第81話「こ、これはガス爆発!」



「な、なんてこと……記号問題を記述問題と履き違えてただなんて……」


 俺が持ち帰った問題用紙を手にしながら、我が主はわなわなと震えている。その声は固く、ある種の諦観が滲んでしまっていた。

 そう、マスターが指摘する通り。俺は記号で答えるべき問題に、わざわざ文言を記述してしまっていたことが発覚してしまったのだ。

 おかげで自己採点の点数は大幅に下方修正が見込まれ、こうして見事不合格と相成ったのだった。


「知識を詰め込むことに集中しすぎたわ。テストに慣れていないから起きた問題様式による凡ミス……!」


 唇を噛み、悔しげに顔を歪ませる主人を見るのは俺としても心が痛い。故に思わず逃亡してしまったのだが……


「もー! どうするのよこれぇ!」

「すまん……すまん……」


 赤いカーペットの敷かれた玄関ホールにて。

 俺は四つん這いの姿勢で譫言のように呟き、まるで重石のように背に腰かける主人に謝罪する。無双の戦鬼、反省の姿勢である。


「相手方のミスならどうとでもなったのに、完全にこっちのミスじゃ言い訳のしようがないじゃない!」


 ゲシゲシと。

 今の俺はオーダーで即連れ戻され、逃がすものかと背に乗られ、ジタバタ暴れる主人のあんよに横腹を蹴られと踏んだり蹴ったりである。

 ちなみに刀花はというと……


「ふふ、兄さん……合格おめでとうございます。制服とっても似合ってますよ……あ、今カレーをよそいますね……」


 虚ろな目で。

 ホールの片隅で虚空を眺めながら、ありもしないカレーをよそう仕草で腕が空を切るその様は、病的を通り越して異常だった。

 エアカレーだ、エアカレーを食卓に並べている……!

 い、いかん。地獄が、この世の地獄が顕現してしまっている。それもこれも、俺の凡ミスが招いた事態だ。


「くっ、少女達の望みを叶える戦鬼が聞いて呆れる! 俺は恥ずかしい! 生きてはおれん!」

「ハラキリブレードはやめなさい、玄関が汚れるから」


 叫ぶも、冷たい反応が返ってきてしまった。

 だが実際、俺の存在意義が問われる案件だ。少女達の願いを叶えねば俺が俺である意味がないのだ。


「うぅーん、いっそ鞘花でもう一度受験を……いえ、それじゃ意味ないし……こうなったら財力にものをいわせて……? 裏口入学……?」


 あれこれと代案を挙げ、主人は難しい顔でうんうん唸っている。

 ……裏口入学か。うぅむ。

 正直、正規の手続きで入学しておきたかったが……最早やむをえないか。

 俺は少女達の無双の戦鬼。彼女達の願いを叶えるためならば、主義を曲げることに否はない。


「……この手だけは使いたくなかったが」

「わっ」


 ムクリと起き上がり、マスターを下ろす。

 不思議そうに見上げる彼女の視線を感じながら、俺が手にするのは……


「スマホ? 誰に電話するのよ」

「ツテだ」


 これは俺にとっての最終手段だ。まったく、己の情けなさに腹が立つ。

 胸中で歯噛みしつつ、俺は常に着拒状態のとある番号を探しだし解除。そうして通話ボタンをプッシュし、彼女達にも聞こえるようスピーカーをオンにした。

 そうしてしばらくのコール音の後……


『特殊回線に切り替わります。以降、この通信は記録として保存されますのでご了承ください』


 以前と変わらぬ電子音声を聞き、そうして繋がった通信の先は――


『……もしもし、こちら陰陽局支部局長』

「えっ!?」


 鋼鉄のように冷たい声色が俺を出迎える。名乗った肩書が、その女の立場を否応なくこちらに伝えた。

 そう、俺が持つ唯一の有力なツテ。


 ……陰陽局である。


「俺だ。話がある」

『そうですか、私にはありません。以上、通信終了』


 すげなく。

 無機質に終了を宣言され、ピーという電子音と共に録音装置が停止する。


『……』

「……」


 しかし、通信は途切れない。

 そうしてしばらくの沈黙の後に……


『はぁ……安綱様?』


 溜め息と共に、先程よりかは熱のある声が返ってきた。いつもの……というには頻度は少ないが、俺と陰陽局のやり取りだ。

 公的には俺と陰陽局は不倶戴天の敵同士。やり取りにもそれなりの手順があるのだった。


「ああ、少し頼みたいことがあってな」


 俺がぼかすように言えば、しかし電話口の女はまたも溜め息をついた。


『承知しています。学園の試験に落ちたとか』

「知っていたか」


 さすがに情報が早い。曲がりなりにも日ノ本の平和を裏から支える組織だ、俺のマークはなかなか外さないか。


『私、刀花様のツイ○ターをフォローしておりますので』


 ……まさかの身内からの情報リークだった。


「ま、まあそういうわけだ。俺の編入の手続きを任せたい。得意だろう、工作は」

『また無茶を……』


 頭が痛そうに呻き声を上げる気配がするが、こちらとしてもこいつらに頼りたくはないのだ。


 ――陰陽局。

 京都に本部を置き、各地に支部を構える異能集団の総称。日本の各地で起きる怪異を影で解決する、表には公表されていない、裏の公務員達。

 そして……かつてこの俺を愚かにも創り出した、大罪人共だ。

 まあ儀式に関わった者は全員殺したが、その一部というだけで俺の嫌悪を掻き立てるのには十分だった。


「ただでとは言わん。案件を寄越せ」

『し、しかし……』


 渋るような声を出すが、こいつらが昨今予算不足なのは有名な話だ。現代化の波に呑まれ、怪異も減少してきたため予算を削られているのだ。窓際共め。

 だからこうして俺の……無双の戦鬼の力をちらつかせれば、食いつく。

 俺の依頼を任せる代わりに、この者達の力が及ばないような事態を解決してやると言っているのだ。

 ……ちなみに以前にも一度、刀花の学費がどうしても足りない時に頼ったことがある。屈辱の歴史だ。


「俺一人編入させるコストと、そちらの人員や武器、道具、手当てを用意する膨大なコスト。どちらが有益か議論の余地はないだろう」

『う……』


 そしてどれほど危険な案件でも達成する確実性。奴らが喉から手が出るほど欲しいものだ……まあ、だからこそ俺を創ったとも言えるのだが。

 そうしてしばらく焦れるような時間を過ごせば、ようやく平和を守る陰陽局支部局長様は重い口を開いた。


『……実は、先日厄介な存在が確認されて』


 よし、話が進んだな。


『どうやら森深くに隠れ住む神獣に、怨霊がとり憑いたようで』


 神獣ときたか。

 現代化が進んでいるとはいえ、皆無というわけではない。こうして人里離れた森や山には、ごく稀にだがいまだその姿を見せるものがいる。

 神獣は神の眷属のようなもの。神までとはいかないまでも、人間にとっては絶望的に力量差のある相手だった。

 そんな獣が、人間に仇なす怨霊にとり憑かれたとあっては陰陽局としては対処しなくてはならないだろう。……戦力の有無は別として。


『神獣の不死性と怨霊による不定の防御性が混ざり合い、相応の準備と覚悟が必要になる案件です。現在、有効な攻撃手段を確立させている段階ですが、分析によれば運良く神獣の身体を討っても、怨霊が核となり別の生物に乗り移ると判明し――』

「敵はどこだ」


 能書きはいい。

 俺はさっさとこの事態を終わらせるべく動く。


『……刀花様のスマホにデータを送りました』

「刀花、帰ってこい」

「はっ、私はなにを……」


 エアカレーをよそっていた刀花を呼び戻し、位置情報を探る。俺には、これで十分だ。


「あっ、このはちゃんですか? いつもリプありがとうございます」

『あっ、あっ……刀花様っ、お世話に、なっています……』


 冷たかった声色が、刀花と会話した途端に熱を持った。喉につかえたような息を漏らし、ボソボソと呟く声がスピーカーから漏れる。

 俺に対する態度とは違う反応に、隣で話を聞いていたマスターは不思議そうに首をかしげた。


「妙な反応ね」

「こいつは刀花のファンみたいなものだ。莫大な霊力に強力な配下……将来の目標らしい」

「しょ、将来……?」


 前に、刀花が照れくさそうに言っていたのを覚えている。兄は友達を選んでほしいぞ……。

 うらめしげに刀花の方を見るが、刀花は久しぶりに支部局長と会話するのか楽しげだ。


「お手数をお掛けしてすみません。中学生で支部局長なんてただでさえ大変なのに」

『い、いえ、必要なことですので……』

「え、中学生!?」

「ああ」


 可愛げのない中学生のガキだ。

 その情報に、マスターは目を剥く。そんな様子を見て、刀花は説明するように紹介を始めた。


「六条このはちゃん、中学二年生の陰陽局支部局長さんです。いわゆる才女ってやつですね」

『そ、そんな……恐れ多い、です』


 萎むような声に、ふんと鼻息を鳴らす。

 正直、器ではない。だがこいつは支部局長の座についている。というのも……


「俺が歴代の支部局長に辞めるよう嫌がらせし、最終的にこいつしか候補がいなかったというのが実情だ」

「えぇ……」


 ドン引くマスターの声。まあそういうことだ。

 歴代の支部局長は優秀すぎたのだ。その優秀さは俺と刀花の生活に邪魔なものこの上なかった。

 だからこそ、日々の勤めでいっぱいいっぱいになり、戦鬼への対策を講じられない程度の実力を持つ者がちょうどいいのだ。

 そのため、この中途半端な才女……六条このははうってつけだった。実家が貧乏華族で、家族を養うために今の地位から逃げることも出来ないのが扱いやすくてなお良い。


『ご、ご挨拶が遅れました、ブルームフィールド様。六条このはと申します。安綱様を眷属にした吸血鬼様と伺っております……お強いのですね、羨ましいです』

「え、ええよろしく。リゼットよ、コノハ」


 なんともいえない顔をしながらマスターは答えた。まあ素ではポンコツだからな我が主は。


『報告では聞いておりましたが、力強く凛としたお声……刀花様と同じく、憧れておりますっ』

「ちょっとなによこの子可愛いじゃない……」


 そんな我が主は一瞬でだらしなく頬を緩めた。絆されおって……

 

『あっ……こ、こほん。話が逸れましたが、安綱様。後ほど更なる解析データをお送りいたします』


 俺の無言の圧を感じたのか、六条は一つわざとらしく咳払いをして話を進めようとする。


『こちらの準備が整うまで待機を。任務決行日時は追って連絡をいたします。くれぐれも独断専行など勝手な行動は――』

「必要ない。もう滅した」

『……はっ?』


 俺の報告を聞き、落ち着いた口調を心がける六条の裏返った声がホールに響いた。人間の対応というのはいちいち遅い。


『はっ、えっ……う、うそ、ほんとに反応が消えて……ど、どうやって……』

「どうやってもなにもない。お前らが話している間に位置を探って、ここから一太刀浴びせた」

『そ、そんな……不死性や防御性を備えた相手になぜ……』

「それが出来るから、俺は無双の戦鬼を名乗っている」


 不死性? 防御性? 哀れなり。

 死の間合いにあってなお、己の能力について得意気に理屈を立てやれ相性がどうの、やれ現象がどうのと囀るなど愚か者のすることよ。アホらしい。賢しらぶるな。


 ――純粋な力でもって悉くを討ち滅ぼす。


 それだけでいい。理屈も概念も、知らんわ。まどろっこしい。鬱陶しい。邪魔だ。俺の覇道には必要ない。何を驚くことがある。

 ……そうあれかしと俺を創ったのは、お前達人間であろうが。

 神獣怨霊何するものぞ。戦闘と名を冠することすら生温い。戦鬼にかかれば害獣駆除よ。


「ああそうだ、余波でだいぶ壊れたが必要な犠牲だと割りきれ。偽装は任せる」

『ああ!? も、森が真っ二つに……』


 映像でも見ているのだろう、六条の信じられないとでも言うような震える声が響き――


『あーん! 余計なことしーひんとってっていっつも言うてるのにー! こんアホぉー!』

「え、なに急にこの子」

「これがこいつの素だ」


 冷静な声から出身丸出しの声に変わってマスターはギョッとする。

 支部局長として普段は威厳を出そうと肩肘を張っているが、一皮剥けばこんなものよ。張りぼてという意味ではうちのマスターと似ているかもな。


「周辺住民の命と再生可能な森、比べるべくもないだろうが」

『うるさーい! 一応これ裏取引なんよっ!? こんな目立つことしはって……どう誤魔化せばぁ……』

「任務は達成した。後のことは任せたぞ」

『ちょ、ちょっと待ち――』


 問答無用でスマホを切り、素早く着拒。

 ちっ、人間を助けるなど屈辱的にもほどがある。だから嫌だったのだ、この手段をとるのは。


「……なんか可哀想。中学生の女の子でしょう? もう少し優しくしてあげればいいのに」


 マスターが瞳に憐れみを湛えている。が、俺は鼻を鳴らした。


「これくらいでいい。優しくして、最終的に『俺がいるから大丈夫』と思われては目も当てられん。人間の味方は人間がするものだ」


 鬼が人間を守るなど、本来ならばあってはならない。そうでなければ第二第三の俺が創造され、あの悲劇を繰り返すことになるだろう。

 ……そのようなことはあってはならないのだ。


「このはちゃんごめんなさい……」


 刀花が静かに合掌している。俺の妹に想われるとは贅沢者め。


「ふむ、これで俺も学園に通えるというものだ。正攻法ではないが、仕方ない」

「あなたホント滅茶苦茶ね……」

「鬼だからな。さ、合格祝いのカレーをいただこうか」

「あっ、そうですね。今温めます! このはちゃんに感謝しながら食べましょう!」


 少々手こずったが、最終目的だけは達成出来た。


 ――こうして俺はようやく、学園に編入を果たしたのだった。



 ちなみに後日、編入に関する書類がわざわざ巨大な段ボールに包まれ、代引で送られてきた。

 いい度胸だあの小娘……。

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