第17話「きっと光源氏もこんな気分だったと思います」
「それじゃ私と兄さんは同じ部屋で生活しますので。おやすみなさい」
「ちょっと待ちなさい」
大理石をふんだんに使った風呂に入って埃を落とし、寝る前のお茶を楽しんだ後。
あとは寝るだけとなった段階で刀花の放った言葉に、リゼットがたまらず待ったをかけた。
「アパートの部屋で過ごすならまだしも、ここなら別に一緒の部屋の必要はないでしょう」
談話室のソファに座るリゼットは腕を組んで眉をひそめた。
「リゼットさん……」
それに対し刀花は悲しそうな琥珀色の瞳で彼女を見つめた。
「必要か、必要じゃないか……そういうことじゃないんです」
刀花は言い聞かせるように想いを言葉に込める。
「リゼットさん――愛ゆえに、です」
「余計ダメでしょ」
「なんでですかー!?」
刀花の雰囲気に任せた説得も虚しく、リゼットは屋敷の風紀を守るため頑なに否定する。
「愛し合う兄妹は常に一緒にいるべきだと思います!」
「家族愛なら別にいいけれど、あなた放っといたらすぐに一線を越えそうなのだもの」
「うぐっ……そ、そんなことないですよ……?」
目を泳がせる刀花に、そら見たことかとリゼットは白い目を向ける。
「一緒の部屋に年頃の男女が二人暮らしという環境がそもそもおかしいのよ。私、数ヶ月後に『子どもが生まれます』って言われても驚かないわ」
「いや俺が驚くぞそれは……」
一緒の部屋で過ごすだけでそれとは、ハムスターか俺らは?
「うっ、うっ……でも兄さん全然私に手を出してくれませんし。部屋が離れるとチャンスが……」
「チャンスって言ったわね」
最早隠す気もない。だが俺は人の機微に疎いためこういう明け透けにモノを言ってくれるのは助かる。
「だって! 着替えをこれ見よがしに見せても一緒にお風呂に入っても勝負下着で誘っても兄さんって全然反応してくれないんです! これ以上ハンデを背負うわけには!」
「恥女なのあなた?」
刀花のこれまでしてきたアプローチはどれも過激だ。刀花は言葉にこそしないものの狙いは明確である。
しかし俺は刀花を守る使命を帯びている。守護すべき対象を襲うわけにもいくまい。
「と、ジンは言っているわよ」
なぜかリゼットは勝ち誇ったように刀花に告げる。刀花はぐぬぬと唸り、矛先をこちらに向けた。
「兄さん。兄さんは私のこと好きですか?」
「無論だ、だからこそ大切にせねばならん」
「兄さん、身体は傷付かなくても、心は傷付いていくんですよ?」
「……む?」
「私の心を傷付けることが兄さんの仕事なんですか?」
「い、いや……それは」
「傷付いた妹を、兄さんはどうしてくれるんですか?」
「……ど、どうすればいい」
「可愛い妹がたっぷり教えてあげますから寝室に行きましょうか」
「わかった」
「ジン! しっかりしなさい!」
リゼットの喝にハッとする。 お、俺は一体何を……。
「い、今ので確信したわ、あなた達を同じ部屋で過ごさせるわけにはいきません」
冷や汗を流しながらリゼットは指摘する。
「私の隣の部屋がジン、その隣がトーカで決まり! これはご主人様命令よ」
リゼットはそう決定を下す。しかし刀花は頬を膨らませ物言いたげだ。
「……私にそこまで言うんですから、兄さんを自分の部屋に呼んでエッチな命令しないでくださいよ」
「ししし、しないわよそんなこと!」
白い肌を紅潮させて吃りながら否定の言葉を上げるリゼットを、刀花は胡乱気な瞳で見つめている。
「本当ですかー? 兄さんってガードが硬いようで結構ゆるゆるですから、とても心配です」
ゆるゆるではない。お願いと命令に弱いだけだ。
「わかりますよ、頼もしい男性が何でも言うこと聞いてくれて甘やかしてくれるんです。たまに羽目を外したくなるときもありますよね?」
「トーカはいつも外してるんじゃないの?」
リゼットの突っ込みは無視し、刀花は「わかりますわかります」と頷きながら滔々と語り続ける。
「私もはじめの頃はそうでした。お姫様になった気分でした。それに機械的に動く兄さんを徐々に私好みに染め上げるのも最高でしたし」
「本性現わしたわね」
この子地味に一番危なくない? リゼットが目で語りかけてくるが努めて無視する。
「きっと私が強く願えば兄さんは私に何でもしてくれる……だけどそれじゃダメなんです。私からではなく、兄さんから求められて初めて愛が育まれたと言えるんです!」
「そこは同意するけれどやっぱり歪んでない?」
「とにかく!」
刀花はリゼットの言葉をスルーしビシッとリゼットに指を突きつける。
「兄さんとの主従関係は認めましょう! しかし主従プレイはこの私が許しませんよ!」
「主従プレイってなに!?」
リゼットの疑問に刀花は頬に手を当てて身をくねらせる。
「えー? 縛ったままでとかー、目隠ししながらとかー、舌でなめ――」
「ジン、この発禁妹をなんとかしなさい」
「すまぬ刀花。我流・酒上流幻術――幻影刃」
文字通り幻を見せるクナイを作製し刀花を幻術の世界に誘う。内容は刀花の理想の世界だ、このだらしない顔を見てどんなものかは想像にお任せする。
安眠効果もあるこれは、俺が唯一少女に向けることを許された刃だ。
「あぁ! 兄さんダメです! 私達兄妹なんですから、はじめてはお布団でお願いします!」
「なるほど、甘やかされ過ぎるとこうなるわけね……」
リゼットは汗を流しながら刀花を見て言う。まるで責任が俺にあるかのようだ。
「まぁ許してやってほしい。この子は孤児だ、俺以外の家族の温もりを知らん。家族への愛情表現に偏りがあるのは仕方のないことなのだ」
「……わかってるわよ」
「兄さんが二人になりました!?」
哀れなり我が妹よ。
しかし家族の温もりを知らない彼女が、ただの殺戮兵器であった俺に自我を与えたのだ。
家族になると決めた瞬間から、彼女は彼女の思う『家族』を俺に教え込み、そして俺はそれを体現し彼女に温もりを注ぎ続けてきた。いわば、彼女の理想の家族が詰まった作品が俺なのだ。
「ずっと妹専用だった兄に、新しく主人ができたのだ。多少の暴走は多目に見てやってくれ」
「そうね……私もお母様がいなくなったときはすごく寂しかったし」
「わっ、わっ……私はどっちの兄さんと結婚したら……!?」
リゼットの紅い瞳が少し同情をはらむ。
「そう言ってくれると助かる。なにせ俺達はこんな身分だ。刀花も、全ての事情を知って本音で語り合える友人というものを持てていなかった」
「友人……」
リゼットが小さく呟き目をパチクリとさせた。
そんな彼女に、俺は苦笑して頭を下げる。
「俺は妹専用ではなくなってしまったが……マスター。その代わりと言ってはなんだが、お前が刀花の新たな友人になってくれると、俺も嬉しい」
「兄さんが! 兄さんがいっぱいに!」
家族の温もりを知らず、秘密を抱え、事情を知らぬものにも優しく振る舞う我が妹。正直、昨日からこんなに生き生きと誰かと喋る刀花を見るのは初めてのことだった。俺はこれを、好機と捉える。
「へぇ……」
頭を下げる俺を見て、リゼットは意外そうな声色で息を漏らした。
「なんだか……ちゃんとお兄ちゃんしてるのね」
「無論だ。俺は刀花の自慢の兄ゆえな」
守るというのは外敵からはもちろん、内面も慮ってやらねばな。
胸を張る俺がおかしかったのか、リゼットはふわりと笑い口許に指を添えた。
「ふふ、わかったわよお兄ちゃん?」
からかうように言って、リゼットはポンと胸を叩いた。
「よくってよ。このリゼット=ブルームフィールドが、トーカのお友達になって――」
「こっちが使用用兄さんで、こっちが保存用、それでこっちが布教用兄さん!? わー! わー!」
「うるっさいわねさっきから!? こっちは真面目な話してるのよ!?」
ついに耐えきれなくなりマスターがキレた。
潮時と悟り、指を鳴らして幻術を解く。
「はっ、私は一体何を……」
「トーカあなた疲れてるのよ……もうゆっくり休みなさい」
「え? あ、はい……」
幻術を解いたばかりで少し酩酊状態になりながら、刀花はふらふらとポニーテールを揺らしながら自分にあてがわれた寝室へと足を向けた。
「……あ、そうです兄さん」
しかし途中で何かを思い出したのかこちらに振り向き笑顔で言った。
「いつでも夜這いしていいですからね? むしろ私がします」
「この屋敷での夜這いは禁止ーーーー!!」
新たな妹の友人、リゼットの絶叫が郊外の森に響き渡り、夜が更けていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます