第68話「負け犬に権利など無い」
完全敗北を喫した後。
元凶である俺をコテンパンにしてひとまずの決着と和解を得た二人と共に、俺達は併設されたファミレスに入り遅めの昼食を摂っていた。
「そういえばあのまま教室出ちゃったから友達作れなかったじゃない。このままクラスで浮いちゃったらどうしてくれるのよ」
「スイマセンデシタ」
「ふーん、言葉だけじゃ足りないんじゃないの?」
「ドーゾ、アーンシテクダサイ」
テーブル席の左隣に座るご主人様。その楽しげに笑う彼女の前に置かれたミ○ノ風ドリアをスプーンで掬う。
対面に座るならまだしも、隣に座りながらでは逆に食べづらいのではないか? とは言わない。言えない。俺には最早そんなことを言う権利すらないのだ。
「……ちゃんとふーふーして?」
「ハイ」
湯気を立てるドリアを食べやすいよう冷まし、ご機嫌な様子でこちらを見る彼女の口許に差し出した。
「あー……んっ♪ ふふ、素直でよろしい。あなたは果報者よ? こーんなに可愛い美少女二人を侍らせてるんだからね」
「兄さん兄さん、私にもしてください。あ、リゼットさん。クラスのことですけど、チャットのグループがあるのでそっち招待しますね」
右隣で袖を摘まんでせがむ妹へ、今度はハンバーグを切り分け一口大にして差し出した。もちろん、ふーふーするのも忘れない。
刀花が小さい口を開けて「あむっ♪」とハンバーグを美味しそうに頬張るその間にも、我が主からの説教は続いていた。
「ありがとトーカ。……いい? それが許されるのはあなたが最強だからとかじゃなく、法に縛られないからでもなく、私達が許してあげてるからなんだからね。そこのところきっちりと理解して私達に奉仕なさい、嬉しいわよねー?」
「アリガトウゴザイマス、オヤサシイリゼットサマ、トーカサマ」
権利を簒奪された俺は唯々諾々と彼女達の言葉を飲み込むしかない。
敗者にはなんの権利もないと言ったのは俺だ。ならば自分の言葉には責任を持ち、今は犬のように彼女達に仕えよう。目の前に置かれたステーキの皿にもお許しが出るまで手を出すまい。
敗北者の俺には、くしゃくしゃにしたストローの袋に水滴を垂らして遊ぶくらいがお似合いなのだ。わぁイモムシ~。
「ふ、ふふ……分かればいいのよ。お利口なワンちゃんは好きよ。躾も大事だけれど、いい子にはちゃんとご褒美もあげないとね」
ご主人様ムーブができて気持ちいいのか、マスターはだらしなく頬を緩めてステーキの肉を俺の代わりに刻み始めた。
「わん、わん」
最早言葉すらなくした俺は鳴き声で催促するしかない。俺は犬だ。犬の気持ちになるのだ。
「ほらジン? 三回よ、三回」
「わんわんわん」
「『ご主人様大好き』は?」
「わん(ご主人様大好き)」
「この犬脳内に直接……!」
思念を送られドン引きしつつも、お優しいご主人様はその貴きお手自らこの犬めに肉を与えてくださる。
「はい、あーん。熱いから気を付けるのよ?」
「わふ」
綺麗にカットされた肉にかぶりついて咀嚼すれば、彼女は満足したように鼻息を漏らし、また甲斐甲斐しく肉を切ってくれる。たぶんペットロスで一番泣くタイプ。
「従順な犬になってる兄さんもいい……」
そんな様子を眺めていた刀花は隣で頬を押さえ、ほうっと熱い息をついている。うちの子達はこういう時Sっ気が強くなるのだろうか、嫌いじゃない。
「兄さーん、おいでおいで♪」
「クンクン、クンクン……」
差し出された両手の匂いを嗅ぎ、危険がないかを確かめる。そうして自分にとって危険はないと判断した犬こと俺は、大型犬のように妹の胸に飛び込んだ。
「きゃあ♪ うへへぇ……ここまで素直な兄さんは珍しいかもです。相当負けたことが堪えたんですね。いい子いい子」
「わふわふ」
妹の首筋に顔を埋める。
胸一杯にバニラのように甘い香りを吸い込めば、くすぐったそうに笑って刀花はワシャワシャとこちらの頭を撫でてくれた。俺もう一生犬でいいわ。
「兄さんお手!」
「わん」
「おかわり!」
「わん」
「ちんちん!」
「刀花、それはどうかと思うぞ」
隣でマスターが「ぶ――!?」と水を噴き出す音を聞きながら、俺は冷静に突っ込んだ。さっきから俺達の様子を唖然として見ていたファミレス内の客も気まずげに顔を赤らめている。おうなに見てんだこら。
衝撃を受ける周囲をよそに、刀花はキョトンとした顔で首をかしげた。
「えー? 別に変なことなんて言ってませんよ。犬の芸『ちんちん』の語源は『鎮座』から来てるんです。ですので伏せ字にしなくても問題ないんですよ?」
へぇ~、と周囲から感心する声が聞こえる。日本語の妙というやつなのだな。
だがそれを聞いても我が主は納得いかないご様子。
「と、トーカ……だからと言って――」
「ほらぁ兄さん……ち・ん・ち・ん♪」
こちらにしなだれかかり、耳元でゾクリとするような小声で囁かれる。おかしい、卑猥は一切ないはずなのだが……妙な扉が開きそうな気がした。
というか俺はもう座っているのだからこれ以上鎮座しようがないだろう。それとも俺は今試されているのだろうか……胡座かきながらジャンプしてみるか?
「と、トーカっ……いい加減になさい」
「でもリゼットさんが恥ずかしがってるってことは、そういう日本語分かるんですね。ふふ、えっちな日本語もちゃんと勉強したんですか?」
「じょじょじょ常識でしょそんなこと! 私がえっちな子みたいな言い方しないでよ! ジン、なんとか言ってあげなさい!」
「わん(まあそうからかってやるな刀花。たとえそういった意味はなくとも、年頃の乙女がそうちんちんちんちん言うものでもないだろう。それこそ周囲から浮いてしまうというやつだ。俺としても大事な妹が浮いてしまう事態は心苦しい。ここは兄の顔を立てると思って、えっちな日本語も勉強していたマスターを許してやってくれ)」
「『わん』の一言に欲張りすぎでしょ、動物番組でもそこまでしないわ。あと追い討ちかけないで」
「ぐえ」
こちらの襟首を掴み、マスターはしなだれかかっていた刀花から俺を引き剥がす。
そのまま引力に従えば、後頭部に柔らかい胸元の感触と、優しいラベンダーの香りが俺を出迎えた。
「あなたは私だけのワンちゃんなんだから、妹に尻尾振らないの」
首輪をかけるように細い両腕をこちらの首に回すご主人様は、唇を尖らせてそう言った。
この所有されている感、道具として堪らないものがある……
「リゼット……」
「な、なによ……」
「――ペロペロしていいか?」
「無駄にいい声で言わないでよキモいわね……か、帰ってからね」
頬を赤らめてプイッと顔を反らしつつも許してくれる。綿菓子のように甘いマスターだ。
「むっ、リゼットさんズルいです。妹にも可愛がる権利があると思います」
不満の声をあげる刀花に対し、我が主は得意気に笑う。
「お金は私が工面してるんだから実質私が飼い主でしょ。それにもともと私がご主人様なんだから正当な権利よ、ズルくないわ。あ、こら引っ張らないの!」
「お世話は私がしてるんですから私にも権利はあります、兄さんこっちに来てください!」
「こらジン! 飼い主は私なんだからこっちにいなさい!」
ぐぐぐ、と両腕を掴まれ左右に引っ張られる。縫いぐるみだったら裂けて綿が飛び散るアレだ。大岡裁きであれば手を離した方が真の母と認められたが、二人は頑なに離す気はない様子。
明確な理由があればどちらかに傾くのも吝かではないが、どちらの言い分も理解できるため動くわけにはいかない。ここは縫いぐるみが如く割れて血と臓器をぶちまけた方がいいのだろうか。悩ましい。
「学園のことはひとまず水に流して馴染めるよう手助けしてるんですから、今は私のターンのはずです!」
「それは感謝してるけどターンとかはよく分からないわね!」
「ほーら兄さん、こっちに来れば三食昼寝妹付きですよー。可愛い妹と爛れた夏休みを送りましょう」
「ジンはこっちに来るべきよ。美しいご主人様にいっぱいご奉仕したいわよね? ご褒美だってあげちゃうんだから」
「きちんと最後までお世話する覚悟がないと拾っちゃダメって妹言いましたよね? 私は兄さんがヨボヨボのお爺ちゃんになったとしても最期まで寄り添う所存です。オムツも変えます!」
「この子の寿命なんて分かんないでしょ! それに私の方が多分あなたより長生きなんだから、それこそ私の方が相応しいじゃない!」
「そんなことありませんー、私将来的に兄さんに寿命斬ってもらいますもーん。兄妹の愛は永遠になるんですもーん」
「さらっととんでもない設定持ち出さないでよ無敵かあなた達!?」
「あ、あのーお客様……そろそろ他のお客様のご迷惑になりますので……」
「あ゛ぁん? 邪魔をするな。俺は今かつてない、人生最大の岐路に立たされ――むぐっ」
唐突に割り込んできた店員に牙を剥こうとすれば、二人の少女の掌が口を塞ぐ。
ふがふがと暴れる俺をよそに『ご、ごめんなさーい、あはは……』と曖昧に笑って場をやり過ごした二人は冷静になったのか、コホンと気まずげに咳払いをして雰囲気を改めた。
「……ちょっとはしゃぎすぎたわね」
「そうですね、お外だっていうことをすっかり忘れてました」
反省する二人を前に、解放された俺は不機嫌も隠さずに鼻息を漏らした。
「ふん、二人が何を反省することがある。俺を従えるということは世界を手中に収めたも同然。強者なのだから堂々とすればいいだろう」
弱肉強食の理に則るのならば、最早この少女達を止められる者などいないのだからな。当然の理屈だ。
しかし俺の言葉を聞いたご主人様は疲れたようにため息を吐き、妹は困ったように笑う。
「あなた本当にそのスタンスなんとかなさい?」
「兄さん、私相手までとはいかないまでも、もう少し人に優しくして欲しいです」
「いくら二人の頼みだろうが、それは出来ん相談だな」
俺が人間を許すことなど天地がひっくり返ってもありはしない。殺された五百人分の命で創られた俺には。
そもそもからして俺は鬼だ。異物なのだ。個人との付き合い程度ならまだしも、群体として人間社会に溶け込むなどどだい無理な話。
……人間は嫌いだ。臆病で、愚かで、複雑で。だからこそ『俺』を生み出すという最も愚かな行為も平気でする。その結果どうなった? 死体以外何も残らなかったではないか。
俺という存在そのものが、人間の愚かさの証明なのだ。罪の証なのだ。そんな俺にへらへらと人間と仲良しごっこをしろだと? 冗談ではない。
――二人の少女以外の人間は全て敵だ。人間を殺すのは、いつだって人間なのだからな。
「これですよ……」
「筋金入りね……」
俺の話を聞き、少女達は呆れたように肩をすくめる。
「でもそれじゃこの社会でやっていけないって分かってるでしょう?」
「バイトはできていたぞ」
「クビになってたじゃないの」
む、痛いところを。
「兄さん、刀花はこれからも人間社会で生きていくんですよ? それこそ大人になってもずっと。その時になって、兄さんが隣にいてくれないのは寂しいです」
「う、む……」
手を握られ、切実な様子で訴えられる。
ずっと一緒に生きてきた妹だ、彼女なりに思うことがこれまでもあったのだろう。
確かに社会に溶け込まないということは、人間と接触を断つということだ。それで妹とこれからも生きていけるのかと問われれば……可能性は低い。
「まあ、私が兄さんを囲って養ってあげるという手もアリ寄りのアリですが。むしろアリアリですが。ふふ、私無しでは生きていけない兄さん……いい」
「ナシ寄りのナシよおバカ……」
じっとりとした目でうっとりする刀花を睨んだ後、マスターは「うぅーん……」と頭を抱えて悩ましそうな声を出した。
「やっぱり危険かしら……でもこれからのことを考えると避けては……だったらせめて目の届く範囲で……うぅ~……」
「どうしたマスター、トイレはあっちだぞ」
「お腹じゃなくて頭が痛いのよ頭が、あなたのせいでね。でもこの先の展開によってはガスタ○10の売り上げが伸びるわ」
ビシリとおでこにデコピンを食らう。
ムスっと唇を尖らせていたマスターだったが、一つ息を吐いて改まった様子でこちらに向き直った。
「ねえジン、提案があるんだけど」
「なんだ。マスターの願いなら極力叶えよう」
「……不安だわ」
俺の言葉を聞き、しかしマスターは難しそうに眉を寄せた。
「ご主人様として、このままではいけないと判断しました。あなたはもう少し人間と溶け込むべきよ」
「む……」
あからさまに顔をしかめれば「そういうところよ」と言われてしまった。
「だからあなたは人間と関わるための場として――」
最後まで迷っていたようだが、マスターは意を決したように言葉を結んだ。
「私達と一緒に、大人しく学園に通いなさい」
「なん……だと……」
「敗者に権利はない、そうよね?」
その可憐な唇で、戦鬼に命令を下す。
念を押すような凄みのある笑顔に、負け犬たる俺は小さく「わ、わん……」としか言えないのだった。
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