第24話「このご主人様はついからかいたくなる」



「じーん、こっち向いて」

「ん? おっと」


 パシャリ。

 正面の二人がけソファに座ったジンに、買ったばかりのスマホを向けシャッターを押す。しかし――


「ちょっと、避けないでよ――うわ気持ち悪!」

「ふははははは」


 私の眷属は素直に写ってはくれない。避ける速度が早すぎてぶれてしまい、顔が三つある阿修羅みたくなっている。

 高笑いしながら顔面を分身させる彼の姿に「もぉ……」と呟き自分のスマホの操作に戻る。待受にしたかったのに。

 新しいスマホを買った私達は、初期設定や操作感を確かめるため、カフェに入店していた。パーティションで席が区切られ、落ち着ける場所として最適だった。

 注文は既に終え、目の前にはお茶とケーキが並べられている。それらを楽しみながら、今はそれぞれスマホを手に取り感触を確かめている。私は本国でも持たされていたからだいたい分かるが、ジンはなかなかに手こずっているようだった。隣のトーカに肩を寄せ、確認しながら覚束ない手つきで操作をしているが、時折彼のスマホから異音が聞こえてくるのはどういう理屈だろうか。


「このスイッチはなんだ?」

「スイッチなんてないはずですけど……兄さん煙が! スマホから煙がー!」


 わあわあ騒いでいる酒上兄妹をチラリと見て、くすりと笑う。


「ふふ」


 まさか自分がこんなに心穏やかに、この地での生活が送れるだなんて思ってもみなかった。

 私はアドレス帳を呼び出し、もう何度も見ているのに、最初に登録された名前をもう一度見る。


『酒上刃(眷属)』


「――」


 頬が弛んでしまうのを隠しきれない。

 眷属。私だけの、眷属……。字面で見ると、改めて自分にも眷属ができたんだと実感してしまった。

 初めて出会って鎖で連行された時はどうなってしまうかと思ったけれど、とんでもない。彼に出会えなければ、私は今も失意の底にいたかもしれない。

 少なくとも、初めてできた眷属に、初めてできた友達と一緒にお茶をしていることなどなかったはずだ。


「えぇいしゃらくさい。貴様も道具の端くれなら、主人の役に立とうと思わんのか」

『すみません、何を言っているかよく分かりません』

「こいつ喋るぞ!? 名を名乗れ! 我が『所有者』、酒上刀花に与えられし名は――」

「兄さん、カッコいいんですけど、ここではさすがに恥ずかしいからやめてください……」


 スマホと会話しだす無双の戦鬼に、さすがの妹も手を焼いているようだ。


「無双の戦鬼かぁ……」


 ポツリと呟く。

 国ですら掌握できない鬼を、なぜ私のような半人前の吸血鬼が術式をかけることに成功したのか。

 はじめは分からなかったけれど、今まで見た彼の言動や性質を考えればなんとなく分かる。

 彼は元々、人間に隷属し、その敵を討ち滅ぼすために生み出されものだ。刀という道具を媒介にしたその生まれからして、何者かに従属する性質を最初から備えているのだ。

 そしてその性質に、眷属を造り出す術式の相性がとてもよかったのだろう。普通の人間に術式をかけていたら今まで通り失敗していたはずだ。彼に即刻断ち切られたとは言え、それがきっかけで彼との繋がりを得ることができた。まさに、あの夜の出会いは運命だったと言ってもいいのではないだろうか。


「兄さん、これがフリック入力です。分かりましたか?」

「ふ、ふり……? フリントロックと何か関係があるのか」

「ないです」


 そんな無双の力を持つ彼は、私に様々なものをもたらしてくれた。はじめはオーバースペック気味の彼に不安しかなかったけれど、彼は彼なりに役立とうとしてくれていた。

 そうして私に寝床や食事だけでなく、血や立派なお屋敷、眷属、友達、家族、忠義……愛情を与えてくれたのだ。


「……」


 愛、愛かぁ。

 先ほどショップで聞いた限りでは、どうも彼の恋愛観は一般のそれとは擦れているように感じる。

 彼は今までトーカのみを愛し続けてきた。そして今、そこに私が加わったわけだが、彼はそこに優劣をつけていない。

 私とトーカも等しく愛す、と彼は言った。家族も妹も恋人も自分にとっては一緒だと。


「むー……」


 正直それってどうなの? とは思う。だってそれって思いっ切り二股男の発言じゃない。でも彼の様子を見るに遊びの雰囲気は一切ないし、眷属になって以来の彼からは、忠義や愛情をビシバシ感じてしまう。そしてそれを心地よいと感じる自分もしっかりいて……。


「はぁ……」


 溜め息をつき、目の前に座る私の眷属を見る。

 スマホを妹に教えてもらいながら、時折じゃれあうようにトーカと触れ合っている。ちょっと、今のボディタッチいる? あっトーカの頭撫でてる。トーカもトーカでその憎たらしい胸に彼の腕を挟み込んでいる。私の目の前で何してるのこの子達。


「むむむ……」


 なんだか無性に腹が立ってきた。そうよ、私はブルームフィールド家当主を父に持つ、リゼット=ブルームフィールド。誇り高き夜の支配者よ。

 妹と同時に私も愛するぅ? それってつまり私を囲おうってことでしょ? なめないで欲しいわね。女の子をなんだと思っているのかしら。サイテーよサイテー。だから早くその駄肉から腕を抜きなさいよなに妹にデレデレしてるのよあなたには可愛いご主人様がいるでしょー。


「?」


 私の撒き散らすオーラに気付いたのか、彼は不思議そうな顔でこちらを見た。眉を寄せ、鷹のように鋭い目を観察するように細めて私の瞳を見つめる。そして……、


「――」


 おもむろに自分の頼んだチーズケーキを切り分け、フォークに刺してこちらに差し出した。


「……」

「……」


 しばらく無言で見つめ合い、


「……あ、あーん」

「うむ」


 彼の差し出すケーキをパクリと食べると、彼は満足したような声を漏らし、なんでもないように再びスマホの操作に戻った。


「はぁ……」


 もう…………好き。

 これ以上私を好きにさせてどうするのばか。

 ヤバイわね。男の人に甘やかされるのって……いい。トーカったら十年以上こんないい空気を吸ってたのね。なんていうことかしら許せませんわねどうしてマダムみたいな口調になっているのテンション上がりすぎですわ私ったら。

 彼は先ほど「妹でいいのではないか?」と言い、私はその扱いに不満を覚えたが、今思うととんでもない発言だったのではないかと思う。

 だってそれはつまり、私が見てきたトーカを甘やかす行動を、これからは私にもすると言ったも同然なのだから。

 ――あぁ、駄目になる。確実に駄目になってしまう自信がある。私は今まで自分に厳しさを課し努力をしてきた。そうしないとあの家では生きてはこられなかったから。

 だけど、今はもう家の者の目もなければ、ここは遠い異国の地。そしてなによりも強く私を甘やかす者もいる。眷属の契りは永久不変。私はこれからこの地で、彼の愛を受けながらずっと過ごすことになるのだろう。

 私は思わず夢想してしまう。彼とのこれからの幸せな生活を。


「ただいま、リゼット。俺の可愛いご主人様」

「お帰りなさい……『あなた』」


 お仕事から帰ってきたジンを、エプロン姿で出迎える私。

 というか、『あなた』って! 『あなた』って! もうもう!


「ご飯にする? お風呂にする? それとも……」

「リゼット……!」


 言い終わる前に、彼はガバッと私を包み込む。その左手の薬指には銀色の輝きがあって、優しく私の髪を撫でながら耳許で囁くの。


「リゼット、今すぐお前が欲しい」

「やん、もう……だーめ」


 そっと胸を押して身体を離すと、お預けされた彼はとっても可愛い表情で私を見つめてくる。

 そんな彼の鼻をちょんと、いたずらっぽく指でつつく。


「二人っきりの時は『リズ』って呼んでくれなきゃ……だめ」

「あぁ、リズ! リズーーー!!」

「きゃあーーーーーーー♪」


 そうして私達はベッドに行くのももどかしくその場でキスを交わして――!


 あー! あー! あー!

 見えたわ、エンディングが! リゼットちゃん大勝利! 希望の未来へれでぃーごーっ!


「私の姿が見えませんねぇ~……」

「共働きなのかもしれん」

「はぇ……?」


 妄想の世界にトリップしていた私を、そんな声が現実に引き戻した。

 先ほどまで弄っていたスマホを机の上に置き、兄妹はその画面を覗き込んでいる。その画面に映し出されていたのは……、


「え゛――」


 ――私がたった今まで頭の中で思い描いていた、私とジンの姿だった。


「――」


 ……ヒトって、驚きすぎると声も出ないのね。知りたくなかったわ。


「な、なん……」


 そうかろうじて声を出すと、ジンは「あぁ」と相槌を打った。


「鬱陶しくてな、通話とメッセージ機能だけ残して俺好みに改造したのだ。今は相手の心の内を投影する機能のテスト中だ、続けてくれていいぞ」

「保険おりませんよねぇこれ……」


 で、私はいつ登場するんですか? とニコニコしながらも、こめかみをピクピクさせているトーカの言葉で一気に現実感が押し寄せ……。


「嗚呼……」


 逃げる力もなく顔を手で覆い、机の上に崩れ落ちた。


「泣いているのか?」

「――」


 すすり泣く私に、ジンが声をかける。

 泣くわよ。こんな恥ずかしいもの見られて泣かない方がおかしいわ。


「いやぁ別に普通のことだと思いますよ。私なんて初孫まで妄想したことあります」

「人生設計しっかりしておるなー」


 なんでもないような風に二人は言う。うぅ……、二人の言うような恥ずかしさは勿論ある。だけど、それとは別に――


「ぐすっ、だって……はしたないって思われて、あなたに嫌われたくない……」

「っ!」

「う、リゼットさん可愛い……」


 腕の間からジンを覗きながら言うと、彼は目を見開き、ガタリと立ち上がって私の隣に座った。


「リゼット……」


 そしてまるで妄想の中の再現のように、私を包み込むように抱き締め、優しく髪を撫でる。


「リズ、俺の可愛いご主人様」

「あっ……!」


 耳許で、彼が囁く。愛称で呼ばれた瞬間、心臓が甘い痛みで跳び跳ねた。だ、だめ……パーティションで外から見えないからって、こんなところでそんな風にされたら私……!

 彼の顔が、より耳許に近付いてくる。え、え、ホントに? ゴールしちゃう? 第一章ここで終了しちゃう?

 よく分からないことが頭の中で浮かんでは消え、私は羞恥に震えながらも彼を受け入れる。そして彼の吐息がかかるほど接近され、熱い吐息とともに、彼は私にそっと囁いた。


「リゼットちゃん大勝利、希望の未来へレディゴー☆」

「やめてーーーーーーーーー!?」


 泣いた。

 トイレに駆け込み、私は今朝より泣いた。

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