第140話「当日までにカメラを用意せねばならんな」



「ほうほう……出し物によってはスペースの確保が必要となるものもある、か」

「ジン? 何してるの?」

「マスターか」


 夜の自室で学園祭に関する資料を読み込んでいれば。

 豪奢な金髪を靡かせた少女が不思議そうな声を上げながら、ノックもなく入室してきた。出会った頃の警戒心などもう微塵も残ってはいない気安さだった。


「珍しいわね、お酒も飲んでないなんて」

「ああ、少し集中していた。だが、今一段落着いたところだ」

「そう?」


 白く丈の長いネグリジェに身を包んだリゼットは、勝手知ったるといった雰囲気で冷蔵庫に近付き、冷えたワインボトルと二つのグラスを取り出してみせる。


「ふふ、じゃあ少しいかが?」

「いいな」


 そう言うと、彼女は嬉しそうな笑みを浮かべて手に持つグラスに視線を注ぐ。

 先日、雑貨店で見つけたペアのワイングラスだ。飲酒が許される俺とリゼットだけのお揃いのグラスとして活躍している。

 過度な装飾は無く、最低限の金が縁取られた上品な逸品で、彼女は今あれがお気に入りなのだった。

 おかげで、最近はよく彼女と晩酌を共にする機会が増えた。とてもいいことだ。


「ああ、準備委員会のやつね」


 対面に座った彼女がテーブルの上にあるプリントを一瞥し納得したように頷いている。

 俺はそんな彼女からボトルを受け取り、手刀で先端を斬り飛ばして赤い液体をグラスに注いだ。


「あなたがねえ……どういう風の吹き回しなんだか」

「仕方あるまい、友の頼みだ。報酬も前払いで貰ってしまったからな」

「ふぅーん……?」


 綾女に頼まれて役を引き受けたことは既に伝達済み。

 目の前のリゼットはワインと同じ色の瞳をじっとりと細め、どこか含むような声を上げてグラスを傾ける。

 俺はそんな彼女の様子に、少し肩の力を抜いた。


「そう嫉妬するな。マスターとの時間もきちんと作る」

「それならいいの――って嫉妬じゃないわよ。自分の下僕が他の女の子にうつつを抜かさず、ちゃんとご主人様のお相手をできるか試してるだけ」


 それは嫉妬なのでは……?

 妙な言い回しに首を傾けつつも、俺もグラスを傾ける。普段使わぬ領域を酷使した脳が、アルコールの熱でほぐされていくようだ。


「ふぅ……俺であれば嫉妬するぞ。マスターがペアとなって他の男と活動することになれば」

「そ、そう……?」

「ああ。マスターを独り占めしたいと、そう思うだろう」

「……それ、あなたが言っていいセリフじゃないでしょ? もう」

「クク、そうだな」

「ふんだ、悪い人」

「鬼だからな」

「……」

「……」


 しばらくの沈黙の後。

 湿っぽい瞳を向けていた我が主は、ふと視線を逸らしてポツリと呟く。


「……独り占め、しないの?」

「……では、少し」

「んっ、ふふ♪」


 いじらしい彼女のお許しに、俺は少しだけ彼女に手を伸ばす。

 その赤い血の通った柔らかい頬。スベスベしたほっぺをくすぐるように指でなぞれば、彼女は瞳を柔らかく細めてこちらの手に頬を預けた。


「ふ、ふふふっ……くすぐったいわもう、やー♪」


 酒も入り就寝前となるこの時間、彼女のガードは少し緩くなる。

 いつもより素直に甘えてくれる可愛らしいご主人様に、俺の胸も多幸感で満たされていった。


「約束しよう。この学園祭の準備、友の頼みではあるが、同時にマスターのためにも全霊を賭すと。きっとマスターが楽しめるものにしてみせるとも」

「ふふん、許しましょう。なんちゃって」


 得意気にふんぞり返るが、途中でおかしくなったのかクスクスと笑う。

 そんな愛しい彼女に、俺は改めて忠誠を誓うのだった。


「……とは言ったが、学園祭の企画とやらはなかなかに多様なようだ」

「へえ? 見せて見せて」


 しばらく触れ合った後、俺がそう言うとリゼットは少しワクワクしたような雰囲気でプリントの束に手を伸ばす。


「クラスだけじゃなくて、部活動での出し物もあるのね。出店に喫茶に……」

「ホラーハウスだの研究成果の展示だの、まさにごった煮といった感じだな」

「むふー、そして夜にはキャンプファイヤーを囲みながらのフォークダンスです。一緒に踊りましょうね、兄さん」

「ちょっと、ご主人様が先なんだから――ってトーカ!?」


 いつの間にか混じっていた妹の声に、リゼットはギョッとして視線を上げる。

 その視線の先……俺のベッドの上に座る刀花は、「うーん」と一つ伸びをしてから欠伸を漏らしていた。


「いつの間に!?」

「え、最初からいましたよ。少し寝てました」

「最初からって……み、見た?」

「リゼットさんって二人きりの時は結構甘えちゃうんですね。『やー♪』なんて……可愛かったですよ?」

「きゃーきゃー!?」


 羞恥に頬を染めたリゼットが喚くが、刀花はどこ吹く風でベッドから降りる。

 マイペースさにおいて、我が妹は随一なのであった。


「あ、お酒。羨ましいです……兄さん、私にも少しだけ……」

「いくら可愛い妹の頼みでもそれは聞けんな」


 物欲しげに唇に指を当てる刀花に首を横に振る。

 我こそは無双の戦鬼。妹の健康を守護するのも、兄の務めであるがゆえに。


「ぶー、兄さんのけちんぼー」

「お前の身体を案じているのだ、許せ」

「……妹のことが大好きだから?」

「いいや、妹のことが世界で一番大好きだからだ。見くびって貰っては困る」

「……むふー、じゃあ仕方ないですね」


 膨らんだ頬がふにゃっと変わるのを見届ければ、刀花は「よいしょ」と俺の膝に座り共にプリントを覗き込む。柔らかく温かいお尻の感触が心地良い。


「兄さんのところはどんな出し物をするかは決まってるんですか?」

「いや、まだだな。そちらはどうだ?」

「役員が結構早くに決まったので」

「……残り時間でそこそこ話せて、方向性としては演劇になりそうなの」


 刀花の言葉を引き継ぎ、少し居心地の悪そうなリゼットがそう呟く。

 ほう、演劇か……。


「大掛かりなものになりそうだな」

「そうですね。学園祭の花形と言っても過言ではありません」

「配役は決まっているのか?」

「まだよ。でも何かやらされそうで怖いのよね……」


 瞳を輝かせる刀花に対し、リゼットは少し憂鬱そうだ。

 偏見だが、貴族であれば演劇にも造詣が深そうに見えるが……。


「観るのはいいけど、やるのはねー……」

「でもリゼットさんは文句の付けようのない美少女さんですから、絶対声はかかると思いますよ」

「うむうむ。我がマスターの美貌は天上天下において他になし。きっとお姫様として出てしまえば、お姫様と書いてお姫様リゼットと読まれるようになるに違いない」

「ほ、誉めすぎよもう……そ、そうかしら?」


 リゼットは満更でもなさそうにして、照明に反射しキラキラと輝く金髪を指でクルクルといじり照れた。押しに弱いタイプとお見受けする。

 そんな姿に気をよくしたのか、刀花は少し芝居がかった口調で言葉を重ねた。


「悪い魔法使いさんに騙され、眠りに落ちたリゼット姫さん。そしてそんなお姫様を助けるべく現れる、運命の王子様!」


 ああ? 王子様だと?

 知っているぞ、王子とは姫に口付けする役だろう。許さんぞ。


「――この俺を倒せぬ者に姫はやらんぞ」

「あなた誰なのよ……」

「セリフ的にお姫様のお父さんでしょうか」

「悪い魔法使いどこ行ったのよ……」

「俺が先に殺した。愛娘を傷つけられて黙っていられるものか」

「このパパ物騒すぎない?」

「お義父さん! あなたを倒し、娘さんは私がいただいていきます!」

「あなたが王子様だったの!?」


 なんと、妹が王子様だったとは……なんたる悲しき運命か!

 しかしこのパパ戦鬼、妹とはいえ姫を奪われるわけには――!


「とーう!」

「ぐわー」

「パパよっわ」


 一瞬で倒された。

 絨毯の上でくたばる鬼親父を横目に、刀花王子様は颯爽とお姫様に駆け寄る。


「むふー、さあお姫様、お待たせしました。お迎えに上がりましたよ」

「待ってないのよねえ……っていうか、ああいう王子様ってお姫様と過去に何か繋がりあったかしら? 結構ぽっと出じゃない?」

「くっ、悪い魔法の影響で記憶の混乱が見られます! 幼い日に誓い合ったではありませんか!」

「あ、昔の約束とかそういうの好き」

「――『世界を半分やる』って!」

「あなた悪い魔法使いね?」

「むちゅー……」

「きゃー!? ホントにキスしようとしないで! ジン、助け――」

「いつでもいいぞ……ドキドキ」

「なにドキドキしながらカメラ構えてんのよ――きゃー! やめてー!?」


 なんだこの気持ちは……我が主が妹に取られようとしているというのに。

 悔しい……だが、それがいいのだ。


「ちゅっ♪」

「うわーん! ホントにしたー!」


 別に頬っぺになど友人同士でもするだろうに。

 しかしこの二人の写真を見て、ときめきを覚えるのはなぜだろうか……。


「――だがなるほど、刀花はマスターより背も高い。男装すれば様になるだろうな」

「そうですか? でしたら、たまにはカッコいい妹も見せちゃいますよ!」

「ええー……」


 すっかりやる気になってしまった刀花に、リゼットは微妙そうな声を漏らすが……まあもし姫役に抜擢されたら、この展開が一番の落とし処だろう。話題にもなるだろうしな。とうりず尊い……。


「もしそちらの組が演劇をするようであれば、こちらは時間が作りやすいものの方がいいだろうな」

「でしたら……当番制にできる出店か、展示物とかですかね?」

「ほう、ならば綾女もいることだ。教室を喫茶店にするというのはどうだ?」

「あ、待って。それって結構下準備とか面倒らしいわよ? 衛生に配慮しなくちゃいけないし、生クリームも使えるかどうかギリギリって聞いたことあるわ。申請も通さないといけないし」

「なんだそれは……」


 喫茶店に生菓子が無いなど喫茶店である必要がないではないか。

 うーむ、綾女の長所を活かせるかと思ったが、これでは逆に負担を掛けてしまいそうだ。没だな。


「面倒な……もう俺が刀を幾振りか出して、それを展示でいいだろう」

「警察来ちゃうからダメ」

「ううむ……」


 まったく、一筋縄ではいかぬものだな。

 プリントの束にもごちゃごちゃと注意事項が書かれていて煩わしい……


「ちっ、やはりまどろっこしいな。学園祭などという下らぬ行事、この戦鬼が即刻叩き斬ってくれ――」

「あ、私、兄さんがやってる屋台のもの食べてみたいです!」

「妹が言うなら仕方ないな!」

「このシスコン戦鬼……」


 称賛が気持ちいい。


「たこ焼きや、焼きそばの屋台もあるな。火を入れるのならば申請も通りやすいのか」

「あ、ごま団子なんてのもありますよ! 美味しそうです……」

「よし、火を入れる甘いものを中心に、綾女に相談してみるとしよう」

「わーい!」

「私物化じゃない……?」


 ある程度は構うまい。

 誰もやりたがらぬ準備委員となってやったのだから俺が法だ。黙して従うがいい。


「これならば当番制になり時間を取りやすくなるな」

「あ、じゃあ学園祭の回り方どうします? 分けて二人っきりにするか、それか家族三人で回るか」

「か、家族って……もう……」


 "家族"という言葉に反応しテレテレとするリゼットに微笑ましくなる。決まりだな。


「では、三人でいいだろう。マスターもその方がお気に召しているようだ」

「う、うるさいわね……悪い?」

「いいや、家族だからな」

「むふー、じゃあ当日は刀花お姉ちゃんにしっかりついて来てくださいね」

「え? いや姉妹って言うなら私が姉でしょ。取り纏め役として」

「えー? 私ですよう。家事とか得意ですし」

「雰囲気的に私でしょ」

「実質的に私ですよう」

「……」

「……」

ジン兄さんどう思うどう思います?』


 甲乙付けがたいものだ……。


 どっちが姉かで言い合う二人を眺めながら、俺は先ほどの会話を纏めてメッセージに打ち込み、綾女に相談を持ちかけるのだった。

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