8(収容所の目的と遺品)
俺はベッドに横になりながら、ぼんやりと考えごとをしていた。
同室者は全員、夕食をとりに行って部屋には誰もいない。やけに静かだった。四百六十三分の一が失われただけにしては、妙だった。この静寂は、二十一グラムだとかいう人間一人ぶんの魂の重さが、世界から永遠になくなってしまったことに起因しているのだろうか。
俺は頭の後ろで両手を組みながら、考えてみる。
何故、秋岡は死んだのか。
いや、どうしてなのかははっきりしている。秋岡は無謀にもここを出ようとして、それで撃たれて死んだ。規則に違反して、支配者に逆らって、それで死んだ。――持ちだしたハシゴは、天国に昇るのに少しは役に立っただろうか?
にしても、秋岡は何のためにここを出ようとしたのだろう。
「…………」
しかしそれは、俺にはどうでもいいことだった。地球の裏側で人が無残に殺された。「へえ」と俺は思う。けど、それでおしまいだ。それ以上の同情や悔悟のしようは、俺にはない。そんなものは偽善だ。秋岡が死んだ。「へえ」と俺は思う。
俺はそのままの姿勢で寝返りを打った。
とても静かだ。人間が一人、世界からいなくなったとは思えないくらいの穏やかさだった。
不意に、ベッドの軋みが聞こえた。見ると、隣のベッドに東が座っている。
「夕食は食べないんですか?」
と、東は訊いてきた。
「世の中には、働かざるもの食うべからずっていう格言があるそうだ」
東は俺の言葉に軽く笑っただけだった。
「秋岡さんのこと、残念でしたね」
「――ああ」
「ちょっと変わった人でしたね」
「少しな」
「でも、いい人でした」
俺は肩をすくめてみせた。
「秋岡さんから、聞いてますか?」
「何を?」
「収容所から脱走しようとした理由についてです」
いや、と言いながら俺は体を起こしてベッドの上であぐらをかいた。
「そうですか」と東は視線を落として、「これは僕が秋岡さんから聞いたことなんですが――」
そこまで言ってから、東は何故かためらうように言いよどんだ。
「何だ?」
「この収容所の目的について、秋岡さんはわかったって言ったんです」
言われて、俺は昨日のことを思い出す。
あの時、秋岡は確かにそんなことを言っていた。「僕、思うんだけど、ここでやってる計算はね――」
「秋岡のやつ、何て言ってたんだ?」
「それが、僕にもうまく信じられないんですが」
東は奥歯にものの挟まったような言いかたをした。
「……秋岡さんが言うには、ここでやっている計算は子供の選別のために行われているそうです。つまり、優生思想です。いろんな検査結果や試験結果を勘案して式を作り、それをここで計算する。その計算による数値で、生まれた子供の生き死にを決めるそうです」
「バカな」
信じられるわけがない。
「僕にも正確なところはわかりかねます。ただ、秋岡さんはずっと式の意味を考えていて、ある時その結論にたどり着いたらしいんです。収容者による計算間違いも含めて、この式は成り立っているそうです。僕にその証明も見せてくれました。あいにく数学は苦手で、何もわかりませんでしたけど」
「…………」
「それに確報ではないんですが、秋岡さんの推論を強化する情報もあります。彼の証明について報告したところ、それを支持する人間が何人もいました。諜報員の中には、大規模な絶滅施設が稼動していると報告するものもいます。つまり、ホロコーストです」
俺には訳がわからなかった。
子供の選別?
計画的な大量虐殺?
俺たちが毎日やらされていたあの計算が、そのためのもの? 何だ、それ。訳がわからない。わかるわけがない。一体何のために、そんなことをするんだ。一体何のために、そんなことを考えつくんだ。
ただ作業的に解いてきたあの計算によって、何人もの子供が殺されていたのだと想像すると、俺は急に自分の手が血で汚れていくような気がした。その血の滴りが、ぬめりをもって、生温かく体にまとわりついていく。
「秋岡さんの言っていたことが本当かどうかはわかりません」
と、東はいつもの様子に戻って言った。
「何しろ、秋岡さんはその……ちょっとユニークなところがありましたからね。あの計算が本当は何に使われていたのか、今のところ確証はありません。それから、もう一つ」
「何だ、これ?」
俺は東から一冊の本を手渡された。
「秋岡さんのベッドにあった、遺品の一つです。野瀬さんに渡して欲しいとメモがありました」
表紙の上半分に塗られたウルトラマリンがやけにまぶしい、ソフトカバーの本だった。
「それと、野瀬さんに伝えておかなくてはならないことがあります」
「まだ何かあるのか?」
「実は、今夜の遅くに我々は決起するつもりなんです。外部から反革命戦線による襲撃が予定されています。その計画に、野瀬さんも参加して欲しいんです」
「戦闘に協力しろ、と?」
「平たく言えば、そういうことです。場合によっては、銃を手に取ってもらうことになるかもしれません」
「…………」
「参加の意志があれば、所定時間までに指定した場所に集まってください。強制はしません。あくまでそれは、野瀬さんの意志です」
東はそれだけのことを言うと、どこかに去っていった。
あとに残されたのは呆然とする俺と、一冊の本だけ。俺は意味もなく、ぱらぱらと本のページをめくった。
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