第22話 憂いを帯びた瞳

「千世さんったら門の施錠も忘れちゃってる。ラッキー!」

「本当に忍び込むんですか~」

 肩に乗っかる昴に視線を向けぬまま、一花は敷地内を見渡した。

 立派な和洋折衷の洋館は一花の時代でみた勇の家と同じだったが、元の世界では手入れの行き届いていた庭は雑草が生え放題。

 人手不足で閑散とした雰囲気が寂しげで、城が崩れ落ちる前。そんな表現がピッタリだった。

 このままほうっておいたら、ここはもうじき雅のものになり、後に勇の屋敷に。


「なんとか食い止めなくちゃ。雅さんが勇者になるのを」

「……本当にそれはいいことなのでしょうか」

「え?」

 ぽつりと零した昴の言葉に、一花はなにを今さらと思う。


「あなたがあの場所で命を落とすこともまた運命の一つだったのです。それを……同情から捻じ曲げてしまったのは、ぼくの罪です」

「ど、どうしたの昴ちゃん。急に……」

「急じゃないです。ずっとずっと考えていました。一花さんの助けになるならと、そう思って協力しましたけど、過去を変えることでまた別の人の運命が狂う。そしてそれは、いい方向に変わるものばかりじゃないはずです」

「そんなこと、重々承知の上だよ」


「本当ですか? あなたは、本当に自分が助かればどれだけの犠牲がでても平気でいられますか?」

「っ……」

「一番大きな被害を受けるのは、おそらく雅さんや勇さんでしょう。運命を変え元の世界に戻った時、雅さんの子孫にあたる勇さんはお伽村にはいないだけでなく、この世に存在すらしていないかもしれない」


 確かに自分のしていることが正しい行いかと問われれば分からなくなる。

 それでも少なくとも運命が歪んだせいで罪なく消えてしまった命があるのに、見て見ぬふりなど一花にはできなかった。


「過去を変えるということは相当なリスクと覚悟を伴うということ。一花さんは本当に理解していますか? ぼくは情けない話ですが、正直言うと怖いです。ずっと後悔しています。あなたに残酷な運命を教えてしまった。変えられる術を与えてしまったことを」

「昴ちゃん……泣いてるの?」


 今度は昴の声が震えている。

 きっと不安なんだと思った。過去に戻って運命を変えることが天界で禁忌とされているなら、昴の感じている罪悪感は一花の比ではないのかもしれない。

(昴ちゃんは、なんの得もないのにわたしが無理矢理巻き込んじゃったから……)


 掌に乗せた昴の瞳は、青空みたいに綺麗だったけれど――悲しい色で潤んで見えた。


「泣いてません。ぼくは男ですから」

「…………」

 この世界に来て、一花に様々な葛藤の思いがあったように、口には出さなくとも昴も色んな思いを抱えていたのかもしれない。


(それなのに、気付いてあげられなくてごめんね)


「……どうして、最初にわたしに手を差し伸べてくれたの?」

「それは……あなたがいい子だったから」

「え?」

「ぼくは知ってますよ。あなたが周りの人に優しい子だったこと。お兄さんを大切にしているところ。悲しい時も弱音を吐かず周りを励ましているところ。迷子の少女のために、ずっと手を繋いで一緒に両親を探してあげていたところも。怪我をしたお年寄りのために肩を貸して病院まで連れて行ってあげていたところも」


「ず、随分といろいろ知ってるんだね」

「ええ、見てました。そんな一花さんをずっと見守っていましたから」

「ずっとって。じゃあ、昴ちゃんは今までもずっとわたしの傍にいてくれてたの?」

「そうです。天使は姿を見せず人々を導くのも仕事ですから。大した加護はしてあげられないけれど、いつも一生懸命で笑顔が素敵なあなたには、幸せになってほしくて……でも、やはりあの時、一花さんの前に姿を現してはいけなかったんです」


「そんなこと言わないで」

「だって……あなたは心根の優しい子だから……きっとこんな形で助かっても後悔します。見えないところで生じた犠牲にも、心を痛めて生きることになるかもしれない」

「昴ちゃん……」

「過去を変えて戻った世界は、きっともうあなたが十九年間生きてきた世界とは別物になっているのですよ」


 昴の苦悩はおそらく消えない。一花が未来を諦めても諦めなくてもだ。

 どちらの道を選んでも、どちらの運命を辿った一花に対して昴は心を痛め自分を責めてしまうのだろう。

 ならば……。


「……もう、いいよ」

「え?」

 諦めのようなその言葉に、昴は顔を上げる。

 

「わたしのことで昴ちゃんが苦悩するなんて、迷惑だよ」

「迷惑、ですか……」

 昴はショックを受けていたようだが、一花は言葉を止めなかった。

「そう、迷惑。後はわたしだけでどうにかするから、もう協力してくれなくて大丈夫」


「そ、それって、遠回しにぼくのことを追い払おうとしてますか?」

 ふるふる。一花の掌でちいさな温もりが震えている。

 この世界に来てから唯一の味方で、心の支えだったちいさなちいさな温もりだったけど。

「……そう。だってそんなウジウジした気持ちで一緒にいられても足手まといだし。バイバイ!」

 両手で放り投げるように空に放つと、昴は戸惑いを浮かべ一花のまわりを浮遊していた。


「元の世界に帰る時だけ力を貸してもらうけど、すべてが終わったら呼ぶから。それまでは、元の世界にいた時みたいに姿を現さないで傍観してればいいよ」

「そんなっ、ぼく邪魔者ですか?」

「邪魔。ジャマジャマ。昴ちゃんのお邪魔虫!」

「~~~~」


 昴が震えている。つぶらな瞳が潤んでいて、胸が痛んだ。

 今までいっぱい意地悪してきたけど、昴を困らせるのがちょっぴりすきだったけど、こんな顔はさせたくなかった。

 そう心の中で思っても、顔や態度には絶対出さない。


「ひどいです! ぼく、虫じゃありませんし!」

「いてっ!?」

「もう知らないです。一花さんのあんぽんたん!」

 昴は一花の額にタックルをかますと、反撃されないうちにツバメのようなスピードで飛び立っていった。


 しんとあたりが静かになる。独りぼっちになってしまった。

「昴ちゃんのばか……」

(こんなわたしのこと、自分のこと以上に心配してくれていたなんて)


「運命は一つじゃなくて、変わってゆくものなんでしょう……だったら、今起きていることだって、そんな運命の一つじゃない。その先がどうなろうと、わたしが後悔しようとそれだってその選択をしたわたしの運命だもの」


(わたしは絶対暁ちゃんを無実の罪で死なせたりしない)

 そう決めたのだ。


 感傷に浸りそうになった気持ちを振り払い、一花はお屋敷の横にひっそりと佇む小屋へ向かって歩き出した。

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