第79話「よくあるあのポンポンは古い油を除去するためです」
『はーい、じゃあ下も脱ぎ脱ぎしましょうね兄さん♪』
『任せる』
は?
そんな声が聞こえてきたのは、私が夜の帳が降りた廊下を行ったり来たりしている頃合いだった。
いえ、決して彼の部屋の明かりがまだ点いていたから気になって様子を伺っていたわけではないのよ?
私はただお花摘みや飲み物の補充をする上で不可抗力として彼の部屋の前を行き来していただけなんだから、そのあたり勘違いして欲しくないわよねー?
「っ」
そんな私は彼の部屋内から聞こえる声に緊急性を感じ、グラスに注がれていた水を一気に飲み干した後、ドアにグラスの底を密着させ自分の耳を当てた。
『よいしょ、よいしょ』
カチャカチャと、トーカの声と共に金属製の何かを外す音が聞こえてくる。
え……、何してるのこの兄妹。
「まさか……!?」
いえ、いいえ落ち着きなさいリゼット=ブルームフィールド。まだ“そう”と決まったわけではないわ。きっと何か思い違いをしているのよ。そう、ディナーを食べ過ぎてベルトを緩めただけかもしれないし――
『ふふ、兄さんったら。相変わらずおっきくて硬ぁい……♪』
何が!? えっ、うそうそホントに!?
私は頬が熱を持ち始めるのを感じながら、より強く耳をグラスに押し当てる。いえ、これはご主人様として屋敷内の風紀を守るため。決して盗み聞きとかそういうのじゃないの。
そう自分に言い聞かせていると、私の耳へと徐々に兄妹のくぐもった営みの声が届いてきた。
『じゃあ根本から順番にしていきますからね、んっんっ』
『うっ、ああ……もう少しゆっくり頼む。特に先端は敏感だからな……』
へ、へぇ~……せ、先端は敏感なんだぁ……。
心の中でメモを取りつつ、あわあわと慌てふためく。
どどどどうしよう!? ドアを蹴破って取り締まるべき!? でもでも! その現場を見せつけられて正気を保てるかどうか……!
『んっ、兄さん気持ちい? 刀花の指、気持ちい?』
『ああ、最高だ……くっ、はぁ……!』
指で気持ちいいんだぁ……というか、なんて声出すのよぉ。
顔とお腹が火照って熱い。彼の今まで聞いたことのないような声音に、思わず部屋の中で行われている営みを想像してしまいそうになる。
あわわわわわ……。
『やん……見てください兄さん。私の指、ぬるぬるになっちゃいました。ティッシュティッシュ』
『多すぎたか。ああ、根本の部分にも塗り付けてくれるか』
『はぁい。ここは特に汚れが溜まっちゃってますね。ちゃあんと綺麗にしましょうね……んっ、ふぅ、ふぅ』
『あっ、ああ……!』
道具も使ってるんだぁ……!
そ、そういうのって少しマンネリ化してからって聞いたわよ!? まさかこの兄妹、私に隠れてホントはずっと前からこんなことを!?
『刀花、ムネを……』
『あっ、忘れてました。ふふっ、兄さんムネされるの好きですもんね。よいしょっと』
胸ぇ!?
「あばばばばばば……」
き、きっと今、トーカのあの羨まけしからない胸で……! 私にはない武器でジンが! いえ私にもあるけれど! 形には自信があるけれどそれがなにかっ!?
『兄さんすごい反ってます……』
『気持ちいいぞ、刀花。……これならば、マスターも呼べばよかったかもしれんな』
はふへぇっ!?
いきなり自分が話題に出てきたことで危うく声が漏れるところだったがグッとこらえる。
私も、ってそれはどういう……!
『そうですね、んっ。いつかリゼットさんもするかもですし……私がお手本を見せながら一緒にしたほうがよかったかもしれませんね』
いいい一緒にってそそそれってつまりさささささんぴ――
『今からでもお呼びしましょうか?』
「!?」
トーカの声にビクゥっと肩を跳ね上げ、慌ててドアに寄せていた身を起こす。
今出てこられたらバレちゃう! それに私も一緒にだなんてそんなの無理ぃ……! は、初めては二人っきりって決めてるし!
に、逃げなきゃ……!
私は物音を立てないよう最大限の注意を払いながら、自分の部屋に駆け込む。
「あわわわわ……」
部屋の鍵をかけ、隣の部屋の変な音とか声が聞こえないように、私は毛布をシェルターのようにしてガバッと被りガタガタと震えて夜が過ぎ去るのを待つのだった。
『まあ今は呼ばなくてもよかろう。もう終わりだろう?』
「はい、兄さん。棟部分も終わりましたよ」
柄を外し、刀身のみとなった俺を注意深く握り、刀花は植物性の丁子油を染み込ませた上拭い用の布を置く。
錆止めの油を塗られ、反った刀身部分までもピカピカになった俺は、その仕上がりに満足げに息を吐いた。
『ふー……やはり一仕事終えた後の手入れは格別なものがある。いつもすまない刀花』
「いえいえ、お手入れ程度でしたら。むしろ研磨とか出来なくて申し訳ないくらいで……」
『さすがにそれは職人の技だからな』
俺は仕方ないとそう言いつつも、内心少々無念に思う。
そもそも俺には手入れも研磨も必要ないのだが、こうして目釘を抜き、打ち粉をされ、汚れの溜まりやすい茎部分まで手入れをされるのはとても心地よい。
まるで至高の按摩師にマッサージされているかの如き快楽。妹の手入れでこれなのだから、日本に数百人しかいないという研磨師に依頼すればどれほどのものかと興味は尽きない。
……まあ、茎部分に思い切り“安綱”の二文字を切る俺には土台無理な話だが。己の名声が憎い。
『それに研磨に使う内曇砥など特殊な砥石はそもそも一般には出回っていないからな。俺には妹の手入れだけで充分に過ぎる。気持ちよかったぞ刀花』
「むふー、ありがとうございます。それじゃあ柄に戻しますね」
『頼む』
刀花は指に付着した油をティッシュで拭う。そのティッシュは古い油を拭う行程……下拭い用に用意した上等なものだ。刀の手入れにも使える、やっぱすげぇよ鼻セ○ブは……。
そうして先ほど外した鎺をカチャカチャと装着。続いて目釘をさし、柄と鍔を装着した俺を刀花は優しい手付きで鞘に戻してくれた。新しい丁子油を塗ったお陰か、入りも滑らかだ。
「ふむ、肩が軽い。礼を言うぞ刀花」
人型になり、調子を確かめるようにして手を握ったり開いたりする。
スムーズに動くことを伝えれば、刀花は手入れ道具を片付けながらにっこりと微笑んだ。
「いいんですよ、贈り物のお礼です」
嬉しげに言う刀花のポニーテールに合わせ、結んだリボンがヒラヒラと揺れる。
風呂にも入り、袖の短いパジャマを着た刀花はよほど嬉しかったのか、いまだ白いリボンを結んだままだった。
俺はその可憐な姿に見惚れながらも、困ったように眉を寄せた。
「礼か。そもそもそれは俺が勉強を教えてもらったことの礼なんだが……」
これでは俺がまた貰いすぎてしまっていることになるな。どうしたものか……。
そう思ったことに気付いたのか、刀花は笑顔のままテテテとこちらに近付きボフッと胸に飛び込んできた。
「むふー、いいじゃないですか。お礼をして兄さんは幸せ、私も幸せ。お互いにお礼をして、そうしてどんどん幸せになっていくんです。素敵な関係だと思いませんか?」
「なるほどな。して、その関係の名称はなんと言うんだ?」
一仕事してくれた刀花に礼をするべく、そのままお姫様抱っこし部屋の電気を消した。
共にベッドに入りそう聞けば、刀花はくすりと笑う。
「そうですね……じゃあ“ここ”が『兄妹』で、“ここ”が『恋人』というのはどうでしょう」
自分のおでこと唇をなぞった後、刀花は悪戯っぽく笑って目を瞑る。判断はお任せするらしい。
「ふむ、では」
「あっ、ちゅ……ん……」
いささかの逡巡もなく、おでこと唇両方に口付けをする俺を刀花は柔らかく受け入れてくれる。
しばらく互いに熱を交換し離れれば、刀花の瞳はとろんとしてしまっていた。
「……兄さんは欲張りさんですね」
「鬼だからな。それとも、別の名称がよかったか?」
「いいえ。とびっきり素敵な関係だと私は思います……」
ぎゅっと、抱き枕のように刀花はこちらの身体を抱き締める。
「ふふ、兄さんが学園に編入したら、今度は新しく“先輩”になっちゃいますね」
「そうなるのか」
慣れん名称だな。バイトも短期で首になる俺は先輩になったことがない。先輩などと、背中の痒くなるような心地だ。
なんとも言えない感覚を味わっていると、腕の中の刀花が身じろぎする。こちらを上目遣いで見上げ、なにやら言いにくそうにもじもじした後……一言、甘い音色を紡いだ。
「刃、先輩……♪」
「っ!?」
そのはにかんだ笑顔が。恥ずかしげに染まった頬が。耳朶を打つ甘い声全てが俺の胸を撃つ。
「な、なんだか恥ずかしいですね! ずっと兄さんって呼んでましたので――」
「今夜の関係に一つ追加だな」
「え、ひゃあ♪」
誤魔化すように早口で言葉を紡ぐ彼女を、これまでより強く抱き締める。
今宵……
俺は初めてできた"後輩"の髪をわしゃわしゃと撫で、ひたすら甘やかし続けたのだった。
翌朝、なぜか真っ赤になって気まずげにこちらを見ようとしないご主人様の誤解を解くのは少し大変だった。
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