第142話『殺さないでくださーーーい!!??』
夜の校舎には恐怖がいっぱいだ。
「ひっ、なにあの灯り……人魂!?」
「消火栓ですね」
「ね、ねえ! この廊下さっき通らなかった!?」
「同じ造りですからねえ~」
「きゃー! 窓ガラスに吸血鬼ー!?」
「リゼットさんですねえ~」
吸血鬼は鏡に写らないと聞くが、そういえばリゼットは普通に写っているな。どれだけ吸血鬼の才能がないのだ。もうこの子、吸血鬼ではないのではないか……?
あらぬ疑惑をかけられるそんな少女は、こちらの左腕を取り込まんとするほどにしがみつき、白いセーラー服を着た身体をガタガタと震わせている。
色白の肌はさらに色を悪くし、その紅い瞳は警戒する小動物のように辺りをキョロキョロと見渡していた。
「あ、あなた達は怖くないの……?」
「兄さんが守ってくれますので。極論、兄さんの隣が一番安全なのです」
「俺はむしろこの時間まで灯りが点いている職員室の方が怖い」
「怖いのベクトルが違う……」
主と同じくセーラー服に身を包んだ妹が右腕にむぎゅっと抱き付く感触を心地よく感じながらも、俺は内心薄ら寒くなる。
現在、草木も眠る丑三つ時。まったく午前二時だぞ午前二時。労基はどうなっているのだ。
特別教室の集まる東棟の廊下から外を覗き込めば、闇に染まる校舎の中で、まるで誘蛾灯のようにポツンと職員室のみ灯りが点っている。
三人で固まり薄暗い廊下を歩きながら、俺はブルッと肩を震わせた。
「あな恐ろしや……」
「あれ絶対カード切ってますよね」
「公務員って残業代無いんじゃなかったかしら?」
ひー。
「俺は今日一番の恐怖を感じたぞ」
「なんでよ……」
タダ働きなど、人間としても戦鬼としても捨て置けん。
多大なる犠牲を払わせ、大いなる力を与える。そうした契約に生きる俺にとって、よほどのことでもない限り無償などあり得ないことなのだ。
「まったく、江戸の頃は『夏マジ無理』と寝具を質屋に入れてまで働こうとしなかった者共もいたというのに。その末路がこれか……」
「ま○くろくろすけさんです」
「ねえなんで夜の校舎で労働者を憂いてるの?」
「え? じゃあ元に戻して怖い話します? あっ、ちょうどそこの理科室にある人体模型はですね――」
「きゃー!? やっぱりやめてー!」
ぐいぐいと腕を引っ張って理科室を覗こうとする刀花に対し、リゼットは目を瞑り全力の抵抗を見せる。引っ張られる俺の両腕が千切れそうだ。
俺はそんな二人をなだめながら、怖がるマスターに声をかけた。
「マスター、矮小なる怪異に惑わされるな。そもそも真に恐れるとするならば、この戦鬼を恐れて欲しいところだ」
「えー? あなたって別にそういう感じの怖い雰囲気じゃないし……」
む。
鬼だぞ? 日本三大妖怪にも数えられる恐ろしい怪異なのだぞ鬼は。
「人を襲い、子どもをさらい、傍若無人の限りを尽くし。悪の代名詞にまで上り詰め、時には崇められすらするのが鬼という存在だ。あるかも分からぬ幽かな存在より、よほど恐ろしかろう?」
「でもあなた私のこと大好きでしょ?」
「無論だ」
「じゃあ怖くはないわねえ……」
「むぅ……」
有象無象の怪異より恐ろしいモノを従えているというのに……彼女はすげなくそんなことを言う。
相変わらず無双の戦鬼を下僕としている自覚が足りんようだ。俺は悲しい。
俺がそう嘆いていれば、隣の刀花が元気よく腕をブンブンと振る。
「はいはーい! 妹は鬼さん怖いって思ってます!」
ほう?
「どのあたりが怖いと思うのだ?」
「そうですねえ……子どもをさらっちゃうところとか!」
「ほほう、恐ろしいと思うか?」
「はい、自分の身に起こっちゃったらどうしようかと思っちゃいました! チラッチラッ」
「ククク、そうかそうか。よし、では今夜は可愛い妹を俺のベッドにさらうとしよう」
「きゃあん、とっても怖いですー♪」
「その辺のシミの方が怖かったわね……」
「シミと比較される俺の立場よ……」
俺が頬をひくつかせていると、楽しげにしていた刀花がリゼットの言葉に首を捻る。
「あー、三つの点を見たら顔に見えるっていうあの……なんでしたっけ?」
「シミュラクラ現象よ」
「あ、それですそれです」
「しみゅ……なんだそれは?」
横文字は好かん。
眉を寄せていれば、刀花が「えっとですね」と唇に指を当てる。
「例えばあの壁にあるシミが……シミないですね」
「いいことじゃない」
「じゃあ兄さんの乳首とおへそがですね」
「なんで?」
和装であった俺の襟を、刀花がガバッと開くのを見てリゼットが素の声で突っ込んだ。俺も分からん。
「ほら、この三つの点が錯覚で顔に見えるって話です。これがシミュラクラ現象なのです」
「おうふ」
「ちょ、ちょっと変な声出さないでよ変態!」
刀花が指でちょんちょんと触るのでつい声が出てしまった。
「心霊写真とかは、この現象が主な原因らしいですよ?」
「なるほど、枯れ尾花と似たようなものか。よく分かった」
「乳首とおへそに例えられる心霊現象可哀想……わ、分かったなら早くしまいなさいよ」
「なんだ興奮したか?」
「なんっ――ばっ、ばっかじゃないの!?」
「私は少し変な気分になっちゃいました……ぽっ」
「……さ、そうこうしてる内に着いたぞ」
「え、この流れで!?」
激昂する主と、赤くなった頬に手を当てる妹に促す。
階段を上がりきり、俺達は立入禁止の札が貼られた扉を前にしていた。長らく放置されていたゆえか、扉だけでなく南京錠すら錆び付いている。
諸共に置き去りにされたかのように、その扉はひっそりとそこにあった。
「鍵は?」
「必要が?」
我が主は律儀なものだな。
手をかけ、腕力のままにバキリと鍵を壊す。交換している様子もない、責任は問われんだろう。
「……今のところ泣き声は聞こえませんね」
「うっ、そうだった……」
幽霊の特性を思い出したのか、リゼットは顔を青くする。
綾女の話では、現れぬ思い人を待ち泣いているということだったな。確かに、耳を澄ませてみても今は何も聞こえない。
「よし、開けるぞ?」
「ラジャーです!」
「――っ」
刀花は敬礼を返し、リゼットはゴクリと喉を鳴らしてこちらに寄り添う。
そんな彼女達に頷き、俺はどこか悲鳴のようにも聞こえる音を鳴らす扉を開け放った。
「ん……」
開けた瞬間、独特の香りが鼻を掠める。
恐らく、俺のみが感じることのできる感覚。人の怨嗟を食い散らかし糧とする妖刀が持つ、人の感情を見極める知覚が、ある感情を敏感に察知する。
このしみったれた、夏の雨の日のような香り。
――これは、悲哀か。それとも寂しさか。
「……ど、どう? いる?」
「ふーむ……」
主の声に、少々感じ入っていた顔を上げる。
少し朽ちているが、頑丈そうなフェンスに囲まれた広い屋上だ。飛び降りがあったということから、このあたりはさすがに手が込んでいるな。
見事な月明かりが照らす屋上に立ち入りながら、つぶさに観察をおこなう。
他には雨で錆びたベンチに、使用していなさそうな室外機。
そして奥まったところに、ポツンと寂しそうに立つ給水塔が――
『しくしく……しくしく……』
「あ、兄さん……」
「ひっ!?」
「……ほう」
……聞こえた。
かすかだが、喉のひくつくような音が。
「あれは……」
それは給水塔の上。
まるで灯台のようにそびえ立つその給水塔の一番上に……月明かりを纏うようにして"それ"はいた。
『しくしく……しくしく……』
長い黒髪を風に揺らし、それはひたすらに涙を流す。
その涙は儚き結末を悔いてなのか、孤独に耐え続ける日々を嘆いてなのか。
自分はここにいると主張するかのように、それは幽かに光を放ちながら、確かにそこに座っていた。
間違いない、あれは……
「ゆっ、幽霊……!?」
『しくしく……しくし――』
「あっ」
リゼットの思わず上げた声に、泣き声が止む。
長い黒髪が顔に流れ、どのような顔かは分からないが……こちらに気付いたらしい。
『……誰、ですか』
「ひっ」
ゆらり、と。
残像を引きながら、それはスローモーションで立ち上がる。
風の影響なのか、それともまた別の原理なのか。その幽霊が着る黒いセーラー服が、まるで夜の海のように揺れている。見る者によっては根源的な恐怖を感じさせる色合いだった。
『もしかして……あなた、ですか』
「な、なにがっ?」
裏返った声で、リゼットが問う。
そうすれば、揺らめく女はカタカタと身体を震わせた。
『あなたが……"あなた"ですかぁあぁぁぁぁあ?』
「ひぃ! フレームレート高い動きぃ!? ち、違いますうぅぅぅ!?」
ギョロリ、と。
横を向いていた顔が生々しい動きでこちらを向けば、恐怖に耐えきれずリゼットがそう答えてしまう。
だがそれは悪手かもしれんぞ。こうした手合いは、意に沿わぬ回答をすれば襲ってくるのが常だ。
『じゃあぁぁあぁぁああ――』
「ひいぃいぃぃいい!?」
カクカクと痙攣するように頭を揺らす幽霊はまるで導火線の点いた爆弾を思わせる。
『あなたはぁあぁぁあぁぁあ――』
古いカーテンのように揺らめくその存在は、地獄から響くようなおどろおどろしい声を上げ――
『誰なんですかあぁぁあぁぁあ――!!』
「きゃあぁぁぁあぁあ!!??」
重力の影響を感じさせない滑らかな動きで、こちらに向けて突進してきた!
それを俺は――
『かーえーれえぇぇええ――――はう゛っ!?』
……がっしりと。
その無防備に突っ込んできた頭を右手で掴みとった。小さい頭で助かる。
『……』
「……」
……じたばた。
『……』
「(がっしり)」
じたばた。
『え、いや、あの……何で掴んで……私幽霊……』
「だからなんだ」
『えっ、なんだと言われましても……』
「ふわふわと浮くしか脳の無い地縛霊が、怨霊の真似事とは健気だな。よほどこの場所が大事と見える」
『は、は、離してくだ――いたたたたたた!?』
痛覚はあるのか。
右手を握り込めば、幽霊は浮きながら一層身体をじたばたさせる。頭蓋を砕けば脳漿は飛び散るのか、興味は尽きん。
『いいい痛いです痛いです! あなた誰なんですかぁ!?』
ん?
「あーあ……聞いちゃったわこの子」
「スマホスマホ~……スマホに幽霊さん映りますかね?」
そんな俺達の様子に緊張も解けたのか、二人は呑気にそんな声を漏らしている。
だが……今、この者……
――この俺が誰かと、そう問うたか?
「ク、ククク……ハーハハハハハハハハ!!!」
『ひっ!?』
唐突に哄笑を上げる俺に、腕の中の幽霊は恐怖の声を上げる。
いいぞ、弁えているな。分際を弁えている者は好きだぞ。鬼は恐れられてこそだ。
ならば、たとえ数瞬の後に消え去る定めにあるか弱き魂といえど、名乗らぬというのも無作法というもの!
「自己紹介が遅れたな……」
メキメキと肉を割る音と共に、天を嘲笑う黒き二本角を顕し。
闇より深き衣をバサリと広げ、俺はその幽かなる存在の問いに答えた。
「我こそは! 五百の魂を生け贄に、鬼を斬った妖刀を媒介に創造されし無双の戦鬼である!! 幽かなる者よ、出店のスペース確保のため――消えてもらうぞ!!!」
「出た出た……」
「きゃー、兄さんカッコいいですー♪」
いつもの見得を切る俺に、リゼットは呆れたように首を振る。
一方、刀花はいつの間にか『兄さん♡』『さらって!♡』という、なにやら派手な色のモールに覆われた団扇をこちらに振っていた。アイドルのライブ中継でそういうの見たことあるな。
そんな俺達を前に、生殺与奪を握られた哀れな幽霊は……
『こ、こ……殺さないでくださーーーい!!??』
給水塔の上で流していた涙よりも切実な涙を流し、命乞いをするのだった。
死んでいるくせに、ギャグで言っているのかそれは?
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