2(収容所と計算)

 グラウンドでバスから降ろされると、その場で五列になって並ばされる。集まったのは七十人前後。とりあえず、全員が男だった。バスが校庭を出ていくと、移動式の門扉が閉まった。陸上用のハードルなんか目ではなく、全力で走り高跳びでもしないと越えられそうにないくらいの高さがある。

 並んで待っていると、演台の上に人が立った。何というか、旧日本帝国陸軍的な「制服」という感じの格好をしている。そういえば、あちこちに同じような姿の人間が立っていた。そのうちの何人かは、肩からアサルトライフルらしきものを提げている。

 誰もが現状についての説明を求めていたが、それは叶わなかった。演台に立った七福神の布袋様みたいなおっさんが、どうでもいい訓辞を垂れたから、というわけじゃない。

 ただたんに、風が強すぎて何も聞こえなかっただけの話だ。何しろこんな開けた場所で、肉声だけでどうにかしようなんていうのが無茶なのだ。前のほうにいた何人かくらいには、聞こえたかもしれない。

 話が終わると(演台を降りたんだから、そう考えるのが妥当だろう)、係官みたいな人間が現れて、俺たち一人一人に紙袋を配りはじめた。「これがお土産ですか、どうもわざわざご丁寧に」と帰らせてもらえるかというと、そんなわけはない。

 袋の中をのぞいてみると、どうやら衣服らしいものが入れられていた。それと、歯ブラシやタオルといった細々したもの。その服が温泉用の浴衣でないことだけは確かだ。

「それでは、袋に表示された番号に従って集合すること」

 という声が聞こえて、確認すると俺の袋には「0521218」と書かれていた。

 前にいた秋岡に訊くと、それとはだいぶ違う数字だ。集合するのも、どうやら別々の場所らしかった。

「じゃあ、また今度な」

「うん、宇宙人に洗脳されないように気をつけて」

 俺は苦笑いを浮かべて秋岡と別れた。

 グラウンドにはツアーコンダクターよろしく、数字のついた旗を持った係官が並んでいる。俺は「05」の旗に並んだ。人数は、俺も含めて四人。ツアコンは全部で二十人ほどいるようだった。

 ツアコンが全員の数字を確認すると、一列のまま銘々で勝手に移動をはじめる。俺の後ろにいたちょっと柄の悪そうな(ついでに頭も悪そうな)やつが、「……まるでお遊戯だな」とつぶやいた。気持ちはわかる。

 俺たちは校舎に入ると、土足のまま廊下を移動した。久方ぶりに見る小学校は、不思議の国のアリスなみに何もかも小さくなっているように感じられたが、そんなことはどうでもよく、たいした感慨も引き起こさない。

 二階に上がると、ツアコンは部屋の前でとまった。元は教室、だろう。何年何組だったかは知らないが、今は「05」と書かれたプレートがはまっている。

「今日からここが、諸君の家である」

 と、ツアコンは笑えない冗談を言った。

 ――もちろん、誰も笑わなかった。

 扉を開けると、ツアコンが中に入るよううながす。俺たちは大人しく従った。あたりにはすべった笑いのせいではない冷ややかさがあった。

 教室の中には、スチール製の簡易二段ベッドが並んでいる。ほとんど部屋いっぱいにベッドが置かれているせいで、ひどく狭かった。どう見ても、ここで授業をします、という雰囲気ではない。

「所長からのお話で大体のことはわかっていると思うが、君たちにはこれからここで生活をしてもらう」

 いや、風の音しか聞こえませんでしたけど。

「一日のスケジュール、注意事項、概要は紙袋に入った書類を参考にするように。それから、私がこの部屋の室長、藤谷ふじたにだ。質問があれば、何でも私に聞くように」

 みんな、ぽかんとしていた。それでも、一人が手を挙げる。ひどい寝癖頭の男だった。

「あの、僕らはここで何をするんですか?」

「それは君たちが知らなくていいことである」

 今、質問があれば何でも聞けって言ったじゃん。

 ツアコンが自分の腕時計に目をやった。そういえば、この部屋には時計がないらしい。

「十六時半には、部屋の収容者が帰ってくる。そのあとは、各班長の指示に従うように。ベッドは番号ごとに割りふられているから、間違いのないようにな」

 それだけ言うと、ツアコンはさっさと部屋を出ていってしまった。

 ――残された四人。

「何なんだよ、ったく」

 柄の悪い、チンピラ風の男が言った。

「おい、誰かわかるやつはいねえのか。何がどうなってるんだかよ」

 求めよ、さらば与えられん。しかし相手による。もちろん、俺たちにわかるはずはなかった。

 ベッドを見ると、横に番号札がかかっていた。「0521218」を探すと、窓際の一段目にある。ほかの三人も、それぞれのベッドを見つけた。ほとんどのベッドは埋まっているらしく、どれも生活感がにじんでいる。

 ふと気づいて窓を見ると、どれも三分の一程度までしか開かないようになっていた。自殺防止、というわけでもないだろう。俺は意味もなく窓を開けたり閉めたりした。

「さっきグラウンドに銃を持ってた人がいたよね」

 と、俺の近くにいた男がつぶやいた。どうも、俺に話しかけているらしい。そうでなければ、見えない友達につぶやいていることになる。俺は秋岡のことを思い出した。

「ああ、ちょっとやりすぎだな」

 俺はのん気に返事をしてみたが、高校か大学生くらいのその男は笑わなかった。

「知ってるから言うんだけど、あれってM4カービンだよ。アメリカ軍なんかで正式に採用されてる」

「へえ」

 ミリタリーオタクなのか、ずいぶん詳しい。

「で、偶然見たんだけどね」と男は何とも言いがたい目で俺のことを見た。「あれ、安全装置が外してあったんだ」


 その日、俺たちは訳もわからないまま夕食を食い、決められたベッドで眠った。就寝時間はおそろしく早くて、俺はなかなか寝つけなかった。教室には四十人くらいの人間がいて、ベッドの軋み、誰かの鼾、シーツの擦れる音なんかが賑やかに聞こえる。ものものしいことに、サーチライトらしい光が時々部屋の中に飛び込んできた。

 朝になると、服を着替え、各自が班長の指示に従って行動する。紙袋に入れられて支給された服は上下のつなぎで、整備士か何かに似ていた。アメリカの受刑者が着るオレンジの服を青くした感じだ。意外と着心地はいい。

 ――それからの一日は、概略を追って話してみることにしよう。このスケジュールが、大体毎日続いていくことになるからだ。

 起床後、着替えをすますと、まずは校庭に集合する。点呼、および朝の体操を行うためだ。目算だが、全部で四百人くらいの人数はいるだろう。それが、収容所の全収容者数だった。

 体操終了後、味噌汁や漬物といった、いたって簡単な朝食。食堂は広くないので、三交代で使われる。当然、だらだらと味わっているような暇はない。味わうほどの朝食でもない。

 食事が終わると、一日の作業が待っている。

 体育館に集められると、俺たちは決められた席に座る。そこには、何とも懐かしい学校の机とイスが床いっぱいに並んでいる。当然、館といいつつ運動するようなスペースはない。

 いつも思うのだが、俺はこの光景から初期の電子計算機であるところの例のエニアックを連想した。倉庫いっぱいに作られた、ファミコン以下の処理能力を持った巨大な真空管の塊。俺たちはその真空管の代わりというわけだ。

 この連想は、実際のところそれほど間違ってはいない。俺たちはそこで、計算をさせられる。紙が配られ、そこにはびっしりと計算式がプリントされている。俺たちはその式を解いて、答えを導く。

 式は、ほとんどが基本的な四則演算で作られた、簡単なものだ。中学生だって楽に解けるだろう。ただ、量が多いので、ひたすら時間がかかる。その間私語は厳禁で、体育館にはバベルの塔を齧りたおそうとするネズミのような、かりかりという鉛筆の音だけが響く。はたから見れば、まるで試験を受けているように見えるだろう。

 ただ、見張り役の監守がモノホンの銃を持っていることだけは違っていたが。

 小休憩を一度挟んで、昼食と昼休み。昼休憩はグラウンドで運動したり、仮眠をとったり、人によって行動はまちまちだ。予鈴が鳴ると、再び体育館に集合。

 計算。

 午後も同じく小休憩を一度挟んで、作業は四時半に終了する。ずっと座って鉛筆を動かしているだけに、背中や首筋がどこかのブリキ製の樵のように痛む。この時ばかりは誰もがほっと息をついて、体育館の空気はゆるんだ。

 あとは、夕食と入浴以外は自由時間になる。ここでの時間の過ごしかたは千差万別だ。仲間とつるんでカードゲームをするやつ、食堂でテレビをぼんやり眺めるやつ、一人で静かに本を読むやつ。

 俺は日によって適当なローテーションを組んで行動するが、消灯前の時間になると必ず屋上に上がって一服することにしていた。暗がりの中で、星を眺めながら煙草をふかすのは、わりと気分がいい。この時間、屋上には大抵、誰もいない。

 そして、消灯、就寝。

 次の一日も、それとほとんど見わけがつかないうちに終わる。

 ――班のことについても、少し触れておこう。

 収容者は一つの教室に四十人ほどがいて、それが十人ずつ、四つの班に分けられている。この班が基本的な行動ユニットで、移動や作業時はダンゴムシ的にまとまって動くことになる。

 俺が所属するのは第五室二十一班で、班長は寺原てらはらさんという人。

 寺原さんは四十過ぎの落ち着いた物腰の人で、どこぞの研究所でポスドクとして働いていたそうだ。常識人だが行動力があって、頼りになる。

 他班のろくでもない班長を眺めるたびに、俺はつくづくこの人が班長でよかったな、と安堵する。そうでなければ、ここでの生活はもっと窮屈なものになっていただろう。

 ほかの九人の班員については、面倒だから三人だけ紹介することにしよう。

 まずは、須谷すや。こいつは俺といっしょに入った例のチンピラ風の男だ。髪を染めて、目つきが悪い。一応は寺原さんに従っているが、明らかに不満そうだった。バイクに乗ると無駄にエンジンを吹かすタイプに思える。

 それから、岸田きしだ。時々ぶつぶつ独り言をつぶやくほかは、特に問題はない。動作が鈍く、表情が鈍く、ついでに思考も鈍い。ここに来るまでは、どうやら俺と似たりよったりな状態だったらしい。

 持井もちいは二十六歳の壁に破れた、将棋の元奨励会員。三段リーグの最終戦に負けてまだ間がなく、茫然自失という感じだった。特別な能力や特殊な訓練がなくても、負のオーラをまとっているのが物理的に観察可能である。

 基本的に、俺たちに共通点らしきものはなかった。収容者の年齢は、大体二十代から四十代というところ。生育環境、社会履歴に一貫性のようなものは見られない。犯罪者や無職者や精神疾患者が集められたかというと、そういうわけでもない。ちなみに、全員が男だった。

 収容所生活がはじまってしばらくしても、俺はこの施設が一体何の目的で運営されているのかわからなかった。管理生活や監守の存在は、刑務所に似ている。外出も禁止されていた。実質は懲役刑を受けているのと変わらない。

 とはいえ、何のために俺たちみたいのが集められたのか、というのはわからなかった。毎日こなしている算数ドリルが、何の意味を持っているのかも。

 ただ、俺としてはそんなことはどうでもいい。

 正直なところ、俺はここがどこだろうと、何の目的があろうと、気にはしなかった。とりあえずはまともな生活ができて、まずくはない飯が食えていれば文句はない。

 ――どうせ、どこにいたって同じなのだ。

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