第17話 誰かが歪めた真実

「またうら若き女性を灰にしたんだな!」


 二人の間に流れていた沈黙を破った声に振り返ると、そこには険しい顔をした雅の姿があった。

 有無を言わせる隙も与えず、雅は退魔用の刀を構える。

(危ないっ)

 暁斗に刃先が向けられる前に、一花の身体が勝手に動いた。


「待って!」

「キミも見ただろ。この妖魔が女性を灰にするところを」

「見た、けど……」

 戸惑いの色を隠せない一花の表情を見て、雅は刀を鞘に戻し優しく一花の腕を掴み引き寄せる。

「かわいそうに。怖かったんだね。もう、大丈夫。ボクがキミを守るから」

 頬をなぞられた。


 ゾワワワワッ!


 足先から頭の天辺まで悪寒が駆け上がる。

 端正な顔が一花の瞳を覗き込むように近づいてくるけれど、もう我慢できない。

「やっ、触らないで!」

「ぐっ」

(ま、また?)

 昼間と同じ。一花の身体から電流が迸り雅を弾き飛ばした。

 やはり胸の勾玉が微熱を放っている気がするけれど、今はそんなこと考えている暇はない。


「逃げよう、暁ちゃん!」

「え」

 一花は唖然としている暁斗の手を強引に掴んで走り出した。

「待って、その妖魔の近くにいては、いずれ灰になる運命。なのに、あれを見てもなぜキミは……なぜボクに助けを求めず拒むんだ」

 雅の声が遠くなってゆく。


「……アイツの言う通りだ。オレといたら、オマエだっていつ灰にされるか分からないんだぞ」

 一花はなにも答えず走り続ける。

「灰になる前に、オレの前からさっさと消えろよ」

 なにを言われても一花は無視して走り続けた。雅が追ってこないことを確認しながら当てもなく遠くまで。



◆◆◆◆◆



「ここまでくれば、大丈夫かな」

 一花は夕食の魚を釣った川のほとりまで来て、ようやく足を止める。

 いつまでも握っていた手を、暁斗が不愉快そうに振り払った。


「……どうしてさっきはあんなことしたの?」

 聞くとあんなことがなんなのか分かっているはずなのに、暁斗は無言で視線を逸らす。

 それは気まずくてとか誤魔化しからではなく、一花に心を許していない態度だった。


「お願い、教えて。こんなこと続けてたら、そのうちあの退魔師に本当に倒されちゃうんだよ!」

「オマエには関係ないだろ。オレがどうなろうと、オマエには迷惑かからない」

「関係大有りだよ! 大迷惑被り中だよ!」

「なっ、迷惑被ってるのはオレの方だし」

「っ……わたしがあなたに構うのは、確かに自分勝手な理由なのかもしれない。けど……あなたのこと、ちゃんと知りたいって思ってる気持ちは嘘じゃないよ。人を襲うことや、契約していた退魔師を襲ったことも、なにか理由があるなら」


「理由なんてない」

「ないのに人を襲うの?」

「しつこい……ほっとけよ!」

 感情を切り捨てたように淡々としていた暁斗が大きな声を上げた。

 目を吊り上げ今まで押さえつけていたものをぶつけるように。

 それでも一花は怯まなかった。


「しつこい、じゃ分からない」

 他人のオマエになにが分かると言われればそれまでだ。けれど一花には、どうしても暁斗が理由もなく人間を襲う妖魔に思えなかった。

 だから話してくれるまで諦めないという意思表示のように、じっと暁斗から目を逸らさない。

 怒りからか、涙を堪えているのか、少し瞳が充血し気色ばむ暁斗に睨まれてもだ。


 我慢比べのように見つめ合う。すると居心地が悪そうに視線を逸らしたのは暁斗の方だった。

 そして――


「オレは……誰も襲ってない」

「え?」

 静けさの中、ぽつりと暁斗が言葉を零す。


 川のせせらぎが優しく耳に届くのを、一花はぼんやりと聞きながら頭の中を整理した。

 ぽかんとしている一花見て、暁斗は皮肉そうに口元を歪ませ笑った。

「って言ったらどうする? お姉さんは、オレのこと信じてくれる?」

 一花を惑わすように、嘘っぽく茶化すような言い方。

 でも一花はもう動揺していなかった。


「うん……うん! もちろん、信じるよ!」

「え?」


 一花の返答が予想外だったのか、今度は暁斗がぽかんとしている。

「なんだ。全部暁ちゃんが犯人じゃなかったんだ。そっか……よかった」

「なに……信じてるの。証拠なんて一つもないのに」

「でも、暁ちゃんがやってないって言った」

「さっき、見ただろ。オレの腕の中で、女が一人灰になったの。もう忘れたの?」

「見たよ」


 忘れられるはずがない。忘れられない。きっと、一生。

 人があんな簡単に灰になって消えてしまうなんて、恐ろしい光景だった。


「見てたのに、なんで信じるんだよ、オレの事……オレの言葉なんて、誰も信じてくれないのに」

「わたしは信じるよ」

「何度オレじゃないって言っても、誰も信じてくれなかった」

「この村の人全員が疑ってたって、わたしは暁ちゃんを信じる」

「なんでだよ」

「それは……女の直感!」

「は?」


 自分の王子様だからって、贔屓目で見て信じようと思ったわけじゃない。まだ出会って日は浅いけれど、そんなことする人じゃない気がするのだ。彼の言動の端々にたまに感じる優しさや、それをうまく表現できない不器用さ。それを信じようと思った。まさにただの女の勘、だが一花はなんだかモヤモヤしていた気持ちも吹っ切れた。


「ごめんね。わたし、ちゃんと暁ちゃんの言い分を聞かないうちから、暁ちゃんが犯人だって決めつけた言い方ばかりしてた。最低だね……」

「意味わかんない……オマエ、やっぱバカだろ」

 不審な目を向けられている。今はそれでも仕方ないと思った。

 暁斗に信じてもらうには、まず自分がもっと彼を信じる事から始めようと。


「わたしのこと、今はまだ信じられないと思う。けど、これだけは覚えておいて。わたしはあなたの力になりたいよ」

「なんでそんなこと……」

「だってそのために……あなたに出逢うために、わたしはここまで来たんだよ」

 胸を張って笑って見せた。

 暁斗は「変な女」と呟きながらも小さい肩を震わせている。


「オレは……なにもやってない。信じてくれるの?」

「うん」

 小さな声も震えていた。心細くて崩れてしまいそうな、小さな小さな男の子がそこにはいた。

「契約者だって、殺してない。生贄だって望んだことないし、灰にしたこともないんだ」

「うん」

「全部、オレじゃない。オレじゃないのに……誰も、信じてくれなかった」

 髪を撫でると、彼の瞳が潤んだ気がした。


 彼の力になりたい。


 自分のためだけじゃなくて、この子を救いたいと初めて思った瞬間だった。

「一緒に真犯人を捕まえよう」

 そっと抱きしめると、暁斗は僅かに警戒して身体を強張らせたけれど、一花を押し離そうとはしない。


「暁ちゃんに濡れ衣を着せたやつを捕まえて、ぎゃふんと言わせてやろう! それから暁ちゃんは無実だって信じてくれなかったみんなも見返しちゃおう」

「うん……」

「わたしは、暁ちゃんの味方だよ」


 消え入りそうな声で、でも確かに暁斗は「うん」と頷いて、一花の背中に手を伸ばした。まるでしがみ付くように。

 抱き返してきたその小さなぬくもりを、一花は守る様に抱きしめ続けた。

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