第85話「今明かされる、酒上流の真実!」



「我流・酒上流拘束術――『氷煉刃』」


 今日も今日とてカラッと晴れた夏の午後。雲一つ無い晴天は、我が愛する少女達の道行きを祝福するかの如く澄んでいる。

 ……俺の心境は正直、曇天に過ぎるが。

 氷の魔剣を振るい、氷柱を庭に顕現させる。大人一人すら包み込むほどの巨大なものだ。


「我流・酒上流抜刀術――」


 キラキラと煌めく氷を前に、俺は再び刀を腰だめに構えて一気に振るう。


「――『至煌殲滅・雷光刃』」


 氷柱の頂点からまるで掘削機のように。

 工事現場を彷彿とさせる騒音と共に雷速の居合いが氷柱を削っていく。

 ダイヤモンドダストのように散りゆく粉雪はいっそ幻想的ですらあり、これより待つ運命すら知らず儚く舞う。

 そうして、そんな白い粒子達が行き着く結末は――


「うーん、いっぱいあって迷っちゃうわね」

「私、メロンー!」

「はい、メロンですね。どうぞ刀花様。ふふ、ご存じですかお二方? かき氷のシロップは全部同じ味なんだそうです。色と香りが違うだけで、こうも人の味覚を変動させるなんて……神秘ですねっ」

「へー、そうなの? なんだかそう言われると余計迷うわね」

「ブルームフィールド様には、みぞれなどいかがでしょう?」

「透明なやつもあるのね。じゃあそれで」


 底の深い皿を机上に。

 庭に設置した椅子とテーブル、そして日除けのパラソルの下、我が愛する少女達がキャッキャッと自分好みの味付けを選んでいる。

 俺の削った氷が無事に皿へと盛られていく中で……しかし俺は一層眉を寄せた。

 ……今日は“おまけ”がいるからだ。


「……なぜ貴様がここにいる」


 しれっと。

 主と妹へ献身的にかき氷シロップを手渡す小柄な小娘を睨めば、理知的な光を湛えた瞳が返ってくる。

 しかし電話口での冷たい印象は今は見えず、はんなりとした柔らかい笑みを浮かべる黒髪の少女がそこにいた。

 そんな俺の仕事を横取りする大罪人は、己に正義があるかのように自信ありげに笑う。


「刀花様に招待を受けたのです。安綱様が先日お世話になったからそのお礼をと」

「どの面下げて。貴様は陰陽局の人間だろうが」

「今日はプライベートですので」


 見れば陰陽局の仕事着でもなく、普段着を着用した姿。いちごのシロップがかかったかき氷を「ちべたっ」と頬張る姿は年相応のガキにしか見えない。

 だが、こいつは曲がりなりにも俺の敵視する組織の一幹部だ。そんな者が我が領域に足を踏み入れているという事実が気にくわない。長い黒髪を赤い組紐で一つに纏めるという、どこか刀花を真似ている髪型も気にくわない。


「我が妹よ。いくらプライベートとはいえ、敵組織の幹部を招待するという豪胆さは感服するが……」

「まあまあ、いいじゃないですか兄さん」


 いまだ渋る俺に、しかし刀花はこちらの気も知らずに笑みを彩る。


「このはちゃんはそんなことしませんよ。それに、もし危ないことがあっても、兄さんが守ってくれますよね?」

「……無論だ」


 ……信頼ゆえか。

 まあそういう話であれば構わん、か? うぅむ……。


「この前お世話になりましたし、それに宿題が残ってるっていうじゃないですか。可愛い後輩のため、ここは年長者が気を遣うべきかと」

「うっうっ、刀花様……ありがとうございます」


 なにやら年上ぶる刀花に、感激したように瞳を潤ませる支部長だが……俺は鼻を鳴らした。


「はん、才女が聞いて呆れる。中学の宿題すら終わっていないなど」

「誰のせいだと思っておられますか! 安綱様の後始末のせいで、私の宿題まで手が回らなかったんですよ!」


 周囲に部下がいないからか、冷静な仮面は放り投げて支部長はこちらに文句を言う。

 先日の任務の件ではよほど苦労したらしい。涙目になって捲し立てる姿は、それこそ苦労人の相が見て取れる。

 そんな姿を見て、我が少女達の目は同情の色に染まっていった。


「うちの眷属が……ごめんなさいね」

「こら、マスター。一番上の者が謝るな。その者が謝れば、全体が非を認めたことになる」

「堅苦しいわねぇ。友人付き合いなんだから別にいいでしょう?」

「ゆっ、友人!」


 マスターの言葉に、しかし支部長は“友人”という部分に反応を示す。頬を紅潮させ、その日本人然とした黒い瞳を一層輝かせていた。


「友人とおっしゃってくださるのですか!」

「え? えぇ……」

「吸血鬼のお友達ができるなんて……私、感激です!」

「そ、そう……?」


 興奮した様子に、我がマスターは少し引いている。

 疑問を抱いたマスターに、俺は少し説明することにした。


「こいつは世の“神秘”が好きなのだ」


 そもそも陰陽局とは、古来より怪異を封じ管理する者達のことだ。その中にあって、この者は特に神秘に魅入られている。本来ならば敵である俺にすら“様”を付けるほどに。神秘に対する崇拝と言っても過言ではない。

 神秘を解明し、無粋に介入する現代人の中にあっても畏敬の念は忘れない。……まあ、そのあたりの弁えた姿勢は買ってやってもいい部分だ。


「人間には及びも付かない神秘! 美しいです、絢爛です、玲瓏です!」

「そ、そう……じゃあ、刀花は勉強を見るようだし、私も主人として何もしないわけにはいかないわね」


 大興奮する支部長に、マスターは懐から一輪のバラを取り出した。


「こ、これは……!」


 それはマスターがたまに霊力操作の練習をする時に生み出される、彼女の血で象った造花であった。俺も一輪貰ったことがある。


「お近づきの印に、ね?」


 ウインクしながら渡すマスターに、支部長は感極まりぷるぷると震えている。


「きゅ、吸血鬼の血で作られた、決して枯れることのない鮮烈な紅……うち、ここん来てよかったぁ……」

「方言が出てるぞ、方言が」


 その界隈にとっては珍品なのか、支部長はわざわざ風呂敷を取り出し丁寧に包んでいく。貧乏とはいえ華族か、そのあたりは折り目正しい。


「ああ、童子切安綱にそれを握る尊い御方。そして吸血鬼の女主人……なんと素晴らしい空間なのでしょう……」


 うっとりと、頬に手を当て熱い吐息を漏らす。只人にとって、神秘とは輝いて映るものだ。宝石のように輝くか、血を反射して輝くかは別にして。


「神秘、尊うございます……!」


 蒐集されかねんな。

 こいつら陰陽局はそういった道具を集めて管理もしている。俺も元々そこに収納されていたのだ。

 こいつらが俺達兄妹からマークを外さないのは、危険だからということだけではない。好き勝手に動き回る一本の刀を蒐集したいという思惑もまたあるからだった。

 まあ、戻る気などさらさらないが。俺にはもう、仕えるべき愛しい存在がいるのだからな。


「……兄さんはあげませんよ?」

「あっ、いえ、滅相もない……」


 物欲しげな瞳を警戒してか、刀花は独占するように俺の腕をその胸に取る。魅惑の柔らかさに吸い込まれ多幸感が俺を包んだ。

 遠慮がちに首を振る支部長に俺が「ふん」と鼻を鳴らして視線を切れば、支部長はムスッとした顔を向けてきた。


「安綱様も、ご自重なさいませ。神秘とは秘して輝くもの。そもそもその貴きお力を、氷菓子を作ることに使用されるなど」

「うるさいぞ、三条」

「六条です、二倍してください」

「俺の力の指向性など、担い手次第よ。むしろこれくらいにしか使われないことに感謝しろ」


 衆生必滅の一撃を、人間に向けて放つような者に俺が渡らなくてよかったとな。貴様らは刀花の慈悲によって生かされているのだと知るべきだ。やはり我が妹は至高の女神である。


「せいぜい我が担い手を失望させないことだ。でなければ、我が“酒上流”がその素っ首たたき落とすぞ」

「うっ」


 先程の力の発露を思い出したのか、小娘は冷や汗を流す。

 それでいい。宝物も時に凶器になることを、人間は忘れるべきではない。それは俺達道具を扱う者にとって最低限の義務であり、礼儀なのだからな。


「うーん……」


 そんな風に言葉をやり合っていると……なにやらマスターが一人顎に手を当てていた。


「ねえ、ずーっと聞こうと思ってて今まで聞いてなかったんだけど」


 可愛らしく首を傾げる我が主は、そう前置きして言葉を放った。


「……酒上流って、なに?」


 ……本当に今更だな。

 まあ特段隠すほどのことでもない。俺は解説しようと口を開き――


「酒上流! それこそまさに神秘の具現!」


 かけたところで、なぜか支部長が爛々と瞳を輝かせガタンと立ち上がった。なんだこいつ。


「陰陽局でも長年謎とされている流派! 発祥不明、系統図も不明。我流と言われるそれには、まさに鬼と刀の視点からしか見えない術理や理念が隠されているともっぱらの噂! 長年武芸者が真相を解明しようと頭を悩ませている、安綱様を握る者のみに許された至高の武術!」

「すごい早口で喋るわね」


 マスターが引いている。

 だがそんなことはお構いなしに、年相応のワクワクした表情でまだまだ支部長は口を動かし続ける。神秘オタクめ。


「その妙技はまさに千変万化! あらゆる状況を打開し、総てを調伏する破滅の一手! 人間の磨いてきた流派など及びも付かない秘奥も秘奥! それこそが“酒上流”!」

「聞いてるとなんだかあなたがすごいように聞こえるわ」


 すごいぞー、かっこいいぞー。

 ……それにしても陰陽局側ではそんな認識だったか。随分と買われたものだ。

 真相を知る刀花など先程から気まずげに目を逸らしている。


「そんなすごいものなの、ジン? 気になるんだけど」

「明かされるのですか!? ああ録音! 録音して記録に残さなくては! きっと無二の視点で語られる術理の数々……何度もリピートして理解できるよう手配を――」

「前振りだ」

「長年の神秘――……は?」

「だから、前振りだ」


 隠すほどのことでもない。

 あっさりと真相を明かせば、神秘に魅入られる少女は目を点にして呆けたように聞き返してくる。耳が悪いのか?


「……トーカ、説明を」

「あー、えっとですね」


 先程から一言も発しない刀花に、目ざとくマスターは言葉を投げかける。

 まるで武勇伝のように語られた事柄に対し、我が妹は遂にその内情を開陳し始めた。申し訳なさそうに。


「ほら、兄さんって昔は無口だったんですよ。それで戦闘になったらいきなりとんでもないことを無言でやらかすものですから……『ビックリするので、何か前振りしてください』って言ったのが切っ掛けで」


 そう、そうして刀花が考案したのが、“前振りとして技名を叫ぶ”というものだった。懐かしい。

 無論、『我流・酒上流〇〇術――〇〇!!』というテンプレも刀花が考えたものだ。まあごっこ遊びの延長線上のようなものといえる。


「ふーん、そういうこと」


 酒上流の真実を知り、慣れたものでマスターは『まあそんなところよね』と軽く流す。成長が垣間見えて俺は感無量だ。


「そ、そんな……数々の武芸者が目指す頂点……至高の御業が……」


 しかし一人の少女は未だ現実を受け入れられないようだった。そんな少女を前に、俺は呆れるように肩を竦めた。


「そもそも俺のそういう機能は“遊び”のようなものだぞ。何を期待しているのか」

「兄さんの真価は“ごり押し”ですからね」


 そうとも。無色透明で一方通行な力こそ我が真価。それに色を加えるのは、我が担い手の遊び心に過ぎない。

 そもそもからして、自分の能力を定義づけし、あまつさえ名前を付けひけらかす者には虫唾が走る。秘すべき殺しの道具をゴテゴテと。自分の身を飾る勲章か何かと勘違いしているのだろう。力に自信の無い雑魚ほど数を誇り、そういう傾向に走るものだ。

 更に言えばそういった者ほど、“代償”やら“反動”やらを神聖視するから始末が悪い。不出来な力に正当性を求める弱者の思考。そうして自分が、さも尊い力を持っていると思いたがるのだ。

 神秘に定義を付けてどうするという。いったい何のための神秘なのか。神秘に説明を付けてしまえば、そんなもの体のいい手品に成り下がると理解できん蒙昧め。

 人間には理解不能な力を理不尽に振るう。それこそが古来より崇め奉られた、人間の憧れる神秘ではないのか。嘆かわしい。何にでも説明を付けたがる、現代化の悪い癖だ。

 “できるからできる”それだけでいい。


「う、嘘です……私が陰陽局の人間だから嘘を吐いてるんです……」

「前振りだぞ」

「きっと酒上流には、宝石のように輝く神秘が……」

「遊びだぞ」

「その術理を解明すれば、覇者へと至る無謬の武……」

「子どもの考えたものだぞ」

「あーーーん!! 安綱様のアホぉーーー!!」


 人間程度が想像する神秘など、蓋を開けてしまえばこんなものよ。神秘など解明されないくらいがちょうどよい。それこそ、この女が先程言った『神秘とは秘してこそ輝くもの』とはよく言ったものだ。

 主と妹に背中をさすられながら「私、聞かなかったことにします……」とベソをかく、神秘を崇拝する少女を横目に、俺は追加の氷を生成するべく剣を振るうのだった。

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