革命収容所
安路 海途
1(革命と六畳一間)
――クーデターが起きた。
俺はその様子を、六畳一間、風呂・トイレなしのアパートで、昼飯のカップヌードルをすすりながら、古ぼけたテレビで眺めていた。
画面の向こう側では、国会を占拠して演説を行う、革命勢力最高指導者の姿が映しだされていた。時々映像が切り替わって、興奮した面持ちのアナウンサーたちが、騒然とした各地の状況をリポートする。
革命政権によって周到に準備されたクーデター計画は、ほぼ遅延なく成功を収めたらしい。自衛隊の掌握、国会の制圧、財界の協力、各種団体勢力の賛同。政府は一日で転覆、消滅し、革命政権が誕生した。
映像はまた指導者の演説へと切り替わった。三十代くらいだろうか、髪をきっちりした七三にわけたその男は、演壇で熱弁をふるっていた。「この日本を根本から修正し――」「未来永劫の安寧のための礎を――」「持てる力の最大限の有効活用を――」。俺はテレビのスイッチを切った。
カーテンを閉め切って電球もつけていないアパートは、途端に薄暗い平穏に満たされる。革命の荒波は、まだここまでは届いていないらしい。俺はのんびりとカップラーメンをすすった。
テレビの向こうで世間がどれほど騒然としていても、俺はどこ吹く風で平気だった。革命? クーデター? だからどうした。そんなもので変わるほど、この世界は脆くないのだ。うんざりするほど磐石の、千歳の固い巌で支えられているのだ。
どうせ何も変わりゃしない――
俺はそう思っていた。
ところが、それは幻想だったらしい。
クーデターによる新政府樹立から一ヶ月ほど過ぎた頃、俺の部屋に黒い服を着た強面のおっさん二人組が訪ねてきた。さすがにサングラスはしていない。
「何か用ですか?」
俺は玄関先で、宅配人や新聞販売員とは雀と猛禽類ほどに明らかな一線を画したその二人に向かって訊ねてみた。
「
年配のほうが、俺の質問なんて最初からなかったみたいに訊いた。物腰は丁寧なのに、目が笑っていない。よほど特殊な眼球の持ち主なんだろう。
「そうですけど」
「我々は革命政府の真理委員会から派遣された執行部の人間だ」
「はぁ」
審理委員会?
「君には委員会より、召集指示が出ている。ついては、これから我々が収容所まで君を護送する」
「収容所?」
俺の疑問は、けれどあっさり無視された。
その二人は俺の肩と腕を押さえると、有無を言わせずアパートから連れ出した。着替えだとか、荷物をまとめるとか、そんな親切な質問はない。召集指示とか護送とか言ってるけど、これは要するに強制連行以外の何ものでもないんじゃなかろうか。
しかし連中には名前も、住所も、すでに割れてしまっているのだ。おそらく、抵抗するだけ無駄なんだろう。秘めた力を隠し持っている覚えはなかったので、大人しく従う。
階段を降りたアパートの前には、黒塗りのセダンが停まっていて、俺はその後部座席に一人で座らされた。黒服は無言のまま座席に着くと、そのまま車を発進させる。
どう考えても質問を受けつけてもらえるような雰囲気ではなかった。どこかからドッキリ成功の看板が現れそうな気配もない。
「…………」
窓から見えるいつもと変わらない風景を眺めながら、世界って案外脆いんだな、と俺はそんなことを考えていた。
――大学卒業後、しばらくのアルバイト生活ののち、以降は特に働きもせず六畳一間のアパートに引きこもっていた。
家賃と最低限生活していけるだけの金は送ってもらっていたので、それでも何とか生きていくことはできた。人間が本当に必要としているものは、案外少ないらしい。
七年、それが続いた。
その間、特にめぼしいことをしていたわけじゃない。夢の永久機関の完成や、世界を転換させるような哲学的発明を目論んでいたわけでも。畳に映る、カーテンの隙間からもれる光の線を見つめていたら一日が過ぎていた、なんてこともある。徹頭徹尾、無価値な、非生産的な、不毛という言葉を具現化したような毎日だった。
何故、そうなったのか。
それは俺にもよくわからない。気づいたらそうなっていた、という感じだった。天に唾を吐いた覚えもない。
しかし、少なくともその七年間、俺の六畳一間不毛世界ライフを乱すものは何一つ存在しなかったし、宇宙の終焉を迎えるまでその状況が変化することはないようにさえ思えた。賽の河原の石が積みあげられ、タルタロスで転がり落ちる岩が頂上までたどりつくことがないかぎりは。
ところが、意外にも変化はやってきた。
七年という月日ののち、日本にはクーデターが起こり、こうして一人の無職者が拉致られて、謎の車に乗せられている。
道はいつのまにか、高速に変わっていた。
「あのー、いいですか?」
俺は礼儀正しく手を挙げて、発言を求めてみた。
「――――」
返答はない。目だけじゃなく、耳のほうも相当特殊な構造になっているのだろう。もしくは、ただのしかばねなのかもしれない。
映画なんかによくある手として、ここで「トイレに行きたいんですけど」と言ってみたらどうなるんだろうか、と俺は考えてみた。たぶん、却下されるだろう。予知能力はないがそれくらいのことはわかるので、俺は黙っていた。
しばらくすると、車はサービスエリアらしいところに入った。いいかげん、本当にトイレに行きたくなっていたので助かる。
適当なところに停車すると、比較的若いほうのおっさんがドアを開けて、「出ろ」とうながした。何らかの障害で二文字以上の言葉はしゃべれないのだろう。
トイレに行ってもいいか、と訊くと、さすがに許可してくれた。ただし、若いほうが見張りについてくる。建物のほうに行って、小便器のずらっと並んだ広いトイレに入ると、似たようなのが何人もいた。連行されているのは俺だけじゃないらしい。
ハンカチがないのでシャツで手を拭くと、俺はそのままおっさんについて歩いていった。だだっぴろい駐車場には、同じような車が何台もとまって、同じようにおっさんに従う連中がたくさんいる。どうやら、全員が中央付近にとめられたバスに向かっているらしい。
バスは全部で、十台ほど並んでいた。高校の部活で使われそうなマイクロバスで、無節操なくらいに実用的な外観をしている。少なくとも、豪華観光用には見えない。窓から中をうかがうと、正体不明のそのバスには俺と同じような連中が何人も乗せられていた。
当然、俺もそのうちの一台に乗ることになる。おっさんのほうを見ると、その目が無言で「乗れ」と語っていた。それ以上の表現を求めると鉄拳が飛んできそうだったので、俺は大人しくバスのステップを上がる。
バスの中には、すでに数人の姿があった。俺は空いている席を見つけて、窓際に座る。座席は二人がけのシートで、二列になって並んでいた。
時間がたつにつれて、バスの中の人数は増えていった。俺の隣にも、一人座る。野暮ったい眼鏡をかけた、おどおどした感じの男だった。歳は同じか、少し下くらいだろう。
席がいっぱいになると、バスは何の説明もなく出発した。誰一人今の状況を理解している者はないはずだったが、口を開こうとするやつはいない。とはいえ、少なくともこれが楽しい修学旅行でないことだけは確かだった。
バスは高速を走り続けている。
「――あの」
と、不意に声がした。
見ると、隣の男が俺に話しかけている。相手が幻覚を見ているか、俺が幻聴を聞いているのでないかぎりは、そのはずだ。
「何?」
「このバスって、どこに向かってるんだろう?」
「収容所って言ってたな」
確か、年配のほうのあのおっさんはそう言っていたはずだ。
「何なのかな、収容所って?」
「さあな」
わかるわけがない。
俺たちは小声で、そのまま会話を続けた。まわりからも所々で、ひそひそ声が聞こえる。特に注意されたわけでもないのに何故、わざわざ小声で話すのかは謎だった。空気を読んだのかもしれない。
「僕、
そいつはそう言って、不安そうな表情を浮かべた。その様子は、下手な外野手がボールが飛んでこないよう祈るのに似ている。
秋岡はがりがりの半歩手前程度までやせていて、病的な青白い肌をしていた。神経質そうな落ち着きのない目と、ゆるんだゴムみたいな口元をしている。サバンナにいたら、真っ先にライオンに狙われるタイプの草食動物、というところだ。
「それは大体、俺も同じだな」
俺はうなずいてみせた。もしかしたら、ここにいる全員がそうなのかもしれないが。
「僕、思うんだけどね」
と秋岡は勢いこんでしゃべった。
「これはきっと、宇宙人の陰謀だよ」
「…………」
いやいや、革命政府から派遣されたって言ってたし。
「うん、でもそれはきっと擬装だよ」
「擬装?」
「それが彼らのやり口なんだ。決して表には出てこないんだよ。クーデターだって、彼らが裏で糸を操ってるんだ。今までだって、ずっとそうだったんだよ」
それから秋岡は、はては邪馬台国から第二次世界大戦までの歴史をひもときながら、〝彼ら〟の陰謀についてとうとうと解説してくれた。
俺はとことんどうでもよさそうに、その話を聞いてやる。秋岡は話の邪魔さえされなければ相手が誰でもかまわないらしく、とめどなく熱弁を振るった。「秘密の組織を使って――」「裏から世界を操る――」「今も全人類が管理されている――」。はいはい。
どうやら秋岡には、危ない病気のけがあるようだった。もしかしたら、その手の人間が集められたのかもしれない。もしくは、その手の傾向がある人間たち。俺のこれまでの生活を考えると、そんなふうに判断されたとしても文句をつける気にはなれなかった。
ただ、はっきり言っておかなくてならないのは、俺はいたって正常だということだ。異常すぎるくらいに正常だということだ。そのことは、俺自身がおおいなる確信をもって断言する。
隣で秋岡の宇宙人陰謀説を聞きながら、俺はぼんやりとそんなことを考えていた。
「つまりさ、フリーメーソンもナチスも大政翼賛会も、結局は傀儡でしかないんだよ。すべての組織はそうなんだ。エホバの会も、ニューエイジも、有象無象の新興宗教も、共産主義も、労働組合も、教育委員会も、そうなんだ。みんなそうなんだよ」
秋岡の高説が続くあいだにも、バスは滞りなく走り続けていた。反革命勢力や、ロケット砲を持った美少女が助けにくる様子はない。バスは高速を降り、どこかの一般道を走りはじめる。何となく、目的地が近い予感がした。
ある建物が見えたあたりで、バスはゆっくりと減速しはじめた。どうも、そこが俺たちの向かう先らしい。
「……学校だな」
と、俺はつぶやいた。
「学校みたいだね」
秋岡も同意する。
雰囲気からして、どうやらそれはどこかの小学校らしかった。古きよき少年時代の思い出をくすぐられる、白い鉄筋コンクリート製の校舎が見える。正面には、懐かしのチャイムを告げる時計がはまっていた。針は現在、午後一時三分を指している。
ただ違うのは、敷地を囲む塀が二倍くらいの高さになっていて、その上に鉄条網が設置されていることだった。ついでに、銃を構えた警備員らしき姿も見える。門柱のところには、「〇〇収容所」と書かれた金属プレートがはまっていた。
どうやら、俺たちは小学校に再入学させられるわけじゃないらしい。
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