7(点呼と収容者番号0206063)
翌朝、いつもと同じように朝の点呼が行われた。起きたばかりだと、さすがに空は薄暗く、空気は冷えびえとしていた。運動場には目の粗い暗闇があちこちに残っている。
俺はアホらしいと思いつつ、四百六十三人の一人として整列する。あくびをしながら、カウントが終わるのを待った。
一、二、三、と収容者が番号を叫びあげる。室長がそれをチェックする。
ところが、収容者の一画で点呼が妙に滞った。連鎖的にカウントが遅れ、収容者のあいだでざわめきが広がっていく。
その時点でも、俺はのん気に構えていた。無駄に危ない橋を渡ってここから出ていくやつなんていないと、心から信じていたから。
やがて点呼が終了すると、室長代表から所長への報告が行われる。
「収容者人員四百六十二名、欠員なし、異常ありません」
あ?
と、俺は口の中でつぶやいた。四百六十二名? 一人足りない。
収容者のあいだでは蜘蛛の子が散ったあとみたいなざわめきが、まだそこかしこに残っている。みんな気づいているのだ。何かがあった、と。
その時、不意に俺の心臓が強く脈打った。
何故だか俺は、秋岡のことを思い出していた。心臓の鼓動は、昨日の夜に目が醒めたときとよく似ていた。夢の中で銃声が響いた、あの時と。
ほどなく、四百六十二名についての理由がわかった。
収容者番号0206063。
秋岡
そいつは昨日の夜、収容所から脱走しようとして、監守の一人に発見された。何しろ白昼ではないにしろ、黒夜堂々ハシゴを持ちだして校門まで走り、そこを乗りこえようとしたのだから。
見つからないほうがどうかしている。
無謀そのものといっていい計画に、秋岡が何を考えていたのかはわからない。いざというときには宇宙人が助けてくれるとでも思っていたのか、何らかの数学的ひらめきで成功を確信していたのか。
いずれにせよ、俺にわかっているのは次のことだけだ。
用具室からハシゴを持ちだした時点で見回りに露見した秋岡は、その制止を振りきって校門までダッシュ。さして運動神経のよくなさそうな秋岡に追いつくのは難しくなかっただろう。監守は距離をつめると、おもむろに肩から銃を外して、構え、引き鉄をひいた。弾丸は秋岡の頭部に命中。
ほぼ即死だったそうだ。
秋岡の頭の中にあったはずの数学的美しさも、他人を辟易させる宇宙人的虚妄も、弾丸を防ぐことはできなかった。それらは重さ四グラム程度の金属の塊によって、見事に撃ち砕かれてしまった。
死の瞬間、秋岡が何を思っていたかはわからない。ごく平凡に走馬灯でもよぎらせていたのか、数学上の大発見でも閃いて、あんなにも望んでいた永遠の美しさを確信しながら暗闇に落ちていったのか――
聞いたところによると、秋岡を撃ったのは例の、俺の顔見知りの監守だったそうだ。その監守は明らかに素手で捕縛可能だった秋岡のことを、警告も、威嚇射撃もなしに、銃で狙いをつけて発砲した。
監守は何の容赦も、躊躇も、戸惑いもなく秋岡を撃ち殺したのだ。
あいつらにとって、収容所というのはそういうものだった。いくら気安く談笑しようと、親しげにつきあおうと、それは一種のレクリエーションに過ぎない。
俺たちは野良犬や野良猫といっしょだった。好意を示すこともある、餌を与えることもある、それで一時の心の触れあいを得ることもある。
けど、それだけだ。それだけで、造反者を撃ち殺すのをためらったりはしない。
だから秋岡は死んだ。
――ただ、それだけの話だ。
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