第32話 死神エリー

~Side Ellie~


わたしはどこか夢見心地でいた。


(死ぬということは、このような感覚なのでしょうか……)


ぼんやりと意識の海に漂う。


暗いようで明るいような、寒いようで暖かいような、そんな曖昧なものに包まれている気分だった。そこでわたしは、死神としての自分の一生に思いを馳せていた。


わたしが死神として生きたのは二年半程度だった。死神になる前の生前のことや、冥界に向かわずに現世に亡霊のように漂っていた時のことは記憶に残っていない。


ただ、なにかとても悲しい気持ちを抱えたまま過ごしていたということは覚えていた。


そんな時にクリュー様に拾われたのが始まりだった。


クリュー様は記憶を失い、何もわからないわたしに死神という役割を与えた。


初めてクリュー様と出会ったときは、いかにもうさんくさい人物だと思った。死神についての説明を聞き終えた時、わたしは謎の組織に騙されていいように使われているのではないかと感じた。


ところが、わたしが死神としての権能を与えられた途端、何もない場所から黒い鎌が顕現できるようになったり、魔術が使えるようになったりしたときは、クリュー様の言うことを信じるしかないと思った。


そこからわたしは死神の仕事に没頭した。


どう表現していいかわからない得体の知れない不安から逃げるように、わたしは死者と世界との不適切な繋がりを断ち続けた。


そこには喜びや楽しみといったものはなかった。もちろん、クリュー様やヤーマ様、他にも同じ死神として働く仲間はわたしにとてもよくしてくれたのだが、わたしは心のどこかで孤独であった。


思い出すこともできない現世で生きていた時の自分。何か大切なことを忘れているような喪失感。


それがわたしの心の奥深くで、悲しさや寂しさとして根付いていた。


それをまぎらわすように、わたしは死神としての自分の確立というものを強く求めるようになった。


そうして死神としての生を過ごしていると、クリュー様からわたしに仕事の依頼が来た。それがハロルド様の監視だった。


お主に適任だ、などと言われたがその真意はわからなかった。


クリュー様がどこまで考えてわたしをこの仕事に推薦したのかは定かではないが、結果として、それはわたしにとっての大きな転機になった。


日を重ねるごとにわたしの心の中にあった孤独感や不安は減っていき、生を楽しむようになっていった。


不思議だった。


ハロルド様といると、失った大事なものを取り戻していくような、そんな気持ちになるのだ。


(ほんとに、よくわからない人です)


彼とのやりとりを思い出して、知らず知らずのうちに笑みがこぼれる。


どこまでもお人好しで、助ける義理もないわたしを死にそうになりながらも守ろうとしてくれた。


彼のことを考えると、胸がぽかぽかとあたたかくなった。


そうして思い出に浸っていると、突然わたしの目の前にハロルド様が現れた。


それがなんだかおかしくって、自分で笑ってしまった。


(……あなたはこうして、最後までわたしのそばにいてくれるのですね)


きっとこれはわたしが最後に作り出した幻想なのだろう。それでも、わたしの意識の中まで来て見送りに来てくれたことが嬉しかった。


ハロルド様は真剣な表情であったが、少しだけはにかんだようにこちらを見ていた。


そしてゆっくりとわたしの方へと近づいてくる。


手を伸ばせば触れられる距離。ハロルド様はそっとわたしの肩を掴んで、顔を引き寄せた。


わたしはその行動に戸惑いを覚える。いったい彼は何をするつもりなのだろうか?


至近距離にハロルド様の顔が迫る。覚悟をにじませたその瞳にわたしは釘付けになった。


その瞳に導かれるようにゆっくりと顎を上げる。予想外のことに身体は反応できず、わたしはハロルド様に身を委ねた。


(ん……)


そっと唇が触れる。


触れているところから伝わる温かい感触と共に、わたしの肩から背中に回された手に、少し力がこもったのがわかった。


破裂してしまうんじゃないかと思うくらい、どきどきと心臓がなっていた。


(あ……)


ハロルド様はすぐに唇を離した。少しだけ寂しさと物足りなさを感じてしまう。


こんなときに、わたしはなんて破廉恥な夢を見ているんだろうか。


わたしは頭を抱えたくなった。確かに今までこういった行為には全く縁のない生活を送ってきてはいたが、どれだけ欲求不満だったというのだろうか。


でも、ハロルド様にキスされても嫌じゃなかった。むしろその逆で……


そんなことを考えていたが、その直後、わたしの意識は流れ込んでくる霊力に包まれた。


(え……?)


考える間もなく、わたしはこの不思議な空間から追い出されてしまうのだった。




§§§




~Side Ellie~


身体がとてつもなく重い。このまま寝入ってしまいたくなるような衝動を我慢して目を開けると、視界には教会の天井が飛び込んできた。


「気が付いたかエリー」


聞き覚えのある声のした方に視線を向けると、クリュー様がわたしの側に立って、安堵した表情を浮かべている。


わたしはきょとんとしてクリュー様に聞き返す。


「わたし、どうして生きているんですか?」


「ハロルドが転生の霊術リインを使ったのだ」


「え……それって!?」


わたしは慌てて周囲を見渡した。すると、わたしの後ろで眠るように目を閉じているハロルド様の姿が映った。


わたしの意識は急激に覚醒する。心臓が早鐘を打ち、うなじから冷や汗が伝う。


転生リインは術者が生き残ることが難しい禁術だ。失敗は術者の死を意味することになる。


わたしを助けようとして、ハロルド様が死んでしまったかもしれない。


そして私一人だけが助かってしまった。


そんな最悪の可能性が脳裏によぎる。


「ハロルド様!」


わたしはすぐに起き上がり彼の元に向かった。身体が重いとか、そんなのはもう関係なかった。


その手をぎゅっと握る。そこからは温かい体温がしっかりと伝わってきた。


生きている。


その事実がわたしを歓喜させた。


「案ずるなエリー。そやつは見事、転生リインを成功させよった。早ければ明日にでも目を覚ますであろう」


クリュー様は今まで見たことのないような優しい笑顔を見せていた。


「……よかった」


安心と共にわたしの頬にぽろぽろと涙がこぼれていく。一度溢れだすともう止めようがなかった。


まるで幼い子供のように、わたしは泣きじゃくった。


きっとわたしの顔は今、他人に見せられないほどぐしゃぐしゃになっていることだろう。


ハロルド様は自分を犠牲にしてまでわたしを救ってくれようとしたのだ。そして、生きて帰ってきてくれた。


それがたまらなく嬉しかった。


クリュー様も何も言わずに、わたしの背中をさすってくれた。


わたしはしばらくそうしていたが、突然教会の扉が開いた。


どうやら教会での爆発音を聞きつけて駆けつけた人たちのようだ。


ハロルド様も彼らに任しておけばきっと悪いようにはならないだろう。


名残惜しさを感じながらもハロルド様から手を放し、見守っていようと離れた時だった。


「君、大丈夫か!?」


ひとりの男がわたしのほうに近づいて声をかけてきた。


わたしは後ろを確認した。しかしわたしの後ろには誰もおらず、砕けた瓦礫が散乱しているだけだった。


「黒い格好をした君のことだよ、怪我はないか?」


この人には完全にわたしが見えていた。他にも後ろからついてきた人たちがわたしを見て矢継ぎ早に声をかけてきた。


ハロルド様の容態、何が起きたのか、どうしてここに来たのかなど、わたしに投げかけられる質問の内容は多岐に渡った。


わたしは混乱してろくに返事ができないまま、助けを求めるようにクリュー様のほうを見た。クリュー様は変わらず、誰にも認知されていないようだ。


しかし、クリュー様も驚いたようにその顛末を見ているだけだった。

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