第16話 ジレンマ

「暁ちゃん。遅いね」

 焼き魚を夕飯に用意して待ってはみたけれど、夜になっても暁斗は戻ってこない。

 ぎゅるるるるるっと、一花のではなく昴の小さなお腹の虫が大きく鳴いた。

「あのあの、一花さん。非常に恐縮ですが一口だけ……」

「うん、そうだね。お腹空いたよね。先に食べてていいよ」

「え、一花さんは……」

「わたしは、もう少し待ってみようかな」

 そう言いながら昴に焼き魚を差し出すと、一花はぼんやり星空を見上げた。


 こうしている間にも暁斗が退治されてしまうかもしれない。そうしたら自分の未来もなくなってしまう。そう思うと怖くなるので、考えないようにしなくちゃと思ったけど。

(わたし、どうなっちゃうんだろう……)

 口に出したら昴に聞こえてしまうので、心の中で弱音を吐いた。

 なんだかんだで、平気そうに振る舞ってはきたけど、精神的に参っている部分もある。

 昨日からの嵐のような出来事を振り返ると、心細いし途方もなくて疲労感も覚えてきた。


(運命の王子様はどうみてもお子様だし、凶悪な妖魔らしいし、心を許してくれないし、まだなにも解決できてない)


 なにも前進しないまま、時間だけが過ぎてゆく。

 それがものすごく怖い。

(今日も、このままなにもできないで一日が終わるのかな)

 そう落ち込みかけたが、そんなんじゃダメだと自分にカツを入れ直す。


「大丈夫。絶対、なんとかしてみせる!」

 突然立ち上がってそう宣言した一花に、昴は魚を口いっぱい頬張りながら驚いて目を丸くした。

(誰にも頼れないなら。自分の未来は、自分で取り戻すって決めたんだから)

 服の上から勾玉の石を握りしめた、その時だった。


「きゃー!」


「「っ!?」」

 そう遠くない場所で、女性の金切り声が聞こえてきた。

 闇の中に響いたその声から感じ取った恐怖心が、一花の心にも伝染してしばらく固まってしまったが、嫌な予感に胸が騒いだ。

「い、一花しゃん。今、叫び声が……」

 昴もおろおろと一花を見上げている。


「えっと、どうしよう……」

 そんなことを呟いてもどうしようもない、とすぐに思った。

「わたしが行ってもどうにもならないと思うけど……なんか、とてつもない胸騒ぎがするし、無視できないから行ってみよう!」

「あ、一花さん。待ってください~」

 恐怖心を堪えながら、一花は声のする方へ向かって走り出した。



◆◆◆◆◆



 悲鳴はそう遠くない場所から聞こえてきたと予想していたが、辿り着くまでに息切れする程度は走る距離があった。

 ようやくなにか気配のする場所に辿り着き、静かに呼吸を整えながら足を止める。

「昴ちゃん、この先に気配が……あれ?」

 振り返るとすぐ後ろを着いてきていると思っていた昴の姿が見当たらない。

 慌てていたので置いてきてしまったようだ。すぐに追いついてきてくれるといいけど……。


 さらに心細い気持ちになりながらも、この先にある生い茂る草と木々の隙間から、しゃがみ込む人影が二つ見えるので、一花は抜き足差し足、音を立てないように忍び寄った。

 耳を澄ませれば小さな呻き声と女性の言葉が聞こえてくる。


「――さい、ごめんなさい。暁斗さま」

 その名前に反応し、さらに奥へと歩幅を広げて近づいた。

「どうか、お許しくださいませ」


 先程まで逃げ惑っていたのか、少し乱れた袴姿の女学生風の華奢な女性は、震えた声でそう告げていた。

 暁斗は横たわる女性を腕に抱き、なにか囁いている。ここから彼の表情はよく見えない。

 ただ確認できるのは、暁斗の顔を見上げ青白い顔でお許しくださいと何度も請う女性の怯えた表情。


「なにをしてるの?」


 嫌な予感がして声を掛けた時には遅かった。

 暁斗の腕の中にいた女性は、一瞬にして灰と化したのだ。

 夜風に攫われるようにさらさらと流され、戸惑って瞬きを数回繰り返しているうちにそこにいた女性は姿を消した。

 いや、正確には消されたのだ。精気を全て吸い取られ、この世から……。


「なんて、ことを……」

 聞いてはいた。暁斗が村娘たちにどんなことをしてきたのか。

 けれどこうして目の当たりにしてしまうと、足が竦んで動けない。


「暁ちゃんが、やったの?」


 一花の問いかけに答えぬまま、暁斗は無表情でこちらに顔だけを向けた。

 この場には暁斗しかいなくて、女性が灰になるのを見せつけられて、疑いようもなく全ては彼がやった。そんな状況だ。

 でも、あえて問い掛けたのは、なんだかやはり信じられなかったから。


「……だったらなんだよ」


 感情を出すこともないまま、暁斗がゆっくりと立ち上がる。

 言い逃れをする気はないという意思表示のようだった。

 抑揚のない目で一花を見てくる態度は、この状況だと挑発的にも思えてくるが。

 一花も無言で暁斗を見つめ返す。


 どうしたらいいかは、やはり今の一花には分からない。

 だから不安だった。本当に彼が凶悪な存在だったなら、自分はどうしたらいいのだろうか。

 本当に生かしておいていいのだろうか。

 自分が助かるためだけに……。


 一花が生まれるまでの長い長い月日、彼は今見た行為を数えきれないほど繰り返し成長してゆくのかもしれない。数えきれない女性を犠牲にして大人になった彼と、自分は出会って恋に落ちるのだろうか。


(暁ちゃんを助けたら、辿り着く未来はどう変わっているんだろう……)


 その未来を掴んで、本当に自分は幸せだと思えるのだろうか。


 一花は見ないフリをしてきた自分のやろうとしている事への迷いに、身動きが取れなくなってしまった。

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