第15話 心の距離

「帰ってこれた。ただいま~」

「だたいまです~」

「……オマエらの家じゃないし」

 洞窟の前まで戻ってくると、暁斗は寝直すことにしたのか、そっけなく奥へ行ってしまう。

 一花はそんな彼の後ろ姿が見えなくなるまで、ぼんやりと考え事をしながら眺めていた。


(なんだかんだ、本気で乱暴なことはしてこない。今だって、ここまでずっとおんぶしてくれたし)

 一花には暁斗が村人たちの騒ぐほど、悪い妖魔には思えなくなってきた。

(でも、もう何人もの女性を灰にした悪い妖魔だって言うし……)


「どうしたんですか。珍しく難しいお顔をしてますね」

 昴が少し心配そうに一花の肩に乗っかり、顔を覗き込んできた。

「ううん、なんでもない」

 今の自分にとって暁斗が善人か悪人かは重要なことじゃない、はずだ。

 目的はただ一つ。彼を更生させて退魔師に退治されないようにさせることだけ考えようと決め、一花は暁斗の後を追う様に洞窟の中へと入って行った。


「暁ちゃん、昼間にゴロゴロしてたら、夜眠れなくなっちゃうよ~」

「夜は寝ないから関係ない」

 彼に追いつくと洞窟の奥の寝床で、暁斗は既に寝る体勢だったが、寝かせるわけにはいかない。


「そんなこと言わないで、遊ぼうよ。おいかけっことか、かくれんぼとか」

 昼間に全力で遊ばせて疲れさせ、夜は爆睡させてしまえば夜な夜な人を襲いに行くことはなくなるんじゃないかという作戦だったが。

「お~い、暁ちゃん」

 まったく興味を示してはもらえず、無視された。

 しゃがみ込んで顔を覗き込んでみると、目を閉じたまま暁斗は寝返りをうって一花に背を向ける。

 そうしてもう寝ると決めたのか、辺りをぼんやり照らしていた鬼火の術を消してしまった。


「わぁ、真っ暗」

「く、暗いのとかムリですぅ。ぼく、眠るときも明かりを絶やさない派なんですぅ!」

 一花も暗くてちょっぴり怖かったけど、闇の中で響くパニックになった昴の声に気持ちが冷静になってくる。

「昴ちゃん、落ち着いて」

「むりむりむり~、一花しゃんどこですか!?」

「なんか、ガツンガツン聞こえてくるけど。昴ちゃん、壁に激突してないかい?」

「……っ、うるさい」

 ガバッと上半身を起こした暁斗は、主に昴が騒いでくれたおかげですぐにまた暗闇を照らす鬼火を点けてくれた。


「…………」

 一花は明かりに安心して胸に飛び込んできた昴を撫でながら、じっと暁斗を見つめる。

「なに?」

 視線に気付いた暁斗は、相変わらずの不愉快そうな顔と声だけど。

「暁ちゃんって、根は良い子だよね、たぶん」

「は?」


 まだ一緒に過ごして一日程だけど、不機嫌そうな態度の端々にたまに気遣いが混ざっている気がする。

 今だって昴が怯えたらすぐに明かりを点けてくれたし。

 けれど、そんな一花の発想を暁斗はまだ幼い顔には似つかわしくない卑屈な笑みで突っぱねる。


「何人もの女を手に掛けてきた妖魔に向って、いい子はないんじゃない」

 自分で言っておきながら、暁斗の顔がなぜか少し悲しげに歪んだ気がした。

「そうなんだけど、でも……」


 暁斗のしていることは、人間の世界では決して許されないことだ。

 たとえどんな理由があったとしても。

(なのにいい子に見えてきたなんて。わたし、情が湧いちゃったのかな)


「ねえ……どうして人間を襲うようになったの?」

「オマエに答える義理はないって言っただろ」

 ただそれだけの返答で、洞窟内の気温が二、三度下がった気がした。

 空気がピンと張り詰める。


「ちぇっ、まだだめか。予定では今日中に義理を感じさせるぐらい仲良くなるはずだったのにな」

「迷惑しか感じてないけど」

「くっ、じゃあ、どうしたら理由を話してくれるぐらい仲良くなれるの?」

「知らないよ」

「教えてよ~」


 しつこいさにしびれを切らせたのか小さな溜息が聞こえた。一花が様子を窺うのと同時に暁斗が口を開く。

「……じゃあ」

「うんうん、なになに?」

 一花は期待して次の言葉を待った。けれど。

「オマエが今夜の生贄になれよ」

「え……っ!?」


 一花の胸に貼り付いていた昴を剥がしぽいっと後ろに投げると、暁斗はそのまま一花の手首を掴んで岩壁に押さえつけてきた。

 投げられた昴の「あ~れ~」という声が洞窟の奥の方で響いていたけれど、身動きが取れない一花はそれどころではない。


「あんまり子供だってなめてると痛い目みるよ」

 自分とたいして体格も変わらない男の子のはずなのに、押し離そうとしても暁斗の身体はビクともしなかった。

「なにを、する気?」

 動揺を悟られないように極めて冷静を装ったけれど、わずかに声が震えてしまう。

 だって……間近でこちらの瞳を覗き込んでくるその目は、とても蠱惑的な色香を漂わせているから。


「言ったじゃん。オマエが今夜の生贄になれよ。そうしたら、食後に感謝してあげるよ。ごちそうさまでしたって」


 暁斗の指先がツーっと一花の頬を撫でる。

 冷たい声。感情の籠っていない瞳。

 恐怖は感じなかった。でもこんな状況にときめくわけでもなく、切ないような複雑な気持ちが胸の奥に痞える。


「そうやって、今まで女の子たちを誘惑して灰にしてきたの?」

「……そうだよ。オマエだって、今すぐ灰にしてやる。それが嫌なら、ここを出て行け」

「どうして?」

「理由なんて知ってどうする気?」

「理由があるなら、それを解決してまた村の人たちを助けられる妖魔に戻ってほしい、から」

「よけいなお世話だ。もうオレにかかわるな」

 決して感情的な声音ではなかったけれど、一花は僅かに体を竦めた。

 暁斗は鋭く目を細め、怒っているようで、でも悲しんでいるような複雑な目をしていた。


(どうして、そんな顔をするの?)


「今さらいい子になりましたって、それであいつらに許されると思ってる?」

「それは……簡単にはいかないかもしれない。でもっ」

「なにも……知らないくせに」

 それだけ呟くと暁斗はあっさりと一花から手を放し背を向けてしまった。


 初めから本気で一花になにかする気はなかったのかもしれない。彼の考えていることが分からない。


「待って、暁ちゃん!」


 一花は必死で呼び止めようとしたのだけれど、暁斗はそれ以上の口論を無駄と判断したのか、足を止めることもなく黙って洞窟を出て行ってしまった。


「なにも知らないから、教えてほしいんだよ……」


 どうしたらいいのか分からなくて、一花は暁斗の後を追うでもなくポツリと洞窟に立ち尽くしていた。

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