第144話「っ!? 今、何やら悪寒が……?」



「では、この二次式もたすきがけで解くようにして――」

『おお、なんだか懐かしい響き……何か思い出せそうかもですよ!』

「……」


 ……現状を把握するべきだ。そう判断する。

 件の幽霊少女――化野華蓮の思い人を探すことになったのは既に昨夜の話だ。


『化野華蓮』


 数学教師の話を聞き流しながら、白紙のノートにそう書き「むぅ……」と難しげに唸る。現状、確たる情報はこれしかないからだ。

 困ったことにこの少女は長きに渡り魂をすり減らし……あるいは己の魂の消耗を抑えるためか、そのほとんどの記憶を失ってしまっていた。

『思い人をあの屋上で待つ』――ただそれだけの約束を頼りにして。


『うむむ、やっぱり習ったことがある気がします。答えは分かりませんけど。戦鬼さん! 私、多分二年生以上だったのかもしれませんよ! あっ、でも天才美少女で飛び級とかしてた可能性も!?』

「……」


 ……俺は無言でノートに"頭は弱い"と書き足しておく。確かなことだ。

 教鞭を取る数学教師の横で、顎に手を当てて黒板の数式を睨む少女、と言えば聞こえはいいかもしれないが――フワフワと浮かび大声でこちらに呼び掛ける姿を見れば、どう考えても頭脳明晰という言葉からはほど遠い。


『いやー、久しぶりに屋上から離れましたけど、若い子っていいものですねえ。こう、活力に溢れてて!』


 今の貴様には負けるだろうよ。

 そう心の中で思いつつ、この場の誰より賑やかな存在を改めて視界に収めた。

 もちろんその者こそ幽霊少女、化野華蓮である。

 黒いセーラー服と野暮ったく長い黒髪を夜の海のように波立たせ、久方ぶりに見るであろう多数の生者に『ほー、へー』と感心したような声を漏らしている。

 なぜこの少女が屋上ではなく俺の教室にいるのかというと……これも戦略の一つだからだ。


『確かに、どこか胸の奥が疼く感じが……懐かしい感じ!』


 そう。

 昨夜、俺が彼女を屋上から投げたことで自分の名前を思い出したように。

 そこからヒントを得て、記憶を取り戻させる手段として現在、彼女に学園生活を追体験させているのだった。


『おおー、髪が明るい子もいるー』


 誰からも認知されていないとはいえ、多くの人間に近付く機会のなかった化野は、昨夜のおどおどした態度もどこへ行ったのか興奮しきりだ。

 ――が、時たま不安そうにして、こちらに声をかけてくる。


『……戦鬼さん、大丈夫ですか? 屋上、誰か来てません?』

「……」


 無言で首を横に振る。

 彼女が屋上から離れたがらないのは地縛霊であることも大きいが、その場を離れている間に思い人が現れることを恐れての事だ。

 情報を集めるために、このリハビリ(?)は必要なこと。これを実現させるために、屋上の気配は逐一俺が探っている。……通りすがりの霊さえ来ないほどだがな。


「ふぅむ……」


 俺は更にノートへ"薫風以前の学園生"、"百年以内の死者"と主と妹が推察した情報を記し……ため息と共にシャーペンを置く。


「……厄介な」


 情報が圧倒的に足りない。

 そもそも失せ物探しなど、戦鬼の機能には搭載されていない。だがリゼットと刀花も、化野を哀れに思っている。ならばその意を汲み、慈悲を彼女に与えてやりたいところだが……学祭までまだまだ期間があるとはいえ、先の長い話になりそうだ。


 なにか、化野の記憶を刺激するものでもあればいいのだが。

 俺はそう思い、気分転換も兼ねて視線を横に動かせば――


「あっ……」


 頬杖をついて、嬉しそうにこちらを眺める綾女の姿があった。


「わ、わわ」


 彼女は一瞬慌てたようにそのカフェオレ色の髪を揺らし、「あ、あはは……」とはにかんだような、どこか誤魔化すような笑みを浮かべてから前を向いた。

 ……肩口をくすぐるカフェオレ色の髪の間から見える耳が真っ赤であるが。


「む?……ああ」


 疑問に思うも、その理由もおおよそ見当がつく。

 今は授業中。いつもなら机に枕を置いて寝ている俺だが、綾女から見たら真面目に授業を受けノートを取っているように見えたのだろう。

 我が友は、俺が油断して世間一般的に良いことをすると、嬉しそうに笑みを浮かべるのだった。


『――ははあ、戦鬼さんも隅に置けない感じなんですねえ~。あんなに可愛い女の子二人と一緒にいましたのに~』

「……」


 なんだその絡みは。貴様そんな性格だったか?

 ニタニタと、そんな表現が適切な粘っこい笑みを浮かべた幽霊がこちらに向かってフワフワと浮かんできた。黒板は飽きたらしい。


『あれですか? 青春って感じですか? んもー、戦鬼さんもなんだかんだ可愛いところあるじゃないですかー。私もう彼氏いますけどー、そういう態度で接してくれたら私も少しは仲良く――ぐえ゛っ!?』

「……」


 唐突に絞められた鶏のような声を出して、自分の首をかきむしる。

 俺が指を人形師のように動かせば、目の前の幽霊は自分の意思とは関係なく、その身を磔にされた聖者のような形とした。


『人前ならば、この俺が貴様を害することができぬとでも思ったか?』

『この人、魂に直接……!? っていたたたた!? 調子こいてすみませんでしたー!?』


 鼓膜を揺らさぬ霊力の波で語りかけつつ、人の眼には見えないほどの細い糸で縛っていた彼女の身を解放する。

 衆目の前ならば、衆目の前なりの武器があるのだ。


『まったく、誰のためにこんなに頭を悩ませていると思っている』


 別に酸素を吸っているわけでもなかろうに、わざとらしく咳き込む少女に向けて言えば、彼女は驚いたように髪の隙間から見える黒い瞳を大きく見開いた。


『えっ、まさか戦鬼さんそんな真剣に私のことを……』

『違う、お前を憂う我が主と妹のためだ。勘違いをするでないわ』

『えー、この人もしかして面倒くさい……?』


 以前の綾女のような反応を返すな、俺は面倒ではない。

 俺がもう一度確かめるように隣に眼をやれば、今度は綾女がこちらに気付き、小さく微笑み手を振ってくれる。可愛らしい仕草だ。


『……あれ?』

『なんだ』


 そんなやり取りをしていれば、それを見ていた化野が不思議そうな声を出して胸を押さえる。


『今なんだか、すごくこう……沸き上がってくるものが……?』

『ほう……?』


 俺と綾女のやり取りを見てか?

 一体何がこの者に刺激を……


『――あっ、分かりました! 恋ですよ恋!』

『む?』


 今度はこちらが疑問の声を出せば、化野は『いいですか?』と人差し指を立てる。


『私はいわゆる、悲恋の美少女幽霊。ということは、恋に関することなら私の魂を刺激して記憶を呼び覚ます切っ掛けになるということですよきっと!』

『なるほどな……』


 突っ込みどころがあったが、突っ込んでほしそうな顔がムカつくので放置。

 だが、確かに説得力はある。


『ほらほら、もっと隣の女の子と甘酸っぱいやり取りしてくださいよ! そうしたら、私も何か彼としたことを思い出せるかも!』

『甘酸っぱいやり取りぃ……?』


 それはどういった行為なのか。しかも授業中だぞ。授業中の綾女はあまりお喋りをしたがらない。授業中にうるさくするのはダメなことだからだ。


『うーむ……』


 俺は唸り、このクラスを見渡してみる。

 人間に教えを乞うのは癪だが、折角見付けかけた手がかりを不意にするのもまた腹立たしい。背に腹は代えられぬ。


『……む?』


 そうしてつぶさに観察すれば、なにやら教師が板書をしている間にコソコソと動きを見せる者達がいる。あれは……


『手紙か?』

『あ、よく見るやつですねー』


 女子がなにやら小さい紙切れを、他の女子に渡す。そうして渡された者はそれに目を落とし、おかしそうに肩を震わせていた。


『あれは友達同士ですけど、それ以上の関係の人達がやれば素敵でしょうねえ』


 うっとりと、頬を染めて言う化野には実感が籠っているように感じる。生前にそういったことをしたのかもしれん。

 ならば……俺も綾女に書いてみるか。


「……」


 俺はビリッとノートを小さく破り、形を整える。

 問題は内容だが……さて、この小さな紙面をどうしたものか。


『なんですかなんですか? なんて書くんですか?』

『うーむ』


 いわゆるこの回し読みの文化は、このコンパクトなやり取りに味があるのだと当たりをつける。

 長い文面だと思考を集中させねばならず、授業中という拘束された時間の中で、短くも自由と背徳を楽しむもの……であると心得る。おそらくだが。


『甘酸っぱいものにしてくださいよー? それになにも文章じゃなくてもいいんですから』

『……ほう?』


 それはどういう……いや、待て。

 そういえば小さい頃の刀花にそういった手紙を貰った覚えがあるぞ。あれを参考にしてみるか。


「……」

『見せてくださいよー』


 なんとか覗き込もうとする化野から隠しつつ、小さい紙片に図形と文字を少し。この程度であれば絵心も必要ない。

 よし、あとはこれを折り畳み……


 ピッ――


「? わっ」


 スナップをきかせて投擲すれば、狙いたがわず綾女の目の前に手紙が滑り込む。


「え、え? うそ、刃君から手紙……?」


 よほど意外だったのだろう。

 俺が投げた手紙を、綾女は目を白黒とさせ眺めている。眺めるだけでなく開けて読んでほしいのだが……。


「ご、ごくり……」


 両手で持った手紙を、どこか熱に浮かされたようにぽーっと眺めていた綾女だったが、一瞬ハッとしてぶんぶんと首を振ってから開封の儀に入る。丁寧だ、多分包装とかも綺麗に剥がすタイプなのだろう。

 そうして、ゆっくりとその手紙を開ければ……


「はぅっ!?」


 そんな声と共に、爆発したかのように綾女の顔が真っ赤に染まる。

 彼女が眺めるその紙面の上部には三角形が描かれ、それを真ん中から分けるようにして一本の線が下に伸びる。

 そしてその線を挟むようにして、俺と綾女の名が連なっていた。


 ――俗に言う、相合い傘というやつだ。


 初学生の頃の刀花が、よく落書きでこれを書いていたのを覚えている。

 その図形に名を連ねるだけだというのに、なかなかに微笑ましく温かい気持ちになれる不思議な図形であった。


『かー! あざとい! 戦鬼さんあざとい! でもいい! いいですよー! なんか高まるものがありますよー!』


 なにがあざといのだ……。

 親指を立てる化野を睨む。綾女に送った手紙は真剣に書いたものだが、そもそもこれはお前の記憶を刺激するためにしているのだぞ。

 まったく、と。俺がどこか変調がないかと化野を観察していれば……


 ちょいちょい。


 可愛らしくこちらの袖を引く感触。

 隣を見れば、こちらが心配になるほど頬を染めて瞳を潤ませる綾女が手紙をこちらに差し出している。


「っ! っ!」


 何も言わずぐいぐいと押し付けられる手紙を受けとれば、彼女はすぐさま机に置いた自分の腕に顔を伏せてしまった。授業中の彼女にしては珍しい。


「んー……?」


 どうやら彼女が何か書き足したらしいそれを、無造作に広げる。俺は包装を豪快に破くタイプなのだ。

 そこには――


「!」

『きゃー!♪』


 酒上刃の名前や相合い傘の図形は変わらない。

 しかし、薄野綾女の文字が……


『酒上綾女、ですってー! きゃあきゃあー!』


 薄野の二文字に二重線が引かれ、酒上に変更されていたのだ。

 黄色い声を上げる化野を横にもう一度隣を見れば、顔を伏せる綾女の首筋がそれはもう真っ赤に染まっている。なんならプルプルと羞恥に震えてもいる。


『いや分かりますよー! ノートの隅っこに書いちゃいますよね! 好きな人の名字を自分の名前に組み合わせて書いて、そして恥ずかしくなって急いで消しちゃうやつー! 思い出しました思い出しました!』


 なるほど、そういうものらしい。刀花は最初から酒上だったからな、盲点であった。

 それにどうやらその口ぶりから、少しは化野の記憶を刺激できたらしい……綾女の乙女心と羞恥を犠牲にして。ありがとう、我が友よ。その献身、戦鬼は一生忘れはせぬ。


『それで、どうだ?』

『あ、はい!』


 今は綾女に声をかけない方がいいだろうと判断し、なにやらしきりに頷く化野に聞く。何か思い出したか?


『――私、そういうことしてませんでした!』

『我流・酒上流悪霊退散術――“除霊じ』

『わー!? 待ってください言葉足らずでしたー!?』


 こやつ悪霊の類いではあるまいな……。

 視線のみでどういうことか聞けば、化野は震えながら語る。


『お、同じ生徒同士ではそういうことはやらなかったって事を思い出したんです! つまり、私の恋の相手は生徒ではなくって――先生だったって事です!』

『ほほーう』


 なるほど、と頷く。

 先日、刀花が予想していた通りか。まあ当時の学園内で非難される恋など、そう多い種類もあるまい。


『して、その者の名は』

『それは……まだ、ですけど……』

『……うーむ』


 肩を落とす化野。

 嫌味でも言おうかと思ったが……やめだ。今、一番苦しんでいるのは俺ではない。愛する者の名も思い出せぬのは……半身を失うに等しい事なのだからな。

 ……しかし、これでは埒が明かん。

 試しにネットで調べてみても、事件の記事も化野の名前もなかった。百年近い時間の壁は厚いのだ。

 となれば――


『ここは一度、便利屋に相談してみるか』

『……便利屋?』


 俺の尻拭い担当とも言い換えられる。

 地球サッカーの報告書を書いている途中で、ついに胃を痛めたと噂の赤い組紐の少女に、さてどのように追い打ちをかけようかと、俺は今から楽しみにするのだった。

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