第157話「みっちゃん、見ているか?」
「私が勝てば、小紋の追加注文を。安綱様が勝てば、小紋含め全額こちらが負担いたしましょう。……お乗りになりますか?」
「はんっ」
六条の、挑発にも聞こえるその言葉に鼻を鳴らす。
矮小なる分際で何を企んでいるのかは知らんが、この俺に挑むというのだ。
その意気は、勝ってやらねばな?
「いいだろう、遊んでやる」
「あら、ジンもやるの?」
「ああ、興が乗ってな」
着物の購入は彼女達には秘密にしてある。"さぷらいず"というやつだ。
俺は誤魔化す言葉と共に指を鳴らして、制服から弓道着へと姿を変えた。
さて、どちらが先手か――
「……ここは是非、先達である童子切安綱様の御技をいち早く拝見したく」
「ほう?」
仰々しい言葉と共に、先手を譲られる。
だが、悪くない。
有象無象の賛辞など胸には響かぬが、分際を弁えた者の言葉は好ましい……そこにどのような含みがあろうと。
「ククク、よかろう」
我こそは覇道を征く無双の戦鬼。
いかなる策を巡らせようと、それを正面から踏み砕き進むのが俺の生き方よ。
「矢は四射といたしましょう。勝敗は"採点制"で――」
「ふん、所詮はただの的当てに過ぎん」
六条がつらつらと並べ立てる言葉を振り切るようにして、体験用のものとは別の、競技用の的の前へ立つ。
弓道というものの細部など知ったことではないが、要は矢を中心に当てればよいのだろう?
「ふむ」
矢の数は四射と言っていたか。
……まだるっこしい。それに我が主と妹の手前だ、格の違いというものを見せつけてやらねば。
俺は弓を執り、矢を手にする。その数――
「よし――」
「なっ、ジンまさか……!?」
「四本、同時に……?」
四本の矢を一気につがえた姿に、リゼットと刀花の驚愕の声が重なる。
その声に得意になった俺は、さぞ不敵に見えるだろう笑みを浮かべてギリギリまで弦を引く。
「照覧あれ」
弓とて我が領分よ。
武器にして武鬼であるこの俺に、膝を折らぬ得物など無い。
我が主命は少女の守護。そのためならば数多の武具を手に取り、あらゆる状況に対応し敵を鏖殺せねばならんがゆえに。
「はっ――!」
そうして一息に放たれた四本の矢は、それぞれが生きているかのように弧を描き――
「ふ、こんなものだ」
「す、すごい……ジンの矢、全部真ん中に……」
「それも一本一本軌道が違いましたよ。さすが兄さんです」
上下左右から敵を追い詰めるようにして、放った矢は四方向から的を射抜いている。
さながら、十字架でもできたかのようである。即席ながら、上手く二人の目を楽しませられただろうか。
「ククク……見たか? お前達の戦鬼の力」
「まあ理屈はよく分からないけど、すごいのは分かったわ」
「天晴れです! あと弓道着素敵ですね!」
ふっふっふ、そうだろうそうだろう。たまにはこういったところも見せつけていかねばな。
たまたまこちらを見ていた衆目のざわつく声も無視して、二人の賛辞を受け入れる。刀花などは技だけでなく弓道着も褒めてくれていた。着てよかった。
「……いつも屋敷では和服だから、そう変わらなくない?」
「なに言ってるんですかリゼットさん!!」
「声でっか……」
そのまま二人に歩みを寄せれば、戦鬼ガチ勢である刀花が「とんでもない!」とでも言うように大声を上げていた。
「全部一緒じゃない?」
「全然違いますよ! 袴も履いてますし、上衣は白いじゃないですか!」
「あー、言われてみれば。よく見たらいつもよりしっかりしてる雰囲気……かも?」
「そうですよぉ! 正装した兄さんは世界一カッコいいんですから!」
「ま、まあ、否定はしないけど……」
「ありがとう、刀花。我が妹も世界一可愛いぞ」
妹の多大なる賛辞に、誇らしさと共にそう返せば刀花の頬はだらしなく蕩けてしまった。
「むふー、兄さんも素敵ですよ。妹のハート、ズドンと射抜かれちゃいました。皆中です!」
「ふ、ならば今夜、嬉しいことを言ってくれるその唇にも、皆中をするとしよう」
「ああん♪ "夜の皆中"大好きですぅ!」
「"夜の皆中"ってなに……いかがわしい造語作らないでよ弓道に失礼でしょ……」
「ご主人様はいらんのだな、皆中?」
「……そ、そうは言ってないでしょ?」
むくれたように視線を逸らしてボソッと言うご主人様の姿に、俺は今夜八本の矢になることを決めた。弓道って楽しいな。
「さて……」
先手は終わった。
俺が全弾命中させることなど分かりきっていたことだろうに、六条は先手を俺に譲った。まさか本当に俺の技が見たかったわけでもあるまい。
先手の成績が重圧になるだろうと安易に予想できるそれを、受け入れてでも為したいこと。果たしてそれが勝利に繋がるものなのか。
その真意を確かめるべく、視線を上げてみれば――
「……ほう」
そこには、的を前に焦って矢をつがえる六条……ではなく。
「――」
弓矢を傍らに、板張りの床に静かに座る少女の姿があった。
「このはちゃん、綺麗です……」
――その姿、まさに清廉。
その背に芯を入れているかのように背筋を伸ばし膝をつく少女からは、気迫と共に清らかとでも言うべき凛々しさが放たれている。
「弓道とは、的に当てればよいというものではありませんよ、安綱様」
「……なに?」
ゆっくりと目を開いた六条は、一つの揺らぎも見せずこちらを見つめる。その黒い瞳は、勝利を確信していた。
「弓道とは礼儀と作法を重んじ、精神の統一を重視するスポーツです。結果が全てではないのです」
そうして、敵である俺にすら"礼"を忘れぬ少女は、両足の爪先を立て膝を床につけた姿勢――"
「"
まるで教導するようにして、六条は言葉を紡ぐ。
「安綱様は片手間に矢をお放ちになられ、全弾命中させておいででした。無論、素晴らしい技です。戦場であればそれでよいでしょう。しかし……」
言葉を切り、六条は間合いを測るようにして足を動かしている。
「弓道においては、そうではありません。的の前に立ち、矢を放つまでに八節。動作にはそれだけの順序があるのです」
下から上へ気を巡らせるように。
両足をしっかりと固定し、胴もまたつぶさに調整する。その姿は、どこか土台作りを思わせる。いや、その通りなのかもしれん。
「"足踏み"、"胴作り"を終え、"弓構え"、"打ち起こし"へ……」
土台作りを終えれば、満を持して矢をつがえる。
時間をかけて作られたその土台は揺るぎなく、小柄な体躯であるにも関わらず安心感すら滲ませていた。
「"引き分け"……"会"」
そうしてつがえた矢を引き絞り、狙いを定める。
それだけのはずであるのに、まるで水を打ったように場は静寂に包まれ、空気が刃物のように鋭くなった。
「――"離れ"」
ビン、と。
弦の鳴る音と共に、放たれた矢は的へと吸い込まれていく。その結果は……見るまでもない。
弓であれば弦道、銃であれば銃口が定まっていなければ真っ直ぐ飛ばんと言ったのは俺だ。
それが十全にして作られているのならば、その成果は火を見るより明らかだ。
「コノハ、すごい……」
「真っ直ぐ、ど真ん中です!」
二人の歓声が上がる。
しかし、六条はそれに反応することなく、しばらく射った姿勢のまま佇んでいた。
「……そして、"残心"です。弓を射る動作には、この一貫した八節を切り離して考えることはできません。この静と動がスムーズであればあるほど、射は美しくなる。この動作の順序が、"射法八節"です」
……なるほどな。
どうやら読み違えていたようだ。先手を譲った理由はこれを見せぬためか。
俺を勝負の舞台に立たせぬように。
「そして私は、この動作を身体に焼き付けています。私の経験した最も美しい射を。弓道には確かにセンスも大事ですが、それだけではありません」
言いながら、再び六条はその八節をなぞる。まるで同じ映像を再度見ているかと思うほど瓜二つだ。
「"理想の射を経験する"こと。そしてそれの"再現性"こそが、弓道においては必要不可欠」
そしてそれさえ磨き上げていれば、
「こういうことも、可能です――!」
弦の鳴る音がし、放たれた矢が的に中る音――が、しない。
その代わりに、バキリと軋む音が道場に響いたのだ。
「ほう……」
「え? あ、矢が!」
「矢が、矢に刺さってます!」
そう、六条が放った矢は確かに的へと吸い込まれた。
しかし、それは的には中らず……先程放った矢に、中った。重なるようにして。
まるで、一本の矢が更に伸びてしまっているかのようだ。
「"継ぎ矢"です。矢を壊してしまうので、あまり褒められたことではございませんが」
あとで弁償は致します、と六条は付け足して、さらに一射。
……無論、その矢はさらにその身を伸ばす結果となった。
同じ場所に放つだけではこうはいかん。力加減すら、はじめから考慮していたか。
「コノハ、綺麗……」
「力強い上に、とっても清らかです……」
二人の言葉に否定の言葉も出ない。
四本目の矢を引くその清澄なる姿はまさしく、現代の大和撫子。
古よりの、源氏武者に相違なかった。その姿を、俺は何も言わずじっと食い入るように見つめていた。
「――はっ!」
そうして極限の集中力の中、最後の矢が放たれる。
しかし――
「――あっ」
「あら」
バス、と。
矢が的に中る音が聞こえてきた。一応真ん中ではあるが、継ぎ矢とはならなかったか。
「……ふん、貴様らしい」
「あ、あはは、お恥ずかしい」
完璧ではなく、肝心なところで一手外す。
だからこそ俺は、この娘を支部長の座に置いているのだ。その特性を、この場でも遺憾なく発揮してくれている。
だが、この少女は見事皆中をしてのけたのだ。それは厳然たる事実であった。
「し、しかし、勝負は勝負ですから。採点制だとお話ししましたよねっ。採点制は心気、態度、射法も採点に含まれますので!」
「え、じゃあジンは……」
「ん……」
焦ったように言う六条の言葉に、リゼットが目を見開いた。
……確かに、矢を放つ前にそんなことを言っていたな。
その記憶があった俺はそれを認め、無言で六条に歩みを寄せた。
「……」
「ひっ」
そんな俺を見て何を思ったか、六条は顔を青ざめさせている。
「だだだダメですよ安綱様暴力は! 騙し討ちもまた武者の術なれば! どうかその荒御魂を鎮め、潔く敗北を――」
「ああ、俺の負けだ」
「――お認めに……へっ?」
敗北を認める言葉と共に、その小さな頭に手を乗せる。
横でリゼットと刀花が驚愕する気配もそのままに、俺は少女の髪を撫でた。
「あ、あの……え、本当に、ですか?」
「ああ。よく、磨き上げた」
恐る恐る聞く六条に頷く。
勝利を確信し、そのつもりであったが……今、俺の胸から沸き上がる感情。それは悔しさでも、怒りでもなく。
……郷愁だった。俺は今、懐かしい空気に浸っている。
「豪壮なる中に、静謐なる美しさ。明鏡止水を体現したその姿……源氏武者とはかくあらねばならん。久しく見ていなかった面影を、俺はお前の中に見たのだ」
「あっ……」
みっちゃん……。
俺の柄を手に取り、数々の怪異を誅した者。
鬼を討ち取り俺を“童子切”とし、共に伝説を作り上げた者よ。
……
――お前の子孫は立派に成長し、お前が作り上げた心根と技を継いでいるぞ。
「天晴れ。努々、その武者としての在り方を忘れぬことだ」
「っ、は、はい!! ……や、やったぁー! 無双の戦鬼様に勝ちましたー!」
俺の言葉に目を輝かせ、六条は支部長としての顔を崩し、年相応にいとけなくなりながらはしゃぐ。
いや、掘り出し物だったな。
磨き上げられた技術とはそれだけで至宝である。それが俺に関わるものであれば、身内贔屓にもなってしまうというものだ。
「……あなたが素直に負けを認めるなんてね」
「でも、なんだか嬉しそうな顔してますよ兄さん」
「ああなに。親心のようなもの、かもしれんな」
親になったことなどないが、子の成長を感じた親というのは、こういった心地になるのだろう。
俺はうんうんと頷き、珍しく心地よさすら感じながら負けを認め――
「ふふ、それでは安綱様? 小紋の追加注文承りまして……合計百四十万円、お願いいたしますね!」
…………………………………………なに?
「よく聞こえなかった」
脳が理解を拒否したと言ってもいい。
このコソっと耳打ちしてきたなんちゃって源氏武者、今何と言った?
「ですから、百四十万円です。小紋はまあ一着十万円としましても、振袖におかれましては、六十万円程度は見積もっていてくださらないとお話しになりません。小物もありますし、拘れば上限などないに等しいですよ」
「な、なんだと……」
衝撃の事実を聞かされ、思わず目を剥く。
昨今の相場など無頓着だった……さすがに、それは……
「もちろん、リゼット様と刀花様が着られる一点ものです。それに糸目をつけることなど、まさか天下五剣の一振り、日本刀の頂点であらせられる童子切安綱様が……そのようなこと、されるはずありませんでしょう?」
「ぬっ……!?」
この小娘、はじめからそのつもりで……!
しかしここで喚き散らすのは二人の手前、我が尊厳に関わる!
酒上家家訓“兄とは常にかっこよく在らねばならない”。
俺は、彼女達のかっこいい戦鬼なのだ!
「…………………………む、無論だとも」
「ふふ、わーい。男前ですよ安綱様。ローンは良心的な価格といたしますので、ご安心を。そこまで私も鬼ではございません。そう、鬼では……ふふふ♪」
「……」
武者としてだけでなく、陰陽師としての底意地の悪さが垣間見える笑みを浮かべる六条。
鬼であるお株すら奪われた俺は、遠く遠く空を見上げる。
まあ、金にがめついのはある意味武士らしい。"武士は食わねど高楊枝"などという言葉ができるほどだ。武士には昔から金がいるのだ。
「じ、ジン、汗すごいけど大丈夫?」
「お腹痛いんですか兄さん?」
「うむ……い、いや――痛くも、痒くもないぞ!」
くっ、俺とてかつて源氏武者に握られていた一振り!
この程度の出費など、屁でもないわ!
「ふふ、今日は良い日でございますね、安綱様!」
「ぬぅ……」
みっちゃん、みっちゃん見ているか?
お前の子孫は立派に成長しているぞ……
――まったく、恨めしいほどになあ!
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