第三章 「無双の戦鬼、友達できるかな?」

第93話「鬼に逢うてはお友達?」



 ああ、これは夢だ。

 それも遠い……遠い昔の夢。


 温かく、ぼんやりと揺蕩う感覚に身を任せながら、私は閉じていた両目を開く。するとそこには、今では懐かしい自然の景色があった。

 自分が立つ山の丘陵から見える太陽は、既にその身体を半分隠してオレンジ色に染まっている。


 ――逢魔が時。読んで字の如く、人と魔が交錯することを許される唯一の時間。


 私は今よりちょっとだけ短い足を懸命に動かし、山の木々をすり抜けていく。


 懐かしい……確かこの時は十年くらい前だっけ。


 私がまだ田舎に住んでいた、七歳くらいの頃の夢。

 今でもこの時のことをたまに夢に見るのは、私がこの時、奇妙な体験をしたからだろう。

 鬱蒼とした茂みを掻き分け、人の生活する領域から外れていく。導かれるように奥へ、また奥へ。

 七歳までは神の内なんて言うけど、今思えばこの時、私はそういう何かに惹かれていたんだと思う。ただの迷子だったっていうのも捨てきれないけど……。

 まあ、大人や友達は当時でも全然信じてくれなかったし、パパとママも勝手に山に入ったことばかりを注意して話を聞いてくれなかった。


 それに、さっきは神だなんだと言ったけど――


『……ん』


 私がこの時出逢ったのは、


『……なんだ、貴様』


 一人の、鬼さんだったんだよね。


 そう回想しながら、私の意識は当時のものへとシンクロするように溶けていくのだった……。




 奇妙な空間だった。

 木が乱立する山の中にあって、その空間だけ木々がめちゃくちゃに倒れている。

 鬼さんが座る切り株を中心に、ぽっかりと穴が空いたように。まるでコンパスで円を描いた後みたいだった。


『……』


 それはきっと、頭に角を付けて、無言でこちらを睨み付ける人……人? がやったのだと思う。後ろにおっきい鎌が落ちてるし。


(あんなのゲームの中でしか見たことないよ……)


 私はその凶器と彼の鋭い視線に怯みながらも、グッと胸をそらす。

 相手が怖い人でも、たとえ鬼でも……今はそんなことより、胸の内にある想いに従うべく。

 負けちゃダメ。きちんと、言わなきゃ!

 一欠片の勇気を振り絞り、私は冷たい目をして座っている鬼さんにビッと人差し指を突き付けた!


『かんきょーはかいは、ダメなんだよっ!』

『……あ?』


 よし、言えた!

 ダメなことはダメって言う! それがいつもしているパパとママとの大切な約束。

 あやめ、守れたよっ!


『……』


 だけど……


『こ、怖い顔しても……ダメなものはダメなの……』


 うぅ、こ、怖いよぉ……。

 私の注意に一瞬だけ眉をピクリと動かした鬼さんは、今はじぃっと観察するようにこっちを眺めている。

 まるで温度のこもっていない視線。あまりに非人間的で、これまでの人生でそんな視線を向けられたことのなかった私は内心ゾクリと震えた。

 ほ、本物なのかな……。だって頭から二本角生えてるし。寝る時邪魔じゃないのかな……。


『……年の頃も、同じくらいか』


 な、なに……?

 よく分からないことを言って、鬼さんはぐるりと視線を巡らせる。自分のやったことを確かめるように。

 そうして彼は一つ、たっぷりと時間を置いてから、つまらなさそうに鼻息を鳴らしたのだ。


『……ゴミを、掃除していただけだ』


 えっ?


『ゴミ……?』

『しつこく、纏わりつくゴミだ』


 ゴミ……。

 私はもう一度周囲を見渡す。円の形は綺麗だけど、その内側は倒れた草や木でごちゃごちゃしている。

 これがお掃除した結果……?

 あっ、でも、ママもお片付けしてる時は、たまに前より散らかしてることあるし、きっとこの鬼さんもそういうタイプなんだ。

 じゃあ、かんきょーはかいじゃないんだ! 怖い顔してるけど、ホントはいい鬼さんなんだ!


『疑ってごめんなさい!』


 謝らなくちゃいけないことは謝らないと!

 また約束を守れた! えっへん!


『……』


 だけど、なんだか鬼さんはよく分かってなさそうで何も言ってこない。

 無口な人なのかな……照れ屋さん?

 じゃあ私が話しかけなきゃ。ママも『おとこをうまくりーどしてこそいいおんな』って言ってたもん! 意味はよく分かんないけど!


『あのね! ダメなことをしたらきちんとごめんなさいするの。それで、いいことをしてくれた人にはありがとうって言うの!』


 それが……なんだっけ。しょせーじゅつ? なんだって!

 パパとママは“人として大事なこと”って言ってたけど。私はそっちの言い方のが好き。


『……』


 な、なんだか変な目。

 パパがこの前テレビで流行語大賞を眺めてた時の目と似てる。いいしつもんですねぇ!


『えんかつなこみゅにけーしょんをおこなううえで、もっともきほんてきなれいぎさほう、なんだよっ!』

『……そういうものか』


 鬼さんは考え込むように顎に手を当てる。

 あ、分かってくれた! 私はよく分かんないけど!


『……貴様のような齢の頃は、周りの者もそうしているのか』

『そうだよっ!』


 クラスで『頑張ったで賞』を貰った私ほどじゃないけどね!


『……あの子ももう少し、こう指針を示してくれればな』

『あの子?』

『む……』


 複雑そうなため息と共に出た言葉に問いかければ、口をつぐむ鬼さん。


『だぁれ? 家族?』

『……いや』

『友達?』

『…………いや』

『……だれ?』

『………………よく、分からん』


 なんだか落ち込んでる? 鬼さんでも落ち込むことなんてあるんだ。


『所有者と言ってもあの子はよく分からずにいる。ならば、俺はいったい……』


 ぶつぶつと俯いて暗い顔。

 しょゆーしゃ?

 よく分かんないけど、きっとにんげんかんけーの悩みだ! 職員室で若い先生がそんな顔して、ため息ついてたもん!

 きっとこの鬼さんは、誰かと仲良くなりたいんだ!


『あのねっ!』

『ん……』


 私はズイッと彼の身体を押して、一緒の切り株に座る。


『誰かと仲良くなるのにはね、コツがあるの!』

『……興味深い』


 耳を傾けてくれる鬼さんに嬉しくなって、私は得意気に胸をそらした。今は私が先生!


『それはね……“共有すること”だよ!』


 ドヤッと胸を張る。

 私、今いいこと言った! えっへん!

 だけど鬼さんは眉間のシワを深くしている。


『それはしている。俺とあの子は、既に命運を共にし――』

『めーうん? ちがうよぉ』


 チッチッチッ、と目の前で指を振る。うっ、怖い顔された……。

 私は仕切り直すように「こほん」と咳払い。


『あっ、あのねっ? そういうのは嬉しいこととか、一緒にやって楽しいこととかなの。めーうんとか、そういう難しいのじゃないの』

『……ほう』

『一緒にごはん食べたり、お出かけしたり! 悲しいことがあったら慰めて、それで嬉しかったらありがとうってちゃんと伝えるの! そうすれば、胸の中がポカポカしてくるんだ! そういうの、ちゃんとしてるよね?』

『……いや』

『だめだよぉ、そんなんじゃ仲良くなれません!』

『そういう、ものなのか……』


 人として当たり前なことを言っても、鬼さんは首を捻るばかり。

 もしかしてこの鬼さん、友達いないのかな?

 か、かわいそう……! 友達はいっぱい作らなきゃ!


 ――あ、そうだ!


 私はとっておきのプレゼントを用意した時のように笑顔になった。

 ふふ、いいこと思い付いちゃった!


『鬼さんっ、鬼さんっ』

『ん……』


 何か深く考え込んでいた鬼さんは視線をあげる。

 真っ直ぐで、強そうで……だけど、なんだかちょっぴり寂しそうな鬼さんに、私は満面の笑みを浮かべた。


『――私が、鬼さんのお友達になってあげる!』


 分かんないのなら、私が教えてあげるよ!

 鬼さんは絵本とかでは悪役だけど、この鬼さんはいい人だし。

 それに、それはきっと嬉しくて楽しいことだと思うから!


『……』


 目の前の鬼さんはポカンと口を開けている。

 怖くない顔もできるのに、怖い顔してたらもったいないよ。


『く、くく……』

『?』


 そんな鬼さんは顔を伏せたかと思ったら、なんだか肩を震わせて……


『ハーハハハハハハハハハハ!!』

『っ!?』


 まるで物語に出てくるような……魔王みたいな笑い声を上げた!

 やっ、やっぱり怖いよぉ~……!


『ク、クククク、この俺を……この無双の戦鬼を友にしようだと?』


 むっ、バカにしてる。

 言葉の意味は分からないけど、雰囲気で分かるんだからね!


『人をバカにしちゃダメ!』

『はっ、自惚れるなよ人間風情が。助言は感謝するが、思い上がったことを抜かすんじゃない』


 あ、でも感謝はしてるんだ……私知ってる! ツンドラって言うんだよね!


『我が傍らには、己の柄を握る者のみが立てばよい。我が覇道に友など不要』

『むー、いらないってこと? そんなの寂しいよ』

『笑わせる。そのような軟弱な心など持ち合わせてはいない』


 その割にはさっきまで落ち込んでたじゃん! 鬼って勝手な生き物なんだ! でぃーぶい気質なんだ!

 あとよく喋るようになったね! そっちの方がいいと思うよ!

 鬼さんは偉そうにふんぞり返ると、またつまらなさそうに鼻を鳴らしている。


『ふん、俺は人間と友になどならん。俺を恐れぬその気風は買ってやるがな』

『見た目で人を判断するのはダメだからね!』


 それにこの鬼さん見た目ほどあんまり怖くないし。さすがツンドラ! 素直じゃないんだよね!


『もう、ほんとは友達欲しいくせに!』

『いらんと言っているだろう、たわけめ』

『たわし?』

『たわけと言ったのだ、たわけめ』

『男のツンドラはめんどくさいってママが言ってたよ?』

『なんだそれは』


 むー、ごーじょーな! あとたわけたわけって言わないで! 絶対悪口でしょ、人の悪口を言うのはダメなんだからね!

 私はえいえい、と肘で鬼さんの脇腹を突いてみる。

 わっ、硬い。パパのお腹とは大違い……ちょっとドキッとしちゃった……。


『ちっ』

『あー! 舌打ちした! 終わりの会で言うからね!』

『……やはりあの子の方が百倍マシだな』

『あのこってどのおんなよ!?』

『うるさい……』


 この前お昼のドラマで見た台詞を言えば、鬼さんは疲れたようなため息を吐く。幸せ逃げるよ?


『ねーねー、とーもーだーちー!』

『ちっ、なんなのだ……あー、分かった。分かったから揺らすな』


 着物の合わせ部分を掴んでガクガク揺らせば、鬼さんはめんどくさそうに顔をしかめてそう言った。


『いいだろう、助言の返礼だ。機会をくれてやる。俺はただの人間とは友になどならん。だが……』

『なにっ!?』


 鬼さんの鋭い瞳には、キラキラした目で問い質す私が映っている。その不思議な瞳は、なんだか私の姿じゃなくてその奥の奥を見ているみたいで、ちょっと恥ずかしい。


『ふん、そうだな』


 そうして、鬼さんはどこか意地悪げに唇を歪めて、


『貴様のその愚かで、しかして無垢なる童子の魂……それを――』


 どうせできないだろう……そんな皮肉を言葉に込めて。


 ――彼は私に、鬼の友達になる条件を教えてくれたのだった。




「ん……」


 意識が浮上し、のそのそと身体を起こす。

 目覚ましよりも早く起きちゃった。もう少し見てたかったんだけど。


「……久しぶりに見たなあ、あの夢」


 よいしょ、と迷うことなくベッドから降りた。

 二度寝はダメなことだからね。それに今日から二学期だし。

 姿見の前に立ち、制服であるセーラー服に着替える。

 鏡に写る自分の姿は、夢の自分よりかなり成長していた。


「まあ十年も経てばね」


 とはいえ童顔気味で、背はあんまり伸びずに胸ばっかりおっきくなっちゃったけど。

 うっ、ブラきつい……この前買い換えたばっかりなのに。


「……鬼さん、何て言ってたんだっけ」


 肩をくすぐるくらいの、少し色素の薄い茶色がかった髪に櫛を通しながらぼやく。

 夢の内容を思い出そうにも、今では靄がかかったようにおぼろげだ。

 夢を見てる時には鮮明なはずなんだけど、不自然に思い出せないんだよね……鬼さんの顔も、言葉も。時間が立つごとに徐々に消えていっちゃう。


「結局、友達にはなれなかったし」


 そのはずだ。

 あの後、家に帰って事情を話しても聞き入れられず、証拠を見せようと再び山に入っても、鬼さんはおろか倒れている木々すらなかった。

 っていうか、あんな山奥からどうやって帰ったんだっけ。これも全然思い出せないや。


「……幻だったのかなあ」


 それにしては生々しかったし、こうして何回か夢にも見るんだから現実……だと、思う。多分。


『あやちゃーん、起きたー? 朝の支度手伝ってー!』

「あ、いけない」


 考え込んじゃってた。

 一階から響くママの声に返事をしながら、急いで身だしなみを整える。

 夢の内容は気になるけど、今はお店の仕込みを手伝わなくちゃ!


「よし!」


 始業式だからまだ軽めの鞄を持ち、気合いを入れる。


「今日も一日、清く正しく! おー!」


 いつの頃からか口にしていた決まり文句も高らかに。


 ――私、薄野綾女すすきの あやめはママのお手伝いをすべく、自室のドアを開け放ったのだった。

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