第35話 運命の行方

 屋敷の裏に回りこみ中庭を抜ける。さらに小さな花が咲く植え込みを跨いで木で出来た柵を乗り越え走り続けると視界が開けた。


「っと!?」

 その先は崖だった。一歩踏み出し掛けとどまる。だがその時。

「くっ――また」

 頭の中で記憶がぐちゃぐちゃに再生し始めた。一花は胸を押えて蹲る。

(お願い、あと少しなの。あと少しだけ、壊れないで、わたしの記憶)


「あ~あ。行き止まりだねぇ。もうおしまいかい? もう少し楽しみたかったね」

 崖の前で蹲る一花を見つけた雅は、余裕のある優雅な足取りでこちらへ近づいてくる。

 一花は酷い眩暈に耐えながら無言で崖に背をむけ雅を見据えた。


「もう人を襲ったりこの村や暁ちゃんたちに危害を加えないって約束してくれるなら、見逃してあげてもいいよ」

「ははは、普通に考えて今ボクたちの立場は逆じゃないかな。可愛い人」

 雅は嬉しそうな顔をして歩み寄ってくる。


「違う場所で大人しく生きてくつもりはないんだね」

「ああ、ないね。ボクはキミを手に入れ、その命で主様を蘇らせるんだ。キミの屍はそうだねぇ、主様に頼んで腐らないお人形にしてボクが大切にしてあげるよ」


「お断り!」

 半歩下がると砂利が落ちる音がした。

 崖の下は川が流れているのだろうか。森林が生い茂っていてよく分からないが、落ちたら命がない高さだということは理解できる。


「いい子だから、こっちにおいで。飛び降りるなんて痛くて怖いだけさ。ボクの腕に掛かれば快楽だけを感じて永遠の眠りに落としてあげるから」


 雅は余裕にみちた足取りでこちらに歩み寄り、ゆっくりと一花へ手を差し出した。

 こんな崖を飛び降りる覚悟が小娘にあるはずがないと高を括ってほくそ笑んでいた。


「まだ、ゲームは終わってないよ」

 一花が口元に笑みを浮かべそう告げるまでは……


「バカなっ!?」

「あなたはわたしを捕まえられなかった。あなたの負けね」

「やめろー!」

 一花は躊躇なく後ろ向きに倒れていったのだ。崖の下へと。


「一花さっ」

「小五郎さん、今だよ!!」


 遠くの方で泣き叫ぶような小五郎の声が聞こえたけれど、雅が唖然と崖下を見下ろしている今が彼を倒せる数少ない好機の時。

(大丈夫、小五郎さんならやってくれる)

 一花は不思議となんの心配もしていなかった。

 やりとげた~っと落下しながら伸びをする。


「よし、昴ちゃん助けて~」

「一花さ~ん! もう、もう、無茶ばっかり~」

 遠くの方から小さなたんこぶを拵えた昴が飛んできた。


「ふふ、だって昴ちゃんが助けてくれるって言うから、信じて崖から飛び降りたんだよ」

「だからって、ぼくが間に合わなかったらどうしたんですか!」

「考えてなかったからわかんない」

 まったくと苦笑いを浮かべながら昴が一花の頬に擦り寄ってきた。

 一花の体は時を超えるための力により閃光を始め、落下速度が緩やかになってゆく。


「無事でよかったです」

「うん、昴ちゃんも」

「顔色が真っ青です。残念ですが……あなたの記憶はもう、消えてなくなってしまうでしょう。すくなくとも過去へきた記憶は全てです」

「うん……でも、もうやり遂げたから大丈夫。ねえ、昴ちゃん」

 記憶が消えてしまう前に、どうしても伝えたいことがある。


「いっぱい、ありがとう」

「一花しゃん!」

「こんなわたしに、最後までついてきてくれてありがとう。昴ちゃん、大好き!」

「うぅ、一花しゃ~ん。ぼく、ぼく、あなたは幸せになれるって信じてますから。たとえ、あなたの記憶が壊れても、ぼくは見届けますから。あなたが幸せそうに笑っている姿を」


「うん……帰ろうか。わたしたちの時代へ」

「はい」


 自分にできることはやりぬいたつもりだ。もう思い残すことはなにもない。

 一花のポケットに潜ませていた髪飾りの最後の花びらが閃光し消える。


(これで、もう大丈夫だよね。もとの時代に戻っても……)


 きっとその未来で暁斗と会える。そう思いながらそっと目を瞑りかけた時だった。

「――――っ」

「え?」

 誰かに呼ばれた気がして目を開く。


「一花!」

「暁ちゃん?」


 目の前には見慣れた男の子の顔があった。

 こちらに手を伸ばし、そっと自分の方へと引き寄せようとしてくる。

「なにやってるの暁ちゃん!?」

「それはこっちの台詞だ! 人間がこの高さから飛び降りるとかバカだろ!」

「だからって、わたしの後を追ってきちゃったの!?」


 目が覚めてすぐ駆けつけてくれたのだろう。

 けれどそれじゃ意味がない。暁斗まで崖を飛び降りたら今までの苦労が水の泡ではないか。


「バカ、バカバカ。 どうしてわたしなんか助けに来ちゃうの!」

「いて、暴れないでよ。しょうがないだろ、オマエのこと考えたら体が勝手に」

 一花の身体が光の粒子たちに包み込まれてゆく。


「どうなってるの?」

 身体が透けてゆく一花を見て、暁斗は訳が分からない様子だ。

「ごめんね。どうせわたしはもう消えるだけだったの」

 だから崖から飛び降りたのに。そんな自分のために暁斗は――


「どういうことだよ。もう一緒にはいられないってこと?」

「ごめんね。でもねっ、未来できっと……」

 未来できっと会えるから。そう伝えたかったけれど、崖から飛び降りた暁斗の運命がどうあるのか分からない。


「未来で、なに?」

「ごめんね、暁ちゃん」

「なんでだよっ。待って、いなくならないで!」

 最後に見えたのは暁斗の泣き顔だった。そのまま光の世界に呑み込まれる。


「もう、会えないの?」


 それは一花にも分からない。自分の記憶もきっと壊れてしまう。でも――


「未来で、会えるって……あなたがわたしを見つけてくれるって信じてる」

「未来っていつだよ。オレの傍にいろよ、一花!」

 それが最後に聞こえた彼の声だった。


 いつかきっと出会える。そう信じたい。けれど、どんな未来が待っているのか一花にも分からなくなってしまった。

(暁ちゃんはあの後、どうなるの? 結局運命は変えられなかったの?)


 なにも変えられなかったの?


 その疑問に誰も答えてくれることはなくて、一花も気が付くと意識を手放していた。

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