第100話「となりの薄野」



『期待しているがいい』


 そう言ってしまったからには、俺は全霊を賭して調理実習に臨まねばならない。

 の、だが……


(7点……5点……9……いや8点……)


 調理服に着替え、続々と入室してくるクラスメイトとやら。俺は先んじて調理室の片隅にどっかりと座り、それらを眺めては採点していく。

 どいつもこいつも、絶望を知らぬお子ちゃま共よ。

 調理実習とは班活動……果たしてこのような者らと共に活動したところで、我が愛しの少女達の口に合う物が完成するか甚だ疑問――


(95点……!!)


「……橘か」

「♪」


 誰かと思えば。

 俺と同じ調理台に着く橘は、なにやら嬉しそうに目を細めて小さく手を振った。青いエプロンがよく似合っている。

 まあ、橘がいるのならばまだマシか。まったくことごとく惜しい存在よ。これほどの高得点の魂はそういない。


(とはいえ、ウチの百億点満点の少女達には劣るがな!)


 うむうむ、と独りで我が愛する少女達の素晴らしさを再確認していると……


「あ、酒上君。ふふ、一緒に頑張ろー!」

「む……」


 で、出たな……。

 俺はゲテモノ料理を前にした時のように頬をひくつかせた。

 肩をくすぐる栗色の髪。童女のような無垢さを秘めた垂れ気味な瞳。身体を包み込む陽のオーラ。

 ……隣の席の小娘だ。名前は忘れた。どうやらこの小娘も同じ班らしい。


(うぅむ……)


 正直言って、俺はこの小娘が苦手だ。

 というのも……


(ぜ、0点……)


 そうなのだ。

 この小娘はまったく、これっぽっちも、皆無と言っていいほど……俺を握る資格がないのである。

 通常、人間ならば穢れを持って然るべきだ。欲望とも言い換えられるそれは、大小あれどその心を蝕むもの。

 そうしてその魂を徐々に変容させ、子どもは大人へと変わっていく。“欲望”は昇華すれば“目標”となり、墜ちれば“我欲”と化す。そういうものだ。

 そうして墜ちきり、己の魂ですら許容できなくなった“我欲”が、世界にその牙を剥こうとする時……“俺”を呼ぶことが出来る。


「あ、ちょっと男子~? 調理器具で遊ぶのはダメなことだよ? 道具は大事にしなきゃ!」

『へーい、委員長ー』


 小さな体躯にもかかわらず、男女問わず喚起を促し、善を行う。

 半端なガキであればその姿に反感も覚えようが、この小娘にはクソガキも形無しだ。

 欲がないのだ。穢れがないのだ。他人に注意し、そんな自分の姿に悦に浸ることも、大人にいい格好を見せようという利己主義も、そのような欲や穢れをこの小娘は欠片も見せない。持っていない。


 全てが善意。

 “善く在れ”という一点のみに、この小娘の願いは集約されている。


 周囲の空気に敏感である多感なガキ共であるからこそ、小娘の奥底にある願いをそれとなく嗅ぎ取り、抵抗なく受け入れていく。


(まったく、厄介だ)


 そう、厄介。

 このような魂などそうそうあるモノではない。だからこそ、決めあぐねてしまう。


 リゼットは奥底で世界を憎んでいた。

 刀花ですら命の危機に瀕した時、穢れきった戦鬼の力に手を伸ばした。


 方向性で言えば、この小娘の魂は刀花の優しい魂にも似ている。しかし刀花は甘ちゃんではない。彼女はこの世の地獄を知っている。

 世の酸いも甘いもかみ分けた結果として、優しさを取った強き魂なのだ。言うなれば、カッティングされた美しい宝石。その魂の輝きは戦鬼の目すら眩む。


(だが……)


 この小娘は原石だ。

 原石のままここまで育ってしまった無垢なる魂。いや、育て上げたというべきなのか? 


(子ども……それも童子と言ってよいほどの純粋さ)


 人間を無条件で信用する、人間の善意を信じて疑わない年頃の輝きを見せる魂。

 それが、俺から見たこの小娘の姿だ。何が小娘をそこまでさせるのか、過去に何か切っ掛けでもあったのかは知らんが。


(まったく、度し難い)


 人間を完全に信頼する人間とは。食えるモノなのかすらも判別つかん。


(……人間らしく、ないではないか)


 俺は人間が嫌いだ。

 愚かで、自分勝手で、複雑なくせに脆弱で。そんな人間ならばいくらでも嫌うことが出来るし、憎むことが出来る。


(だが……)


「ふふ、分からないことがあったら何でも聞いてね! 私こういうの得意だから!」

「……ふん」

「あ、もう……」


 そんな張り切る小娘の姿に、不満げに鼻息を零すことしか出来ない。

 人間らしくない人間など……


(……上手く、“嫌う”ことが出来ないではないか)


 だから、“苦手”なのだ。この小娘は。




「うぅ~む……」


 唸る。

 ごちゃごちゃと考えていれば実習が始まってしまった。

 本日の実習はクッキーを焼くということで、既に各班作業に取りかかっている。とはいえ、クッキー作りなどほぼ一人作業の多い菓子。役割を分担するほどの班活動でないことは救いだったが……


「分からぬ……」


 並べられた材料と空のボウルを前に、配られたレシピ表とにらめっこする。

 なんだこのスプーン(小)だの(大)だの、どれのことだ。そして“少々”とはどれくらいなのだ。


(ええい、これだから人間は!!)


 己の基準を他に強制するなというのだ! 『あとは流れで』とバイト時代によく言われたものだが、言われるたびぶっ殺してやろうかと常に思っていた。数値を示せ数値を!


「くっ……!」


 このままでは……!

 愛する少女達の口どころか、オーブンにすら届かない。

『楽しみにしている』と、そう言われたのだ。ならば、この無双の戦鬼……諦めるわけにはいかぬ。

 ……ならば、


「ワクワク……!」

「むぅ……」


 先程から。

 手をこまねいているこちらを見て、目を輝かせている小娘に……いつ助けを求めてきてくれるだろうかと心躍らせている小娘に、助言を請えというのか……。

 ちなみにこの小娘。得意というのは伊達ではないのか、すでに作業のほとんどを終わらせていた。

 流れるような手際の冴え。趣味の領域を超えているように思えたが、何か心得でもあるのだろう。

 ともすれば指示を仰ぐのならば、やはりこの小娘が適任という事になり……


「――くっ、教えろ!」

「なんでそんな屈辱そうなのかな……?」


 俺は敗北感と屈辱感に塗れながらも、この小娘を師事することにした。背に腹は代えられん!

 唯一の希望である橘も、喋ることが出来ないためこういう場では不利だ。それになにやら真剣にクッキーを作っているようだからな。俺と同様、誰ぞに贈るのかもしれん。邪魔はできん。


「……指示をもらえるか」

「ふふ、いいよ! どこが分からないの?」


 素直に頼めば、二つ返事で嬉しそうにこちらへと寄り添う。その髪からふわりと、挽きたてのコーヒーのような芳しい香りが鼻をくすぐった。


「スプーンの見分けがつかん」

「え、スプーンに彫られてるけど……ありゃ、かすれてて読めないね。ちょっと待ってて?」


 どうも古い器具のようだった。

 改めて小娘から手渡された器具を見れば、きちんと大さじ、小さじの文字が銘のように彫られている。なるほどな。


「これで分量を量って……そうそう、いい感じだよ」


 嫌な顔一つせず、小娘はテキパキと仕事をこなす。


「……手慣れているようだな」

「これでも喫茶店の一人娘だからね! お店の仕事もたまに手伝ってるんだよ?」

「ほう」


 小娘は見本を見せるように工程をゆっくりと追っていく。

 卵から卵黄のみを取り出し、バターと薄力粉を混ぜた生地に少しずつ投入。

 俺は恐る恐る分量を量っているというのに、この小娘は一瞬だ。だがきちんと分量も守られており、器具もきちんと優しく扱っている。


「ふふ♪」


 その仕草から重ね続けた努力への矜持と、誇りと、慈しみが見て取れる。

 やはりこの小娘は苦手だ。

 だが、認めるべきところは認めるべきなのかもしれん。

 作業も順調。これで少女達に菓子を届けられるというものだ。

 ラップに包み、冷蔵庫で一旦寝かせる作業に入りながら独り頷く。手も空いた。

 人間に借りを作ったままなど、戦鬼の名が泣く。鬼は奔放だが、義は重んじるのだ。


「感謝するぞ……えー……」

「ひどっ、まさか私の名前覚えてなかったの!?」


 ショック! といった雰囲気で愕然とする小娘。

 そのまま苦笑いしつつ、ぽりぽりと頬をかく。


「あーまあでも、初対面の時に名前は言ってなかったからね」

「……いや、言っていたと思うが」

「あれ、そうだっけ。でも“あの時”は別の事ばっかりで、ん、あれ?」

「む?」


 ……なんだ?

 若干噛み合わない会話に首を傾げる。やはり妙な女だ……


「ま、まあいいよ。いーい? 薄野綾女、だよ? ちゃんと覚えてね?」

「すすきのあやめ……殺め……?」

「多分違うよ」


 随分物騒な響きだ、俺としては覚えやすい。名では呼ばんが。


「ふふ、これでお友達だね?」

「違う。知り合いだ。それに俺は友など作らん」

「む、強情な」


 一瞬ムッとするも、すぐに何がおかしいのか破顔する。ツボが分からん……。


「はーい、冷やしている間は休憩を取ってくださいね。インスタントだけどコーヒーも飲めますよ-」


 そんな会話をしていると、実習教員の声が響く。

 しばらく暇になるな。時間まで寝るとするか。


「あ、そうだっ」

「ん?」


 なにやら『いいこと思いついちゃった!』といった雰囲気で手を叩く……ささき……違う、薄野か。ちっ、覚えてしまった。


「酒上君、コーヒー飲める? 私が淹れてきてあげるよ!」

「いや、俺は……」


 俺の返事も聞かず、薄野はカップの収納された棚の方へと向かっていく。いらんのだが……。


「よい、しょ……うーん……!」


 しかし意気揚々と棚に臨むも、その小さな体躯ではカップを取りづらいようだ。背伸びをしているが、いまいちカップに手が届かない。

 ひょこひょこ上下し、そのたびその矮躯に似合わぬ乳房がゆっさゆっさと揺れるのみだ。

 男子が助ければ良かろうに、男共はその動きを眺めるのに忙しいらしい。浅ましい欲望だ、人間はそうでなくては。


 ――それにしても、周囲に助けを求めず自力でやり遂げようと背伸びする姿。


(刀花にもこういう時代があったな……)


 追っ手を掃討するため、忙しく飛び回る俺に当てられたのか『自分に出来ることは自分でしなくちゃ』と己を鼓舞していた。多分に強がりも含んでいただろう。

 自分に出来ることと出来ないこと、それを見定めるのは本来難しい。

 子どもは保護者の監視下でそれを試していく中、刀花には俺という守護者しかいなかったのだから。


(見ている分としては危なっかしく映ったものだ)


 微笑ましい気分になり、つい昔の思い出に浸りながら薄野に歩みを寄せ、


「どれ」

「ふわぁ!?」


 後ろから脇に手を差し込み、その小さな身体を持ち上げた。


「ちょ、酒上君!?」

「助力の返礼だ、手伝ってやる」

「い、いやこれは、その、この年になって高い高いは恥ずかしいっていうかっ! それより風紀に抵触するっていうかっ!」


 素っ頓狂な声を上げて、わたわたとする薄野に懐かしい空気を感じる。


「ふ、分かるぞ。妹もそうだった。反抗期など『ひ、一人で出来ますからお兄ちゃんは座っててください!』とよく言ったものだ」

「いやそれとこれとはきっと違うんじゃないかなっ!?」


 言うな言うな分かっている。小さい子ほど背伸びをしたがるものだ。

 ほっこりと昔日の刀花を思いつつ、なにやら注目してくる周囲の視線を睨んで散らす。見世物ではないぞ、たわけ共が。


「早く取るがいい」

「うっ、うっ、辱めを受けたよ……」


 涙目になりながらもカップを二つ取った薄野を下ろす。

 うむうむ、そうした悔しさをバネにし、刀花も立派な少女へと成長したのだ。励めよ。


「セクハラじゃないのかなあ……女の子の身体に軽々しく触れるのはダメなことだよ? もう」


 そんなことを言い、薄野はじっとりとした目をしながらもコーヒーを淹れる。

 セクハラだぁ? 刀花も最後にはキャッキャッと喜んでくれていたのだが……難しいものだ。気紛れは起こすものではないな。


「ミルク大丈夫? ふふ、見ててね」

「あん?」


 てっきりブラックで出してくるものと思っていたが……薄野はイタズラっぽく笑って、爪楊枝片手にそう促す。なんだ?


「ホントはミルクピッチャーも欲しいけど……これくらいならっ」

「お?」


 傾けたカップに少量のミルクを注ぎ、爪楊枝をシャカシャカと素早く動かしていく。

 舌をペロリと出し、真剣な表情で指先に念を込める。その動きはまるでキャンパスに絵を描く芸術家のようで……まさか!


「じゃじゃーん! あやめ特製、猫ちゃんラテアートー!」

「おお!」


 なんと!

 彼女の差し出すカップには……デフォルメされた可愛らしい白猫が顕現していたのだ!


「猫好きそうだったから。どう、可愛いでしょ?」

「くっ、やるではないか……」


 憎まれ口も出てこない。それほど見事な手際だった。

 人間は愚かだが、磨き上げた技術は賞賛されるべきだ。この俺を鍛え上げた技巧のように。


「ふふ、えっへん!」


 賞賛を送れば、薄野は腰に手を当て堂々と胸を張る。なんとも子どもっぽい仕草だ。突き出される胸は大人なのにな。


「あっ、またやっちゃった……」


 本人もそう思っているのか、赤くなって縮こまる。

 幼い頃の癖は抜けんものだ。刀花も一時期「むふー」を直そうとした時期があったが、結局直せずそのまま使っている。


「――可愛らしいからいいと思うぞ」

「か、かわっ!?」


 ……口を滑らせたか。

 俺の言葉にボフッと赤面する薄野は、恥ずかしげに人差し指をちょんちょん合わせている。


「可愛いって……そ、そう思う?」

「……そうだな。それに人間、着飾るのは大事だが、素の自分も慮らねばな」


 鎧をいくら磨けど、着る本人が疲労していては戦えん。強がることも大事だが、それは追い詰められた時に発揮すればいい。


「そ、そっか……酒上君って、結構たらし君?」

「なぜそうなる」


 ちっ、喋りすぎたか。

 俺はいつものように鼻息を鳴らし、湖面に描かれた猫の鑑賞に戻る。

 スマホは教室の机の中だ、写真に残せぬのが口惜しい。


「エスプレッソマシンとか専用の機械があれば、もっと本格的に作れるんだけどね」

「……ほう、これでも十分見栄えもするが」

「結構練習したからね。もうお腹タプタプで……」


 あはは、と苦笑しながら共にコーヒーを啜る薄野。

 そういえば猫カフェに行った後、刀花も真似しようとしていたが上手くいっていなかった。それなりの習熟期間が必要なのだろう。

 ……それに、これに込められた感情。

 猫カフェのラテアートも素晴らしかったが、少々事務的だった。

 しかし、この薄野のラテアートには温かい……“楽しい”という感情が込められている。

 技術の習得には情熱が必要不可欠だ。だが同時に、それ自体を楽しむ職人もいる。そういった者は期せずして大成するものだ。


「……興味深い」

「あ、そ、そう?」


 喫茶店の娘と言っていたか。

 ならばきっとその店の道具も、喜んで使われているに違いない。我が少女達に使われている俺には及ばんだろうがな!


「あの、さ……」


 良いことだと頷いていると、薄野がソワソワしている。

 トイレか? コーヒーには利尿作用があるからな。

 しかしトイレへ足を動かすこともなく、薄野は身長差から自然と上目遣いになり、恥ずかしげにカップで口元を隠しながらこう言ったのだった。


「よかったらさ……喫茶店うち、来る?」






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祝、100話!

ここまで続けてこられたのも読んでくださっている皆さんのおかげです、いつもありがとうございます~!

これからもまったりと彼らの日常を楽しんであげてくださいね。

果たしてあやめちゃんは戦鬼を攻略できるのか!

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