第132話「秋は誘惑がいっぱいなのです!」



「秋は誘惑が多すぎます!」


 バァン、と。

 そんな台詞と共に刀花がリゼットの私室を勢いよく開ける音を、俺は仰向けになりながら聞いていた。


「んむっ!? ――ぷはっ。と、トーカ! 部屋に入る時はノックくらいしなさいな!」

「……何してるんですか」

「最近流行のゲームだ」


 休日の朝。

 いつも通りの眠り姫な彼女を起こす業務中にて。

 俺をベッドの上に押し倒し、しなだれかかっていた甘い温もりが慌てたように離れていくのを寂しく感じながらも、怪訝そうな妹の問いにそう答える。


「げ、ゲーム、ですか……? それはどういう……」

「『互いに好きと言い合って、先に高まってキスした方が負けゲーム』だ」

「じ、ジン!」

「へ、へぇ……?」


 名を告げれば、リゼットは真っ赤になって慌て、刀花は眉をヒクヒクとさせながらも笑みを絶やさない。

 ふ、知っているぞ。若い恋人同士では流行のゲームなのだろう? 我がマスターからそう聞いている。


「い、妹は寡聞にしてそのようなゲームは存じ上げませんので、ルールを教えてくださいますか?」

「先攻、後攻をじゃんけんで決め、交互に耳元で相手への好意を口にする。言葉選びは自由、お触りは三回まで。先に相手への愛情が爆発し、キスをしたら負け……そうだな、我がマスター?」


 おお、なぜかリゼットが「殺して……いっそ殺して……」と言いながら顔を手で覆っている。耳の先まで真っ赤だ。


「ちなみに今朝の戦績はどうだったんですか?」

「引き分けだ」


 はじめは交互に好意を口にしていたはずが、いつの間にか順番を守らず隙あらば言い合いになり、そのままどこからともなく唇を合わせていた。


「そうしてマスターが俺の首に腕を絡め、押し倒して唇を夢中で吸っていたところで刀花が扉を開けたというわけだ」

「なるほどぉ……ではここでリゼットさん、一言お願いします」

「イギリスかえる……」


 なぜだ。

 涙目で震えるリゼットに首を傾げる。

 まあ恥ずかしがり屋のマスターだ、対戦を見られて恥ずかしかったのだろう。


「対局ありがとうございました」


 俺は日本人らしく、ベッドの上で彼女へ礼。鬼も敬愛する相手であれば、義を重んじるのだ。


「して、夜の対局は朝とは違い、マスターを後ろから抱き締めながら寝るまで睦言を囁くというルールで合って――」

「もうやめてぇ!! 私が悪かったからぁ!!」


 夜の方のルールを確認しようとすれば、リゼットは堪えきれないというように泣いて布団を被ってしまった。


「……着替え、渡しておくぞ」


 朝の業務もこなさねばな。

 こんもりとしてプルプルと震える塊に服を近づければ、布団の隙間から服を奪われた。新種の妖怪か?

 ちなみに最近すっかり秋めいてきたため、彼女達の服装も長袖へと移行している。生地はまだ薄いが、季節の変遷を感じさせた。


「それで、刀花。秋の誘惑とは?」

「え? あ、そうでした。『互いに好きと言い合って、先に高まってキスした方が負けゲーム』の話ですっかり……」

「しくしくしく……」


 もぞもぞする布団の中からすすり泣く声が聞こえる。新種の幽霊だろうか……。


「コホン、いいですか兄さん」


 仕切り直すように咳払いをし、我が妹は指をピンと立てた。


「秋、それは魅惑の季節です。暑い夏から涼しくなって過ごしやすい季節。スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋……何かをするにはもってこいの季節です」

「そのようだな」


 少し早いが、紅葉が美しく染まるのも秋だ。

 幸いこの屋敷は木々に囲まれている。行楽には事欠くまい。そう思うと楽しくなってくるものだ。


「つまり、この季節に何をするべきか決めあぐねているというわけか?」

「そうなのです。秋刀魚も美味しいですし、栗も松茸もご飯に混ぜ混ぜして……ああ、焼き芋も捨てがたいですぅ♪」

「食欲の秋しかないじゃない……」


 ぷはっと、復活したのかリゼットが布団から出てくる。寝間着を脇へと放り、その身は長袖のブラウスとロングスカートに変わっていた。


「妹肥ゆる秋とはよく言ったものです」

「初めて聞いたわ」

「まあ確かに、この季節の刀花はあまり体重計に乗りたがらない」


 普段から乗りたがらないが、この時期は風呂嫌いの猫並みに嫌がる。

 うんうん、と頷いていると刀花は拳を握り、クワッと目を見開いた!


「そこで妹思ったわけです!!」

「声でっか……」


 まるで演説するように高らかに、刀花は決意の炎をその瞳に燃やす。


「隠していましたがこの刀花、食べることが大好きなのです!」

「でしょうね」

「俺の不徳の致すところだ」


 小さい頃、逃亡生活であまりいいものを食わせてあげられなかったからな。おそらくその反動だろう。


「そんな私がこの秋、美味しいものを食べることは必至!」

「うむ、冷静な自己分析だ」

「冷静……?」


 敵を知り、己を知れば百戦危うからず。我が妹はしっかりと軍略を見定めているのだなあ。


「だからこそこの秋、まずするべきことは――!」


 そう言って、刀花は自分の服を掴み……ガバッと脱ぐ!


「――ダイエットです!」

「ねえどうやって着替えたの今?」


 服を脱いだと思ったら、刀花の身は学園指定の赤いジャージに早変わりしていた。この前リゼットがプレイしていたヤクザゲームのような早着替えだ。

 いつの間に……この戦鬼の目をしても見抜けなんだわ。

 俺が目を瞬かせている間に、リゼットは首を傾げて刀花に問う。


「でもまだ食べてないし、太ってもないでしょう?」

「ちっちっち、甘いですねリゼットさん。これから太るからこそ、今のうちに痩せておこうという算段です。置きダイエットです」

「なるほどな、一理ある」

「そんな置きエイムみたいな……」


 力ないリゼットの声もなんのその、刀花は闘志に燃えている。確かに、例年だと秋の終わり頃にはひいこら運動していたからな。まあ刀花は運動も好きであるためそこまで苦ではなさそうであったが。


「というわけで、今日は綺麗な秋晴れです! 早速運動しましょう!」

「え、私も……? 私太らないから別に……」


 そう言ってリゼットは自分の腰を撫でる。

 おそらくイギリスにいた頃より、刀花の作る献立によって食べる量自体は増えているはずであるのに、その腰は心配になるほど細く、そして美しい。


「腹筋が割れちゃうのも嫌だしね」

「うぐぐ、兄さん! 私の脂肪も滅相刃で斬ってくださいよう!」

「妖刀はダイエット器具ではないのだぞ」


 悔しそうに唸る刀花にそう返せば、彼女はプクッと膨れる。刀花も別に、気にするほどでもないと思うのだがなあ。ダイエット仲間が欲しいらしい。


「このままではこの妹、コロコロに太ってしまいます!」

「コロコロになった刀花か……」


 俺の頭の中で、デフォルメされたまん丸な刀花が階段をコロコロ落ちてくる映像が流れる。……可愛い。


「可愛いな……」

「私ダイエット辞めます!」

「挫折はっや……」

「うっ、やっぱりダメです!」


 俺の言葉にブンブンと首を振る。


「ふ、ふーんだ。いいですもん。行きましょう兄さん、兄妹水入らずで仲睦まじく爽やかな汗を流しましょう」

「なんかそう言われると癪ね」

「俺は構わんぞ」


 むぎゅっと、こちらの腕にしがみつき刀花は提案する。赤いジャージ姿がとても健康的だ。


「むふー、どうですか妹のジャージ姿は」

「年相応のハツラツさがあって素晴らしいな」

「ふふ、ジャージを脱げば上は夏同様白のシャツですが、下はなんとスパッツですよ? いっぱい運動したら暑くなっちゃってズボンを脱いでしまうかもしれません」

「――ほう」

「運動の後は一緒にシャワーで流しっこしましょうね、兄さん?」

「スポーツの秋最高だな」

「待ちなさい」


 俺のやる気を引き出すのが上手い刀花だったが、聞いている内にリゼットが待ったをかける。


「……私も行くわ。トーカ、私のジャージも出して」

「はーい♪」


 まんまと乗せられたリゼットも「まあ最近運動不足だったし?」と誰に向けての言い訳なのかブツブツ呟いている。あとなぜかスパッツも出した。


 というわけで。

 我らがブルームフィールド邸が味わうべき最初の“秋”はスポーツ――いや、ダイエットの秋となったのであった。

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