第86話「人の貧乳を笑うな」



「……あの安綱様が紅茶を」


 場所は移り、クーラーの効いた食堂にて。

 俺はマスターの命に従い、三人分の紅茶をいそいそと淹れている……のだが、その様子を目を見張って眺める少女がいた。

 琥珀色の液体を打点高くカップに注ぎソーサー上に置けば、その少女はじぃっとそのカップを覗き込んでいる。


「……何をしている」

「あ、いえ……“童子切安綱が淹れた紅茶”としてサンプルを持ち帰るべきかどうかを考えておりました」

「飲まんのなら下げるぞ」

「あーん! 無体なことしーひんとってー!」


 ちょこんと椅子に座る支部長の前からカップを取り上げようとすれば、涙目でわたわたしながら抗議の声を上げる。


「もう、ジン? 意地悪しないの」


 いつも通り上座に座り、優雅にカップを傾ける主人にそう言われては仕方がない。

 こちらに手を伸ばす支部長にカップを返せば、彼女は二度と取られまいとしながら即座に口を付けた。


「あ……おいしい」


 険のあった視線がパチクリと開かれる。

 思わず出たというような声色でそう言い、またちびちびとカップを傾け続ける。がっつくような真似はせず、さすがにそのあたりは育ちの良さが窺えた。


「お菓子もありますから、ゆっくり楽しんでくださいね」


 正面に座る刀花がそう言えば、コクコクと何度も頷く。小動物っぽい動作だな。

 そうして喉を潤し、お菓子の並べられたテーブルを囲み、少女達は会話に花を咲かせていく。


「ふぅ……まさか安綱様が紅茶を淹れられるなんて、驚きでした」


 落ち着いたのか、支部長がカップを置きながら同じ言葉を繰り返す。よほど俺の紅茶を淹れる姿が奇異に映ったらしい。


「あの“傍若無人”、“鬼畜”、“歩く災害”、“つーか逆に手出さない方が被害少なくね”と言われた安綱様が、香り高いお紅茶を淹れられるなんて……」

「あなた一体何してきたのよ……」


 マスターが胡乱気な表情で問いかけてくるが、俺に不義は一切ない。せいぜい公共建築物を破壊しようとしたり、全人類の生殺与奪を握ったりしたくらいだ。

 妹の安全な生活のためならば、俺は喜んで修羅にでもなろう。既に鬼ではあるが。


「一番困ったのは、“常識”を斬られたことと聞き及んでおります。斬り捨てられた後、世界は最早世紀末状態だったとか」

「あなたホントに何してるの……」


 あれはいい催しだった。普段抑圧され表に出ない本能を剥き出しにされた世界。最高に醜悪で、人間の愚かさを再確認できた有意義な時間だった。

 あまりにもあんまりな状況に泣き付かれ、“なかったこと”にしてやったが、あれ以来追っ手も少なくなったように思う。なるほどきちんと報告されていたのだな、感心感心。


「そんな恐ろしい戦鬼を従え、紅茶さえ淹れさせてみせるお二方……この六条このは、感服しております」

「ま、まあそうね? 苦労した甲斐があったというものだわ」


 称賛の声に気を良くしたのか、マスターは少し得意気に顔をツンと傾ける。

 眷属の功績は主人のものであり、その価値も主人に帰属する。

 吸血鬼にとって眷属とは、自らのステータスを証明する一種の装飾品でもあるのだ。

 身を飾る大粒の宝石のように、強大な眷属を持つほどその吸血鬼は周囲から畏敬の念を抱かれる。あのような眷属を持つのだから、主人はより優れているのだろう、と。

 その点で言えば、支部長の視点は当然のもの。最早我がマスターは現代最強の吸血鬼と言っても過言ではないのだからな。俺も誇らしい。


「ふ、ふふふ……ジン?」


 チリンチリンと。

 ご主人様ムーブが出来て気持ちいいのか、少々頬をだらしなくさせた主は更に手元にあった銀の鈴を鳴らす。

 黙ってご主人様の傍らに控えれば、彼女は澄ました顔でツンとしながら、静かに右手を差し出した。なるほど、そういう趣向か。


「我が主」


 俺は絨毯の上に片膝を付き、慈しむようにその小さな右手を包み込む。

 染み一つないスベスベとした手をこちらに寄せ、その手の甲に唇を落とした。その行為だけで、誰が上で誰が下かを明確に知らしめる。俺は彼女の犬なのだ。

 ……まあその飼い主は長く威厳を保てず、今は真っ赤になって震えているのだが。まだ慣れんのか。だが可愛いからよし!


「わ、わ……! なんと過激な……!」


 見せ付けるかのような行為のインパクトは十分だったのか、支部長は頬を紅潮させながらも尊敬の眼差しでマスターを見つめている。

 少々時代錯誤な一幕だったが、おそらくこの小娘もこういうタイプが好きなのかもしれん。中学二年生のお年頃だしな。夢見るお年頃なのだ。刀花もそうだった。


「むぅー、リゼットさんばかりずるいです。兄さん、可愛い妹が寂しがってますよ? そういう時はどうするべきだって教えましたっけ?」

「ああ、すまない」


 そして俺が従うべき少女がもう一人。

 プクっとお餅のように膨らんだ頬にキスをして後ろから抱き締めれば、いつも通り満足げな「むふー」という吐息が零れる。嫉妬する姿も愛らしい、俺の自慢の妹だ。


「と、刀花様まで……! ふわー……!」


 真っ赤になって顔を手で覆うも、隙間からバッチリ見ている支部長は感嘆とも羞恥とも取れる声を上げている。お子様には刺激が強すぎたか。


「な、なんと……報告には受けておりましたが、やはりお二方は安綱様と男女の契りを……?」

「ま、まあそうね?」

「そうでーす!」


 二者二様の言葉を用い肯定すれば、支部長は大興奮だ。通常の人間には考えられない関係性に神秘を感じているのかもしれん。

 そんな年少の小娘に、二人は得意気に語って聞かせている。


「まー、このワンちゃんがね? どーーーしてもご主人様とお付き合いしたいって言うからね? 好き好き大好きって言って尻尾振るからね? ご主人様ここは器の広さを見せ付けるべきだと思ったわけよ」

「おお!!」

「私は小学生の時から兄さんの妻ですから」

「お、おお!?」


 マスターの言葉もアレだが、妹の言葉もアレだった。あれはごっこ遊びだったはず……。

 見ろ、支部長が俺をロリコンだと思って警戒しているではないか。

 二人の言葉に混乱しながらも、この場にいる最年少が自分だと気付き、身を守るようにして身体に手をやっている。


「……」

「み、見ないでください安綱様」


 自意識過剰め。

 確かに視線はやっているが、俺には何の感慨もない。瞳の奥を覗いても人類種への恨みもなければ自罰的な色もない。霊力は平均より少し高めとはいえ俺を叩き起こすにはほど遠い。それに……


「……な、なんでしょう」


 身を隠すように腕が巻き付く、その小柄な身体。特にその何も隔てる物のない平野のような胸部……


「……はん」

「んなー!」


 俺すら挟めん程度ではな。

 哀れみの表情を浮かべれば、支部長は真っ赤になって激昂する。実家が貧相だから胸部も貧相なのだな。厚労省仕事しろ。


「あああなたをセクハラで訴えます! 理由はもちろんお分かりですね!? 法廷でお会いしましょう!!」

「俺は法に縛られん。俺を縛り得るのは俺を従える者のみだ」

「あーん! 刀花様! ブルームフィールド様ぁー!」

「ジン、サイテー」

「兄さん、サイテー」

「な、なにっ?」


 支部長が泣き付けば、我が愛する少女達は非難がましい目付きで俺を睨む。ここは敵地だったか。


「まだ十三歳やもん! これから成長するんやもん!」

「そうね、その意気よコノハ。心根で負けてはダメ。諦めたら、そこで二次性徴終了よ」

「牛乳飲みましょう、このはちゃん」


 二人で包み込むようにして慰めているその様はとても尊い。だがその泣き付く先では立派な膨らみが目に入るためどこか空虚に響く。


「もうジン、謝りなさい」

「兄さん、めっ」

「むぅ……」


 より強く泣き出した支部長を抱え、二人はそう促す。

 ……致し方あるまい。


「……失言だった。たとえAカップとはいえ、女性に向ける態度ではなかった」

「Bカップやもーーーん!!」

「ジンのバカ!!」

「兄さん!!」


 ウッソだぁ。だってすごいまな板だぞ?


「Bやもん! お店の人も『び、Bカップってことにしときましょうか』って言ってくれるくらいBカップなんやもん!」


 それはAなのでは……?

 しかし最早口は動かせん。何を言っても墓穴を掘りそうだ。


「ほ、ほらコノハ? ジンがなんでも言うこと聞いて上げるから許して欲しいって」

「おい……」


 勝手を言うご主人様に眉を寄せるが、キッと睨まれて口ごもる。お上の沙汰だ、従おう。


「……俺を陰陽局の預りとするのは無しだぞ」

「いりません……」


 お前ら俺を蒐集したいのではなかったのか。

 にべもなく予防線を絶たれ拍子抜けした。


「確かに安綱様は今でも消耗品目録に登録されて紛失扱いになってますが」

「おいなぜ備品じゃない」


 細かいところでムカつくな。

 しかし支部長はどこ吹く風で、こそこそと口に手を当てた。


「これはオフレコでお願いしますが……実際、捜索費や対策費が結構な額出ていて、むしろ戻ってこない方がうちの支部としてはおいしいのです。もちろん本部への報告上、そういった態度は表立って出来ませんので対策をしているフリくらいはするのですが……どうせ安綱様には何しても喰い破られますので、最近はもっぱら他のことに費用を使わせてもらっているのです」


 こういう強かなところが、こいつを支部長にしたのだなぁ……。

 少々感心すれば、支部長はグチグチと「だいたいお歴々は分かっておられないのです。書類だけ見て現場に赴かずやれ討伐しろだの、見つけ次第回収しろだのと! 書類より巫女姫様のお尻を見るのに忙しいんですよ!」と本部への不満を語っている。

 急に見えたそんな支部長らしさにうちの二人も「おぉー……」と舌を巻いていた。


「あっ、コホン。失礼しました。ですので、お詫びと言うのならば……安綱様に何か造っていただきたいです」

「……なるほど」


 一つ仕切り直し、支部長はそう要求してくる。

 無論作るというのはお菓子や食事ではないだろう。

 つまりは、俺が造り出す神秘を寄越せと言っているのだ。我が愛する少女達に捧げられるべきチカラを……強欲なやつだ。


「……要望は」

「そうですね……あっ、近々国を挙げての祭事があるのですが、予報では天気がよろしくないようで。ここは威光を示しドラマチックに仕上げるため、天候操作系をマシマシで」


 ああ、なにやら連日ニュースでやっているな、即位が云々と。それに天叢雲剣のジジイも出るのだったか。ならば間違いなく雨も降ろう……大御所ぶりおって、いけ好かん。


「ふん。よかろう――力が欲しいか?」

「ちょうだいします!」

「結構、くれてやる」


 刀的に対抗心を刺激され、ありったけの霊力を手のひらに集中させる。この際、外観は二の次だ。神器に抗するにはそれなりの霊力を込めねばならん。折角だ、当て付けに雨が止むどころか虹すら架けてやろう。


「……こんなものか」


 ポン、と少し間抜けな音と共に一振りの刀が顕現する。

 簡素な造りのジジイに対して、ギラギラに煌めく柄紐や、金粉をあしらった鞘を拵えてやった。


「なんともチャラい刀ですね……しかし内に籠る神威はとんでもないですけど」

「成人式の中継でよく見るカラーリングだわ」


 俺の方が若いからな!


「そら、受け取れ。俺は二人の少女に操を立てているため使用権は一度だけだ。タイミングを誤るなよ」

「ふわぁ、ありがとうございます安綱様!」


 くっ、俺としたことがまた人間を助けることになるとは……口は災いの元なのだな。

 唸りながら刀を手渡せば、支部長はまさに宝物を賜るようにして恭しく受け取った。その顔はホクホクしており「刀が生み出した刀! 神秘ですっ。使うまでは私が所蔵していてもいいですよねっ」などと言って頬擦りまでしている。ぐぬぬ……。


「私、今日ここに来てよかったです!」

「よかったわね、コノハ」

「応援してますよ、このはちゃん」


 先程まで泣いていたというのに現金なやつだ。

 そうしてまたおしゃべりを再開した三人を見て、俺は釈然としない思いを抱えながら紅茶のお代わりの準備をするのだった。

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