第99話「学食にてご主人様をキメる」
四時間目が終われば、お楽しみの時間だ。
「今日は何にしようかしら……ねえ、暑いんだけど」
「そうか」
「あなたこの体勢好きよねー……」
数々のメニューが記された券売機を前に、我がマスターは可愛らしく小首を傾げつつ湿っぽい目を上に向ける。
俺はそんな彼女を後ろから抱き、頭の上に顎を乗せてぼけっと券売機を眺めていた。
――そう、本日の昼食をとるために、俺達三人は学食にやって来ていた。
いつもお弁当を作ってくれる刀花の負担を減らすため、二日三日に一回ほど俺達は学食を利用する。
刀花は既に席の確保に向かっており、現在ご主人様のメニュー選びに付き合っていたのだが……愛らしく揺れる背中に衝動が押さえきれなかった。反省はしていない。
「もう、くっつきすぎ」
「仕方あるまい。四時間も離れていたのだぞ? 可及的速やかにご主人様成分を補給せねばならん」
「初めて聞いたわそんな成分――ちょっと! 吸わないで吸わないで!」
美しい金髪に鼻先を埋めて吸えば、優しいラベンダーの香りと、ほんのちょっぴり甘酸っぱい汗の匂いが肺を満たす。朝に走っていた名残か。
「腕の震えが収まっていく……」
「あなたそれ補給じゃなくて吸引じゃないの、ご主人様キメないでよ」
「特に後ろ髪に隠れたうなじに強い中毒性があってだな」
「は、恥ずかしいからやめてよ! もう皆見て――」
「見ていない」
ガヤガヤと人通りの多い学食だが、こちらの様子をガン見する者などおらず、苦笑して他の券売機へと向かう者が大多数だ。学生らしくよく学んでいるな。
「慣れたものだな」
「恥ずかしい……」
俺達の関係性が周知の事実となったことに喜びを感じていたが、我がマスターは羞恥を感じているようだった。
そんな腕の中で真っ赤になって縮こまるマスターは、抗議するようにその瞳を細めた。
「もー、体育の後だって他の子にからかわれたんだからね」
手を振ったことか。
あの程度で色めき立つとは、学生というのは話題や刺激に飢えているものなのだな。
「これだって後で絶対何か言われるわよ」
俺が乗せる顎の下の頭は、恥じらいからか熱を持っている。
嫌ならばオーダーでもなんでも使えばよかろうに、しかし彼女はまったく拒否しない。それどころか……
「喜の感情が流れ込んできているぞ、文句があるのではないのか?」
「そりゃ、あるけど……」
感情の流れがわからず、ブチブチと口答えする腕の中の少女に問えば「……その、ね?」と、なにやらモジモジと太股を擦り合わせている。
「……あなたのことでからかわれるの、嫌いじゃないの。なんだか普通の女の子みたいな青春って感じがして」
「……そういうものか?」
人間にからかわれるなど殺意が湧くだろう。俺にはよく分からない感覚だ。
まあよく分からないが、はにかんだ笑みを浮かべる彼女が世界一可愛いというのは分かるのでより強く抱き締めておいた。後でクラスメイトとやらに、彼女がよりからかってもらえるように。
……俺もからかいたくなってきたな。クラスメイトばかりにからかわせるのも癪だ。この子を誰のご主人様と心得る。
「もう、好き勝手して……」
「――やはりこの体勢はいい。胸元もよく見えるしな、今日の下着はピンクか」
「えっ、嘘!?」
「嘘だ」
慌ててセーラー服の胸当てをギュッと握るマスターだが、見えるわけないだろう。
「だがピンクなのは知っている」
「なんで!?」
「ローテ的に」
「ローテ的に!? なんであなたが私の下着ローテ知ってるのよ!」
俺がローテ決めてるからに決まってるだろ。明日は青で明後日は黒。週末は色物をまとめて洗濯するので土日は白だ。
この子の下着は繊細な素材が多いため気を遣うのだ。物によっては手もみ洗いもするしな。
「うぅ……も、もういい。聞かなかったことにするから、メニュー選ばせて……」
「承知した」
いい加減遊び過ぎたので身体を離す。俺も彼女の可愛い反応が見られて満足したし、刀花も待っているからな。
「こ、コホン。えーっと、この前はサンドウィッチだったし……」
仕切り直すように咳払いし、熱い頬をパタパタ扇ぎながらマスターは悩ましげに唸る。
ちなみに俺と刀花の分は既に購入済みだ。
「朝走って疲れているだろう、さっぱりした冷やしうどんもあるみたいだぞ」
ここの学食はなかなかにメニューが豊富だ。
刀花が作ってくれたもの以外はあまり口にしない俺だが、肉のレパートリーが多いのはいいことだと思うぞ。そんな俺のメニューは豚のしょうが焼き定食。
「うーん、麺類……麺類はちょっと」
しかし、ここでマスター難色を示す。
「……そういえば好き嫌いなどあったか?」
よく異国の者に話題に上がる納豆すら、彼女は瞳を輝かせて食していたが……
「うーん、苦いのはあんまりって感じね」
「ここの麺類に苦いものはなさそうだが」
「あー、好みは問題じゃなくって……」
言いにくそうに口をモゴモゴとさせる。今度はなんだ?
「麺類だと、その……あーんとか、しにくいじゃない? もう察しさないよね、ばか……」
「ん゛っ」
背伸びして、こちらの耳元にぽしょぽしょと恥ずかしげに囁く彼女が狂おしいほど愛らしい件について。心臓止まったわ。
あー……あ゛ーーーーーーーーー!!(語彙消失)
「申し訳ないがキスをする」
「だ、ダメよ。恥ずかしい顔見られちゃうじゃない……あれはジンだけに見せる顔なんだから、ね?」
「貴様……今夜寝る前は覚悟しておけよ。いかなる要望も叶え尽くして、お前を堕落の園に引きずり込んでくれるからな」
「あなたってたまに変な脅し方するわよね……はいはい、楽しみにしておくわ」
軽く流すようにそう言って、サバの味噌煮定食のボタンを押す彼女だが……指は震えているし、汗はすごいし、なんならドキドキと破裂しそうな心臓の鼓動が戦鬼の耳には聞こえてくるぞ。
「お、お願いします」
照れ隠しするように、いそいそとカウンターで食券と料理を交換する。
自分の分と刀花のアスリート定食(エネルギー補給重視)を持ち、若干足元が覚束ないマスターと共に刀花の元へ向かった。
「……遅かったですね」
「ごめんごめん、ジンに邪魔されて」
こちらに手を振る刀花の待つテーブル席に座れば、若干じっとりとした目で我が妹はこちらを見てくる。
「ふ、乳繰り合う隙を見せたマスターが悪い」
「なんなのその隙……」
「む、イチャついてたんですね?」
妹に嘘はつけん。
正直に白状すれば、ぷくーっと刀花の頬はお餅のように膨らむ。
そんな分かりやすくむくれる彼女の口許に、俺は箸で摘まんだ唐揚げを差し出した。
「許せ刀花。まだ学園のシステムに慣れていないのだ、少々気が急くこともある」
「むー……仕方ありませんね。じゃあ私のおかずを全部あーんしてくれることで手を打ちましょう」
「お安いご用だ、俺のしょうが焼きもつけよう」
「むふー、やりました!」
「ちょっと、私のサバの皮も剥いてよ。骨もね」
「分かった分かった」
お餅も萎み、可愛らしく小さな口を開ける刀花におかずを差し出しつつ、マスターの煮魚にも着手する。
こういった昼食時の俺は少し忙しい……が、なんとも幸せな忙しさだった。俺は今、使われている!
「学園とはよいところだなあ」
煮魚のほろっと崩れた身をマスターにあーんしながら、感慨深く呟く。
周囲に人間がたむろしているのは気に食わんが、好きなだけ眠れて、愛する少女達の存在を間近に感じることができる。バイト時だとこうはいかんからな。
「いや勉強しなさいよ……」
「モグモグ……にーはんほれらとりゅーえんしひゃいまふよ」
「こらトーカ、食べながら喋らないの。何て言ってるのかわからな――」
「留年か、それもアリだな」
「なんで聞き取れてるのよ。それにナシでしょ……」
俺が妹の言葉を聞き逃すものか。『兄さんそれだと留年しちゃいますよ』だ。
だが、なるほどな……
「留年すればお前達と同学年になるわけだ……」
「何情けないこと真剣に検討してんのよ」
「よいではないか。そもそもの話だ、俺は年齢不詳であるのだから、初めから刀花の双子の兄ということにでもしておいて、同じクラスに入ればよかったのだ」
退屈なのだぞ、独りで教室にいるのは。
「もう、それじゃ私達にばかりかまけてあなたの訓練にならないでしょう? 他人と関わりなさい」
「兄さん、クラスで孤立してるって本当ですか?」
「む……」
痛いところを突く。
口をへの字にして口ごもれば、マスターはやれやれといった様子で頬杖をついた。
「もう……まあこうなることは若干分かってたけれど、困ったものね」
「まあまあ、まだ分かりませんよ。授業にも色々ありますからね、グループを組まなきゃいけない授業とか」
「サボる」
「こら」
堂々と宣言すれば、ペチりとジト目で頭を叩かれた。
「聞いてるわよ、午後から調理実習ですってね。年貢の納め時よ?」
「日本の故事も堪能なのだなあマスターは」
「誤魔化さないの……ちょっと、頭撫でないで」
「マスターはいい子だな。だが俺は悪い子なので必要なエプロンや三角巾は屋敷に置いてきた」
この先のイチャイチャについてこられそうにない。いや残念だったな! はっはっは――
「はい、兄さん。お忘れのようでしたので妹が持って来ておいてあげましたよ」
「……いい子だなあ刀花は」
ゴソゴソとテーブルの下から俺用のエプロンが入った荷袋を取り出す我が妹。
くっ、俺には責められない……。
誉めて誉めて、とニコニコしながらポニーテールを揺らす刀花の頭を優しく撫でる。本当にいい子に育ったなあ。
「ふ、ふふふ……言っておくけどサボっちゃダメよ?」
おかしそうに肩を揺らしながら、マスターは俺に釘を刺してきた。ちぃ、笑わば笑え!
「何を作るんでしょう? むふー、楽しみにしてますね兄さん」
「あら、いいわね。私の分もちゃんと持って帰ってくるのよ?」
「むぅ……」
言い訳を考える内に退路を塞がれた。
だが二人の少女が楽しみにしていると言うのならば……二人を至高の存在と仰ぐ俺には是非もない。
「……期待しているがいい」
『ふふ、はーい♪』
俺は力無く肩を落とし、ニコニコしながら差し出される荷袋を受け取ったのだった。
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