第112話「お友達になってあげる!」



「もう、ダメだよ? 人間を壊すことは――すごい、何言ってるんだろ、私……」

「更生の機会をくれてやっただけだ。いい落としどころだろう」


 夕闇に染まるビルの屋上にて。

 念入りに、あの場にいた男三人の保持する記録と記憶を切り刻んだ俺は、綾女を連れて屋上へと上っていた。

 あの部屋は臭い欲望が渦巻いており、息ができたものではない。俺はこれでもグルメなのだ。質の低い欲など出されたところで、皿をひっくり返すわ。


「本来ならば斬り殺すところだ」

「だ、ダメだよ、人を殺すのは」


 そんな中で、俺達二人は逢魔が時の光を浴びながら――


「もー! 結局暴力で解決して……めっ!」

「うるさい。暴力は全てを解決する」


 やんややんやと言い争っていた。

 先程の一幕が、我が友にとってどうにもお気に召さなかったらしい。

 綾女は先程から腰に手を当て、プンプンと怒っている。

 まあ、それはそうだ。彼女は最初から争いなど望んではいなかった。今回は、俺が勝手に助けただけだ。一人の友として。


「あのまま取り押さえて、話し合いで解決とかさ……」

「あり得ん。それではあの下種どもにお前のあられもない姿を覚えられたままだ。友として見過ごすことはできない。件の写真も、警察に突き出したところで多くの者に証拠として押さえられるだろう。見られたいのか?」

「そ、それは……嫌、だし……助けてくれたこともありがとうだけどっ!」


 嫌なのは当たり前だ。

 自分の裸を多くの者に見られたい乙女など……いや、いるのかもしれんが少数だろう。

 だから斬った。彼女の意思は尊重するが、俺は俺のしたいようにする。俺は鬼だからな。


「うぅ~、いい鬼さんじゃなかったの?」

「はっ、なんだそれは。いい鬼などこの世に存在しない」


 プクッと頬を膨らませながら言う綾女に鼻息を返す。

 俺が正義の味方とでも思ったか? たわけめ。


「我こそは無双の戦鬼。悪を為し、我欲を愛し、覇道を歩む者。驕る正義に、唾を吐きかける者と心得よ」

「……難しそうなこと言ってるみたいだけど、ようは不良君ってことでしょ?」

「そうとも言う」


 チンケな言葉に収められるのは癪だが、彼女のスケールで言うならばそうなのだろう。

 良くあらず。俺はそういう存在なわけだ。


「むむむ……でもリゼットちゃんや刀花ちゃんの言うことは聞くよね」


 口をへの字に曲げ、綾女は食い下がる。


「契約を結んでいるからな。主従契約だ。持ち主に逆らう道具などいない」

「ど、道具?」


 ああ、そういえば見せていなかったな。


『俺は鬼でもあり、持ち主に力を与える刀でもある』

「わ、刀に……!?」


 ポン、と音を立て刀の姿をとれば、綾女は口に手をやって驚く。


『俺は元々人間に従う道具として生を受けた存在――こらこら気軽に触るな』

「ぐぬぬ、抜けない~!」


 物珍しげに俺に手を伸ばし、鯉口を切ろうとする。

 善良な者に妖刀が抜けるわけなかろう……緊張感のない奴め。

 人型に戻り、言い含めるように俺は彼女に言葉を紡いだ。


「人間の悪意を煮詰めた儀式の果てに生まれたのがこの俺だ。そんな俺が、善良な存在であるものか」

「筋金入りの不良ってことなんだね……うぅ~ん」


 なにやら難しげに唸っている。

 ふ、鬼の真実を知り幻滅でもしたか。まあ仕方あるまいよ。人間の悪意に触れ、そしてそれが玩具と言えるほどの巨悪を知ったのだ。

 善を体現する少女にとって、その衝撃は計り知れないだろう。これは早々に、関係解消かもしれ――


「――決めたよ、鬼さん」

「ん?」


 俺が少々残念がっていると、綾女はどこか闘志を燃やした瞳を俺に向ける。

 その熱量は凄まじく、そして清らかだ。全てを焼き尽くす業火ではなく、罪を浄化する煉獄の炎を思わせた。


「私が――君を、更生させるよ!」

「こ、更生だと……?」


 なるほど、そう来たか……。

 何を言うかと思えば、鬼を更生? それが実現したとして、それは鬼と言えるのか……。


「アホらしい……」

「そうでもないよ? お友達を良い方向に導いてあげるのも、お友達の務めだからね!」


 ほう、そういうものなのか。

 えっへん、と胸を張る綾女を見ながら独りごちる。


「……お友達、か。いいのか? この関係を保って。方向性に随分違いが見えるが」

「え? もちろんだよ! そりゃ、仲が良いに越したことはないけど、意見をぶつけ合って喧嘩するのも、友達の間じゃ当たり前のことだからね!」


 ……そういうものらしい。人間関係とは複雑だ。


「まあ、俺としてはお前のような魂が汚れるのは惜しい。関係が続くのならばそうしよう。せいぜい、人間の価値を証明し続けろ。その限りであれば、俺は助力を惜しまん」

「うん、頑張る! でも今回みたいなのは今後無しだからね!」

「それは聞けんな」

「もう……絶対良い子にしてあげるんだから」


 一瞬唇を突き出し、すぐに破顔する。

 そんな少女の笑顔を、どこか微笑ましく見ていると……


「――まったく、やってくれましたね安綱様」

「来たか。遅いぞ、窓際公務員」

「ま、窓際ではありません! ちょっと最近お仕事が少ないだけです! 平和は良いことなのです!」


 抜かしおる。

 冷たい声から一転、きゃんきゃん喚く声に上を見れば、


「わ、おっきいカラス……」

「式神だな」


 黒い翼を広げる、巨大なカラスに騎乗する一人の少女。

 ビルの屋上に近づけば、カラスは煙を上げてその巨大な姿を人型の紙に変える。

 赤い組紐で一つに束ねた黒髪を揺らしながら着地し、その紙を大事そうに懐に仕舞う者こそ……


「今日は年休を取っておりましたのに……」

「責任者が年休を取るな、馬鹿者」

「ウチはホワイトなんやもん……!」


 綾女と同じくらい小さい身体を怒らせる、陰陽局支部長、六条このはのご到着である。

 中等部カラーのセーラー服で、着の身着のまま駆けつけたという雰囲気だ。


「そら、久々の戦鬼案件だ。仕事しろ。特別手当が欲しいだろう?」

「そんなのありませんよ……それに今は定時ですよ? 公務員は残業代出ないんですからね……」


 ブチブチ文句を言う六条に肩を竦める。

 そう。俺が動いたからには、陰陽局も動かざるを得ない。だからこそこいつは、年休を取っていようがここに来たのだ。


「……それで、何をされたのですか安綱様?」

「ゴミ掃除だ。その中で俺の友が巻き込まれたのでな、さっさともみ消すがいい」

「と、友、ですか……?」

「こ、こんにちはー……お友達でーす」


 キョトン、と。

 目を点にしてそう復唱する六条に、少し気まずげに綾女は挨拶を交わす。裏の事情も知らぬのに、挨拶できるのはいいことだ。さすがだな。

 その辺りを含め、相互に情報を共有する。綾女は世の裏側を知り、六条は俺に友ができたことに驚いていた。


「――とまあ、そういうわけだ。これの事後処理は任せたぞ……む、何をしている」

「刀花様にチクっております。安綱様が浮気をしていると」

「おいこらやめろ」


 おかげで俺のスマホがさっきから震え続けているではないか。早く帰らねば……!

 嫌な汗をかく俺に、六条はやれやれと呆れた様子だったが、


「まったく、面倒なことはすぐ私達に押しつけて……まあいいです。確かに、安綱様が手を出した以上、この案件は私達の管轄です。それに、一人の女として許せない事件ですし」


 さすがは正義の公務員。

 呆れた様子から一転、「むん」と小さい拳を握り闘志を燃やしている。


「えっと、このはちゃん、でいいのかな。よろしくお願いします」

「はい、任されました。その怪しい事務所とやらも真っ黒でしょうし、少々お時間をいただきますが、綾女様のことは必ず内々に処理いたしますので、ご安心ください」


 それでは、と。

 しずしずとお辞儀をし、六条は現場を精査するべく屋上から去っていく。


「ふふ……やっぱり、いい鬼さんだ」

「ああ……?」


 そんな少女を見送った後、綾女はなにやら嬉しそうにそう呟いた。なぜそうなる。


「事務所の方には手を回してなかったもんね。あの子を呼ぶために、君が手を出す必要があったんだ」

「……知らんな」


 あいつらは物事を秘匿するのが得意だからな、それを利用してやっただけだ。

 それに、我が刃が振るわれるのにも格というものがある。無闇やたらに振るわれるものではないのだ。善意からではない。

 鼻息を鳴らす俺に、しかし綾女はクスクスとおかしそうに笑っている。気に入らん笑い方だ……。


「ツンデレなところは変わってないね」

「知ったような口を……」

「はいはい、もう照れ屋さんなんだから」


 誰が照れ屋か誰が。

 チョップをしようとすれば、綾女は「きゃあ♪」と楽しそうに笑って距離を取る。

 ステップを踏むように足音を鳴らし、彼女はクルリと回って黄昏の日を浴びていた。


「――ありがとう、鬼さん。ふふ、これは更生のし甲斐があるよ!」

「は、言っていろ」


 ……逢魔が時。

 魔と人が交錯することを許される唯一の時間に。


「それじゃ、改めて……鬼さんっ、鬼さんっ」


 コホンと咳払いをし、一人の少女は手を伸ばす。

 人の領域から離れた奥底の闇へ。それでもなお、関係は結べるのだと信じた歩みの果てに。

 まるで『いいこと思いついちゃった!』と言わんばかりの、満面の笑みを浮かべながら。


「――私が、君のお友達になってあげる!」


 それは、あの日の続きのように。

 分からないのなら、私が教えてあげると得意げに。

 カフェオレ色の髪の隙間から、黄金の光が差し込む。その光は確かに、俺と彼女を繋いでいた。


「……ああ、よろしく頼む」


 その瞳の煌めきは、あの頃のまま。

 原石かと思っていたが……あの時、既に彼女は完成していたのかもしれないな。


 俺はあの時と違う返事をして、その小さな手を握り返した。


「ふふ、よろしくね。 ――刃君っ!」


 その微笑みはあどけなく。

 無垢なる少女はついに、闇と友誼を結んだのだった。

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