの者は先程から何も言わず、なにやらゴソゴソと身動きをしている。かすかだが、ペンを走らせる音が聞こえるような……?
『筆談、よろしいでしょうか』
「はい、もちろんです」
「ほう……?」
「随分、慎重な方みたいですね」
衝立の下部分に僅かに開けられた隙間。そこから差し込まれた一枚の紙片に、俺と刀花は息を漏らす。
声も出したくないとはな。よほど警戒しているのか? 彼方にあまり負担にならない程度の相談内容に留めて欲しいものだが。
「それでは、あなたの罪をお聞かせください。もちろんそれ以外のことでも。神は常にその門扉を開かれておいでです」
「……」
そうして彼方が促せば、再び向こうからペンを走らせる音が響く。それにしてもそのキュッキュッとする音は、どこか聞き馴染みがあるな。
さて、面倒な相談でなければいいが。事件に発展しているようなものならば、自首を促すか最終的に警察に通報してもよいと許可は得ている。
「……」
室内に緊張が走る中、静かなる相談者が告白する罪とは──!
『懺悔します──私は、卑しい女です。恋人の想いを信じ切れず、寝込みを襲おうとしました』
「「ギクぅ……!?」」
「そう、です、か……?」
その告白に、彼方は首を傾げる。
……なぜかリゼットと綾女がダラダラと汗を流しているが。
「ふむふむ」
それにしても姦淫の罪か。教会というのはそんな相談も請け負っているものなのか?
疑問に思っていても相談者は止まらず紙に想いを綴っていく。
『私には少々、年の離れた恋人がいるのです。相手が年上の』
ふむふむ。
『世間的には眉をひそめられる年の差で、相手もそれが分かっているので、今のところ健全なお付き合いをさせていただいています』
「よいことではないか。俺には理解できんがな」
「変態のあなたにはそうでしょうね……」
彼方の背後で様子を見守りつつ、こっそりと呟く。我が主は俺に言いたいことがあるようだが。
「あなたはもう少し自重しなさいよ」
「は、この鬼がぶら下がる果実を目の前にして我慢などできるものか」
「さすがです。ですがそれでいいんですよ兄さん、どんな時でも可愛い妹を甘やかしてくれれば……」
「では、今この場で抱き締めてくれよう」
「きゃあーん、食べられちゃいますぅ~♪」
「神様は何してるの? 早くこの兄妹に神罰下しなさいよ」
「お労しやリゼットお母様……」
「し、静かにしててねー……?」
青筋を立てるリゼットと、それを宥めようとするリンゼを横目に鼻を鳴らす。神は死んだのだ。
そんな風に後方で綾女の「しー!」というジェスチャーを向けられる中、相談者と彼方のやり取りは続いていく。
「ご不満が……?」
『だからこそ、私は卑しい女なのです。彼は私を大切にしてくれています。しかし、大切にしすぎているというか』
「つまり健全すぎて、物足りないと」
「っっ!?」
おお、言うではないか彼方。まるで抜き身の刀のようだ。
慌てて遮ろうとする綾女を手で制す。なに、この場では全てが許されるのであろう? ならば許せ。その方が面白そうだ。
息を呑む相談者もそのままに、彼方は「ふむ」と顎に手を当てた。
「ですから、思わず寝込みを襲ってしまったと。そういうことですか?」
『……はい』
頷く相談者。
人間というのは体裁を気にしすぎるからな。そのような事態に発展するというのも、さもありなんというやつだ。
「ちなみに兄さんって、寝込みを襲うことについてどう思います?」
「小さい。覇道を征く者ならば、真正面から対象を踏みにじれ」
「らしいですよ、リゼットさん綾女さん」
「そ、そうよねぇ~……意識の無い相手を好き放題するなんて、サイテーよねー……」
「う、うんうん。ダメなことだよそれは。ぶ、武士の風上にも置けないよねー……」
なにやら刀花の言葉に、リゼットと綾女が冷や汗を流している。
だが……、
「それを愛しい少女がやるならば、途端に許せてしまうものだがな。大変可愛らしく、ズルい存在だまったく」
「そうよねー! やっぱりこの眷属は分かってるわー!」
「き、きっとそこも愛嬌だよね、刃君!」
「お二方が掌返しました……」
「トーカも“こっち側”でしょうが……!」
「なんのことだか~」
俺が腕を組んで頷いている間に、三人が仲良く睦み合っている。リンゼだけが「ワタクシ何を見せられているのでしょう。早く帰りたいですわ……」と暗い表情で嘆いているが。
「それにしても話を聞く限りでは情けない男だな。少女の願いにすら応えられんとは。愛する少女の願いを全て叶えることこそが、男の本懐であろう?」
「いやあなたの基準がおかしいだけだから。この相談者の人みたいにあまり表立ってできない関係の恋愛だったら、なおさら世間と折り合いをつけてやっていくしかないのよ」
リゼットはそう言うが、俺は納得がいかん。
「なんだそれは。世間と恋愛しているのか? 馬鹿馬鹿しい」
「あーダメだわ。リアルハーレム築いてるおバカには絶対理解できない価値観ねこれ」
「むむ」
嘆息して言われてしまったが……うぅむ、否定できん。
「ふん、やはり人間は度し難い。他人の足を引っ張ることを嬉々としておこなう恥知らず共め。少女を不幸にして何が楽しいのか」
「はいはい、言い返せないからって極論に走らないの」
流された……だが俺は己を曲げんぞ!
もし俺達の関係に文句がある者がいるのならば、この俺を倒し、俺以上に少女達を幸せにしてみせろというのだ! 実を伴わぬ言葉など、所詮は負け犬の遠吠えであろうが!
「俺は間違っているか?」
「その通りです兄さん!」
「いや間違ってるでしょ……人間社会に生きるならなおさらね」
「ど、どうかなー……?」
我が持論に頷く妹一名、否定するご主人様一名、中立の友が一名。ええい、俺はどうすればいいのだ!
『気を遣ってくれているあの人の信頼を裏切るようなことをして、私は卑しい女なのです……』
「……あまりご自分を責めずに」
俺が世間に一言物申している間にも、懺悔は続いている。そもそも懺悔するような内容かは疑問だが。
そしてそれは、彼方も思っていることのようで……、
「差し出口かもしれませんが、それはきっととても幸福なことだと思います」
「……?」
彼方の言葉に、相談者の方から不思議に思う雰囲気が伝わってくる。
そんな相談者の様子に頷き、彼方は言葉を続けた。
「人は過ちを犯します。ですが、それを許し合える関係ならば……そして、過ちが愛ゆえならば、それはきっと幸福なことです」
ほう……?
「私も先日、似たようなことがありました。今もまだ自分を見つめ直している最中です。愛ゆえの過ちは終わりなどではなく、むしろ始まりなのだと私は考えます」
「っ」
暴走した経験のある彼方だからこそ言える言葉に、相談者は息を呑む。
「卑しいはずがありません。だってこんなにも相手を想っているあなたが、そのように形容されることなど許されるはずがありません」
彼方は許す、その者を。その告白を。
「ですが、あなたが相談するべき窓口は、きっとこちらではないのかもしれません」
「っ」
彼方の静かな促しの声に、相談者は慌てた様子でペンを走らせ──、
『ありがとうございます、シスターさん。キチンとお話ししてきます』
そう記した紙を滑り込ませたかと思うと、駆け足でこの神の家を去って行く。許し、許され合うことを誓った関係の者の所へと。
俺は生憎と、神が人を許すところなど見たことはない。
だが、
「──人を許すのは、やはり人か」
「旦那様……」
ぽむっと、刀花に似た黒髪を撫でる。
「よくやった、彼方。見違えたぞ」
「ありがとう、ございます……」
立派に務めを果たした娘は、顔を俯けポツリと漏らす。その顔には少しの迷いが見て取れるが、先程のやり取りの中で得るものでもあったのだろうか。
小さく「キチンと話すこと……」と呟き、彼方は顔を上げた。
「……旦那様」
「む……?」
迷える子羊が集うこの教会の中で。
控え目にこちらの服の裾を握る彼方は、上目遣いのままこちらに言葉を投げかけた。
「私も、相談に乗ってもらって、いい……?」
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