~反撃の狼煙をあげてみよう~ ⑥
翌日。
下駄箱の時点でなにやら異様な雰囲気を感じた。
どうにもザワザワとさざなみのような、小さなザワメキが聞こえる。
いつもの日常なら、大きな声ではしゃぐ少年たちの声が響き渡っている。少女も明るく元気な表情で会話を交わしあうので、活気あふれるザワメキとなるのだが……
今日のそれは、まるで村の中心で魔女裁判にかけられた村娘を見たような雰囲気がトロトロと漏れ出ていた。
不穏と不安。
まるで重たい空気が上空から押さえつけているように、なにか沈んだ空気がただよっている。
少年と少女の負の感情が五年生の教室から下駄箱まで落ちてくるとは、相当な事件が起こっているらしい。
「……?」
いったいどうしたんだろう?
と、一応とばかりに首をかしげておいた。
騒ぎの正体を僕は知っている。というか、僕が犯人だ。だから、ここは精一杯の演技をしないといけない。
仮にも笑ってしまったら最後。
どう考えても怪しい。
方法や動機はさておき、僕が犯人なのは確実に見破られてしまうからね。
さてさて、なんだか不安だなぁ、っていう演技はどうやれば上手くいくだろうか? こう、首をかしげて周囲をうかがう感じでいいかな。
不安な感じでキョロキョロと周囲を見渡す。古い遺跡を罠感知しながら歩くみたいな。そんな演技をしながら僕は靴を履き替えて教室へと向かった。
五年生の教室が並ぶ廊下。その一角が騒然として感じで少年少女が集まっている。
なにやら窓から教室の中を見ているようだ。
野次馬っていうのかな。
事件現場を一目見ておきたい。そういう心理なんだろう。
「どうしたの?」
僕は窓の外にいた四組の少年に聞いてみた。サッカーでいっしょに遊んだことがあるので、覚えている。
少年は僕の顔を見ると、ちょっと後ろめたいような表情を浮かべるけど、すぐに答えてくれた。
「机にめっちゃラクガキされてるみたい」
「ラクガキ?」
「うん。全員の机が」
そこで僕は初めて知ったかのように教室の中を見て、え~ぇ~、と声をあげた。
うん。
ちょっとワザとらしかったかもしれない。
いや、でも、まぁ、大丈夫。バレてないバレてない。僕に注目しているよりも、みんなは異様な光景となってしまった教室に騒然としているからだ。
僕は足早に自分の机へ移動する。
そこには、昨日の『バカ』という文字の上から幾重にも太いマジックの線が縦横無尽に走っていた。
もうすっかりバカの文字は分からなくなっている。
しかし、それは僕の机だけではない。
教室内の全ての生徒の机が、マジックで盛大に線が引かれていた。
「愛枝舞!」
突然に叫ばれる僕の名前。
来た!
それは少女の声だった。怒気を孕み、イライラが頂点に達したような甲高い声。教室が一気に静まりかえり、声の持ち主へと注目が集まる。
それは僕の敵!
五組の女、フワリ!
「あんたの仕業でしょ、これ!」
「……え、違うよ」
僕は全力で首をふり、手もぶんぶんと振った。
突然言われて何がなんだか分かりません、といった雰囲気を見せてみる。
「嘘つけ! おまえがやられたから仕返しのつもりでしょ!」
フワリが僕に詰め寄ってくるので、僕はたじたじと後ろへと下がった。
もちろん、押されているフリだけどね。
ここで毅然と言い返してみろ。どう考えても犯人になってしまう。
犯人なんだけどね。
「僕じゃないよ。知らない知らない」
「嘘つけ! ホントのこと言いなさいよ!」
「だって、僕がやったんだったら、自分の机にも書くわけないじゃない」
そう。
教室内の全ての机にラクガキがしてある。僕の机の上は、他の机よりも多くの線が走っているくらいだ。
もしも犯人であるなら、自爆にも思える行為だ。
「そ、それはあんたが犯人なのを隠すためにワザと自分の机にもやったんでしょ」
「なんのために?」
そう。
このラクガキに目的なんてない。それこそ、『僕以外に目的はない』。
言ってしまえば、僕には復讐という目的がある。僕にこそ動機はある。だから、犯人は確実に僕なんだけど、残念ながら僕に犯行は不可能だ。
そう、僕には絶対にラクガキ事件は起こせない。
いや――普通の人間には絶対に起こせない事件だ。
そして、それを証明してくれるのは僕ではない。
教師だ。
この小学校という小さな世界の絶対的な王。
それが僕の無実を証明してくれるだろう。
「おまえら、席につけ!」
怒号が教室に響き渡った。
びくり、とフワリの肩が跳ね上がる。完全に不意打ちだったのだろう。教室の入り口に背中を向けていたのだから仕方がない。
怒号はもちろん藤原先生だ。
騒ぎを聞きつけ、始業開始よりも早く教室に来たのだろう。もしくは、生徒の誰かが職員室に先生を呼びにいったか。
静かになった教室の中で、藤原先生は窓をぴしゃりと閉め、入り口のドアも閉めた。
教室の外にいた生徒たちを自分の教室に帰るよう叫んだあと、大きな音が鳴るように、ドアを再び閉める。
ガツーン、と音が鳴り、少年少女が縮こまった。
そう、そうだ。
音というのは群集を操舵するのに重要なファクターだ。
相手を威嚇するのに丁度よい。
更には注目を集める効果もある。意識が分散していた子どもたちを、一気に先生のもとへと集中させた。
素晴らしい手腕だ、藤原教授よ。
あなたなら、きっと前の世界でも導師として立派に手腕をふるってくれることだろう。
「これはいったい、どういうことだ?」
怒気を孕んだ藤原教師の声が、重く教室内に響いた。
対して、誰も答えない。
当たり前だ。
見たら分かるのだから。
誰が一目みても、この異常事態を確認できる。
わざわざ質問する、ということは、今からこの事について話すぞ、という合図にすぎない。
「今日、一番最初に登校してきたのは誰だ?」
その質問に対しては、おずおずとひとりの少年が手をあげた。
「……は、はい」
「おまえか?」
「ち、ちがう! ちがいます。えっと、来たら、こうなってました」
嘘じゃないだろうな、という藤原先生の眼光が少年をつらぬく。
「それじゃぁ、昨日最後だったのは誰だ?」
今度は、少年たちがちらほらと手をあげた。
サッカーに興じてた少年たちだ。グラウンドにランドセルを持っていかず、教室内に置いておく者がちらほらといる。
そんな彼らは、サッカーが終わると同時に教室内に取りに帰っていた。
「おまえらか?」
「ちがいます!」
次々に弁明をする少年たち。
もちろん、藤原先生は彼らが犯人でないことを知っている。
だって、教師の仕事のひとつにあるんだもの。
放課後が終わったあと、教室をチェックする、というものが。
生徒が残っていないかどうか。なにか異常がないかどうか。それらをチェックして、きっちりと戸締りするのも教師の仕事のひとつだ。
もしもその際、こんなラクガキがあったのならば気が付くはずだ。
しかし、そうではなかった。
藤原教師みずから確認しているはずだ。
放課後が終わり、夕方から夜になる時間。
まだなにも起こっていない教室を。
「――じゃぁ、誰だ?」
そう。
これは、誰にも実行が不可能なラクガキなんだ。
魔法でも使わない限り。
絶対に起こすことができない事件なんだ。
「誰がこんなことをしたぁ!」
怒号。
先生の怒りはごもっとも。
藤原先生だけが、確実に不可能なことを理解している。だからこその怒りだろう。そこだけは申し訳ないと思う。
でも利用させてもらうよ、先生。
「愛枝」
呼ばれた。
「はい」
「おまえか?」
「違います」
「昨日おまえは机にラクガキされていたな。そのラクガキを消してないじゃないか。腹いせにおまえがやっただろ!」
「先生。ぼ……わたしには無理です」
「言い訳をするなぁ!」
あぁ。
なるほど。
そういうパターンになるか。
それこそ、こっちの世界でもあった魔女裁判だ。
不可解な事件は、周囲を不安にさせる。よって、犯人を断定し、犯人を処刑することによって周囲の不安を解消した。
その方法を藤原教師は取ろうとしていた。
問題の早期解決。
ひとりを犠牲にして、集団を救う。
うむ。
やっぱり藤原先生は素晴らしい導師じゃないか。
「では、先生。わたしを犯人ということにしておいてください。罰は受けます」
だから、利用させてもらう。
そういう手でこられたのなら、それを利用させてもらおう。
「……な」
あっさりと認めたことに対し、先生は驚いた。
もちろん教室内の生徒たちもザワザワと声をもらす。
「生意気をいうな、貴様ぁ!」
激昂。
よ~し、いいぞ藤原先生!
いい矛盾だ。
お前が犯人だろう、と断定したくせに、僕が犯人と認めたことを否定したな。
「先生。藤原先生。先生が、わたしが犯人だって言ったじゃないですか。だから、わたしが犯人でいいので、問題ないですよ」
「なんだその態度はと言ってるんだ!」
「わたしは至って普通です」
「愛枝ぁ!」
ダーン、と教卓を殴る藤原教師。
よしよし、いい感じでヒートアップしてくれた。
でもまぁ、ここまでか。
あまり挑発して、心象を下げすぎるのも良くない。ので、ここらへんで白旗を振っておこう。
「す、すいませんでした……わたし、犯人じゃないです……」
「ぐっ……」
言葉に詰まる藤原教師。
これで事件は迷宮入りだ。
先生は犯人に近づいたのに、自分から犯人を遠ざけてしまった。
残念だったね。
もっとも、だからといって犯行不可能なんだけどね。
普通の『愛枝舞』には。
残念ながら僕にはシガム――魔法がある。
『ヤールエド・タオル・マジックペン』
浮遊魔法に目一杯の遅延効果を付随させ、教室内にある黒いマジックペン全てに魔法をかけておいた。
おかげでフラフラ一歩手前になったけど、効果はきっちりと発動。真夜中の間に棚や机の中、文房具立てから飛び出たマジックペンはキャップを外し、教室内を一定の高さで縦横無尽に駆け回り、少年少女たちの机の上に軌跡を残した。
そこまで精密な動作を設定すると時間がかかる上に魔力消費も跳ね上がる。適当に不可解なラクガキを残すのには充分だったので、ある程度の魔法効果にしておいた。
というわけで――
犯人は僕だ。
ただし、愛枝舞ではない。
犯人は『勇者マイト』となる。
魔法という存在を知らない日本人には、絶対に解けないミステリーの完成というわけだ。
誰にも犯行が不可能、というのを知っている藤原教師にこそ、最大の効果を発揮しているわけで。僕を犯人と決め付けて、あっさりと矛盾したことにより犯行を断定できなくなった。
自分で自分の首をしめたことになるけれど、これはもう仕方がない。
限りなく僕が怪しい。
前日に机のラクガキという件があったからこそ、僕が怪しい。
でも、愛枝舞に犯行は不可能だ。
だから、どうしようもない。
「やった者、見た者、誰でもいい! 素直に名乗り出ろ!」
藤原先生の怒号が飛ぶ。
でも、少年少女は誰も顔をあげない。
僕もうつむく。
さぁ、地獄の時間の始まりだ。
せいぜい問題になるがいい。
反逆の狼煙は、まだ上がったばかりなのだから。
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