第104話「商品は後に、受け取らせてもらう」



「ふ、ふふふふふ……あー、おっかしい」

「……いつまで笑っている、マスター」


 とある休日に。

 俺達主従三人組は、けたたましく音楽が流れる建物から外に出る。

 昼過ぎの日差しが、長時間暗い部屋にいた俺達の目を焼いた。


「だ、だって……くっ、ふふふ。あんな低い声で『どっか~ん☆』とか、笑うに、き、決まって……ふ、あははははは!」

「リゼットさん、笑いすぎですよう」

「……俺はもう二度とカラオケになど行かぬと誓った」


 憮然として言えば、マスターは「ごめんなさいごめんなさい」と手をヒラヒラと振る。

 ……だが、唇はいまだヒクヒクと震えており、笑いを堪えているのが丸わかりだ。くっ……!


「仕方ないだろう、俺はそういう曲しか知らんのだ」


 そう、今日は三人でカラオケに行っていた。

 我がマスターが若者文化に興味を示したためだ。クラスの友人に『今度行こう』と誘われたらしい。


「兄さんは音楽番組とか見ませんから、私が小さい頃に見てた魔法少女アニメの曲しか知らないんですよねえ……」


 それがおかしいことに気付いたのが今日だ。

 今までは刀花に誘われ、刀花も特に指摘することなく俺の選曲を喜び、合いの手すら入れていたのだからな。


「まさかここまで笑われるとは」


 この戦鬼、屈辱の極み。

 口をへの字に曲げて歩き出せば「もう、だからごめんって言ってるじゃない?」と楽しげな声と共に、右手に温かい感触。


「ね、一緒に練習しましょ? 私が教えてあげるから」


 腕に寄り添い、得意げな顔でマスターは自分の胸に手を当てる。

 ……言うだけあって、彼女の歌は素晴らしかった。

 主に洋楽を歌っていたのだが、透き通るような高音に、流れるような発音。その歌声はまさに天上の調べ。

 チンケなカラオケ部屋が、まるで厳粛なコンサートホールかと錯覚するほどだった。いや行ったことなどないからあくまでイメージだが。


「だから、その……今夜あたりにでも。私の部屋で、ね……?」

「ほう?」


 悪くない。

 英語も少しは勉強した身だ。今ならば多少は彼女と英語のやり取りをしてやれるかもしれん。

 そう思いつつ彼女を見れば「二人だけの音楽会……奏でられるのは二人だけの吐息で……ああ!」と、なにやら旅に出ている。

 ……いつものアレだ、捨て置こう。


「ダメでーす。兄さんはまず日本語の曲を勉強しましょう。可愛い妹と一緒に」

「むっ」


 英語の勉強もたまにはいいかと。そう思っていると今度は左腕が柔らかい感触と共にグイッと引っ張られる。刀花だ。

 ちなみに刀花はアイドルソングをよく歌う。

 彼女の元気いっぱいな歌声は、聞いている者の心を奮起させ、自然と笑顔にさせる。俺など元気になりすぎてペンライトを最前列で振るほどだ。世界一可愛いぞ!!!


「兄さん兄さん、二人で歌えるやつ練習しましょう。兄妹でラブラブデュエットです!」


 琥珀色の瞳をキラキラさせながら、刀花はそう提案してくる。

 ああ、それもいい。


「知っているぞ、それを歌いながらプロポーズするのが流行っているのだろう?」

「いつの流行よそれ……それにそういうのって、よっぽど信頼関係ないと冷めるタイプでしょ……」

「えー、そうですか? 私は結構グッと来ますけど」

「まあ私もベタなのは好きだけど、あんまりキザったらしいのはね。ロマンチックなのがいいわ」

「違いが分からん……」


 乙女心は複雑怪奇だ。

 そんな風に三人でいつも通り、やいのやいのと賑やかにしながら歩いていると……


「募金お願いしまーす!」

「ん?」


 少し開けた広場にて。

 小さなテントを張った一団が、そう言って周囲に呼びかけている。若者が多く、おそらく近辺の大学の者だろうと推測できた。

 ……ボランティアというやつか。


「……あなたボランティアとか大っ嫌いでしょ」

「さすがは我がマスター、心得ているな」


 俺が何か言う前に、マスターがそう指摘する。

 もちろんだ。見ているだけで吐き気がする。人間が人間に無償の奉仕だと? 笑わせるなというのだ。


「よく見るがいい。あの笑顔の下にある浅ましい欲望を」


 内申点が欲しいだの、出会い目的だのと。無償が聞いて呆れるわ。


「いや普通見えないから」

「見なくていいものですからねー。はーい、兄さんないなーい♪」


 刀花がこちらの背中から手を回し、俺に目隠しをする。おや、何も見えなくなってしまったぞ?


「うーむ、我が夜明けの光明はどこだ……? ここか?」

「やん♪ そこは妹の細くて痩せる必要の無い完璧スーパーアルティメットパーフェクトバディなウエストですよう」

「念を押すな……」

「あなたたちってバカでしょ……」


 お前も大概だぞ。

 何を自分は関係ない、みたいな面してる。逃がさん。


「よし、取り込め」

「リゼットさぁ~ん、あなたも家族ですぅ~」

「え、ちょっとやめっ、きゃあーーー!?」


 兄妹で包囲網を敷き、両側からリゼットをぎゅうぎゅうと押さえ込む。

 これぞ我流・酒上流包囲術『酒上ラブラブ兄妹陣』である。今、名付けた。


「や、やめっ、こらジン! 匂い嗅がないで! トーカ! 腰を摘ま――ふ、あはははは!」


 上から下から揉みくちゃになる彼女。刀花にくすぐられているのか、涙を浮かべながら笑っている。

 これで無関係とは言わせんぞ。お前も家族だ。


「――あ、あはは……相変わらず仲いいんだね、三人共」

「あ?」


 周囲の視線も顧みず騒ぐ俺達へ、そんな声が投げかけられた。

 そんな聞き覚えのある声に視線を上げると……


「やっほ、酒上君。募金お願いしまーす!」


 ……なるほど、無償の奉仕者はいたようだな。

 人の善意を疑わない顔でそう募金箱を差し出すのは、


「綾女さん、こんにちは!」

「見られた……知人に見られた……」


 刀花は元気よくその名を呼び、リゼットは顔を覆って蹲る。

 そう、その者こそ我が隣席の小娘。薄野であった。

 だが俺は一層、薄野を見て眉を寄せる。


「……ボランティアとは余裕ではないか」

「あはは……欠員が出たからって、頼まれちゃって。前にも一回参加させて貰ったところだから」


 薄野は照れくさそうに頭に手をやる。

 どうも、近辺大学のボランティアサークルらしい。よくこの辺りで人を募集し、ボランティア活動をしているのだと。

 まったく、前に身内が大変だと話していたばかりだというのに……。


「よくもまあ、やるものだ……」

「こうしてた方が気晴らしになるんだ。あっ、酒上君もどう? 一緒に徳を積もうよ。ボランティアは良いことだからね!」


 えっへん、と胸を張るが俺は願い下げである。この俺が積むのは死体の山だけだ。


「もう、別にいいじゃないちょっとくらい……はい、アヤメ。気持ちだけだけれど」

「私もー!」

「わ、ありがとう! 二人とも大好き!」


 屈託の無い笑顔で好意を伝える薄野に、二人も笑顔を零す。なにせ嫌味の無い本心からの好意の言葉だ。他の者の言葉とは格が違う。


「ふん……」


 しかし俺は、つまらなさそうに鼻息を鳴らす。

 まったく、理解不能だ。他人に奉仕し、得るものは見えない徳という時点で胡散臭い。


 そもそも俺は“契約”によって動く道具だ。


 刀花は命を、リゼットは怨嗟を。

 彼女達に対し無償の奉仕はやぶさかではないが、彼女達は自然とそれを俺に支払っているのだ。

 特別な存在である彼女達でさえ、そういう仕組みの中で動いている。

 ……他人に対し無償で、などと。そもそも俺の中には無い概念だ。言われても上手く、自分の中で処理できない。


「むしろ、お前が募金を必要としているだろうに」

「あ、そういうこと言うんだから」


 思わず憎まれ口を叩けば、薄野は頬を膨らませる。背丈が小さいため迫力もない。


「え、アヤメどうかしたの?」

「あっ、そのー……お恥ずかしい話で……」


 もう、と。

 バラした俺をじっとりと見ながら、薄野は二人に以前のことを話した。父親が連帯保証人だったということを。


「それは、お気の毒な話ね……」


 リゼットが言いにくそうに言葉を零す。刀花も心配そうに眉を下げている。やはり連帯保証人とは相当厄介なものらしい。


「あの、アヤメ? もし本当に切羽詰まったら相談しなさい? これでも私……実家の方だけど、お金だけはあるんだから」

「いやマスターは美貌もカリスマも可愛さも持っているだろう」

「そういう話してないから、ばか」


 ペチリと、頭を叩かれてしまった。言わずにはいられなかったのだ。

 そんな俺達を、薄野は苦笑して見つめている。


「あはは、気持ちは嬉しいけど……友達からお金を借りるのはダメなことだからね。そもそもお金の貸し借りのトラブルなんだから」

「そ、そう……?」


 やんわりと断りの言葉を紡ぐ。

 金の貸し借り、か。


「どうせ借金がそちらに回ってきたら、お前達も金を借りることになるのだろう? まったく、度し難いな」

「そうだけど……ダメなことは、ダメだよ?」


 ……ああ、度し難いな。

 目先の楽な道に飛びつかず、自らの信念に殉じるその姿。

 まったく……度し難い。この女の心の有り様も、そして世界の仕組みも……。


「やあ、薄野さんのお友達?」

「あ、部長!」


 部長? この浅ましい者共の首魁か。

 割り込んできた声に顔を上げれば、柔和そうな笑みを浮かべながら、こちらに歩みを寄せる青年がいる。


「薄野さん、休憩入っていいよ。ごめんね、急に無理に頼み込んじゃって。一回生の子が一人辞めちゃってさ……」


 不甲斐ないと言わんばかりに、部長とやらは頬を指でかく。


「あ、じゃあ休憩貰いますね。じゃあね、三人共。話は嬉しかったけど、お金は是非、喫茶店で正規に落としていってね!」


 イタズラっぽく笑い、お店の宣伝をして薄野はテントの方へと向かう。


「くす、商売上手な子ね。じゃあ喉も渇いたし、ダンデライオンに行きましょうか」

「賛成でーす!」


 我が少女達はそんな薄野の姿に笑みを浮かべ、次なる方針を定める。友人への、ささやかな支援のために。

 だが、俺は……


「……? なんだい?」

「……いや」


 薄野に休憩を告げに来た、部長とやらに目を細める。

 ……なるほどなるほど。


「どれ」

「え、ジン?」

「兄さん?」


 俺は尻ポケットに入れていた財布を取り出し、


「あ、募金ありがとうございます!」


 青年の持っている募金箱に、小銭をジャラジャラとぶち込んだ。


「こんなにたくさん、いいんですか?」

「構わん。これはそう、“前金”のようなものだ……ではな」

「え? それはどういう……」


 疑問には答えず、俺は二人の手を取ってその場を離れる。もはや、この場に長居は無用だ。


「……ど、どうしたのジン? あんなに嫌がってたのに」

「綾女さんに対するツンデレさんですか?」


 呆気にとられる二人にどう返そうか思案する。

 そうだな……


「あの男が、好みの部類だったのでな」

『えっ!?』


 うんうんと頷きながら言えば、二人はガーンとショックを受けたようにして固まる。どうした?


「ジン、あなた……」

「う、嘘です……兄さんが実はベーコンレタスさんだったなんて……」


 おう? ベーコンは好きだぞ。肉はいいものだ。

 二人がなにやら顔を赤くしてコソコソと『俺が受けか攻めか』というよく分からないことを話す中、俺は静かにほくそ笑む。


 ああ、決して嘘ではない。

 ああいった部類の人間は大好きだ。とてもな。愛していると言ってもいい。


「ク、ハハハ……」


 ――殺しても誰にも文句を言われないような、クズの香りを漂わせている人間はな。





「薄野さん、ちょっといい?」

「はい、なんですか部長」


 三人の背中が遠ざかっていく中、部長はなんだか申し訳なさそうな顔を浮かべて、私に声をかけてきてくれた。


「ごめん、話聞こえちゃったんだ。その、お金の……」

「あ、ご、ごめんなさい。お耳汚しを……」


 あちゃー、やっちゃった。やっぱりダメだね、外でああいう話をしちゃ。

 私がそう謝ると、部長は人の良さそうな笑みを浮かべて手を振ってくれる。


「ううん、それはいいんだ。……大変だね。あの、それで提案なんだけど」

「はい……?」


 心配そうな声の部長に首を傾ければ、部長は柔らかい笑みを浮かべてこう言ったのだった。


「お金が入用なら、実入りのいい仕事を紹介してあげられるよ。普通のアルバイトより拘束時間も短くて、簡単な仕事だから」

「え? 本当ですか!」


 た、助かる!

 バイト募集の張り紙とかチラシを見ても、どうしても放課後とかの短い時間じゃ時給が低くて困ってたんだよね! まさか酒上君みたいに漁船に乗り込むわけにもいかないし!


「是非やらせてください!」

「そう? よかった。じゃあ次の休みの日にできるよう手配しておくよ。内容は追って連絡するから」

「ありがとうございます!」


 あー、よかったぁ。

 これで少しはうちの助けになるよね。たとえお小遣い程度でも、無いよりはマシなはずだし!


「もしもし? うん、俺。“代わり”見つかったから。そう、いつも通りよろしく」


 部長が誰かと連絡を取り合う声を聞きながら、グッと握りこぶしを作る。

 久しぶりに活力が湧いてきたよ!


「うん、頑張ろう!」


 よし、いつも通りに清く正しく! おー!


 最近ご無沙汰だった合言葉を口にし、私は張り切ってボランティアに勤しむのだった。

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