第113話「不正アクセス罪になるらしいわよ」



 ポロン♪


「む……?」


 き、気になる……。


 私、リゼット=ブルームフィールドは、隣に座る自分の眷属をチラリと盗み見る。

 現在、夕食後のまったりとした時間。一つの横長のソファに、私とトーカがジンを挟む形で座っている。

 大型のテレビには、先程から特に見たいわけでもない番組が流れているが……正直、私の耳には全く入ってこない。

 というのも、私の関心が完全にテレビとは別のところにあるからだ。

 そんな私の、内心気が気でないものとは――


「ふむふむ……」


 そう。

 先ほどからジンのスマホが時折鳴り、彼が頷きながらそのスマホを熱心にいじっているのである!

 ……いや、文字にしたら普通のことかもしれないが、これは異常事態だ。

 彼のスマホが鳴る。それはつまり、彼と連絡を取り合う人間がいるということ。この時点でもうあり得ないレベルだった……今、この時までは。


(相手は、アヤメのはず)


 事情は聞いている。

 放課後、彼から『少し取り立てをせねばならん』と私達にメッセージが届いた時から嫌な予感はしていたが……まさか、本当にアヤメと友人関係になるとは。


(うん、これは歓迎すべきことよ……)


 あの、人間を喋る猿としか思っていない眷属に、ようやく友人ができたのは喜ばしいことに違いない。

 アヤメなら面識もあるし、いい子だって知っている。そもそも彼の対人能力に問題があったから、学園に編入させたわけで。

 しかし……


(気になる……!)


 そう、気になるのだ。

 アヤメは彼と同じクラス。そして隣の席だという。そんな彼らが……いったいどんな会話を繰り広げているのか!

 だって、だって、アヤメも女の子よ? それに後で冗談だって分かったけれど、コノハから『安綱様が浮気をされてますよ』とリークもあった。その知らせを受け私は激怒し、トーカは放心したものだ。


(いやいや、私のこれは嫉妬じゃないから……!)


 これは……そ、そう。アヤメを思ってのことよ。

 ほら、この子ったらすぐ何かやらかすじゃない? 常識もないし、物もすぐ壊すし、ご主人様大好きだし、すぐにキスもするし――って違う違う。

 ね? だからほら、アヤメにその毒牙が向かないよう、私がきちんとこのイケないワンちゃんに首輪をしておかないといけないわけ。

 だから決して、他の女の子と喋ってるだけでやきもきしちゃうような面倒くさい女じゃないのよ、私は。

 ほら、反対側にいるトーカもさっきからそわそわして兄の方をチラチラ見ているけれど、私はそういう恋愛脳的な感じではないの。

 このへんがねー、分からないわよねー、市井の者達にはねー。

 あー、つらいわー。やんちゃな眷属を持ったご主人様の責務つらいわー。だから私がきちんと管理をしてあげなきゃ――


「ふ……」


 あ、あ!?

 笑った……ジンがスマホ見て笑った!

 ちょっと!? なんで!? しかもそんな穏やかな目、私やトーカにしか向けてなかったのに!

 だ、だめ! それはダメよ! そういうのは妹……は仕方ないにしても、私だけにしなさいよ!


(むむむむむむむむむぅ~……!!)


 プックーと頬を膨らませても、彼はスマホを覗いたまま。

 わ、私がこんなに心乱れてるのに……あ、いえご主人様としてね? あくまでご主人様としてだから。私、束縛するような器の小さい女じゃないから。全然重くないから。

 でも、ちょっと……ちょっとだけ、ここから画面が見えないかなーとか、ね? いやチラッとね? 覗きスマホなんてそういう破廉恥な行為じゃなくてね? も、もう少し近づいて……あう、肩が触れちゃった……ドキドキ……。


「むふー、にーいさーん♪」

「ん? おっと」


 あ、上手い!

 手をこまねいていると、トーカが甘えるようにして、彼の膝に頭を乗せた!

 その位置からなら、自然を装って彼のスマホを覗き見ることができるだろう。

 ま、まったく……トーカったら、覗きスマホなんて淑女のすることじゃないわよ? ほんとにもう。だから早く報告しなさいな。

 しかし……


「よしよし、俺の可愛い妹め」

「あ……きゃあーん♪」


 彼はスマホを机に放り投げ、妹の頭をわしゃわしゃと撫でることに専念してしまった。

 トーカも歓声を上げながらも、どこか気にするように机上のスマホに視線をやっているが……作戦失敗!


「ククク……ん? マスター、紅茶がないな。ポットも空なら淹れてこよう」

「え? あ、うん。じゃあお願い」


 しばらくトーカと戯れていたジンは、目ざとくそう言って席を立つ。このあたりの配慮は、私の教育の賜物である。


「アイスか?」

「ええ、まだ少し暑いし」


 了解した、と残して彼は談話室からキッチンの方へ。

 そうして残されたのは難しげな表情を浮かべる私と、トーカと……


 ポロン♪


 彼の……無防備に机上へと放り投げられたままの、スマホ。

 今なおメッセージの着信を知らせる、持ち主が退室してしまった、スマホ。


「……」

「……」


 沈黙が場を支配する中で。

 思わず二人してじいっと、そのスマホを見つめてしまう。


「……ゴクリ」


 いやいや……いやいやいやいや。

 さすがに。さすがにそれは。

 だって、スマホよ? 個人情報の塊よ? 私のスマホにすら、彼に見られたら恥ずかしいものが入っている。こっそり撮った彼の寝顔とか、彼が初めて送ってくれたメッセージのスクショとか……。

 だ、だめよ。さすがにね? いくら気になろうと、本人がいないところでスマホを確かめるのは卑怯よ。淑女のすることじゃないわ。

 う、うん。だめ。それにいつも彼が言ってるじゃない。「俺の主として相応しい在り方を心得よ」って。

 よし、大丈夫。私、高貴なご主人様。危ないところだった……あと少しで、私は彼に顔向けできないところ――


「えー、パスワードは、っと」

「トーカーーー!?」


 ちょいちょいちょーい!

 無造作に彼のスマホへと指を滑らせるトーカに思わず突っ込む。

 私が決意を固めてるところで、何やってるのよこの妹は!?


「そ、それは、ダメでしょさすがに!?」

「え? いやですねえリゼットさん。いいですか?」


 しかし戦鬼の妹は悪びれもせず、どこか誇らしげに胸を張る。


「“兄さんのものは妹のもの。妹の全部は兄さんのもの”。酒上家家訓ですよ?」

「いやいやいや」


 おかしいおかしい。


「プライバシーくらい守りなさいよ」

「私、妹ですので」

「理屈になってない……」

「愛は理屈じゃないことを証明してしまいましたか……私は自分の愛が怖いです」


 何言ってるのこの子。

 トーカは痛ましげにそう呟き、タッチパネルを押していく。そこに迷いはなく、スマホは流れるようにロック画面からホーム画面へと移行した。


「……いやなんでトーカがパスワード知ってるのよ」

「私が決めてるからですよ。ちなみに兄さんのパスワードはいつも『刀花愛してる』です」


 後で変えさせなきゃ。


「さてさて、妹チェーック♪」

「こ、こら! ダメって言ってるでしょう!」


 早速アヤメとのメッセージを覗こうとするトーカに、慌てて待ったをかける。

 いくら親しい間柄でも、プライバシーを暴くことは誉められたことではない。

 万一……これがバレて、彼に嫌われるようなことがあれば、私は生きていけない。

 じゃあトーカにだけ確認させる、というのもダメ。そんなの卑怯だし、トーカだけが知ってるっていうのも、ズルいし……。


「くっ……トーカ、諦めなさい! 今すぐそれをゆっくりと机の上に置くの!」

「いいえ、リゼットさん。それでも妹には、やらなければいけないことがあるんです」

「このっ、渡しなさい!」

「いーやーでーすぅー!」


 まるで銃を構え合うような緊張感から一転、一つのスマホを掴み合いぐいぐいと引っ張る。

 くっ、この……!


「そもそも! ジンの気持ちを疑うからこういうことしようとするんじゃない!?」

「違いますぅー、これは綾女さんを心配してのことなんですぅー。兄がご迷惑をおかけしないかと心配する尊い妹心なんですぅー!」

「嘘おっしゃい!」


 一瞬で嘘だって分かるわよ! 私がそうだったもの!


「アヤメとは友人関係だって言ってるんだから!」

「その友人関係がどこまでいってるのかが気になるんじゃないですかー! 男女の友情が成立するのか、私はその真実を探求すべく、ネットの海へと足を踏み入れ……!」


 そう不毛に言い争っていると……


 スポン!


『きゃあ!?』


 引っ張り合っていたスマホがすっぽ抜け、バランスを崩した私達はもつれ合って倒れてしまう。

 そうして、ゴトンと。

 倒れた私達の目の前に、スマホが落ちた。


 ポロン♪


『あ』


 そうして新たなメッセージを着信し、ポップとして表示された内容が私達の目に入ってしまった。

 その、内容は……


『私も、好きだよ♪』


「……」

「……」


 ……


 …………


 ………………。


「ジンーーーーーーーーー!!」

「兄さーーーーーーーーん!!」


 私達は同時に、想い人の名をシャウトしたのだった。




「……き、喫茶店の話?」

「ああ」


 なにやら大声で呼ばれたので急いで来てみれば、綾女から届いたメッセージについて説明を求める二人の姿があった。息が荒く、少々目が血走っていたのが妙だったが……


「ラテアートの種類を増やそうという話でな。好きな猫の品種について話していただけだ」

「あ、そういう……」


 ひょいっと、その部分の画面を二人に見せる。


『どういう猫の方が人気出ると思う?』

『猫ならば全てが愛されて然るべきだろう。猫を愛さぬ人間など、この俺が許さん』

『うーん、そういう話じゃないんだけどなー……君だったら、さ。私がどの猫を描いたら一番嬉しいって思うかな? あ、あくまで参考としてね?』

『メイン・クーン』

『あ、いいよね。私も好きだよ♪』


 という具合だ。

 ふ、まさかこの俺がこのような能天気なメッセージをやり取りすることになるとはな。分からぬものだ。


「友の危機だからな。そもそもの話、金さえあればいいのだ。そのために、喫茶店を今一度盛り上げようと共に考えている。今後も、放課後には店に寄り作業をすることも――どうした?」


 喫茶店の話だ、と言っていた頃にはホッとしていた様子だった。

 しかし、メッセージのやり取りを見ていく途中で、二人はなにやら疑わしげな目でこちらを見ている。


「ジン“が”一番嬉しい猫、ねえ……」

「……兄さん、メッセージを遡って拝見させてもらっていいですか?」

「いいぞ」


 とはいえ、まだ連絡先を交換して数時間だぞ?

 それこそ喫茶店を盛り上げようという展望の話と、はじめの軽い挨拶くらいしかしていないが。


「り、リゼットさん、これは……!」


 しかし、刀花はなぜか戦慄した様子でリゼットを呼ぶ。そこには、俺と綾女の最初のやり取りが表示されていた。


『刃君』

『ああ』

『じーん君』

『届いているぞ、なんだ?』

『んーん、呼んでみただけ♪』

『なんだそれは』

『嬉しいなー、って。ね、鬼さん♪』

『ふ、そうか』


『スゥー……』


 な、なんだ。ただの再会を喜ぶ友とのやり取りだろう。

 しかしその画面を見た後、二人はなにやら頭に手をやり、唇から鋭く息を吸うような音を発している。不気味だ……。


「……ジン」

「……兄さん」

「お、おう?」


 静かに、我が主と所有者たる妹は俺の名を呼ぶ。


『その喫茶店の手伝い、私も同行するわします

「そ、そうか……?」


 こ、心強いな。

 しかし二人から妙な重圧を感じるのだが……さては、また俺の不貞を疑っているのか?

 まったく、懲りない少女達よ。しかも相手は友として友誼を結んだ綾女だぞ?

 心配性な乙女達め。綾女に限ってそんなことになりはすまい。

 なに、安心して見ているがいい。我が友に、やましい部分など欠片もないというところをな。


 ククク、ハーハハハハハハハハハハ!!

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